栗田城

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栗田城
長野県
現在の栗田城跡
現在の栗田城跡
別名 堀之内城
城郭構造 平城
天守構造 不明
築城主 栗田氏
遺構 土塁
指定文化財 なし
位置 北緯36度38分16.1秒
東経138度11分39.5秒
地図
栗田城の位置(長野県内)
栗田城
栗田城

栗田城(くりたじょう)は長野県長野市栗田にあった日本の城。堀之内城とも言われた。

概要[編集]

村上氏の一族・栗田氏の城館であった。

  • 応安2年(1369年春山城を守る上遠野左近蔵人は守護の入国を阻もうとする村上氏らを中心とする周辺の国人衆に2ヶ月近い長期の攻撃を受けていた。このため信濃国守護でもあった関東管領上杉朝房は翌年、守護代の藤井下野入道の守備する善光寺横山城?)に向けて出陣した。そして春山城から氷鉋(長野市川中島中氷鉋)、平柴(長野市安茂里平柴)へと陣を移して転戦した。途中の善光寺別当の栗田氏も従わないため、この城が攻められた。栗田氏はこの城で上杉軍を迎え撃って西木戸口での合戦となったが制圧された。
  • この年の7月善光寺を焼失しているが、この一連の戦闘によるものと考えられている。上杉朝房はこの後関東管領を僅か2年余で辞任し京都に帰って死亡しているが、この合戦による死亡説もある。しかし栗田氏はこの後さらに勢力の拡大を見せている。

この城館跡は回字形に二重の堀が巡らされた大規模な城郭になっていたと伝えられる。遺構としては一部築堤(土塁跡)が残っていて現在は水内総社日吉大神社(栗田神社)本殿が建っている。この神社は明治の頃までは長野県庁方面(旭山寄り)へ北西3キロほど離れた旧妻科村内に栗田村持分としての飛び地にあったとされる。そこには栗田氏勧請の日吉社があったと伝えられ南石堂町に山王の森と呼ばれ、市の保存樹林指定のの大木や竹薮、土塁跡が見られる。栗田城の出城であったとも伝えられている。

関連項目[編集]