栗田国時

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栗田 国時(くりた くにとき、生年不詳 - 慶長5年(1600年))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将上杉氏の家臣。信濃国善光寺別当・栗田永寿の子息である栗田鶴寿の弟。

栗田氏は元々北信濃の国人で、上田原の戦いのときは村上義清に従って武田信玄と戦っている。しかし武田氏の勢力が北信濃に及ぶと栗田氏は武田方に属する。

国時の武田時代の動向は不明であるが、『家忠日記』によれば兄の永寿は天正9年(1581年)3月22日に高天神城の戦いにおいて戦死している。『病間雑記』『信濃中世史考』によれば、国時は甥にあたる鶴寿が幼少であったため家政を指揮したという。

天正10年(1582年)3月に織田徳川連合軍の甲州征伐により武田氏は滅亡し、国時は越後国へ逃れて上杉謙信景勝に仕えた。景勝の会津移封に伴い、信夫郡大森城主となり8,300石を与えられた。しかし、慶長5年(1600年)に徳川家康が上杉景勝討伐へ出陣した際、国時は景勝を見限る藤田信吉と共謀し家康と内通するが露見、共に出奔した。大森城の南東・信夫郡伏拝(現在の福島市伏拝)の国境で一行150人余と共に追っ手によって殺害された。だが藤田ら250人余は脱出に成功し上杉景勝謀反を家康に訴えた。

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