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== 歴 ==
== ・人物 ==
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===プロ入り前===
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===中日時代===
{{by|2002年}}に57試合に登板し1勝4敗、[[防御率]]4.13の成績を残す。その年のオフに開催された第15回[[IBAFインターコンチネンタルカップ]]では、日本代表に選出される。{{by|2003年}}も57試合に登板し3勝0敗、防御率3.25と昨年よりも成績を向上させた。しかし{{by|2004年}}は故障の影響で一軍登板は7試合にとどまる。オフに[[清水将海]](現[[福岡ソフトバンクホークス]])との交換[[トレード]]で[[千葉ロッテマリーンズ]]に移籍。


同年8月24日の対[[読売ジャイアンツ|巨人]]戦では自身3年ぶり、移籍後初となる勝利を挙げた。横浜では主に左の[[リリーフ#ワンポイントリリーフ|ワンポイントリリーフ]]として起用され、ロッテ時代よりも登板数は増えたが、目立った成績は残せず、一軍登板が無かった[[2009年]]に[[戦力外通告]]を受けた。その後[[12球団合同トライアウト]]に参加。台湾の[[興農ブルズ]]からオファーがあったが受けずに現役を引退。2010年6月から神奈川県内のスポーツ用品店に勤務、野球コーナーを担当している<ref>[http://www.townnews.co.jp/0108/2010/08/05/62366.html サクラス戸塚のスポーツ用品店に就職した元横浜ベイスターズ投手]</ref>
===ロッテ・横浜時代===
ロッテではわずか8試合の登板に留まり、{{by|2006年}}[[4月27日]]に[[土居龍太郎|龍太郎]]、[[南竜介]]との2対1の交換トレードで左腕不足に悩まされていた[[横浜ベイスターズ]]に移籍。

同年8月24日の対[[読売ジャイアンツ|巨人]]戦では自身3年ぶり、移籍後初となる勝利を挙げた。横浜では主に左の[[リリーフ#ワンポイントリリーフ|ワンポイントリリーフ]]として起用され、ロッテ時代よりも登板数は増えたが、目立った成績は残せず、一軍登板が無かった[[2009年]]に[[戦力外通告]]を受けた。[[12球団合同トライアウト]]に参加。台湾の[[興農ブルズ]]からオファーがあったが受けずに現役を引退。

===引退後===
2010年6月から神奈川県内のスポーツ用品店に勤務、野球コーナーを担当している<ref>[http://www.townnews.co.jp/0108/2010/08/05/62366.html サクラス戸塚のスポーツ用品店に就職した元横浜ベイスターズ投手]</ref>。


== プレースタイル ==
== プレースタイル ==
190cmの長身から[[サイドスロー]]気味の[[スリークォーター]]で投げおろすスタイル。ストレートの球速は、140km/h台前半中盤を出す程度だがそれ以上に威力があり、[[スライダー (球種)|スライダー]]・[[シュート (球種)|シュート]]と組み合わせ左右に揺さぶる投球をする。反面、制球面では課題が多
191cmの長身から[[サイドスロー]]気味の[[スリークォーター]]で投げおろすスタイルで、[[マスメディア|マスコミ]]や選手名鑑等では「和製[[ランディ・ジョンソン]]」と称された。ストレートの球速は、140km/h台前半から中盤だがそれ以上に威力があり、[[スライダー (球種)|スライダー]]・[[シュート (球種)|シュート]]と組み合わせ左右に揺さぶる投球を持ち味とした。反面、制球面では課題が多かった

== 人物 ==
愛称は「[[アフロディーテ]]」「[[ランディ・ジョンソン|ランディー]]」など。目標とするのは同じ長身左腕である[[ランディ・ジョンソン]]。その為、[[マスメディア|マスコミ]]や、選手名鑑等では「和製ジョンソン」と称される。

トライアウト受験後、チームメイトであった[[岡本直也]]と共に台湾の[[興農ブルズ]]から獲得の意思を表明されていたが、結局入団には至らなかった。その後、一部報道で[[フィラデルフィア・フィリーズ]]と岡本と共にマイナー契約で合意したと報じられたが、フィリーズの関係者はこれを否定するということがあった。また、興農側が山北の獲得を決めた理由の1つが『イケメンで喋り方もハキハキしている好青年だから』ということであった。


== 詳細情報 ==
== 詳細情報 ==
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=== 記録 ===
* 初登板:2000年3月31日、対[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルトスワローズ]]1回戦([[ナゴヤドーム]])
* 初勝利:2002年8月18日、対[[読売ジャイアンツ]]23回戦(ナゴヤドーム)


=== 背番号 ===
=== 背番号 ===
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* [[千葉ロッテマリーンズの選手一覧]]
* [[千葉ロッテマリーンズの選手一覧]]
* [[横浜ベイスターズの選手一覧]]
* [[横浜ベイスターズの選手一覧]]
* [[第15回IBAFインターコンチネンタルカップ日本代表]]


{{中日ドラゴンズ1999年ドラフト指名選手}}
{{中日ドラゴンズ1999年ドラフト指名選手}}

2011年8月6日 (土) 14:22時点における版

山北 茂利
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 岐阜県多治見市
生年月日 (1978-01-06) 1978年1月6日(46歳)
身長
体重
191 cm
81 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1999年 ドラフト3位
初出場 2000年3月31日
最終出場 2008年8月31日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

山北 茂利(やまきた しげとし、1978年1月6日 - )は、岐阜県多治見市出身の元プロ野球選手投手)。

来歴・人物

中京商業高等学校を経て社会人野球トヨタ自動車へ入部。1999年第70回都市対抗野球大会三菱重工名古屋の補強選手に選ばれる。同年のドラフト会議中日ドラゴンズから3位指名を受けて入団。同期に朝倉健太がいる。

2002年に57試合に登板し1勝4敗、防御率4.13の成績を残す。その年のオフに開催された第15回IBAFインターコンチネンタルカップ日本代表に選出される。2003年も57試合に登板し3勝0敗、防御率3.25と昨年よりも成績を向上させた。しかし2004年は故障の影響で一軍登板は7試合にとどまる。オフに清水将海との交換トレード千葉ロッテマリーンズに移籍。ロッテではわずか8試合の登板に留まり、2006年4月27日龍太郎南竜介との2対1の交換トレードで左腕不足に悩まされていた横浜ベイスターズに移籍。

同年8月24日の対巨人戦では自身3年ぶり、移籍後初となる勝利を挙げた。横浜では主に左のワンポイントリリーフとして起用され、ロッテ時代よりも登板数は増えたが、目立った成績は残せず、一軍登板が無かった2009年戦力外通告を受けた。その後12球団合同トライアウトに参加。台湾の興農ブルズからオファーがあったが受けずに現役を引退。2010年6月から神奈川県内のスポーツ用品店に勤務、野球コーナーを担当している[1]

プレースタイル

191cmの長身からサイドスロー気味のスリークォーターで投げおろすスタイルで、マスコミや選手名鑑等では「和製ランディ・ジョンソン」と称された。ストレートの球速は、140km/h台前半から中盤だがそれ以上に威力があり、スライダーシュートと組み合わせ左右に揺さぶる投球を持ち味とした。反面、制球面では課題が多かった。

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2000 中日 5 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 25 3.1 3 0 10 0 2 5 2 0 9 9 24.30 3.90
2002 57 0 0 0 0 1 4 0 -- .200 260 61.0 65 5 18 1 5 47 3 0 31 28 4.13 1.36
2003 57 0 0 0 0 3 0 0 -- 1.000 238 55.1 52 5 20 4 4 41 2 0 25 20 3.25 1.30
2004 7 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 25 5.1 9 0 1 0 0 1 0 0 5 5 8.44 1.88
2005 ロッテ 7 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 35 7.1 7 2 5 0 1 8 0 1 6 6 7.36 1.64
2006 1 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 10 2.1 3 0 1 1 0 1 1 0 1 1 3.86 1.74
横浜 28 0 0 0 0 1 1 0 2 .500 113 25.2 30 3 8 0 1 24 1 0 13 12 4.21 1.48
'06計 29 0 0 0 0 1 1 0 2 .500 123 28.0 33 3 9 1 1 25 2 0 14 13 4.18 1.50
2007 14 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 51 11.1 12 0 8 0 0 9 1 0 6 6 4.76 1.77
2008 32 0 0 0 0 0 1 0 4 .000 106 21.2 34 5 6 1 4 17 2 0 26 21 8.72 1.85
通算:8年 208 0 0 0 0 5 6 0 6 .455 863 194.1 215 20 77 7 17 153 12 1 122 108 5.66 1.50

記録

背番号

  • 59 (2000年 - 2002年)
  • 51 (2003年 - 2004年、2006年 - 2006年途中)
  • 15 (2005年)
  • 27 (2006年途中 - 2009年)

脚注

関連項目