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'''山北 茂利'''(やまきた しげとし、[[1978年]][[1月6日]] - )は、[[岐阜県]][[多治見市]]出身の元[[プロ野球選手]]([[投手]])。 |
'''山北 茂利'''(やまきた しげとし、[[1978年]][[1月6日]] - )は、[[岐阜県]][[多治見市]]出身の元[[プロ野球選手]]([[投手]])。 |
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== 来歴・人物 == |
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===プロ入り前=== |
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===中日時代=== |
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⚫ | 同年8月24日の対[[読売ジャイアンツ|巨人]]戦では自身3年ぶり、移籍後初となる勝利を挙げた。横浜では主に左の[[リリーフ#ワンポイントリリーフ|ワンポイントリリーフ]]として起用され、ロッテ時代よりも登板数は増えたが、目立った成績は残せず、一軍登板が無かった[[2009年]]に[[戦力外通告]]を受けた。その後[[12球団合同トライアウト]]に参加。台湾の[[興農ブルズ]]からオファーがあったが受けずに現役を引退。2010年6月から神奈川県内のスポーツ用品店に勤務、野球コーナーを担当している<ref>[http://www.townnews.co.jp/0108/2010/08/05/62366.html サクラス戸塚のスポーツ用品店に就職した元横浜ベイスターズ投手]</ref>。 |
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===ロッテ・横浜時代=== |
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ロッテではわずか8試合の登板に留まり、{{by|2006年}}[[4月27日]]に[[土居龍太郎|龍太郎]]、[[南竜介]]との2対1の交換トレードで左腕不足に悩まされていた[[横浜ベイスターズ]]に移籍。 |
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===引退後=== |
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2010年6月から神奈川県内のスポーツ用品店に勤務、野球コーナーを担当している<ref>[http://www.townnews.co.jp/0108/2010/08/05/62366.html サクラス戸塚のスポーツ用品店に就職した元横浜ベイスターズ投手]</ref>。 |
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== プレースタイル == |
== プレースタイル == |
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191cmの長身から[[サイドスロー]]気味の[[スリークォーター]]で投げおろすスタイルで、[[マスメディア|マスコミ]]や選手名鑑等では「和製[[ランディ・ジョンソン]]」と称された。ストレートの球速は、140km/h台前半から中盤だがそれ以上に威力があり、[[スライダー (球種)|スライダー]]・[[シュート (球種)|シュート]]と組み合わせ左右に揺さぶる投球を持ち味とした。反面、制球面では課題が多かった。 |
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愛称は「[[アフロディーテ]]」「[[ランディ・ジョンソン|ランディー]]」など。目標とするのは同じ長身左腕である[[ランディ・ジョンソン]]。その為、[[マスメディア|マスコミ]]や、選手名鑑等では「和製ジョンソン」と称される。 |
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トライアウト受験後、チームメイトであった[[岡本直也]]と共に台湾の[[興農ブルズ]]から獲得の意思を表明されていたが、結局入団には至らなかった。その後、一部報道で[[フィラデルフィア・フィリーズ]]と岡本と共にマイナー契約で合意したと報じられたが、フィリーズの関係者はこれを否定するということがあった。また、興農側が山北の獲得を決めた理由の1つが『イケメンで喋り方もハキハキしている好青年だから』ということであった。 |
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== 詳細情報 == |
== 詳細情報 == |
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* 初登板:2000年3月31日、対[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルトスワローズ]]1回戦([[ナゴヤドーム]]) |
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* 初勝利:2002年8月18日、対[[読売ジャイアンツ]]23回戦(ナゴヤドーム) |
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=== 背番号 === |
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* [[千葉ロッテマリーンズの選手一覧]] |
* [[千葉ロッテマリーンズの選手一覧]] |
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* [[横浜ベイスターズの選手一覧]] |
* [[横浜ベイスターズの選手一覧]] |
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* [[第15回IBAFインターコンチネンタルカップ日本代表]] |
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{{中日ドラゴンズ1999年ドラフト指名選手}} |
{{中日ドラゴンズ1999年ドラフト指名選手}} |
2011年8月6日 (土) 14:22時点における版
基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 岐阜県多治見市 |
生年月日 | 1978年1月6日(46歳) |
身長 体重 |
191 cm 81 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1999年 ドラフト3位 |
初出場 | 2000年3月31日 |
最終出場 | 2008年8月31日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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山北 茂利(やまきた しげとし、1978年1月6日 - )は、岐阜県多治見市出身の元プロ野球選手(投手)。
来歴・人物
中京商業高等学校を経て社会人野球のトヨタ自動車へ入部。1999年の第70回都市対抗野球大会で三菱重工名古屋の補強選手に選ばれる。同年のドラフト会議で中日ドラゴンズから3位指名を受けて入団。同期に朝倉健太がいる。
2002年に57試合に登板し1勝4敗、防御率4.13の成績を残す。その年のオフに開催された第15回IBAFインターコンチネンタルカップ日本代表に選出される。2003年も57試合に登板し3勝0敗、防御率3.25と昨年よりも成績を向上させた。しかし2004年は故障の影響で一軍登板は7試合にとどまる。オフに清水将海との交換トレードで千葉ロッテマリーンズに移籍。ロッテではわずか8試合の登板に留まり、2006年4月27日に龍太郎、南竜介との2対1の交換トレードで左腕不足に悩まされていた横浜ベイスターズに移籍。
同年8月24日の対巨人戦では自身3年ぶり、移籍後初となる勝利を挙げた。横浜では主に左のワンポイントリリーフとして起用され、ロッテ時代よりも登板数は増えたが、目立った成績は残せず、一軍登板が無かった2009年に戦力外通告を受けた。その後12球団合同トライアウトに参加。台湾の興農ブルズからオファーがあったが受けずに現役を引退。2010年6月から神奈川県内のスポーツ用品店に勤務、野球コーナーを担当している[1]。
プレースタイル
191cmの長身からサイドスロー気味のスリークォーターで投げおろすスタイルで、マスコミや選手名鑑等では「和製ランディ・ジョンソン」と称された。ストレートの球速は、140km/h台前半から中盤だがそれ以上に威力があり、スライダー・シュートと組み合わせ左右に揺さぶる投球を持ち味とした。反面、制球面では課題が多かった。
詳細情報
年度別投手成績
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2000 | 中日 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 25 | 3.1 | 3 | 0 | 10 | 0 | 2 | 5 | 2 | 0 | 9 | 9 | 24.30 | 3.90 |
2002 | 57 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 4 | 0 | -- | .200 | 260 | 61.0 | 65 | 5 | 18 | 1 | 5 | 47 | 3 | 0 | 31 | 28 | 4.13 | 1.36 | |
2003 | 57 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | -- | 1.000 | 238 | 55.1 | 52 | 5 | 20 | 4 | 4 | 41 | 2 | 0 | 25 | 20 | 3.25 | 1.30 | |
2004 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 25 | 5.1 | 9 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 5 | 5 | 8.44 | 1.88 | |
2005 | ロッテ | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 35 | 7.1 | 7 | 2 | 5 | 0 | 1 | 8 | 0 | 1 | 6 | 6 | 7.36 | 1.64 |
2006 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 10 | 2.1 | 3 | 0 | 1 | 1 | 0 | 1 | 1 | 0 | 1 | 1 | 3.86 | 1.74 | |
横浜 | 28 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 2 | .500 | 113 | 25.2 | 30 | 3 | 8 | 0 | 1 | 24 | 1 | 0 | 13 | 12 | 4.21 | 1.48 | |
'06計 | 29 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 2 | .500 | 123 | 28.0 | 33 | 3 | 9 | 1 | 1 | 25 | 2 | 0 | 14 | 13 | 4.18 | 1.50 | |
2007 | 14 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 51 | 11.1 | 12 | 0 | 8 | 0 | 0 | 9 | 1 | 0 | 6 | 6 | 4.76 | 1.77 | |
2008 | 32 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 4 | .000 | 106 | 21.2 | 34 | 5 | 6 | 1 | 4 | 17 | 2 | 0 | 26 | 21 | 8.72 | 1.85 | |
通算:8年 | 208 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 6 | 0 | 6 | .455 | 863 | 194.1 | 215 | 20 | 77 | 7 | 17 | 153 | 12 | 1 | 122 | 108 | 5.66 | 1.50 |
記録
背番号
- 59 (2000年 - 2002年)
- 51 (2003年 - 2004年、2006年 - 2006年途中)
- 15 (2005年)
- 27 (2006年途中 - 2009年)