「フランス領スーダン」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
ZéroBot (会話 | 投稿記録)
m r2.7.1) (ロボットによる 追加: ko:프랑스령 수단
ZéroBot (会話 | 投稿記録)
m r2.7.1) (ロボットによる 追加: it:Sudan Francese
24行目: 24行目:
[[id:Sudan Perancis]]
[[id:Sudan Perancis]]
[[is:Franska Súdan]]
[[is:Franska Súdan]]
[[it:Sudan Francese]]
[[ko:프랑스령 수단]]
[[ko:프랑스령 수단]]
[[nl:Frans-Soedan]]
[[nl:Frans-Soedan]]

2012年11月15日 (木) 13:49時点における版

フランス領スーダン(French Sudan)は、1890年-1902年および1920年-1960年の間、西アフリカにあったフランス植民地フランス領西アフリカの一部であり、現在のマリ共和国の領域を管轄としていた。

現在のマリ共和国の地域にフランス植民地政府が置かれたのは1880年のことである。当時はオート・セネガル植民地と呼ばれ、首都はカイに置かれた。1890年にはフランス領スーダンと改称され、1899年には首都はカイからバマコへと遷都された。1902年にはセネガルニジェールと統合され、フランス領セネガンビア・ニジェールとなった。1904年にはオート・セネガル・ニジェール植民地となり、1920年には再びマリの領域だけで再独立してフランス領スーダンの呼称に戻った。

1958年10月4日国民投票の結果、1958年11月25日にフランス領スーダンはフランス共同体の中で自治権を得た。その後各植民地の完全独立の動きが高まる中、フランス領スーダンの首相であるモディボ・ケイタは同じくフランス領セネガルの首相レオポール・セダール・サンゴールとともに両国の連合を組むことに合意し、1960年6月20日両国はマリ連邦として統一して独立した。しかし、両植民地の意見の食い違いにより、1960年8月20日にセネガルは脱退し、わずか2ヶ月でマリ連邦は崩壊。残されたスーダンはマリ共和国として単独独立することとなった。