「天候不順以外で中止・打ち切りになった日本プロ野球の試合」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Sanoth19 (会話 | 投稿記録)
Sanoth19 (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
7行目: 7行目:
*1951年8月19日 [[中日ドラゴンズ|名古屋]] - [[読売ジャイアンツ|巨人]]([[ナゴヤ球場|中日球場]])
*1951年8月19日 [[中日ドラゴンズ|名古屋]] - [[読売ジャイアンツ|巨人]]([[ナゴヤ球場|中日球場]])
:午後4時前に3回裏の中日の攻撃中に火災が発生し、球場や球場事務所、周辺の民家等が全焼。予定していた試合は鳴海球場などに振替となった。
:午後4時前に3回裏の中日の攻撃中に火災が発生し、球場や球場事務所、周辺の民家等が全焼。予定していた試合は鳴海球場などに振替となった。
*1954年7月24日 [[東京ヤクルトスワローズ|国鉄]] - [[松竹ロビンス|松竹]]([[後楽園球場]])
:4回の国鉄の攻撃中に停電が発生。復旧の見通しが立たないために33分の中断の後にノーゲームとなった。
*1956年6月23日 [[横浜DeNAベイスターズ|大洋]] - [[阪神タイガース|阪神]]([[川崎球場]])
*1956年6月23日 [[横浜DeNAベイスターズ|大洋]] - [[阪神タイガース|阪神]]([[川崎球場]])
:試合中に停電事故が発生し、復旧作業を急ぐも回復しなかったため試合中止となった。
:試合中に停電事故が発生し、復旧作業を急ぐも回復しなかったため試合中止となった。
*1964年6月30、7月1、2日 [[広島東洋カープ|広島]] - 阪神([[広島市民球場 (初代)|広島市民球場]])
*1964年6月30、7月1、2日 [[広島東洋カープ|広島]] - 阪神([[広島市民球場 (初代)|広島市民球場]])
:30日の試合の2回裏、広島の[[阿南準郎]]選手のプレーにおける審判の判定をめぐって抗議が発生。ファンが試合の早期再開を訴るも、2時間29分にわたる中断ののち、審判が選手の体調や観客の足を考慮してノーゲームを宣告。これにより怒ったファンがグラウンドに乱入して防球ネットや放送ブースなど場内の施設を破壊し、修理を要するために1日と2日の試合は取り消しとなった。
:30日の試合の2回裏、広島の[[阿南準郎]]のプレーにおける審判の判定をめぐって抗議が発生。ファンが試合の早期再開を訴るも、2時間29分にわたる中断ののち、審判が選手の体調や観客の足を考慮してノーゲームを宣告。これにより怒ったファンがグラウンドに乱入して防球ネットや放送ブースなど場内の施設を破壊し、修理を要するために1日と2日の試合は取り消しとなった。
*1975年7月26日 中日 - 広島(中日球場)
*1975年7月26日 中日 - 広島(中日球場)
:2回表の広島の攻撃中に三塁側の内野席裏の照明灯の照明が全て消灯し、試合を中断した上で復旧作業を行うも復旧せず、審判と双方の監督が協議した結果、ノーゲームとなった。
:2回表の広島の攻撃中に三塁側の内野席裏の照明灯の照明が全て消灯し、試合を中断した上で復旧作業を行うも復旧せず、審判と双方の監督が協議した結果、ノーゲームとなった。
35行目: 37行目:
*1972年4月23日 阪神 - 広島(甲子園球場)
*1972年4月23日 阪神 - 広島(甲子園球場)
*1973年4月28、29日 大洋 - 広島([[宮城球場|県営宮城球場]])
*1973年4月28、29日 大洋 - 広島([[宮城球場|県営宮城球場]])
*1974年4月11日 ヤクルト - 中日(神宮球場)、大洋 - 巨人([[川崎球場]])、広島 - 阪神([[広島市民球場 (初代)|広島市民球場]])、ロッテ - 近鉄([[後楽園球場]])、南海 - 太平洋([[大阪球場]])
*1974年4月11日 ヤクルト - 中日(神宮球場)、大洋 - 巨人([[川崎球場]])、広島 - 阪神([[広島市民球場 (初代)|広島市民球場]])、ロッテ - 近鉄(後楽園球場)、南海 - 太平洋([[大阪球場]])
*1974年4月12日 日本ハム - ロッテ(後楽園球場)、阪急 - 南海(阪急西宮球場)
*1974年4月12日 日本ハム - ロッテ(後楽園球場)、阪急 - 南海(阪急西宮球場)
*1975年5月8日 ロッテ - 阪急(後楽園球場)
*1975年5月8日 ロッテ - 阪急(後楽園球場)
69行目: 71行目:
*1979年7月13日 日本ハム - 南海(後楽園球場)
*1979年7月13日 日本ハム - 南海(後楽園球場)
:日生球場で近鉄戦の試合をし、当日移動で上京した南海の選手ユニフォームや野球用具を積載した[[貨物自動車|トラック]]が[[東名高速道路]][[日本坂トンネル]]の[[日本坂トンネル火災事故|火災事故]]による大渋滞に巻き込まれて動けなくなり球場に到着できず、開催中止。
:日生球場で近鉄戦の試合をし、当日移動で上京した南海の選手ユニフォームや野球用具を積載した[[貨物自動車|トラック]]が[[東名高速道路]][[日本坂トンネル]]の[[日本坂トンネル火災事故|火災事故]]による大渋滞に巻き込まれて動けなくなり球場に到着できず、開催中止。

== 判定トラブルと後続試合の時間の確保のため中止 ==
*1941年5月20日 阪神 - 阪急(後楽園球場)
:7回表、阪急・[[日比野武]]の二塁盗塁の際、[[島秀之助]]塁審が一旦アウトの判定をした後、阪急側の抗議で判定をセーフに変更し、阪神側も抗議をしたため試合が紛糾。1時間以上中断した後、後に第2試合が控えていたこともあって審判団はノーゲームを宣告し再試合を行うこととした。(当時は「7回を終了しないと試合が成立しない」という規定であり、またナイター設備もなかった。)


== 他のイベント日程の関係で中止 ==
== 他のイベント日程の関係で中止 ==
107行目: 113行目:
*1944年6月17日 東西対抗試合(後楽園球場)
*1944年6月17日 東西対抗試合(後楽園球場)
:[[アメリカ軍]]の航空部隊が東京を[[空襲]]し開催中止となった。
:[[アメリカ軍]]の航空部隊が東京を[[空襲]]し開催中止となった。
*1942年4月18日 名古屋 - 阪神(甲子園球場)
*1942年4月18日 名古屋 - 阪神(甲子園球場)、巨人 - 黒鷲(後楽園球場)
*1942年4月21日 阪神 - [[西鉄軍|大洋]](甲子園球場)
*1942年4月21日 阪神 - [[西鉄軍|大洋]](甲子園球場)
:この2試合は空襲警報発令された為に試合が打ち切りとなった。4月18日の空襲には[[ドーリットル空襲]]という別名がついている。この後、[[日本野球連盟 (プロ野球)|日本野球連盟]]は空襲警報発令時の対応マニュアルを急遽作成して全チームに通達した。
:この3試合は空襲警報発令為に、巨人 - 黒鷲戦が中止、他の2試合が打ち切りとなった。4月18日の空襲には[[ドーリットル空襲]]という別名がついている。この後、[[日本野球連盟 (プロ野球)|日本野球連盟]]は空襲警報発令時の対応マニュアルを急遽作成して全チームに通達した。


== 日本シリーズの出場チームが決まらずに中止 ==
== 日本シリーズの出場チームが決まらずに中止 ==

2012年9月1日 (土) 16:37時点における版

本項目では、日本のプロ野球で野球場および付近の天候の悪化(雨天など)以外の理由により中止された試合を挙げる。

  • 天候を原因とする鉄道・航空機の遅延、運転見合わせなどを理由とする選手などの不着の試合中止もこの項で述べる。
  • 試合は原則として、「年月日 ホームチーム - ビジターチーム(開催地)」の様に表記する。
  • ドーム球場における、設備トラブルおよび観客の来場に支障をきたす事態(台風など)での試合中止例についてはドーム球場を参照。

球場設備のトラブルによる中止

午後4時前に3回裏の中日の攻撃中に火災が発生し、球場や球場事務所、周辺の民家等が全焼。予定していた試合は鳴海球場などに振替となった。
4回の国鉄の攻撃中に停電が発生。復旧の見通しが立たないために33分の中断の後にノーゲームとなった。
試合中に停電事故が発生し、復旧作業を急ぐも回復しなかったため試合中止となった。
30日の試合の2回裏、広島の阿南準郎のプレーにおける審判の判定をめぐって抗議が発生。ファンが試合の早期再開を訴るも、2時間29分にわたる中断ののち、審判が選手の体調や観客の足を考慮してノーゲームを宣告。これにより怒ったファンがグラウンドに乱入して防球ネットや放送ブースなど場内の施設を破壊し、修理を要するために1日と2日の試合は取り消しとなった。
  • 1975年7月26日 中日 - 広島(中日球場)
2回表の広島の攻撃中に三塁側の内野席裏の照明灯の照明が全て消灯し、試合を中断した上で復旧作業を行うも復旧せず、審判と双方の監督が協議した結果、ノーゲームとなった。
  • 1975年9月11日 広島 - 中日(広島市民球場)
10日の同カードの試合終了直後に本塁上でのタッチプレーを巡って、選手やグラウンドに乱入したファンが乱闘を起こし、負傷した選手が出たことや警備上の問題から試合が取り消された。

選手のストライキによる中止

2004年プロ野球再編問題をめぐる球団側と選手会側の労使交渉が決裂したため、週末の各2試合について公式戦ストライキが実施されたもの(プロ野球ストライキ)。後日開催された実行委員会でこれらの再試合は実施しないことになった。

交通のトラブルによる中止

鉄道のストライキによる中止

  • 1959年3月18日 阪神 - 中日(甲子園球場
  • 1965年4月28日 阪急 - 東京(阪急西宮球場
  • 1971年5月14日 阪神 - ヤクルト(甲子園球場)
  • 1971年5月18日 阪急 - 南海(阪急西宮球場)、西鉄 - 近鉄(小倉球場
  • 1971年5月21日 西鉄 - ロッテ(平和台球場)
  • 1972年4月23日 阪神 - 広島(甲子園球場)
  • 1973年4月28、29日 大洋 - 広島(県営宮城球場
  • 1974年4月11日 ヤクルト - 中日(神宮球場)、大洋 - 巨人(川崎球場)、広島 - 阪神(広島市民球場)、ロッテ - 近鉄(後楽園球場)、南海 - 太平洋(大阪球場
  • 1974年4月12日 日本ハム - ロッテ(後楽園球場)、阪急 - 南海(阪急西宮球場)
  • 1975年5月8日 ロッテ - 阪急(後楽園球場)
  • 1975年5月9日 大洋 - ヤクルト(川崎球場)、阪神 - 巨人(甲子園球場)、日本ハム - ロッテ(後楽園球場)、阪急 - 南海(阪急西宮球場)
  • 1975年5月10日 日本ハム - ロッテ(後楽園球場)
  • 1976年4月20日 巨人 - ヤクルト(後楽園球場)、大洋 - 広島(川崎球場)、阪神 - 中日(甲子園球場)、南海 - 阪急(大阪球場)、太平洋 - 日本ハム(小倉球場)
  • 1976年4月21日 南海 - 阪急(大阪球場)、太平洋 - 日本ハム(小倉球場)
  • 1978年4月23日 阪神 - ヤクルト(甲子園球場)
  • 1978年4月25日 ロッテ - クラウン(川崎球場)、近鉄 - 南海(日生球場)、阪急 - 日本ハム(西京極球場
  • 1978年4月26日 近鉄 - 南海(日生球場)

鉄道の不通による中止

  • 1974年9月13日 日本ハム - 近鉄(後楽園球場)、南海 - 太平洋(大阪球場)、阪急 - ロッテ(阪急西宮球場)
送電線の事故により、新幹線が不通となり選手が移動できず、すべて開催を取りやめた。
台風による新幹線の不通で、中日の選手が名古屋から移動できなくなったため開催中止。
  • 1993年8月6日 中日 - 巨人(ナゴヤ球場)
落雷による新幹線送電線の停電で、巨人の選手が移動できずに開催中止。
  • 2000年9月12日 阪神 - 巨人(甲子園球場)
東海豪雨により新幹線が立ち往生。巨人の選手が新幹線内に取り残され開催中止。

飛行機の欠航・延着による中止

  • 1970年8月21日 東映 - 西鉄(後楽園球場)
西鉄が福岡から移動する予定の飛行機の到着が大幅に遅れたため開催中止。
  • 1971年7月24日 西鉄 - 近鉄(小倉球場)
荒天による飛行機の欠航で近鉄が大阪から移動できなくなったため開催中止。
  • 2004年8月30日 ダイエー - 日本ハム(福岡ドーム)
台風による飛行機の欠航で、ダイエーの選手が移動できずに開催中止。
  • 2007年7月27日 ソフトバンク - 西武(福岡Yahoo!JAPANドーム)
西武が羽田から移動する予定の飛行機がトラブルにより大幅な発着遅れのため開催中止。(詳細はこちら

道路の事故渋滞による中止

  • 1979年7月13日 日本ハム - 南海(後楽園球場)
日生球場で近鉄戦の試合をし、当日移動で上京した南海の選手ユニフォームや野球用具を積載したトラック東名高速道路日本坂トンネル火災事故による大渋滞に巻き込まれて動けなくなり球場に到着できず、開催中止。

判定トラブルと後続試合の時間の確保のため中止

  • 1941年5月20日 阪神 - 阪急(後楽園球場)
7回表、阪急・日比野武の二塁盗塁の際、島秀之助塁審が一旦アウトの判定をした後、阪急側の抗議で判定をセーフに変更し、阪神側も抗議をしたため試合が紛糾。1時間以上中断した後、後に第2試合が控えていたこともあって審判団はノーゲームを宣告し再試合を行うこととした。(当時は「7回を終了しないと試合が成立しない」という規定であり、またナイター設備もなかった。)

他のイベント日程の関係で中止

  • 1975年8月23、24日 阪神 - ヤクルト(甲子園球場)
全国高等学校野球選手権大会が記録的な長雨の影響で日程消化が遅れたため、高校野球優先を理由に取り消された。
  • 2000年10月24、25日 ダイエー - 巨人(福岡ドーム)日本シリーズ第3、4戦
3年前の時点でこの日に福岡ドームで日本脳神経外科学会が行われる事が決定しており、学会の日程変更や他球場での開催もできなかったため、シリーズの日程を変更。第3戦を本来移動日となる23日の月曜日に、第4戦を2日置いて26日の木曜日に開催した。このため、この年の日本シリーズは3連戦-2日休み-4連戦という変則日程となった。

地震による中止

当日朝、岩手・宮城内陸地震が発生。球場施設の被害はなかった為、当初は試合開始を1時間遅らせて開催することを発表したが、仙石線などが運転見合わせなど公共交通機関の不能状態と余震活動による観客への影響を考慮。最終的に試合を中止とした(翌々日に振替試合を開催)。
前日にチリで発生した巨大地震の影響で津波警報が発令され、球場が海沿いにあったことからその被害発生を考慮する形で中止にした。

東日本大震災による中止

  • 2011年3月11日に発生した巨大地震・東日本大震災の影響により、次のような影響が出た。詳しくはこちらも参照。
    • 11日、横浜スタジアムで行われていた横浜-ヤクルト戦は地震により球場が広域避難所となったため地震発生の7回表途中時点でコールドゲームとした。また、明石球場で行われていた楽天-ロッテ戦は地震の揺れによる影響は少なかったものの、楽天の本拠地・仙台が被災したため、選手が家族の安否確認を急ぐ必要があることから8回表でコールドゲームとした。
    • 12日、13日は予定されていたオープン戦全試合が中止となった。予定されていた試合は無観客試合での練習試合として行った。
    • ロッテは本拠地・QVCマリンフィールド周辺で発生した液状化現象の影響を考慮し、15日のソフトバンク戦、16日の阪神戦を中止とした。
    • 15日に横浜スタジアムで行われる予定だった横浜-楽天戦が中止となった。
    • 2011年のレギュラーシーズンの開幕日が両リーグとも当初の3月25日から4月12日に変更。これに合わせて、当初3月25日から4月11日までに予定された試合が全て9月20日以降に順延された。
    • 震災にともなって発生した福島第一原子力発電所事故の影響で電力事情が悪化し、東京ドームの使用を自粛した関係で、4月22日~24日に予定された巨人-中日3連戦が日程順延された。
    • この他、以下の各試合が震災に関連した事情で当初予定の球場での開催を中止し、他球場での試合に振り替えた。(下記カッコ内左側が元々の開催予定球場、右側が実際に試合が行われた球場)
      • 4月12日~14日 西武 - 日本ハム(西武ドーム札幌ドーム、開幕カード。電力事情悪化による球場の使用自粛のため。ホームとビジターを入れ替えて開催)
      • 4月15日~17日 楽天 - オリックス(Kスタ宮城→甲子園球場。球場施設の損傷のため)、巨人 - 広島(東京ドーム→マツダスタジアム。電力事情悪化による球場の使用自粛のため。ホームとビジターを入れ替えて開催)
      • 4月22日~24日 楽天 - 日本ハム(Kスタ宮城→ほっともっとフィールド神戸。球場施設の損傷のため)
      • 4月26日~28日 ヤクルト - 巨人(神宮球場→静岡県草薙総合運動場硬式野球場。電力事情悪化により首都圏でのナイター開催を自粛したため)
      • 4月26日~27日 西武 - 楽天(西武ドーム→皇子山球場、電力事情悪化による球場の使用自粛のため。ただし27日の試合は雨天ノーゲーム。当初は28日にもゲームが予定されていたがこちらは日程順延となった)
      • 5月10日 楽天 - 日本ハム(郡山総合運動場開成山野球場→Kスタ宮城。球場が災害復旧本部並びに避難所として利用されていたため。Kスタ宮城は4月29日から利用再開)
      • 6月29日 巨人 - ヤクルト(宇都宮清原球場→郡山総合運動場開成山野球場。球場施設の損傷のため。この時点で郡山総合運動場開成山野球場の利用は再開されていた)

皇室の不幸による中止

香淳皇后斂葬の儀が7月25日に行われたため、7月26日に順延した。

空襲による中止

  • 1944年6月17日 東西対抗試合(後楽園球場)
アメリカ軍の航空部隊が東京を空襲し開催中止となった。
  • 1942年4月18日 名古屋 - 阪神(甲子園球場)、巨人 - 黒鷲(後楽園球場)
  • 1942年4月21日 阪神 - 大洋(甲子園球場)
この3試合は空襲警報発令の為に、巨人 - 黒鷲戦が中止、他の2試合が打ち切りとなった。4月18日の空襲にはドーリットル空襲という別名がついている。この後、日本野球連盟は空襲警報発令時の対応マニュアルを急遽作成して全チームに通達した。

日本シリーズの出場チームが決まらずに中止

  • 1964年9月29日、30日 日本シリーズ第1戦(セ・リーグ優勝チームの本拠地球場)
セ・リーグで大洋と阪神がデッドヒートを繰り広げていた上に、雨天順延が続いて、結局日本シリーズ開幕前日の9月28日時点でリーグ優勝チームが決定しなかったため、優勝決定まで順延。9月30日に阪神の優勝が決定し、翌10月1日から日本シリーズが開幕した。なお、この年は10月10日の東京オリンピック開幕までに日本シリーズを含めた全日程を終了させるために、日本シリーズの開幕が早められていた。

出典