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名前は[[江戸時代]]初期の[[1612年]]に、[[駿府]]([[静岡市|静岡]])から[[江戸]]([[東京]])に移転して来た[[銀貨]]鋳造所(銀座役所といった)に因む。当時から両替商が店を出し発展していった。尚、当初銀座が置かれた地区は静岡市[[葵区]][[両替]]町である。 |
名前は[[江戸時代]]初期の[[1612年]]に、[[駿府]]([[静岡市|静岡]])から[[江戸]]([[東京]])に移転して来た[[銀貨]]鋳造所(銀座役所といった)に因む。当時から両替商が店を出し発展していった。尚、当初銀座が置かれた地区は静岡市[[葵区]][[両替]]町である。 |
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[[明治時代]]になると正式に'''銀座'''が地名となった。煉瓦街やガス灯が設置され、[[文明開化]]を象徴する街へと整備された。[[1877年]]([[明治]]10年)に柳の並木が整備されたことから、現在でも町の木は柳となっている。この歴史から、銀座は、俗にある物事が密集している地域(最多地区)の代名詞ともなっている(例:台風銀座、電波銀座)。 |
[[明治時代]]になると正式に'''銀座'''が地名となった。煉瓦街やガス灯が設置され、[[文明開化]]を象徴する街へと整備された。[[1877年]]([[明治]]10年)に[[ヤナギ|柳]]の並木が整備されたことから、現在でも町の木は柳となっている。この歴史から、銀座は、俗にある物事が密集している地域(最多地区)の代名詞ともなっている(例:台風銀座、電波銀座)。 |
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[[1923年]]9月に発生した[[関東大震災]]のあとの復興事業で繁華街へと変化した。全国各地に「○○銀座」と名付けられた[[商店街]]もできていった。なお、いわゆる「○○銀座」を最初に名乗ったのは[[東京都]][[品川区]]にある[[戸越銀座]]商店街といわれている。 |
[[1923年]]9月に発生した[[関東大震災]]のあとの復興事業で繁華街へと変化した。全国各地に「○○銀座」と名付けられた[[商店街]]もできていった。なお、いわゆる「○○銀座」を最初に名乗ったのは[[東京都]][[品川区]]にある[[戸越銀座]]商店街といわれている。 |
2006年1月23日 (月) 12:04時点における版
銀座(ぎんざ)
世界 > アジア > 東アジア > 日本 > 関東地方 > 東京都 > 中央区 > 銀座
区域
東京都中央区の西部に所在する。北側より1丁目から8丁目まで存在し、4丁目と5丁目の間を晴海通りが、全体を南北に中央通り (東京都)が貫く。 日本の繁華街の代名詞的存在となっており、高級商店街として日本の繁華街としては世界的にもその名が知られている。
歴史
名前は江戸時代初期の1612年に、駿府(静岡)から江戸(東京)に移転して来た銀貨鋳造所(銀座役所といった)に因む。当時から両替商が店を出し発展していった。尚、当初銀座が置かれた地区は静岡市葵区両替町である。
明治時代になると正式に銀座が地名となった。煉瓦街やガス灯が設置され、文明開化を象徴する街へと整備された。1877年(明治10年)に柳の並木が整備されたことから、現在でも町の木は柳となっている。この歴史から、銀座は、俗にある物事が密集している地域(最多地区)の代名詞ともなっている(例:台風銀座、電波銀座)。
1923年9月に発生した関東大震災のあとの復興事業で繁華街へと変化した。全国各地に「○○銀座」と名付けられた商店街もできていった。なお、いわゆる「○○銀座」を最初に名乗ったのは東京都品川区にある戸越銀座商店街といわれている。
1966年に、銀座西端の旧江戸城外堀、南端の汐留川、北端の京橋川を埋め立て、高架の東京高速道路が完成した。高速道路の1階、2階部分は商店街となっているが、行政区画が未確定な部分もあり、俗に銀座9丁目などと呼ばれる。
現在、 三越銀座店、松屋銀座店、松坂屋銀座店、メルサ(ニューメルサ、メルサ Ginza-2)、プランタン銀座などの百貨店を始め、高級服飾店(エルメスやグッチ、シャネルなどの高級ブランド店が多い)、飲食店(寿司・天ぷら・フランス料理・イタリア料理などの高級レストラン・高級クラブ)などが並ぶ。国土交通省による全国の商業地公示価格で9年連続1位となったが、近年の東京駅丸の内口の再開発に伴い、1位の座を明け渡している。
交通
商店街の代名詞
「○○銀座」と呼ばれる商店街が全国にみられる。その殆どが東京の銀座に習った物であり、多くの商店街が並ぶ。近年、郊外型のデパートに押され衰退気味だが、商品の個性化、地域通貨など様々なサービスを展開し、賑わいの復活を模索している。