「Wikipedia:井戸端/history20091024」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Kingofclub13 (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
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以前、利用者の間で個人的な用事に関わることは[[ウィキメール]]で済ますと知りました。私はメールアドレスなどの個人情報は匿名にして送りたいですし、メールの送信先の方が必ずしも信頼のおける間柄とも限らないので、ウィキメールのやりとり(送受信)の過程で送り先や受け取り先にメールアドレスが知られることがあるのかを伺いたいです。--[[利用者:Kingofclub13|Kingofclub13]] 2009年4月7日 (火) 22:33 (UTC)
以前、利用者の間で個人的な用事に関わることは[[ウィキメール]]で済ますと知りました。私はメールアドレスなどの個人情報は匿名にして送りたいですし、メールの送信先の方が必ずしも信頼のおける間柄とも限らないので、ウィキメールのやりとり(送受信)の過程で送り先や受け取り先にメールアドレスが知られることがあるのかを伺いたいです。--[[利用者:Kingofclub13|Kingofclub13]] 2009年4月7日 (火) 22:33 (UTC)

:自分自身も一ユーザーなので仕様まではわかりかねますが、ウィキペディアにアカウントを作成した際に登録したメールアドレスから送信されたことになりますので、どのメールアドレスから登録されたか知られることになっています。--[[利用者:Tamago915|Tamago915]] 2009年4月7日 (火) 23:08 (UTC)

2009年4月7日 (火) 23:08時点における版

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「要出典」

  • もう既に亡くなられてしまった人の逸話など聞き覚えだけで記載しましたら、「要出典」マークが付きました。もちろん即、自分の記載した箇所は削除しました。出典先を世界中誰も知らない逸話などは、辞典には不要なものなのか、少し疑問?。凄く心配している事の一つに、戦争時代の逸話がかなりの数あると考えていますが、しかし、もう時間が無いですよね。例えば「防空壕の中の逸話」など冷静に判断すると「要出典」が必要なのでしょうか。もちろん「逸話」など人の脳内でのイメージで、変質が激しいものでしょうから、とも考えていますが。
  • こんな言葉にならない世界もあるなど記載されたら、これはもう完全に辞典にはだめでしょう。哲学などは辞典に不向きな世界かな。ソクラテスも親鸞も自分は話しただけで、弟子が書いたものらしい理由から、事実でない箇所も沢山ありそうだなとも思えますが。(ソクラテスが言っていた=実は本当の出典先)
  • 私にとっては大変難しい、悩ましい問題です。--銀太 2009年3月16日 (月) 01:30 (UTC)[返信]
Wikipedia:検証可能性の問題ですね。辞典の記述として必要なものは逸話よりも説明ですので、プロジェクト以外で何か役立てられることを願います。--草薙 2009年3月13日 (金) 08:52 (UTC)[返信]
  • ご指摘有難うございます。実は今日から参加した老人だけど新人です。私はWikipediaを大変愛用しています。出典先問題は「下町文化」「大衆食堂文化」など当たり前のように使われてている言葉ですが、きっと記載が無いだろうと考えていた事が発端です。(説明できないようなものがないと、きっと世の中つまらなくなるような気がします。)色々勉強になり感謝しております。今後ともご指導の程、宜しく御願い致します。--銀太 2009年3月16日 (月) 01:30 (UTC)[返信]
下町文化に近いのは、東京市街の変遷ですかね。大衆食堂文化は、大衆食堂の説明に含められるものだと思います。項目としては存在しないが、別のページに含められているという場合はよくあります。--草薙 2009年3月15日 (日) 01:56 (UTC)[返信]
ウィキペディアではなく、別のメディアにまずは記録を残されることをおすすめします。自主出版物でも一次資料としては有効ですから。--Peachkiller 2009年3月23日 (月) 12:25 (UTC)[返信]

「百科事典的でない」と言われた記述について

最近、自分と議論した方から「記述が百科辞典的でないと私が判断したら容赦なく刈ります」と言われたのですが、これはウィキペディアの方針としてはどうなんでしょう。誰か一人に「百科事典的でない」と言われた記述はウィキペディアに存在してはいけないのでしょうか。--Godsigma 2009年3月16日 (月) 10:29 (UTC)[返信]

おっしゃっている意味が良く分かりませんが、あえてその言い回しにのると、誰か一人が「百科事典的である」と考えたならば、ウィキペディアに存在して良いことになるのでしょうか?
大きな目で見れば、優れた記事・記述を執筆される方が評価されますし、またそうあるべきです。しかし、記述の加筆とともに、記述の除去もまた編集の一種であって、つねにどちらかが優れているとはいえません。ケース・バ・イケースです。ですから、一般論としては、誰かが有用だと思えば記述を加えて良いのであれば、誰かが有用性を損ねると思えば記述を除去してかまわないでしょう。
もっとも、加筆にせよ除去にせよ、誰か一人がそう思ったから、誰か一人が実際にそうしたからといって、ウィキペディアに存在してよいことになったり、存在してはいけないことになったりはしません。--mizusumashi月間感謝賞を応援します) 2009年3月16日 (月) 10:48 (UTC)[返信]
まずケースバイケースだと思いますので、氏がそう言われた状況がわからない現状では何とも言えません。自分も百科事典的ではないと忠告して編集することがありますが、その場合には単なる事実の羅列や広告、そのページの有用性に何ら寄与しない詳細な情報の削除を目的としてます。これらはガイドラインにあることなので、「百科事典的ではない」ではなく、該当するそのガイドラインの旨を引用すれば良いのですが、面倒で「百科事典的ではない」とだけ書いてしまってます。あるいは逆に「百科事典的ではない」と言って削除しているユーザーと対立したこともあり、その判断基準が非常に個人に寄ってしまうことは(自分のことも含め)否定しません。「百科事典的ではない」は簡単な文句ですが望ましい物ではないと思います。--EULE 2009年3月16日 (月) 11:38 (UTC)[返信]
(補足)つまり自分や、そういう言い回しを使う他のユーザーを見るに「百科事典的ではない」と言うのは、該当するガイドラインを引用することを放棄しているのだと思います。無論、ユーザー個人の勝手な価値判断な可能性もあるでしょうが。--EULE 2009年3月16日 (月) 11:51 (UTC)[返信]
おそらくGodsigmaさんの編集が気に食わない人がいて、「今度同じような書き方したら有無を言わず消すぞ」というような意味合いで言われたのだと思います。まずは、いかなる場合にせよ「百科事典的でない」と断じられたからには自分の編集に何か問題があったのではないか、と省みてください。「人間的に気に食わない」という時以外は、相手も何かしらその編集を気に入らない(百科事典的でないと評価する)理由があって言っているのだと思いますから、そこは一度立ち止まって考えてみるべきではないでしょうか。客観性を欠いていないだろうか、独自研究になっていないだろうか、どこか表現がまずいのではないだろうか、など考える点は多々あります。
ただし、それを考えるためには方針と照らし合わせて考えることが必要です。方針の理解無しに相手への反論も、相手から文句の出ない記述もできないかと思います。
しかし、百科事典的でない記述を見つけたら、それを注意したり咎めたりするにせよ、消さずに表現をうまく変えて利用する方向でできるだけ考えていった方が、記事としても発展するんじゃないかなと個人的には思っています(が、方針を理解して文句の出ない編集をするに越したことはないです)。--草薙 2009年3月16日 (月) 13:14 (UTC)[返信]
この件はとある記事のノートで一ヶ月以上議論が続いており、「容赦なく刈ります」と言った当人を含む複数のユーザーがGodsigmaさんの記述しようとした内容が百科事典的でないことを繰り返し説明しています。本人は納得していないようですが。West 2009年3月16日 (月) 15:12 (UTC)[返信]
その「とあるノートページ」はどこなんでしょうか。--ゆきち 2009年3月16日 (月) 17:01 (UTC)[返信]
ノート:天地無用!ではないでしょうか、ある記述をめぐってGodsigmaさんと他のユーザーさんの間で議論となっていて「合意形成のためのコメント依頼」にも提出されているようです。この議論のGodsigmaさんに対するもう一方の主な利用者の方が比較的強硬な姿勢で議論をされる方(それが原因で以前に利用者の行為についてのコメント依頼に出されたことがあるようです)なので双方ヒートアップ気味なようですね。115.162.248.204 2009年3月16日 (月) 22:27 (UTC)[返信]
以前というか、今もコメント依頼に出しています。--203.91.164.37 2009年3月17日 (火) 12:46 (UTC)[返信]

(インデント戻し)mizusumashiさんへ。すると加筆するのも除去するのも個人の自由ということでいいのでしょうか。そして編集の根拠も「そう思った」というだけで十分ということでしょうか。「百科事典的でない」と決めつけられて一方的に除去されても止めることはできないということになるのでしょうか。じゃあ自分はどうしたらいいのでしょう。相手の方と議論しても百科事典的であるかないかを延々と言い合っているだけになってしまいます。今後も同じ人に「百科事典的でない」と自分の記述を刈られ続けなければいけないのでしょうか。
EULEさんへ。ずいぶん長い議論なので状況を説明するのがちょっと難しいです。相手の方は「百科事典的でない」根拠として五本の柱の「単なる情報やデータを無差別に収集する場所でも、雑学集やトリビアコレクションでもありません」やウィキペディアは何でないかの「単なる知識ベース」などを引用していました。しかしEULEさんのおっしゃる通り、結局は個人的判断ということなのでしょう。雑学であるでない、トリビアであるでない、無差別に収集しているしていないという言い合いになってしまいました。
草薙さんへ。おそらく草薙さんのおっしゃる「気に食わない人」だったとは思います。前述のように問題となったのは雑学かどうかという点などで、独自研究や客観性は相手の方も問題にはしていなかったと思います。
West さんへ。たしかに納得していませんが、とりあえず本議論には関係ないと思います。自分の最初の疑問に答えていただけると幸いです。
115.162.248.204さんへ。たしかにノート:天地無用!でのことです。--Godsigma 2009年3月18日 (水) 08:15 (UTC)[返信]

単に「百科事典ではない」だけではなく、既に何が百科事典的ではないのかを具体的に指摘・議論されているのであれば、それに沿って進めるべきでしょう。それで納得がいかないなら、その点を突き詰めるか、コメント依頼で中立的な第三者を求めるかした方が良いと思います。相手が「百科事典的ではない」と具体性にかける言葉を金科玉条かのように使い、どんなに説明を求めても、それしか言ってこないならば問題でしたが。当該のノートも読みましたが、内容の如何は別にして、論を詰めるには悪い相手と言え、冷静な第三者がいれば、また違うのではないかと思いました。--EULE 2009年3月18日 (水) 10:48 (UTC)[返信]
mizusumashiです。
> すると加筆するのも除去するのも個人の自由ということでいいのでしょうか。
もし、その「自由」という言葉を、どういう加筆や除去を行ってもどのような批判も受けず不利益も受けない、という意味で使われてるのであれば、そうではありません。不適切な加筆や除去を行えば、批判を受けますし、場合によっては不利益も受けます。
もし、その「自由」という言葉を、事前の手続きは必要なく、個人の評価と判断で行い、その結果の批判や不利益も自分で受ける、という意味で使われているのであれば、はい、「個人の自由」だと思います。
> そして編集の根拠も「そう思った」というだけで十分ということでしょうか。
いえ、自分が「そう思った」といことが、編集の根拠に(少なくとも強い根拠に)なるわけではないでしょう。
現実に有益である、有益でない、あるいは百科事典的である、百科事典的ではないという評価が編集の根拠になります。しかし、そういった評価をする一次的な主体として、個々の編集者にその評価が委ねられている、ということです。
そして、一次的には委ねられているわけですから、多少の間違いや不合理な判断があっても強く非難されるわけではないでしょうが、その評価に絶対的な権威があるわけではありません。対論者や第三者の評価にも同等の権威があり、最終的にウィキペディア日本語版コミュニティの評価がその権威を上回るでしょう。そして、個々の編集者の評価があまりに間違っているとか、あまりに不道理であったとかであれば、批判や不利益を受けることがあるかもしれません。
> 「百科事典的でない」と決めつけられて一方的に除去されても止めることはできないということになるのでしょうか。じゃあ自分はどうしたらいいのでしょう。
それが本当に不当な決め付けであるのであれば、コメント依頼でコメントをつのり、場合によっては投稿ブロック依頼を出せばよいと思います。
> 相手の方と議論しても百科事典的であるかないかを延々と言い合っているだけになってしまいます。
適切な対応をとれば、ならないと思います。
相手の方が合理的であったり、相手のほうを合理的だと認める第三者が多ければ、自分の主張を取り下げればよいだけです(自分の内面の意見を変える必要はありません。たんに対外的に行っている主張を取り下げればよいのです)。
もし、相手のほうが不合理であったり、あるいは相手のほうを不合理だと認める第三者が多ければ、コメント依頼でコメントをつのり、場合によっては投稿ブロック依頼を出せばよいでしょう。
> 今後も同じ人に「百科事典的でない」と自分の記述を刈られ続けなければいけないのでしょうか。
とりあえずは、毎回、前述のことを繰り返せばよいと思います。
ところで、私の「あえてその言い回しにのると、誰か一人が「百科事典的である」と考えたならば、ウィキペディアに存在して良いことになるのでしょうか?」という質問にお答えいただいていないようですが、お答えいただけないのでしょうか?--mizusumashi月間感謝賞を応援します) 2009年3月18日 (水) 12:13 (UTC)[返信]
mizusumashiさんの仰ることに同感です。「書いてはいけない」ではなく、「書いてもいいけど内容によっては除去される」ということですね。天地無用!の件に関して言えば、mizusumashiさんの言われるところの「相手のほうを合理的だと認める第三者が多い」状態だと思います(しかも、書き方や書く場所によっては有益な情報になりうると言われているのですから、かたくなになる必要はないと思うのですが)。いずれにせよ、態度としては草薙さんが仰っているようなやり方を私もおすすめします。--ふくたろう 2009年3月19日 (木) 03:01 (UTC)[返信]
EULEさんへ。いやいや金科玉条が「雑学である」や「トリビアである」になるだけで、あまり具体的な論にはならなかったと思います。当該のノートではすでにコメント依頼は出してあります。
mizusumashiさんへ。ちょっと疑問を出しすぎたかもしれません。
自分が言った「自由」とは、どちらかといえば後者の方です。
それにしても個々の編集者の評価=個々の編集者の「そう思った」としちゃいけないのでしょうか。とりあえず一次的には個々の編集者の判断で編集してよいが、二次的な編集は集団の判断でやるべきだということなのですね。
しかしmizusumashiさんのお話だと、百科事典的な記述を練るよりもコミュニティ内で多数派になることの方が重要だという印象です。先のことを心配しすぎなのかもしれませんが、もし自分が少数派に属し、「刈ります」発言の方が多数派に属しているならmizusumashiさんのおっしゃる対応では、ずっと主張を取り下げ、刈られ続けなければならないことになるように思えます。もしそうなったらどうしたらいいのでしょう。
以前はmizusumashiさんの「言い回しにのると…」の質問にどう答えていいのかよく解らなかったのですが、今なら「一時的には存在してもいいが最終的にはコミュニティの多数派が認めないと存在できない」と答えます。
ふくたろうさんへ。とりあえず天地無用!の件は本議論では置いとくようお願いします。
一応、自分は草薙さんのおっしゃるような感じでやってきたつもりです。(「つもり」にすぎないと言われると困りますが)。しかし「百科事典的でない」「雑学」「トリビア」「単なる知識ベース」といった言葉は随分、広い解釈ができる表現のようです。いくら方針関連の文章を読んでも、これらに当てはまらないと確信できるような記述の仕方が解りませんでした。(特に雑学が何の定義も定められていないのに困りました)。自分が如何に百科事典的な記述をしたつもりでも、相手の方が拡大解釈をすれば、何でも「百科事典的でない」等に決めつけて除去されてしまうのではないかと考えてしまいます。(ここから最初の質問が生まれたわけです)。もちろん自分にも至らない点が色々あるとは思いますが、それを改めればいいとはどうも思えなくなってしまいました。
なんだかネガティブな意見ばかりですみません。それでは失礼します。--Godsigma 2009年3月22日 (日) 08:29 (UTC)[返信]
mizusumashiです。引用の順番が、前後しますが、ご寛恕ください。
> 今なら「一時的には存在してもいいが最終的にはコミュニティの多数派が認めないと存在できない」と答えます。
私も基本的にはそうだと思います。そして、除去もまたその裏返しであって、一時的に存在しない状態にしてもよいが、最終的にはコミュニティの多数派が記述の復帰を認めれば、復帰することになると思います。
> しかしmizusumashiさんのお話だと、百科事典的な記述を練るよりもコミュニティ内で多数派になることの方が重要だという印象です。
そうお思いになりたいのであれば、否定はしません。もっとも、百科事典的であるかないかという論点において多数派を形成できなかった場合に、「百科事典的な記述を練るよりもコミュニティ内で多数派になることの方が重要」だということなのかといっても、それは多数派の判断よりも少数派である自分の意見のほうが正しい、おまえらは愚か者の集団だ、といっているのと似たようなものだとは思いますが。
> 先のことを心配しすぎなのかもしれませんが、もし自分が少数派に属し、「刈ります」発言の方が多数派に属しているならmizusumashiさんのおっしゃる対応では、ずっと主張を取り下げ、刈られ続けなければならないことになるように思えます。
多数派と少数派が逆転でき、自分の意見が多数派となるよう努力すれば良いのではないでしょうか。いちばん簡単なのは、自分がどうしても譲歩できない部分以外は、ぜんぶ譲歩してしまうことです。あるいは、「この記述」を残すかどうかで争うのではなく、どういう記述に変更すれば残してよいのかということを相談することです。
その相談をどうすればうまく進められるのかは、人によって考え方がいろいろあるでしょうが、自分から「Aさんの○○というご意見と、Bさんの××というご意見を反映し、『・・・』という記述にしたいと思います。ひとまず、これでどうでしょうか」という感じで、改定案をどんどん出すという手法が効率的だと私は思っています(べつにAさんやBさんの意見に納得している必要はありません。自分が譲歩できることなら、譲歩してしまえば良いのです)。
--mizusumashi月間感謝賞を応援します) 2009年3月22日 (日) 10:46 (UTC)[返信]
私には具体的に何が問題であるかは指摘されているように見えますが、あなたがそう思うならば、これは寝ず見氏の論の張り方にも問題があることの結果なのでこれ以上は何とも言えません。
あと多数派が~とあまり納得されていない様ですがWikipedia:合意形成をご覧ください。完全に全てを決定できるルールなんて言う物はありませんから、微妙な解釈の違いなどで対立が起こることは必然です。そこで、それを解決するために民主的な手続きを経るのであれば、少数派の意見も尊重されます。そして議論を行い、主張する持論が正しいのであれば、必ず賛同者が現れるでしょうから。その上で少数派だった物が多数派に変わることもあり、選ばれる可能性だって出てくる。逆に賛同者が現れないということは、まず自分の方が間違っていると認識すべきで、何が間違っているか、譲歩できる内容かを検討すべきだと考えます。稀に少数派が正しかったということもありますが、それはあくまで稀な例ですし、「一定の議論」を経た結果であるなら、なおのこと、その可能性は低くなります(そしてちゃんとしたプロセスを経たのであれば、間違っている方が採択されたとしても、多数派はそのこと自体では攻められません。議論の結果は実際の内容の如何に関係無く正しい、それが民主的な手続きです)。これは別にウィキペディアに限った話ではなく、社会通念上の当たり前の話です。--EULE 2009年3月22日 (日) 15:21 (UTC)[返信]
横から、かつ本論とは全然関係のない指摘なので失礼ですが、バンドワゴン効果というものがあるので、賛同者の出現の有無という要素は必ずしも主張する持論の正しさ(あるいは誤り)を担保(あるいは暗示)するものではありません。多数派が多数派であることを理由に免責され、結論の正しさについて無答責である、という条件の下での議論であるのであればなおさらです。「社会通念」ではどうだか知りませんが、社会科学的な常識とは少々乖離しているように思われます。--倫敦橋 (Londonbashi) 2009年3月22日 (日) 15:40 (UTC)[返信]
ですから一定の議論と言う条件を張ってありますし、多数派が間違っている可能性についても言及しています。--EULE 2009年3月22日 (日) 15:59 (UTC)[返信]
横から失礼。この案件に類似する様な事は何度も繰り返されて来たと思われるが、単純な話、改修側の説明責任の放棄又は説明不足による衝突ではないだろうか。wikipediaは管理者権限を持つ者を除いて判断権限は無い。当然プロジェクト参加者(多数派)だろうと判断権限は無いし、第一IDが『身を守る為』と言う建前で重複取得できる以上、『多数派』と言う事がすでに意味を成さない。だから本来、新参の編集に対して改修する時に説明責任が発生する。
 ここで重要なのは『何を持って、誰が、どう判断するのか』が明確に理解できなければならない事。唯のユーザーが『俺がこう判断したから正しい、コミュニティの人間もそういっているだろ』と言った所で、新参が『何で高が100人も満たないコミュニティの、判断権限の無い唯のユーザーが判断しているんだ』と考えて反発するのは当たり前。必要なのは『管理者による物と明確に解る方針及び指針に基く説明』であって個人的指摘ではない。当たり前の事だが、例え新参に間違いが有るとしても、改修者の説明責任は無くならない。
 更に言うと、管理者の方針、指針と全く関係ないコミュニティ内だけのローカルルールに従わせたいなら、それ相応に細かく相手が納得出来る様説明する義務が生じる。とりあえず新参を貶す前に、自分が説明責任を果たせているかどうか考えてみてはどうだろうか、そうすれば無用な衝突が減ると思うのだが。--218.216.229.30 2009年3月22日 (日) 18:00 (UTC)[返信]

ええと。多数派/少数派というのは、その数で判断する前に、それぞれの主張というのがあって、その説得力で、多数/少数というのは揺れ動くものだと思うのですね。「その項目と記述内容は既に平凡社の最新版の百科事典に掲載されている」ということなら、それが百科事典的な内容というのを覆すのは、相当困難でしょう。ウィキペディアでは、質的にも量的にも世界最大のものを目指しますから、他の百科事典にないものでも、百科事典的なものとして書かれるべきことなら、書いたほうがいい。その「百科事典的」というところを、既存の百科事典や、「百科事典」について書かれたもの、それから「ウィキペディアは何ではないか」の文書などから考えて、それぞれに判断していくということになるでしょう。百科事典についての本や論考はそれほど多くありませんが、たとえば、小学館や平凡社、ブリタニカの百科事典の実物は、多くの図書館に置かれていますし、それぞれの百科事典の項目や「序」は参考になるでしょう。岩波文庫の百科全書も入手が容易です。

IPさんの投稿ですが、記事の内容について管理者は判断する権限を持ちません。必要なあらゆる情報を基に、参加しようとするすべての人が、合意を目指して判断する以外に途はありません。自分の意見が正しいということを前提としているならば、説明は難しくないはずです(あるいは、説明が難しいということを承知しているはずです)。難しいと思ったら、自分の意見を疑い、より強固な論を立てるだけの情報源を探し、あるいはその論の立て方が正しいということを示すものを探すのが望ましいでしょう。--Ks aka 98 2009年3月23日 (月) 18:04 (UTC)[返信]

mizusumashiさんへ。なるほど一端少数派になっても多数派になって捲土重来できるかもしれないということですね。おかげで少し希望が湧きました。
自分の記述の一部分が気にいらないだけなら、いきなり全部除去なんてことはしないと思います。たしかに譲歩にしろ提案にしろいくつか出すことはできるとは思います。しかしそれに異論を唱えることもいくらでもできるでしょう。結局の所、相手の方が除去したいという気持ちを持っている限り、譲歩できない所まで追い詰められるだけではないのでしょうか。なんだかノート:天地無用!はそんな感じだった気がします。
EULEさんへ。多数決で決定すること自体は特に異論はありませんし、合意形成のことも理解しているつもりです。
218.216.229.30さんへ。「刈ります」発言の方は、一応五本の柱などの方針を根拠にしています。
Ks aka 98さんへ。そんなに意見の揺れる浮動票がたくさんあるものなのでしょうか。しかも議論が深まれば浮動票は減っていくんじゃないでしょうか。それに平凡社の最新版の百科事典を覆すのはそれほど困難ではないと思います。「百科事典からとった雑学だ」とか「百科事典から無差別に情報を収集している」とか色々あるでしょう。こういった理屈でも多数派でありさえすれば通用し得るということが心配なわけです。一応おっしゃるような情報源は探すということはやっています。--Godsigma 2009年3月28日 (土) 09:10 (UTC)[返信]
「相手の方」、つまりある個人(ここでは寝ず見さん?)が問題だと思っているのであれば、コメント依頼投稿ブロック依頼を出せばよいでしょうとすでに述べていますよね(というか、Wikipedia:コメント依頼/寝ず見 20090316がすでに出ていますが)。「相手の方が除去したいという気持ちを持っている限り」とかなんとかいう話は、それで終わりです。--mizusumashi月間感謝賞を応援します) 2009年3月28日 (土) 10:12 (UTC)[返信]
さて、これだけははっきりさせておきます。既にノート:天地無用!は一定の議論を経ていると思います。寝ず見氏は単に「百科事典的ではない」ではなく、それまでの経過も含めて理由を述べているし、それについて直接の当事者以外の、例えばふくたろう氏やWest氏なども交え、さらにコメント依頼・投稿ブロック依頼という手段も経た上で一定の議論が起こっている。つまり、寝ず見氏の論旨に落ち度はない(口調には落ち度があるが)。
ここであなたが話題に上げている『「百科事典的でない」と言われた記述について』と言う話に限って言うなら、皆が言うように「議論をすべき」という話です。しかし発端となったノート:天地無用!について言うなら、既に議論が起こっている。つまり、この井戸端での話は、既にノート:天地無用!にはさして影響を与え無いでしょう。この点だけははっきりと述べておきます--EULE 2009年3月28日 (土) 13:30 (UTC)[返信]

標準名前空間にある履歴を保存したページの扱いについて

『○○/logYYYYMMDD』といった記事名で、記事の履歴を保存したものをいくつか見つけることができます。しかしながら下記の9件の記事にはカテゴリが付与されておらず、カテゴリ未導入のページに、長期にわたって残されてしまっています。Category:記事の履歴というカテゴリがありますが、9件の記事はこれらとは異質のもののようです。履歴を分離した「記事」を標準名前空間に置くことの是非と、とりあえずカテゴライズするとしたらどういったものが良いか、ご意見を伺いたいと思います。

履歴を分離した「記事」(いずれも全保護中)

--Shadow ump 2009年3月18日 (水) 02:41 (UTC)[返信]

履歴であって記事ではないので、何かのカテゴリに含めておく必要はないと思います。カテゴリ検索で行き当たる必要性がないでしょう。履歴の分割は日本語版ですと版の多い項目に対して井戸端でも慣習的に行なわれている行為です。しかし、記事数・毎日の編集回数が共に多い英語版での「Special:MostRevisions」の一位(約33500の版)で、日本語版での一位(約4500の版)の7、8倍にも上る履歴が存在しているGeorge W. Bushは、そういった履歴分割をしておらず、投稿履歴から初版の2002年の版まで遡ることができます。ひとまず、そういう事実は提示しておきます。--草薙 2009年3月19日 (木) 03:15 (UTC)[返信]
個人的には、余計なページを増やすだけの余り意味が無い作業だと思います。初版からどれだけ変わったのかなって比較ができなくなってますし。なにを基準に履歴分離してるのでしょうか?Special:MostRevisions は更新が停まってますし、編集回数を数えているのでしょうか?それこそ無駄な労力でしょう。--屏風に坊主が上手にジョーズの絵を描いた 2009年3月19日 (木) 03:46 (UTC)[返信]
WikipediaのMediaWikiは5000版を超えた場合、通常の削除権限では削除処理が出来ないように設定されています。私もよくは知りませんが、多分削除処理はテンプレートの変更などのように不可分散を行わず一瞬で処理を行っているのだと思われます。このため特定版削除の際に一旦全削除を行う現行方式を採用する限り、履歴の分離は必要不可欠なものとなるでしょう。
つうか、一旦全削除を行う処理方式の負荷が高いのであれば、ある意味現行の特定版削除ってシステム的に好ましくない処理方法ですよね。Wikipediaの運用と言う面からすれば必要なんですが…。指定された版のみ削除する機能を導入したほうがいいかどうか検討したほうがいいんでしょうか。--Marine-Blue [ 会話 履歴 電信 ] 2009年3月20日 (金) 09:11 (UTC)[返信]
分割している理由はわかりました。ということは、現在の英語版のブッシュさんの記事に削除事由が発生した場合、どうしようもないという事ですか?--草薙 2009年3月24日 (火) 07:53 (UTC)[返信]
英語版は指定した版の削除を行っていないようなので基本的にそういう問題は発生しないと思いますが、まぁそういう意味は訊かれてないだろうから関係ないですね。置いときます。
英語版はOversightが導入されており、Oversightの利用者に指定された版を間引く操作が出来るため、特定の版だけを消すことは出来るようになってます。版数が5000を超えるページの削除が必要な場合、システム管理者に頼めば削除できると思います。Special:ListGroupRightsで管理者に割り当てられているdelete権限より上の権限としてbigdeleteという権限があるので、どうしても必要とあらばシステム管理者が一時的にその権限を有効にして削除作業を行ってくれるんじゃないかな。
確かウィキニュースでプロジェクト名前空間が「Wikinews」から「ウィキニュース」に変更されたとき、名前空間変更の処理前に「Wikinews:〜〜」を全て「ウィキニュース:〜〜」に移動したらしいのですが、名前空間変更後に移動漏れなどの問題が見つかった場合はbugzillaに持って行ってたような気がします。ローカルで対処できない問題はシステム管理者へ、ってことみたいです。自分が参加するよりも前のことなのであやふやなことしか把握してないんですが。--Marine-Blue [ 会話 履歴 電信 ] 2009年3月24日 (火) 08:48 (UTC)[返信]
Shadow umpさんが指摘された問題については、孤立しているページでも発生しているようです。--水野白楓 2009年3月24日 (火) 11:53 (UTC)[返信]

「Category:履歴を分離した記事」を作って、元となるページと履歴保存用ページをここにカテゴライズ(カテゴリ未導入)、元記事のノート上部に履歴を分離している旨を書く(孤立対策)ということでよいのでは。よくわかってないんですが、ノートからだと孤立のままだったりするのでしょうか。履歴を分離というと、GFDL的にややこしい誤解もでてきそうなので、(「このページは技術的な理由のために古い版を[[ほげほげ/log|別のページ]]に分離しています」とかでどうでしょう。--Ks aka 98 2009年3月24日 (火) 19:31 (UTC)[返信]

良い案だと思います。カテゴリを隠しカテゴリにしておけば特に問題ないでしょうね。--Marine-Blue [ 会話 履歴 電信 ] 2009年3月30日 (月) 06:29 (UTC)[返信]
このままで行くならKs akaさんの案でよさそうなのですが、日本語版にOversightを導入するに当たっては何か障害とか問題があるんでしょうか。今後も履歴分割は徐々に増えていくでしょうし(既に分割されているページは毎日の編集回数が多いから特に)、延々分割対応って言うのもどうなのかな、と。しかも2回目の分割は1回目とは別にページを作ってそこに分割ですよね。まとめると削除とかができなくなるのであれば。--草薙 2009年4月1日 (水) 05:10 (UTC)[返信]

過去の議論

すみません。過去の似たような議論の存在についてよく確認せずに問題提起をしてしまいました。参考になりそうな議論は井戸端自体の履歴分離(これはサブページ化することで解決)、標準名前空間での履歴肥大に関するもの(ルール化しようという提案はあったが実現せず)、があります。--Shadow ump 2009年3月19日 (木) 06:44 (UTC)[返信]

  • 「Wikipedia:履歴」のノートあたりにもこれまでの話があります。詳細は過去の議論を読んでいただくとして、現状の履歴分離はウェブブラウザでの操作性とか Mediawiki の負荷、操作制限等、技術的な理由によるものです。将来的に分離しておく必要性がなくなればまた履歴統合すればいいと思いますが今のところは必要性があると考えています。 By 健ちゃん 2009年3月19日 (木) 11:01 (UTC)(既出リンク先除去 By 健ちゃん 2009年3月19日 (木) 11:06 (UTC)[返信]

映画内容解説のページに、史実との違いを指摘し記述する事について。

私が疑念に思っている事について書き込みます。ご意見頂ければ幸いです。

ウィキの原則ルールとして、

『映画の内容(あるいはドラマ)を解説しているページに、細かい史実との違いを指摘して記述しない』

というのを提案したいのです。 『男たちの大和』・『連合艦隊』(映画の方です)のノートのページや履歴をご覧頂ければ幸いですが、映画の設定や表現に対し、史実と異なる部分を「あら探し」した記述を書き並べ、果たして映画の内容解説をしているのか?それとも映画のあら探しページになっているのか解らなくなっていく傾向があります。

例を上げますが 『日本海軍の映画を取り上げているのに、敬礼が陸軍式になっている』 『着用している軍服が○○式であるが、当時はすでに改訂されており不自然である』 『下士官が上官に対してこの様な対応をすることはあり得ない』 等々。

確かにそうかも知れませんが、この様な記述は本来の目的から外れています。もちろん映画やドラマの制作側が、当時の十分な資料を調査した上で極力史実に沿った形で表現に努めることは必要と考えます。しかし映画の監督や脚本家があえて(史実と違うことは了解しつつも)間違った表現で描写している場合もありますし、現在の技術では再現することが出来ない・調達できなかった小道具・資料不足や不明な部分があり史実と同じに出来なかった場合も考えられ、史実に近づけたかったとしても出来なかった場合もあります。

確かに「違うな?」と思う描写や設定はあります。しかし映画やドラマは『事実に基づいたフィクション』であり、再現や学術研究を目的とした物ではありません。もし『史実と異なる点を記述する』必要性があるのであれば、たとえば映画『パールハーバー』公開時の様に、マスコミや批評家・評論家が公の媒体を用いて指摘問題提起した時、あるいは知識のない人でも「これはちがう」と一目でわかる描写がされている場合のみ、間違いを指摘する記述を書き込む事が許されるのではないでしょうか?

あくまでも個人が映画を観ていて、史実との小さな差違を発見したとしても、それは『独自研究』の範囲であり、その事を映画(ドラマ)解説のページに『補足』『問題点』と頭出しを付けてつらつらと書き込むのは、知識のひけらかしに過ぎません(どうしても指摘したいのなら、個人のブログやHPを立ち上げて書けばよい事です)。

これはあくまでも私個人の感想です。反対の方もいらっしゃるかも知れません。ぜひよろしくお願いします。--男梅 2009年3月22日 (日) 07:46 (UTC)[返信]

問題の根幹はWikipedia:井戸端/subj/翻訳と「独自研究」についてと同じですね。参考までに。--ゆきち 2009年3月22日 (日) 10:55 (UTC)[返信]
出典のない独自研究部分は削除かコメントアウトでよいと思います。もっとも、史実との違いの指摘が必要ないわけではなく、男梅さんが述べられているマスコミや評論家が指摘したなど複数のソースから出典が取れるようなら記述すべきだと思います。その場合は些細な差異ではないと判断してよいと思います。例えば史実と違うことを製作者が認めている300 (映画)などではそれが必要でしょう。これの英語版は秀逸な記事になっていて、Reception(評価)の項にHistorical accuracyの節が作られて解説されており、その記述の仕方はとても参考になると思います。英語版でもen:Wikipedia talk:WikiProject Films/Style guidelines/Archive 3#Films "based upon a true story"で同じようなことが話題になっていました。--Afaz 2009年3月22日 (日) 12:16 (UTC)[返信]
その番組自体が「史実をもとにしたフィクション」という形で発表されたものなら、史実との相違などは記述は掲載してよいものと思います。「ある時代を舞台としたフィクション」というものですと、こちらは史実との相違点はトリビアとなります。ただし、その相違点が何らかの指摘・批判を受けていたり注目されている点(その記事の記述として特筆するべき事項である)などであるなら掲載してよいものとなるかもしれません。
双方とも、相違点について言及している出典というのは、検証可能性や独自研究などの観点から、必須事項です。--春日椿 2009年3月22日 (日) 15:17 (UTC)[返信]
結局の所皆様方がおっしゃるとおり、フィクションと史実との相違について指摘している「信頼できる情報源」が存在するかどうか、というのがWikipediaに記述できるかどうかの分かれ目になるかと思います。ただ、上述の『パール・ハーバー (映画)』や『300 (映画)』のように、史実との著しい乖離が物議を醸すケースも多いので、Wikipedia全体として「細かい史実との違いを指摘して記述しない」というルールを制定するのまではどうかな、と。やはり個々の記事において、ケースバイケースで対応すべきかと思います。
男たちの大和』の過去の版には、「本作品の表現と原作・史実との比較」という項目で一応何冊か参考文献が挙げられていますが、これはどうなんですかね。参考文献はおろか映画も未見なのでわかりかねますが、それらの文献はただ戦艦大和について述べたものであって、映画中の描写との比較検討を目的とされたものではない、と判断して良いのでしょうか。だとしたらやはりWikipediaの記事に記述できるかどうかはグレーゾーンになってしまうかな、と。編集者による独自研究を排除するという大原則が存在するWikipediaでなければ有益な情報だとは思うんですけどね。--Murmur1868 2009年3月22日 (日) 16:18 (UTC)[返信]
ノート:男たちの大和/YAMATOで議論をしていた者です。あげられている文献の多くは映画公開前の出版です。私も文献自体は見ていませんが、その文献により得られる情報は史実のみで、映画との比較は時間的にありえないと考えています。--Borg 2009年3月22日 (日) 23:58 (UTC)[返信]
これ、わざわざルール化するような内容でしょうか?WP:NORWP:Vだけで十分だと思うのですが。--Borg 2009年3月23日 (月) 00:05 (UTC)[返信]
わたくしもWP:NORWP:Vの問題で処理するので相当だと考えます。原作小説・マンガの映画化(例えばデスノート)などでもよく出てくる編集トラブルの典型の一つだと思います。--ネコバット 2009年3月23日 (月) 06:42 (UTC)[返信]

様々なご意見ありがとうございます。今後はこの様な記述を発見した場合『独自研究記述を載せない』という基本ルールで対応していこうと考えます。--男梅 2009年3月24日 (火) 22:47 (UTC)[返信]

今更ながらに補足すると、「『××物語』は、~といった点が史実・原作と異なる」という書き方はWP:NORに觝触しますが、「なお、史実では○○は△△している」や「なお、原作では(以下同文)」のように記載されている場合は、禁じられている「情報の合成」ではなく、単なる情報の羅列ですので、誤って除去しないようにお気を付け下さい。--白文鳥 2009年3月31日 (火) 17:07 (UTC)[返信]
この話しは結論として、出典が明記できればあら探しでも書いてOKということですよね。そこで「敬礼が陸軍式」を書く場合を例に2点確認させてください。
1つ目、この場合に出典に出来るのは、A.「男たちの大和」の敬礼が陸軍式であることを指摘している本。B.正しい海軍式の敬礼の仕方が書いてある本。のどちらでしょうか。おそらく二次資料にどこまで認められるかということになると思います。(一次資料は映画そのものですよね?)
2つ目、白文鳥さんが書いている方法でOKなのは、本当にAの本がある場合かBが出典として認められる場合の話ですよね?(みんな知ってる一般常識は例外として)--こゆっきー 2009年4月22日 (水) 15:03 (UTC)[返信]

記者本人による「推測」を出典とする場合の書き方

要出典タグをつけられた箇所に対して出典(一般流通してる書籍)をつけたところ、その出典の実物を読んだユーザーさん(要出典の貼り付け者)がWikipedia:信頼できる情報源の草案をもとに「ネットで調べたが同様の意見は見られなかった」「筆者が根拠を示していないから事実かどうかわからない」「いくら一般流通していても、専門家でもない人間の意見は相応しくない」「推測でしかないので検証不能・信頼できない」「本屋で買える独自研究だ」として、記述の出典として使うべきでないと主張されちまいました。
何度か検証可能性の方針文書(事実かどうかではなく検証可能かどうか)や、「信頼できる情報源」の「意見」の項目参照してみたんですが…こういうケースでは「○○という見方もある(refタグ脚注で出典書籍名付記)」では不十分なんでしょうか。出典の根拠の根拠を示さないとダメ?ということに?--ひゃくじゅうご 2009年3月24日 (火) 10:29 (UTC)[返信]
発火点(最初の論点)が「意見の有無」と言うことであれば、同種の言説が掲載された書籍は、まさしく「在るか、無いか」の「ある」に他ならず、出典ではないが一例(参考)として扱えるかと。まあ、個人的には「広い範囲から観測可能な現象の存在」が証明できれば(流石に個人サイトや掲示板・ブログ各々単数の場合はマッチポンプないし自己宣伝に陥りがちなのでどうかとは思うが)書籍に限らず様々なものが例示できると思いますけどね。記述の性質上、量的なことがらではなく有無について論じているケースでは、その存在を証明できれば良い訳ですから。ただ、こういった問題で拙いのは、所定の言説を盛り込むために、特筆性に欠く現象を殊更強調すること。これは出典が幾らあっても中立性を逸していては問題が在るとも思います。その問題に関しては、程度が絡むためより慎重に事を運ぶ必要もあり、客観的な第三者の意見を挟むべき(コメント依頼に提出するなど)だとも思いますが。--夜飛/ 2009年3月24日 (火) 10:49 (UTC)[返信]
これはオカルトや疑似科学周辺の執筆ではよくあることですね。一般流通している書籍には科学的に正確でない、あるいは通説と異なる解釈、推測を述べた書籍がたくさんあります。要出典を貼り付けたひとは、Wikipedia:中立的な観点の「疑似科学と科学を対等に扱うのか」で出てくる「中立的な観点」ではなく「科学的な観点」で仕切ろうとする人のようですね。これは誤解している人が多いポリシーかもしれません。この場合Wikipediaでの解決策は両論併記です。要出典を貼り付けたユーザーさんができる行動は、議論でそれがおかしいことを叫ぶことではなく、対立意見を出典をあげて記述し、さらにその意見が主流であることを示すことだと思います。--Afaz 2009年3月24日 (火) 12:12 (UTC)[返信]
コメント有難うございます。ちなみにカテゴリは軍事です(これも主張戦になりやすいものと思いますが)。数日前にコメント依頼は提出してあるのですが、該当のノートにおける議論では、件のユーザーさんが草案の都合の良い所を抜粋して造った独自の定義の主張を始めてしまった状態で、途中から参加しづらいのかコメントが集まらないので、なるたけ簡素化してこちらでも意見を求めた次第です。
私は「意見の有無」の観点から該当の書籍に記述された「記者の見解」として掲載希望なのですが、件のユーザーさんの知識ベースには合致しない事柄であるため、「出典のさらに根拠」「内容の正誤」を追求したいようです。
ちなみに主な問題は(複数の要出典に対して同じ書籍をつけたので他の箇所もあるのですが、そちらは後回しになっている)、化学物質○○による傷跡とされる写真。別の理由との見方もある(ref脚注書籍名と号数)という風に両論併記としたものを、「別の理由」の方だけを上記のような主張にて除去されてしまったことで…--ひゃくじゅうご 2009年3月24日 (火) 12:34 (UTC)[返信]
  • 話題が抽象すぎまして何が話題とされているのか良く分からず、どのようにコメントさせて頂けばよいのか判断に迷いますが、原則としてはWikipedia編集内容の3大方針に従うことになるとおもいます。他の方針に違反せず3大方針に従うかぎり、【記者本人による「推測」を出典とする場合】であってもWikipediaへの掲載可能性はあると考えます。--ネコバット 2009年3月24日 (火) 12:54 (UTC)[返信]
白リン弾でのこの編集のことでしょう。ひゃくじゅうごさんの議論相手の方は「中立的な観点」による両論併記のやり方をご理解されていないようですね。--Afaz 2009年3月24日 (火) 13:49 (UTC)[返信]

状況を整理すると、白リン弾によるやけどの写真のキャプションに、『軍事研究』という雑誌での同じ写真に対するキャプションで記述されていた指摘を記述したいが、医者でもないひとが書いた記事だから信頼のある情報源ではないという理由で拒否されているようです。--Afaz 2009年3月24日 (火) 15:12 (UTC)[返信]

こちらで議論の援軍を募るような事にならないよう、具体的な記事先は書かなかったのですが、バレバレでしたね、お手間を取らせて申し訳ありません。「専門家でもない人が根拠も示さずに…」という主張だと、外部リンクのグローバルセキュリティやRAIも同じく否定しないといけなくなるんですけど、なぜか軍事研究を出典にした箇所ばかり追求されてしまうことと、検証可能性方針の「事実かどうかではなく検証可能かどうか」「独自研究になるので出典の正確性を編集者が調査しないように」というところを理解していただけないのも話のまとまらないところだとは思うのですが…ひゃくじゅうご 2009年3月24日 (火) 17:23 (UTC)[返信]

理解いたしました。ありがとうございます。ノートの議論を拝読するかぎりOnogawa uさんのご指摘にも相応の観点(ニンニク臭がする、傷口が黄変する、等々)があり、また精密な議論をなさっておられますので、丁寧に検証可能性や引用元情報を追加していく方向が宜しいのかと考えます。「こんなの軍事学の常識だろ」ではなく、相手様も相応の知識を持ってらっしゃると考えてよい記事に育てて頂ければと考えます。ノモンハン事件のようにノートでの激論が素晴らしい記事に発展した例はたくさんあります。--ネコバット 2009年3月26日 (木) 07:33 (UTC)また「要出典」[要出典]が塗布されているのは、その記述が信頼できない事を示しているわけではなく、純粋に引用元が知りたいという場合もあります。たとえば直接の引用元が書籍「軍事研究」であった場合、その引用元を明示しておけば検証可能性が満たされておりWikipediaへの掲載可能性がありますが、Wikipedia読者がその方面の研究者であって、より詳細な引用元情報(「軍事情報」誌がどのソースからその情報を持ってきたか等、第二・第三の情報元等)を知りたいので他の読者・編集者に情報提供を求めているような場合もあります。タグ([要出典])について、もう少し柔軟で積極的な意味合いを見てもよいのではないでしょうか。--ネコバット 2009年3月26日 (木) 07:42 (UTC)[返信]
いや、要出典をつけるのが問題だとは思いませんし、純粋に記事の充実を図るため要出典をつけるというのはむしろ当然と思います。そもそも私は要出典が問題だなんて、一言も言ってませんよ…要請に応えて出典をつけたら、それを勝手な定義づけで否定されたけど、どう記述するのが適切かという話です。傷口の黄変や臭いについても、ここでは問題にしていません(出典元が違います)。
精密な議論、と仰いますが、相手の方がこちらが提示した方針文書のいくつかを無視して、草案を基に作り上げた独自の主張を繰り替えすばかりでは議論とは言えませんよ。
記事の内容を個人的に調査(独自研究検証可能性の解説文違反)したうえで、草案の都合の良い所だけピックアップして造った勝手な定義を主張(草案と方針の区別がついてない)して両論併記だった検証可能な記述を除去すべきと主張(中立的な観点違反)されたのでは…はっきり言って、方針熟読として投稿ブロックを選択肢の一つに考えることも視野に入れざるを得ないと思ってます。--ひゃくじゅうご 2009年3月26日 (木) 10:03 (UTC)[返信]
ノートの議論の文字づらだけで理解した範囲ですが、Onogawa uさんのclaimにも相応の根拠がありそうな気がしましたが、いかんせん白リン弾について全くの素人でして、内容についてはなんとも申し述べられません。一般論ですが他の方針に違反せず3大方針に従うかぎり、【記者本人による「推測」を出典とする場合】であってもWikipediaへの掲載可能性はあると考えます。なお、わたくしは「ひゃくじゅうごさんが要出典が問題だと言っている」なんて一言も言っていません。このあたりの論争トラブルはストローマンが参考になるかもしれません。白リン弾ノートでも同じような堂々巡りが発生している気が致します。--ネコバット 2009年3月26日 (木) 11:50 (UTC)[返信]
私の誤解なら申し訳ないのですが、要出典の貼り付けに攻撃的な意味合いを見出しているかのように表現されたのはとても不本意です。--ひゃくじゅうご 2009年3月27日 (金) 00:05 (UTC)[返信]
(第三者のコメント)ひゃくじゅうごさんが実際にどういうつもりで考えているのか、を問題にして指摘しているのではなく、言葉にしないまでも実際には色んな腹つもりで要出典を添付する人がいます。第三者の目から見ても、当該記述への反論者がその記述を封殺する意図(いわゆる難癖)でそうすると感じられることにも遭遇しています・・・・・が、逆にそうではない事もあるので、「導入の精神に従った対応をするしかない」ということなのではないでしょうか。「おまえの要出典はこういうつもりだろ」「いやちがう」なんて言いあってもしょうがないという事です。仮にそうであっても相手は絶対「そうだ」なんて認めるわけ無いのですし、もし他者の援護射撃があって誰の目からみてもそういう意図がミエミエであってもです。むこうがルールを逆手にとった悪用(仮にそういう前提にたってということですが笑)してる限りこちらも冷静にルールに従った対処をするしかないという事だと思います。(繰り返しになりますが)もちろん、真摯な態度として疑問があって要出典してる場合もありますから、相手の真の真意が例えどちらであっても構わない(相手の腹づもりを問題にするのではなく)ような対処をするのがベストだということをご指摘されているんだと思います。--陸奥 2009年4月2日 (木) 01:12 (UTC)[返信]

『なか。たつや』の即時削除テンプレートを削除する提案

なか。たつやの記事を新たに編集、加筆したいのですが本文に著作権侵害があり、現在即時削除テンプレートが貼られている状態です。審議中となっていますが議論は最後の発言から六日間も放置、中断されている上、本文を即時削除するにしても存続するにあたってもWikipedia:管理者でないと出来ませんし、結論を早く出してほしいというのが私の意見です。皆様はどうでしょうか?--Kingofclub13 2009年3月27日 (金) 02:29 (UTC)[返信]

貼られているのは即時削除テンプレートではなく削除依頼テンプレートです。--Himetv 2009年3月27日 (金) 04:00 (UTC)[返信]
中断されていた議論が再開しました。議論に参加された皆様、本当にありがとうございます。--Kingofclub13 2009年3月29日 (日) 05:25 (UTC)[返信]

展望台での離陸機の解説の件

私は飛行機が離陸するのを見るのが 大好きです。 大勢の人を乗せ、大勢のスタッフが 関わって、次々と発進して行くのを 頼もしく思っています。 発進して行く飛行機の ①機種②行く先など簡単に説明して 頂ければ有り難い。 展望台の何箇所かに、スピーカー で大きな音声でなくても結構です。

足柄平野の青空を銀翼を輝かせ乍ら 飛んでいく姿を見上げている一人から。 --以上の署名のないコメントは、218.227.100.12会話)さんが 2009年3月28日 (土) 09:54 JST に投稿したものです。

私も飛行機の離着陸を見るのは好きですが、本ページの冒頭に「このページ(井戸端)は、ウィキペディア日本語版について、運営や方針、新しいアイディアや作業の仕方、その他様々なことで質問や提案、議論、意見交換を行なう場所です。」とありますように、ここではウィキペディア日本語版に関係する話題をお願いします。--Penn Station 2009年3月28日 (土) 02:32 (UTC)[返信]


Wikiの主旨に反する様ですが一言(教えてGOO  に成ってしまってますね) ラジオライフ等で 又は 航空用地図で』 その飛行場のグラウンドコントロール&フライトコントロールの周波数に合わせて 管制を聞いて居れば判ります。 (聞くだけなら 電波法には触れない筈。 ただ、今はどうか? 拡大解釈されれば ネット上のパケの追跡とか辺りの規制文とか?) (引っ掛けようとすれば、引っかかる?                                          )

「期間限定コメント」はフェアか?

Wikipedia:コメント依頼#利用者の行為についてのコメント依頼での話なんですが、 こんなふうに被依頼者が「期間限定コメント」を出して、こんなふうにご自身の手で消されているのを見ました。このコメントが出ていたのは約10時間です。この被依頼者は直前にも、いったん書いて5日間ぐらい経過したコメントをこんなふうに消しております。見ていてフェアな姿勢ではないと感じたのですが、こうした行為を論じたルールなりガイドラインは存在するのでしょうか? また、こうしたことを議論する場所としてはどのようなページが適当でしょうか? コメント依頼のページの中で書くと無用な議論を起こしてしまいますので、井戸端にて質問させていただきます。--おーた 2009年3月28日 (土) 03:41 (UTC)[返信]

ノートページ利用のルール(あるいは慣習)を適用すれば良いんじゃないでしょうか(というか、今まで、そうだと思ってましたけど)。つまり、具体的にはWikipedia:ノートページでの慣習的な決まり#自分のコメントが参考になると。まあ、原則としては削除するべきじゃないでしょうね。こう言った場では、その時点で記述されている内容のみが判断材料になるのではなく、過程・経緯も含めて議論ですし。まして、版を追えばわかることですし。--EULE 2009年3月28日 (土) 14:37 (UTC)[返信]
◆アンフェアだと思います。それも、ちょっと 最低 に近い。Uryah 2009年3月28日 (土) 14:47 (UTC)[返信]
どうも件の被依頼者はそのルール(慣習?)を持ち出しても、本人が「期間限定」と断って書いたのだから問題無いと開き直ちゃうだろうなと思いまして、他に無いかなと思いました。が、、、コメント依頼の当該ページで激しい応酬が始まっちゃいましたね。やれやれ。--おーた 2009年3月29日 (日) 01:34 (UTC)[返信]
アンフェアだと考えます。会議の議事録に自らの発言だけを記録させないことを前提に発言する行為に等しいです。--Himetv 2009年3月29日 (日) 14:31 (UTC)[返信]
被依頼者はどんなに説明しても納得しないようですね、困ったものだ。--122.249.231.84 2009年3月30日 (月) 03:32 (UTC)[返信]

ゲスト

ゲストについてですが、Wikipedia:ウィキプロジェクト 放送番組#範囲によると、括弧内のただし一覧の記事にしてはいけませんとありますから、これを根拠として、ノートで相談なしに、除去しても問題ありませんか?--222.7.163.11 2009年3月28日 (土) 09:37 (UTC)少し訂正--222.7.163.11 2009年3月28日 (土) 09:41 (UTC)[返信]

意味がよくわかりません。レギュラーに対して、ゲストの記述を載せるべきではないという話であるならば、ケースバイケースだと思いますし、そもそも、そこにあるルール(一覧の記事にするな)は、ローカル番組の構成その物について述べているので見当はずれだと思います。あと、井戸端での新規投稿は最上部の「新しい話題を投稿する」からです。--EULE 2009年3月28日 (土) 13:41 (UTC)[返信]
お返事ありがとうございます。ゲストの記載は全国ネットはケースバイケースなのですか。ローカル番組はしてはいけないっていうことですね。なぜケースバイケースで統一してないのでしょうか?統一したほうがこちらみたいな初心者はわかりやすいのですが。それと、新規投稿なので、一番上から(投稿)しましたけど。(訂正は編集のところからしましたが。)何か問題ありましたでしょうか?--222.7.163.11 2009年3月28日 (土) 13:53 (UTC)[返信]
「全国ネットだと・・」と言うわけではなく、例えば『古畑任三郎』ならゲストが記述されるべきだし、逆に『ライオンのごきげんよう』なら、一々全てのゲストを羅列するのは不毛な上、無意味だから記述すべきではないでしょう。ケースバイケースというのは番組内容によってという意味で、全国ネット/ローカルは関係無いです。で、それを踏まえた上で、あなたが根拠として挙げた箇所は、ローカル番組それ自体を指している箇所であって、具体的な内容まして「ゲスト」に関して記述されている内容ではないので、何とも言えないということです。
投稿に関してはすみません、何か私が勘違いをしていたようです。--EULE 2009年3月28日 (土) 14:12 (UTC)[返信]
つまり、TIM神様の宿題のゲストが、気になって投稿したのですが、無意味だからします。でよいのですか?教えて下さい。--222.7.163.11 2009年3月28日 (土) 14:27 (UTC)[返信]
そうですね。大枠でのルールではなく、1つ1つを検証する必要になると思います。それで、今回のようにはっきりと自分で断定できないなら、当該ページのノートで提案して決めていけば良いかと。
既に蛇足となりますが、その『TIM神様の宿題』が、単に出演者の羅列にしかなってない(過去の企画とかそう言った書く物がない)場合に、「記事を立てるべきではない」と言うのが、Wikipedia:ウィキプロジェクト 放送番組#範囲(の「ただし一覧の記事にしてはいけません」)で言われていることです。--EULE 2009年3月28日 (土) 14:45 (UTC)[返信]
では、今回の場合は、本来ならノートで話し合いをするところなのですが、すぐにWikipedia:ウィキプロジェクト 放送番組#範囲に基づいて、除去します。で、よいものなのですね?。--222.7.163.11 2009年3月28日 (土) 14:54 (UTC)[返信]
いや違います。本来通り(?)ノートで話し合いをすべきです。仮に無断でやった場合に差戻しを受けても、それ自体に文句を言えません(ただ、ノートで理由を説明して、また削除を行うことはできます。結局、ノートに書く必要性があるんだったら始めから書いた方が良いでしょう)。で、それはそれとして、今回の件に「ウィキプロジェクト 放送番組#範囲」の一文は根拠にはまったくならないということです。それは記事その物について述べられているので(つまり、「これが根拠にならない」から、「自分ではっきり断定すること」ができず、「もしやるならノートで書くべきだ」となるわけです)。--EULE 2009年3月28日 (土) 15:06 (UTC)[返信]
今後は、あちらで意見まってみます。ありがとうございました。--222.7.163.11 2009年3月28日 (土) 15:12 (UTC)[返信]

Wikipedia:中立的な観点に於ける制限と「その主題」が指すものについて

Wikipedia:中立的な観点は、その劈頭にあるように「すべての記事は特定の観点に偏らずあらゆる観点からの描写を平等に扱い、中立的な観点に沿って書かれていなければならない」とするものですが、一つ制限があります。以下にその一節を引用します。

「重要な制限事項がひとつあります。複数の観点を比較する記事では、少数派の意見について、より広く普及している観点と同じだけの詳細な説明を加える必要はありません。論争を説明する際には、少数の人々が支持する観点が、あたかも非常に広く受け入れられている観点と同じだけ注目に値するかのような書き方をするべきではありません。それは論争の形について誤解を与えかねません。公正に論争を記述するためには、競合する様々な観点を、その主題についての専門化や関係者の勢力に合わせて提示すべきです。しかし、これは少数派の観点が、それぞれの記事においても軽い扱いを受けるべきだ、ということではありません。ウィキペディアにはサイズの制限はありません。そのようなページにおいて、その観点が詳細に説明されているかも知れませんが、その観点が真実であるといった形で表現されるべきではありません。」

この「重要な制限事項が~」の一節は少数派意見に関して、広く普及している観点と同じだけの詳細な説明を加える必要はないという制限について述べられたものであると思います。また、その中の一文「公正に論争を記述するためには、競合する様々な観点を、その主題についての専門化や関係者の勢力に合わせて提示すべきです。」は様々な観点の記述の分量を示す為に挿入された文で、「その主題」が指すものは、争点を形成している事柄であると私は考えております。しかし、一文の「その主題」を個別の記事の事柄について述べたものであるとする見解もあります。その見解に拠れば、「○○×」という名の記事の中に争点のある一節があるが、その「○○×」という記事についての専門家や関係者の意見(つまり、その出典)でなければ、たとえその争点についての専門家や関係者の意見であっても「○○×」に触れられていなければ記述する価値がないとするものです。もしこの制限が後者であったならばWikipedia:中立的な観点に多大な影響を与えかねない制限だと思います。このWikipedia:中立的な観点の制限について皆さんの見解をお伺したく存じます。--廿粁 2009年3月30日 (月) 02:14 (UTC)[返信]

ここでいう「その主題」というのは、現実にある項目に関する論争について叙述する場合のことであって、その文言(たとえば、「大東亜戦争」か「太平洋戦争」か)について、他の記事の中で書かれている場合に、両論を併記せよということではないと思います。ここでいえば、「大東亜戦争」もしくは「太平洋戦争」という記事内において、どういう記事名がふさわしいかの議論に限ったことであって、沢村栄治が戦死した戦争が「大東亜戦争」なのか「太平洋戦争」なのかについて、「沢村栄治」の記事の中で両論併記しろということではないのだと思います。 --ねこぱんだ 2009年3月30日 (月) 13:49 (UTC)[返信]
ねこぱんだ氏に同意。--118.105.225.210 2009年3月30日 (月) 15:48 (UTC)[返信]
ご意見有難う御座います。文脈からいっても記事名ではないと私は考えております。制限については如何でしょうか。--廿粁 2009年4月1日 (水) 01:46 (UTC)[返信]
廿粁氏の編集履歴から松江騒擾事件での「無条件降伏」という語句をめぐる議論からの派生だと思うけれども、論争がある語句に対して常に「[[無条件降伏]]<ref>ただし無条件降伏には論争がある。[[無条件降伏]]を参照</ref>」と書くのは編集上問題じゃないだろうか。「無条件降伏」に対して論争があることは「無条件降伏」の記事自身に書かれており、リンクも存在する。これを許せば、例えば「進化論」など論争のある語句に対して「[[進化論]]<ref>ただしダーウィンの進化論には宗教上の論争がある。[[進化論]]を参照</ref>」という記述を、たとえば「ミミズ」や「ハト」という記事でいちいち記述されるのもOKとなる。これは「中立的な観点」の問題ではなく百科事典としての可読性の問題ではないだろうか。--Afaz 2009年4月1日 (水) 04:54 (UTC)[返信]
ご意見有難う御座います。Afazさんのご指摘も肯ける所ではありますが、併し乍らWikipedia:中立的な観点の「争いのある主題についての長い記事」に於いてこのご指摘に類する説明があり、「他の記述の説明の妨げにならない程度の説明はよい」又リンクなどについても中立的な観点から触れられています。詳細は当該項目をお読みいただけたらと思います。松江騒擾事件での「無条件降伏」か否かの論争に関する併記については、これに照らして適切な記述ではないかと考えております。--廿粁 2009年4月2日 (木) 01:35 (UTC)[返信]
あの、あなたはいったいここで何がしたいのですか?松江騒擾事件なる個別の記事においていかなる記述をするかについては、ノート:松江騒擾事件が正しい議論場所です。記事中に自分の見解を反映させるために必要なことは、当該記事のノートにおける意見の対立者を説得することであり、対立者の知らないところで勝手な合意もどきを形成するために議論を拡散させることではありません。--122.18.219.134 2009年4月2日 (木) 02:30 (UTC)[返信]
ご意見に対する返答でしたが脇道に逸れた感がありました。以後個別記事や他の話題についてのご意見を戴いても返答は致しかねます。以下、中立的な観点に於ける制限と「その主題」が指すものについて引続きご意見ご議論を戴ければと思います。--廿粁 2009年4月3日 (金) 01:09 (UTC)[返信]
たとえその争点についての専門家や関係者の意見であっても「○○×」に触れられていなければ記述する価値がないとするものです。もしこの制限が後者であったならばWikipedia:中立的な観点に多大な影響を与えかねない制限
別に何の問題も無いと思われます。その争点についての専門家や関係者が「○○×」で争点の内容を記述すれば良いだけの話ですから。--EULE 2009年4月3日 (金) 11:10 (UTC)[返信]
中立的な観点の趣旨を考えればそう解釈するのが自然だと私も思います。三大方針の一つWikipedia:検証可能性が満たされたとしても制限が後者であったならば、これを理由として記述の削除を行えるという逆さまな状態が発生しうると思いますので。--廿粁 2009年4月7日 (火) 01:09 (UTC)[返信]
問題が無いのだから、削除しても「問題が無い」でしょう。まあ、良くて一部転記提案を経た後に、然るべき記事への転記となるでしょうけど。
例えば、ID論の書籍を用いて、ハトやヘビやカモノハシの記事で、検証可能性を満たして「進化論とID論の対立」(その主題)を記述することはできますよ。しかし、それを削除したって何も問題は無いわけです。それは「進化論」か「ID論」のページで記述すべき話題ですし、まして、既にその話題が当該記事中に記述されているのであれば、なお更、問答無用で削除したってケチを付けられる謂れは無いでしょう。仮に該当記事中に論争の記述が無かったとしても、前に述べたように専門家が該当記事中に論争内容を記述すれば良いだけの話であって、やはり、いくら専門家だからと言ってカモノハシのページで進化論とID論の対立を記述することはすべきではないし、何より意味が無い。また、詳細に書くまでも無く、ただ論争があることを言及することについても、これが例えば、ダーウィンや創造論の記事なら良いでしょうが、やはりカモノハシの記事にまでわざわざ書くのは可読性を落とす以上に意味の無い行為だと言わざるを得ません。--EULE 2009年4月7日 (火) 06:32 (UTC)[返信]
逆の意味にとってしまったようですみません。後者の制限で問題ないと言うことですね。可読性等の問題は中立的な観点とまた別ですのでEULEさんのご意見としては尊重されるべきだとは思いますが、もし制限が後者であったならば、「すべての記事は特定の観点に偏らずあらゆる観点からの描写を平等に扱い、中立的な観点に沿って書かれていなければならない」という中立的な観点の趣旨に反するのではないでしょうか。この一節が、この趣旨を覆すほどの制限を述べているとは思えません。--廿粁 2009年4月8日 (水) 01:03 (UTC)[返信]
では、あなたは進化論が登場するページには全て、等しくID論との対立があることを併記しなければならないということですね。あなたの主張している内容は、とどのつまりそういうことです。そして、私が言えることは「空飛ぶスパゲッティ・モンスター教」について調べて見て下さいということだけです。--EULE 2009年4月8日 (水) 01:27 (UTC)[返信]
(追記)一つ語弊があるようなので訂正しますが、「後者の制限で問題ない」ということではなく、「後者の制限で問題ない」ということです。どのみち、あなたのどの解釈法をとっても、別にwikipediaに与える重大な問題にはならないということです。--EULE 2009年4月8日 (水) 01:40 (UTC)[返信]
それに対する答は既にWikipedia:中立的な観点の「争いのある主題についての長い記事」に於いて述べられています。「手短で、他の記述の妨げにならない程度の言及はよいと思います」とあり、リンクを張ることなどについても書かれていますのでご一読下さい。--廿粁 2009年4月10日 (金) 02:02 (UTC)[返信]

(インデント戻す)Wikipediaの方針・ガイドライン等々は、いずれも記事をよりよいものにするためのものです。執筆者は確かにそれに従わなければなりません。しかし、それらの文書を「適用した」「従った」という編集によって作られた記事が、そもそも文章としてダメ(主題がはっきりしない、論旨がブレている、論点が発散している、etc.etc.)で可読性が低く、読者にとって理解困難なものになったとしたら本末転倒です。

なぜなら第1に、百科事典記事の目的はある主題について読者の理解を図るためのもので、そのための唯一の手段は文章しかないからです。この意味で文章がダメでは目的は達せられません。第2に「目的のためのルール」という観点からすれば、「ルールを適用した」「ルールに従った」編集でダメな記事を生むというのは、それはルールを尊重するように見えて、実はルールの精神を最悪の仕方で蔑ろにする行為だからです。

こうした意味で、自明な前提(文章作成の常識)と非自明な前提(この場合はWikipediaの方針)との間でバランスをとることが執筆者に求められているのであり、“ルールに従ったのだから、記事がデグレードしようがどうしようが自分は正しい”という主張は実は、ルールの精神を最もないがしろにする類の主張であると考えなければなりません。そのようなルールの「解釈」なり「従い方」なりにはどこか間違いがあると考えます。

以上から申し上げるべきこととしては、廿粁さんがやろうとしていること、EULEさんの言い方を借りれば「進化論が登場するページには全て、等しくID論との対立があることを併記」することは、記事をデグレードさせる編集を正当化するために方針文書を持ち出すルールの悪用でしかありません。「進化論が登場するページには全て、等しくID論との対立があることを併記」することは、極めて困難(というかほとんど不可能)な配慮の元でなければ百科事典記事の質・量の向上に寄与することなどないでしょう。思うに、少なくとも本件に関して問題なのは、方針文書の解釈でも何でもない。読み手のために文章を書くという意識が欠けている執筆者がいるということでしかないと思います。

追記 - 類似のトピックとしてWikipedia:井戸端/subj/「公式な方針」をめぐる対話拒否についてWikipedia:井戸端/subj/2ちゃんねるでの「祭り」をトピックとして記述することを挙げておきます。--ikedat76 2009年4月8日 (水) 16:43 (UTC)[返信]

個別記事についての回答は致しかねるところですが、「ルールの悪用」であるとして非難されましたのでこれに反論します。松江騒擾事件で私が併記とした部分はたかだか二、三行の記述です。これによってその記事全体の見通しが悪くなり理解が困難となり、ウィキペディアの根本的方針を覆えさなければならないほどの影響を与えているとは到底思えません。たとえそうであったとして個別記事に於いて根本的方針を差置くならば、合意によって根本的方針が覆えす事が出来るかどうかは別として、他の編輯者に明確な説明をするなり合意を形成するなりしなければならないでしょう。又ikedat76さんは、Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない#ルールの悪用にあたるとして私を非難していますが、この趣旨は、「方針やガイドライン、あるいは他者の言動や証拠などを引き合いにするときは、その字面だけを追求するのではなく、そこに書かれた本来のルールの精神や意図、さらに必要であればウィキペディアの本来の目的まで立ち返って考えることをお勧めします。また、ルール精神に準じていないルールの悪用は、全て無効です。」とあり、ルール精神や意図に立ち返えなければならないということでしょう。Wikipedia:中立的な観点の「重要な制限事項~」の一節を敷衍し適用するのではなく、中立的な観点のルール精神を考えるのならば、全くこの批判には当りません。中立的な観点の冒頭にあるように中立的な観点はウィキペディアの根本的な方針のひとつであり、すべての利用者が従うべきだと考えられています。説明を尽すべきはこれに対して異議がある人です。ikedat76さんが個別に意見があるのであれば当該ノートへお願いします。追記にあるWikipedia:井戸端/subj/「公式な方針」をめぐる対話拒否についてを一瞥しましたが、これは公式な方針も人それぞれ解釈があるから対話無く編輯を行うことについての議論であり、ikedat76さんの言っている趣旨とは若干異なると思いますが。--廿粁 2009年4月10日 (金) 02:02 (UTC)[返信]
それは「争いのある長い記事」について述べられたものでしょう?全く関係の無い話題から、自分の主張に合いそうな一文を持ってきたって反論になんかなってませんよ。そこに馬の例が載ってますが「(直接関係無い)馬の記事に進化論と創造論の論争があることを手短なら記述してあっても良い」なんて書いて無いでしょ?「馬の進化」が主題なのと、「馬」が主題なのは違いますからねまして、あなたが根拠とした例は「馬の進化」について、「創造論側にも意見があるならば、」と言う前提であり、「進化論」と言う言葉があったら、併記すべきだなどとは言っておりません。
もうちょっと具体的に説明させてもらいますとね、記述するに適する場所と、適せない場所があると私は言いたいんですよ。先の例なら「ダーウィンや創造論の記事にならあっても問題は無い」と言ってるでしょう?それを「中立的視点が~」と述べて、「カモノハシ」も含めて全てに併記すべきだみたいなのは、一件正論のようである屁理屈なんですよ(あなた本人はそこまで言ってるつもりは無いのかもしれないが、あなたが主張する内容とはそういうことです)。そういうことを皮肉ったのがスパゲッティモンスター教団なのですが(まあ、それは置いといて)。あなたが問題としていることは、中立的視点だとか検証可能性がどうとか以前の問題なんです。しいて言えば百科事典として間違ってる。極論を言えば、例え検証可能性を満たそうが、中立的視点を満たそうが、ヒルベルト問題の中で「アンパンマンはつぶあんである(しかし、○○はこしあんと述べている)」と記述すれば削除されるわけですよ。ちなみに「アンパンマンがつぶあん」なのは事実ですよ。だけど、それを数学分野のページに記述するのはおかしいし、何より意味が無い。そういうレベルなんです。適した場所に適した記述を行う。当たり前の話です。あなたはikedat76氏の意見にも反論していますが、逆に「論争があることを一々併記しないことは中立的視点の精神に反している」かどうか考えてみてください。多くの人間は反しているとは思わないでしょう。現に、ブリタニカでも日本大百科でも何でも、百科事典に、一々論争があるなどと併記されてますか?そして、この百科事典は見方に偏りがあるなどと思いますか?(まあ、思ったら御免なさいね。多くの人は思わないでしょうけど)。
まして、あなたの場合は、検証可能性を満たさない情報ですら、果ては引用・注釈の中にすら、中立的視点を盾に記述できるようにすべきだと言うのが主旨だ。とてもそんなのは認められませんよ。--EULE 2009年4月10日 (金) 06:03 (UTC)[返信]
直上の意見に完全に同意かな。本当に右より人たちは、同じ編集傾向だねぇ。--118.105.213.99 2009年4月10日 (金) 14:09 (UTC)[返信]
EULEさんはWikipedia:中立的な観点を通して読んだのでしょうか。「「争いのある長い記事」について述べられたものでしょう?」としていますが、それはただ字面を追っただけでしょう。EULEさんが自ら取消した部分を見るとそのことがよくわかります。中立的な観点には「――ある事柄について、複数の、長い記事を書く場合には」ともありますね。何回も読返すことをお勧めします。EULEさんは譬えとしてヒルベルト問題の中でアンパンマンについての記述を持出していますが、抑もこれが譬になっていません。私が問題として提議しているのは、ヒルベルト問題とアンパンマンに敢て譬えて言うならば、ヒルベルト問題で「アンパンマンはつぶあんである」或は「アンパンマンはこしあんである」と云う記述が削除されず事実上容認された状態にある場合に、「アンパンマンはつぶあんである(しかし、○○はこしあんと述べている)」或は「アンパンマンはこしあんである(しかし、○○はつぶあんと述べている)」という観点を加筆するにあたって中立的な観点にある制限の一節をどうするかです。ヒルベルト問題でアンパンマンのくだりを記述するかどうかを言っているのではありません。EULEさんは相手の考えを推測して押広げて、これに「そういうレベル」などと批評を勝手に加えていますが、それはEULEさんの考えた一部にしか過ぎないでしょう。又、他の百科事典の方針は知りませんが、ウィキペディアという百科事典の目的及び方針はWikipedia:基本方針とガイドラインに書かれていますね。他の百科事典がそうだからここもそうだとEULEさんが考えるのは勝手ですが、それを振回すのはどうかと思います。さらにEULEさんの憶測が端的に表れているのが「あなたの場合は、検証可能性を満たさない情報ですら、果ては引用・注釈の中にすら、中立的視点を盾に記述できるようにすべきだと言うのが主旨だ。」です。私は全くこの様な考えを言ってはいません。明確な説明を求めます。これはWikipedia:腕ずくで解決しようとしないの「ルールの悪用」にある「印象操作」に当ると指摘せざるを得ません。--廿粁 2009年4月14日 (火) 01:12 (UTC)[返信]
それはただ字面を追っただけでしょう
それはあなたの方でしょう・・・。そこで述べられているのは、(記述するのに)長い論争がある場合に、直接は関係の無い記事(そこの例だと「進化論」「創造論」以外のもの)で記述が必要な場合に、論争を全て記述する必要がありますか?と言う問いに対して「注釈程度でも構いませんよ」と述べられている部分なんです(さらに言えば、重要な物であるなら新たに項目を立てても良いよ、と書いてある)。「論争があるなら、注釈しろ」なんて書いてない。私が「注釈その物が不適当だ」と述べているならば、それは反論の余地になりますが、そんなこと言ってませんから。この「記述が必要な場所かどうか」が、私の論旨なのに。そもそも、2009年4月8日 (水) 01:40 (UTC)の私の意見に対する反論として、その一文を持ってくるのがおかしい。あそこで妥当な反論は、「では、あなたは進化論が登場するページには全て、等しくID論との対立があることを併記しなければならないということですね。」と言う部分に対してのはずです(あるいはこれまでの類似の部分)。ここに反論していないということは、この推測は正しいということだ。これに反論してないのに、今さら、それは憶測だ、印象操作だと非難されても困ります。
そもそも根本的なことは、既にノート:松江騒擾事件にてZERO氏に散々指摘されているはずなんです。「もし廿粁さんが当初からこうした解釈の持ち主ならば、編集したのが「無条件降伏」だけではすむはずがないんです。あらゆる語句に「~には争点がある」と書いていたはずです。」と。結果、何が起こるかといえば「争点があったならば、その一つ一つについて脚注を付けなければならなくなりますよ?もちろんその説明文にも語句があるでしょうから、それについてもさらに同様の作業を繰り返さなければならなくなります。いつ完成するとも知れませんが、いくらサイズの制限はないとはいえ、できあがったものはもはや松江騒擾事件を理解するにはとんでもなくバランスの悪い何かへんなカタマリの文章の完成です。」となるでしょう。それは別に「松江騒擾事件」に限った話ではなく、ここで氏が主張する内容を是とすれば、起こりうる、いやむしろ、起こさなくてはならないことです(これを憶測だ、印象操作だと非難しても、あたなはここを反論して無いのだからしょうがない)。
一見正論であるような屁理屈を見つける方法は簡単です。現実に当てはめれば良い。例えば、ゼノンがいくらアキレスは亀に追いつけないと主張しようが、アキレスは亀を追い抜くんです。いくら、あなたが条文の解釈から中立的視点の重大な問題だと主張しようが、それを適応するとZERO氏が指摘したような実に馬鹿ばかしいページが出来上がるだけなんです。ならば、それは思考過程、理論が間違っていたなんて自明のことです(さらにikedat76氏が指摘するように、wikipediaでは「ルールに従ったのだから、記事がデグレードしようがどうしようが自分は正しい」は認められないわけで、なお更、現実と乖離するなら、仮にその解釈が正しかろうと守る必要性なんて無いです。法律家ごっこはするなと)。
もっとも、ノート:松江騒擾事件と違い今回の議論は「その主題」が指す物をねこぱんだ氏などが「論争があることを記述すること」と解釈していますが、ZERO氏は「その記事の内容のこと」と解釈しているなど、相違があることは認めざるを得ません(ちなみに私はどちらが正しいかは判断しません。どちらの解釈が正しかろうと、氏が懸念する中立的視点の重大な問題にはなら無いからです)。しかし、前提はどうであれ、それが記述するに適する場所かどうかの判断基準として、ZERO氏がおしゃったことは十分参考になるでしょう。つまり、その記事のことの専門家(ないし専門書)で、ある語句や概念に特に論争があることに言及が無ければ、その論争について記述する必要性は無いということです。だって、それがその記事にとって重要な意味を持つなら、触れられているはずですから。触れられていないということは、その記事の内容を理解する上では必要の無い情報ということになります。
あとわざわざ記述を削除した部分で揚げ足を取って来ても困るのですが、当初は、そこに乗っている馬の例を引き合いに書いたわけです。これは間違ってはいないんだが、しかし、それだとあなたは勘違いすると思った。現に勘違いしてる。だから、書き直したんですよ。誤解を招かないように。そしたら、わざわざ削除した部分を持って批判してくるとは思いもよりませんでした。また、アンパンマンにしても、ただでさえ極論と断っている自論の例え話であって、つまり「記述に適さない場所なら削除されますよ」と言う私の例えに対して「私(廿粁)はそんなこと言ってない」と返されたって困るんですよ。だって、それは私の自論に対する例えなんだから当たり前でしょう?「私(廿粁)が言っていることはこうだ!」と私の例を引き合いに返されても、全然反論になっておりません。苦言を呈しますが、あなたはどうでも良い部分は(その是非は別として)具体的に批判して、肝心な部分は読みが足りないだの、わかってないだの、具体性に欠ける。頼みますから、論旨に対して反論してください。それをしない結果、印象操作だなんだ言われても困りますんで。--EULE 2009年4月14日 (火) 05:26 (UTC)[返信]
日本語を斜体にするのはお止め下さい。表示環境によっては斜体として表示されない場合があります。それと鉤括弧「」で他人の発言があったかの様に演出しないで下さい。では本題に入ります。個々の記事については回答いたしかねるところですが、EULEさんがノート:松江騒擾事件とそのZEROさんの発言を借りて反論していますので、これに反論します。EULEさんの発言は支離滅裂で何が言いたいのか分りませんね。ZEROさんは中立的な観点の制限についての文脈の中でEULEさんが引いた発言をしています。EULEさんの「wikipediaでは「ルールに従ったのだから、記事がデグレードしようがどうしようが自分は正しい」は認められないわけで、なお更、現実と乖離するなら、仮にその解釈が正しかろうと守る必要性なんて無いです。」との発言とは真逆です。さらにここは中立的な観点に於ける制限についての議論の場です。「ちなみに私はどちらが正しいかは判断しません。」なら建設的な議論は望めそうもないのでお引取り願うしかありません。他者の発言や方針の一部を拾ってきて自説を開陳しているだけですから。私が言っているのは観点を記述するということです。語句の解説をやりたければ他でやるべきでしょう。中立的な観点の趣旨はこうです。劈頭に「すべての記事は特定の観点に偏らずあらゆる観点からの描写を平等に扱い、中立的な観点に沿って書かれていなければならない」とありこれが前提です。「例えば進化論について書く時には、進化説と創造説(人間も他の動物も神が創造したとする説)の論争を全てのページで展開しなければならないわけではないですよね?」に対して「手短で、他の記述の妨げにならない程度の言及はよいと思います。」とあります。この「よい」は手短にしてもよいの「よい」です。EULEさん分りますでしょうか。松江騒擾事件とごちゃ混ぜにして批判しているようですが、個々の記事に意見があるのでしたら当該ノートへお願いします。EULEさんの発言「あなたの場合は、検証可能性を満たさない情報ですら、果ては引用・注釈の中にすら、中立的視点を盾に記述できるようにすべきだと言うのが主旨だ。」の説明がありませんね。出来ないのであれば、訂正なり取消すなりして下さい。--廿粁 2009年4月16日 (木) 02:39 (UTC)[返信]
(インデント戻します)そもそもご自身が説明責任を果たしてない結果なのに、私の説明責任を問うと返されてもね。これ以上、現状の切り口から続けても、誤解し続け無用な論点の輪を広げてしまうので、一旦置いといて、別の切り口から見ましょう。「ノート:松江騒擾事件は関係ない」「私はあくまで条文の内容を問うている」と言うなら、あくまで条文の解釈のみに絞って見てみましょうか(私自身はこういう端から解釈の違いで空中戦をやるようなのは嫌いなんですけどね、法律家ごっこですし)。
あなたが引用した文には最初の方に重要な一節があります。「複数の観点を比較する記事では」。つまり、この条文は、前提として既に「複数の観点を比較する記事」がある物として見ています。そして勘違いしていけないのは、これは「複数の観点が乗っている記事」ではなくあくまで「複数の観点を比較する記事」だということです。これが「複数の観点を記述する際には」と言う文言であるならば、確かに氏の主張にも一理あるように感じられるかもしれませんが、残念なことにこれは該当記事中にあるテーマに関する比較(=その主題)が記述されている時に発生する制限だと読み取れるわけです。
すなわち、ここで言う制限がいかなる物であっても、当該記事中において比較が行われてない物については適応されないと言うことになります。例えば「松江騒擾事件」について言うのであれば、この記事の中で無条件降伏だったかどうかについての論点の比較は行われていないので、この時点でこの条文の制限は適応されません。よって「すべての記事は特定の観点に偏らずあらゆる観点からの描写を平等に扱い、中立的な観点に沿って書かれていなければならない」と矛盾は起きません。次に進化論とID論の対立が書かれているような「比較する記事」について考えると、この条文が効力を発揮し、ここで言う制限がかかります。しかし、この場合は「すべての記事は特定の観点に偏らず~(略」を前提(既に進化論側と創造論側の観点がある)とした制限なので、やっぱり矛盾が起きません。という訳で何も問題はありません。
結論として、ただ純粋に「すべての記事は特定の観点に偏らずあらゆる観点からの描写を平等に扱い、中立的な観点に沿って書かれていなければならない」をどう適応していくかどうかと言う話になります。ここで、一般の事典・書物ならばその話題に直接関係の無い観点からの記述はわざわざ書かないでしょう(あなたはウィキペディアとは関係ないとおっしゃるが)。逆に、あなたが言うように関係の無い観点からも平等に描写しなければならないとなれば、ZERO氏が指摘したことになるでしょう。もっとも、『「すべての記事は特定の観点に偏らず~(略」をどう適応するかどうか』は今回の案件とは関係が無い話題なのでこれ以上論じる必要は無いと思いますが。
(追伸)斜線するなとか鍵カッコを使うなとか言われますが、それが引用であるとわかるようにしているので抗議されても困ります。あと私はZERO氏じゃないので彼と意見が違うのは当然です(私とZERO氏の意見が同一だと思って勝手に勘違いしないでください)。引用って自分と全く同一の思想・意見を持っているからするわけじゃないんですよ?--EULE 2009年4月16日 (木) 03:23 (UTC)[返信]
鉤括弧「」について、斜体にして引用と思われる「」の内容とEULEさんが加工した「」の内容の区別がつかない状態ですのでそれを指摘したまでです。次に本題について。支離滅裂で何を言いたいのか意味不明ですが、制限については何も問題がないことを主張したいということだけは分りました。EULEさん長々と有難う御座いました。又EULEさんは「結論として、ただ純粋に「すべての記事は特定の観点に偏らずあらゆる観点からの描写を平等に扱い、中立的な観点に沿って書かれていなければならない」をどう適応していくかどうかと言う話になります。」と言っているそばから、「『「すべての記事は特定の観点に偏らず~(略」をどう適応するかどうか』は今回の案件とは関係が無い話題なのでこれ以上論じる必要は無い」と言うなど矛盾も甚だしく、自己完結していると見られことから、EULEさんとの議論が成立するかどうかも危ぶまれる状態です。Wikipedia:基本方針とガイドラインに賛同頂けないのでしたらウィキペディアへの執筆をご遠慮いただくしかありません。「ご自身が説明責任を果たしてない」を理由として「あなたの場合は、検証可能性を満たさない情報ですら、果ては引用・注釈の中にすら、中立的視点を盾に記述できるようにすべきだと言うのが主旨だ。」の説明を拒否するのでしょうか。EULEさんははっきり断言した上で「とてもそんなのは認められませんよ」と非難しているわけですから説明が求められるのは当然です。EULEさんの態度は非常に不誠実であると指摘せざるを得ません。--廿粁 2009年4月17日 (金) 02:57 (UTC)[返信]
誤解して、互いの論点が噛み合ってないから区切りを付けたのに、わざわざ戻すんですか?(まあ、構いませんけど)
「では、あなたは進化論が登場するページには全て、等しくID論との対立があることを併記しなければならないということですね。」を始めとする、論争がある語には何でもかんでも論争があるなんて書いたら問題だと言う私の推測に対して何も答えないのであれば、そう思われても仕方が無いでしょう?引用の件は現に、あなたは、松江騒擾事件では引用の中に注釈を用いようとしたことがあるじゃないですか。そう言った点に対して反論してる、根拠は無くとも「私は論争がある語や概念は必ず争点があると補足しなければならないとは思ってない」とはっきりと答えてくれれば良いのに、論旨とは全く関係の無い反論をする(注釈すれば問題ないと)。その結果、今更、私はそんなこと言ってないと言われても困るわけですよ。別に最初だって「~ということですね」とわざわざ尋ねてる(つまり確定させてない)のに答えないんですから。
また、最後のくだりを矛盾だと言うが、これまでの議論を踏まえて2009年4月16日 (木) 03:23 (UTC)の主旨と交えて説明しただけですよ。で、掘り下げることはできるが、元々、今回の主旨とは関係が無いからこれ以上掘り下げる必要は無いでしょうって述べただけなのに、これを矛盾だと言われても、、、それに、2009年4月16日 (木) 03:23 (UTC)の発言はあくまで条文を一字一句解釈した場合の話です。こういう法律家ごっこによる結論は、ましてある記事を巡る議論になった場合には無視されてもwikipedia上は何の問題も無いです。あくまで、条文を尊ぶあなたの前提で合わせたらそういう結果になりました、という話です。もし、今回の議論を元に松江騒擾事件に捲土重来するおつもりでしたら、簡単に蹴散らされるだけでしょうから止めておいた方が宜しいと存じ上げます(そんなつもりが無かったらごめんなさい)。
斜線部はあくまでZERO氏の発言でしょう?それこそ単に「」では私の過去の発言なのかどうか混同するじゃないですか。何を言ってるんですか?それにあなたが最初に斜線を止めてくれと言った理由と変わってますよ。
個人攻撃はいけないのですが、自己完結がどうとか、議論ができないとか言われてることからお互い様ということで今回に限り、初めて拝見した時から思っていたことを述べたいと思いますが(しょせん、何の意味も無いことですし、今回限りで再反論もしない内容なので無視されても構いません)。どうもあなたは、自分の直感(ないし前提とする考え)は正しいと思ってたりとか認知バイアスが強く掛かっているように見えます。最初の勘違いにしても、ノート:松江騒擾事件で「あなたは自分が正しいと思ってる」とか言っちゃうところとか、相手の論旨よりも相手の属性を見てしまい、結果、相手が何を言っているか理解できなくて、最悪、明確な反論ではないと自分にとって都合の良い発言だと思い込んでしまう。私もこういうタイプ(相手の属性を見るところだけ)なので、多少、投影してるようにも見えますね(議論ができないなど、全部あなたに返ってくる事象ですよ)。(今回、こう強気に出たのも、議論線を変えたのは旗色が悪いと考え逃げたに違いない、よし、ここで押してやれとか何とか考えてませんか?)--EULE 2009年4月17日 (金) 04:12 (UTC)[返信]
(追伸)あなたが私の論旨を理解できずに、誤解を起こしている点については、私の議論線にも問題があることは認めます。それは私自身が「相手の属性を見てしまう」と認めるように、そこから派生した部分が一因となっておそらく誤解しているのでしょう。ここはあなただけではなく、私にも非があるので、議論を円滑にするために、その原因について述べさせてもらいます。
最初からはっきり言えば、あなたの最初の文面からではあなたが問題視している制限とは何なのか全くわからない。主旨はおろか、「後者」が何を指すかすら非常にわかり辛い文章です。おそらく「制限」について私以外の発言が無かったのはそのためだと思われます。で、それでも何となく理解できたのは、ノート:松江騒擾事件におけるZERO氏との一連のやり取りを見たからです。そこでやっとあなたが何を問題としているかがわかった。だから、当然、私の解釈には望むと望まざるとに区別無く、ノート:松江騒擾事件が前提となる。ところがあなたは「ノート:松江騒擾事件」は関係が無い(もっと言うならあくまで条文の解釈+中立的観点のページのみを議論線とする)と言うのが確固たる前提としてあるせいで、それに少しでも関わるとその部分を無視しようとする。結果、論旨に関わる重要な部分ですら少しでも関係すれば見ないわけだから、当然、相手の論旨なんか理解できるはずが無いんです。
そもそも、こういう無機質的な条文の解釈を論じるというのは宙に浮いた議論になりやすい。地に足を付いた議論にするには、当然、地が必要になる。これは、ガイドラインで禁止されている法律家ごっこをしないためにも重要なことです。だから、具体例が必要になり、別に松江騒擾事件じゃないとしても、私は進化論を持ち出しました。が、あなたは前提として、ここで言う「地」を認めようとしない。だから、こちらの論旨を理解できずに「争いのある主題についての長い記事」の部分が反論になると思い込んでしまっている。
この追伸の部分をあなたが理解し、納得してくれるとは微塵も思ってませんが、せめて「制限」の部分についてもっとわかりやすく、何が問題なのかと言う点を説明すれば、あなたが嫌な私とのみの議論をしなくてすむようになると思いますよ。--EULE 2009年4月17日 (金) 06:35 (UTC)[返信]
再度言います、Wikipedia:基本方針とガイドラインを袖にする発言はお止め下さい。EULEさんの発言「では、あなたは進化論が登場するページには全て、等しくID論との対立があることを併記しなければならないということですね。」への返答は何度も「争いのある主題についての長い記事」を引いて懇切丁寧に説明していますよね。抽象的な説明だと分らないみたいなので、例えで説明します。私は進化論とID論について詳しくはありませんが、もし進化論とID論が同じ事柄についての異なる観点であるならば中立的な観点により記述されなければなりません。Wikipedia:中立的な観点の「中立的な観点についての声明(オリジナル)」には「百科事典の記事を書く際には、中立的な観点以外のどのような特定の立場をとることも、可能な限り明確に避けるべきです。」とあります。次に、EULEさんの発言「それにあなたが最初に斜線を止めてくれと言った理由と変わってますよ。」はEULEさんとは話が通じないという疑念が湧きました。これは噛合わない処の話ではないと思います。日本語として通じていないということでしょうか。次に、EULEさんへ質問です。中立的な観点にある「重要な制限事項がひとつあります。」の一節に重要な制限事項が一つある事が述べられていますが、これは一体何なのでしょうか。EULEさんが援用した説を採ると制限が一つかどうか疑問が湧きます。お答下さい。ノート:松江騒擾事件を無視しているとのご指摘ですが、この議論を最初からお読みいただければ疑問は解消されるでしょう。ノート:松江騒擾事件と議論を絡めたいのであれば当該ノートで議論しましょうか。EULEさんの発言「あなたの場合は、検証可能性を満たさない情報ですら、果ては引用・注釈の中にすら、中立的視点を盾に記述できるようにすべきだと言うのが主旨だ。とてもそんなのは認められませんよ。」の説明として「引用の件は現に、あなたは、松江騒擾事件では引用の中に注釈を用いようとしたことがあるじゃないですか。」だと思いますが、松江騒擾事件ですら全くそのようなことはありません。EULEさんのやっていることは所謂捏造に値するかと思いますが如何でしょう。--廿粁 2009年4月20日 (月) 01:42 (UTC)[返信]
埒が開かないので1つ1つ検証しますね。
あなたの答弁するところによるなら「では、あなたは進化論が登場するページには全て、等しくID論との対立があることを併記しなければならないということですね。」を認めるということで宜しいんですね?それこそ「カモノハシ」だろうが難だろうが、進化論の語句が登場するなら、それは争点があることを併記しなければならないと。それは、中立的観点を満たすためであり、「争いのある主題についての長い記事」によって「注釈」で対処すれば何も問題は無いという解釈ってことで宜しいんですね?進化論は良く知らないと言われてますが、元々は例えですから。「論争のある語句や概念については、それが登場するならば、必ずその論争があることを併記しなければならない」と言う立場であると考えて良いんですね?
(蛇足)斜線についてですが、ほら、また何の根拠も述べず、ただ間違ってると決め付けるしかしない(それも、2つある意見のどっちでも良い方に対してで、肝心な方には反論してない)。これじゃあ、確かに噛み合う以前の問題ですね。--EULE 2009年4月20日 (月) 03:56 (UTC)[返信]
分らないみたいですね。私が斜体と言っているのにEULEさんは「斜線」と言う。同じ概念を指すのに言葉が違うわけですから通じない。EULEさんの言葉は日本語に似て非なるものと言っていいでしょうね。EULEさんの発言「「では、あなたは進化論が登場するページには全て、等しくID論との対立があることを併記しなければならないということですね。」を認めるということで宜しいんですね?」について、認める認めないという話であるなら認めないとしか回答できません。これまでの議論は一体何だったのでしょうか。正に通じない。私の質問「次に、EULEさんへ質問です。中立的な観点にある「重要な制限事項がひとつあります。」の一節に重要な制限事項が一つある事が述べられていますが、これは一体何なのでしょうか。EULEさんが援用した説を採ると制限が一つかどうか疑問が湧きます。」にもお答下さい。EULEさんの発言「あなたの場合は、検証可能性を満たさない情報ですら、果ては引用・注釈の中にすら、中立的視点を盾に記述できるようにすべきだと言うのが主旨だ。とてもそんなのは認められませんよ。」、「引用の件は現に、あなたは、松江騒擾事件では引用の中に注釈を用いようとしたことがあるじゃないですか。」の説明がありませんね。これでは捏造でっち上げの類であるとの指摘は免れ得ないでしょう。--廿粁 2009年4月22日 (水) 00:34 (UTC)[返信]
「認めない」んですね?始めから、そうはっきりと言って下さい。話が通じないというなら、そもそも相手の質問にちゃんと答えないからこういうことになるんですよ、としか言いようが無いです。詭弁の手法の1つとして「結論をはっきり言わない」と言うのがあります。はっきり言わないことで、議論線をぼかし空中戦をやって議論を誘導する。あなたが意図的にこれをやっているかは知りませんが、その結果、あなたが想い描く結論と外れたとしても、そんなのは私の知ったこっちゃ無いです。とは言え、「認めない」のであるならば、「検証可能性を満たさない情報ですら、果ては引用・注釈の中にすら、中立的視点を盾に記述できるようにすべきだと言うのが主旨だ」は私の勇み足だったようなので撤回します。あなたが望むなら、2009年4月10日 (金) 06:03 (UTC)の発言の該当部分に打ち消し線を入れることも考えます。
しかし、そうであるなら「争いのある主題についての長い記事」の項目が反論になる、ということは疑問符が付かざるを得ません。特に「手短で、他の記述の妨げにならない程度の言及はよいと思います」を引用していますが、これが何故「認めない」場合の反論になるか教えていただきたい。あなたは説明したと言ってるが、「認めない」ならば、なおさら全く反論にはならないです。先に少し述べましたが「結論をはっきり言わない」タイプは、自分の頭の中で自己完結してるのが多いです。自分はちゃんと言っているつもりでも、それは頭の中に過ぎず、実際には言えてない。後半になると、自分はちゃんと説明してきたつもりだから、まともな反論もせず、ただ話が通じないとか、今までずっと説明してきた、などで反論した気になるのも特徴です。もし、これが個人攻撃、中傷であると言うのならば、「私は既に説明した」ではなく、改めてちゃんと説明してください(もしくは既に述べたというなら、その既に述べた場所を引用するなり指し示すなりしてください)。私が次に望むのは、『「認めない」場合に、「争いのある主題についての長い記事」しいては「手短で、他の記述の妨げにならない程度の言及はよいと思います」が何故反論になるのか?』と言うことです。
斜体を斜線と書いたのは誤字でした。すみません。でも斜体でも言いたいことに変わりは無いですし、現に斜体に直して見ても意味は通ってます。むしろ、誤字だとわかってること(同じ概念と言ってるのだから誤字だとわかってるのでしょう)を今更、持ち出して相手を批判するのは揚げ足取りでしか無いです。それで2009年4月17日 (金) 06:35 (UTC)の1つ目の方にはいつ反論してくれるのでしょうか?(上段の質問の回答を優先してくださるなら、今回は別にこっちは回答しなくても良いです)--EULE 2009年4月22日 (水) 03:45 (UTC)[返信]
(追伸)私は、原則的に少なくとも今はあなたの質問に答えません。その理由は、先に述べたように噛み合ってないから、前提段階から1つ1つ検証していくためです。ここが出来てないなら、ほかの事をやっても無意味でしょう。現に「認める」か「認めない」かで大きな乖離があったことがわかりましたから。噛み合わなかったのも必然と言えるでしょう。もっとも「EULEさんが援用した説を採ると制限が一つかどうか疑問が湧きます」に関しては今、答えられることに答えておきたいと思います。それは、最初の話ですか?それとも法律家ごっこの方ですか?--EULE 2009年4月22日 (水) 03:56 (UTC)[返信]
誹謗中傷、個人攻撃は止めて下さい。--廿粁 2009年4月24日 (金) 00:15 (UTC)[返信]
元々、私に対して基本方針を守ってないとかおしゃられているので、あなたがそう思うならブロック依頼なり適切な手段に訴えれば良いでしょう?それとも口先だけなら、そんな返答はいらないので早く質問に答えてください。--EULE 2009年4月24日 (金) 03:15 (UTC)[返信]
そのような誹謗中傷、個人攻撃は止めて下さい。--廿粁 2009年4月25日 (土) 00:21 (UTC)[返信]
ですから、そう思うなら適切な手段に訴えれば良いでしょう?これで質問に答えてくださいと言っても答えないなら、埒が明かない。--EULE 2009年4月25日 (土) 03:01 (UTC)[返信]
利用者‐会話:EULEでも触れましたが、止めて下さい--廿粁 2009年4月27日 (月) 01:35 (UTC)[返信]
ですから問題があると言うなら「利用者行為についてのコメント依頼」をしてください。その上で私も弁明なりできますから。逆に、これらの手段を取らないということは、対話拒否のための方便と見られても仕方がありません。まだこのような直接関係の無い水掛け論を続けたいというのであれば、対話拒否のための方便であると判断し、私が氏についてコメント依頼を出さなければなりません。--EULE 2009年4月27日 (月) 03:37 (UTC)[返信]

この話題とは直接関係しませんが、話題の元となっているようであるノート:松江騒擾事件で文中に無条件降伏の語句を使用する事が妥当であるかどうか再提起しましたので一報致します。--yasumi 2009年4月30日 (木) 10:06 (UTC)[返信]

簡体字で表示される

英語版ウィキペディアから他言語欄より、日本語版へ行くと全てではないが簡体字で表示される。

日本語版であって中文版ではない。英語圏からの利用者で、漢字の読める人々が、中文理解者が多いからといって、それでいいわけがないと思う。あと朱子学による民族主義が背景にあるような気がする。正直言って鬱陶しい。--218.110.21.159 2009年3月30日 (月) 10:33 (UTC)[返信]

前半部分の「英語版ウィキペディアから他言語欄より、日本語版へ行くと全てではないが簡体字で表示される」について。そのようなことがあれば、それはバグとして対処するべきだと思いますが、残念ながら私の環境ではそのような症状にあったことがありません。お手数ですが、どのようなOS、ウェブブラウザを使用して、英語版のどのページから日本語版のどのページに移動するとそのような現象が起こるのか、ご報告願えないでしょうか。--mizusumashi月間感謝賞を応援します) 2009年3月30日 (月) 13:27 (UTC)[返信]

mizusumashiさん。はじめまして、お返事、ありがとうございます。

追検証ができなかったので、自分のURLの履歴を見た結果、理由が判明しました。検索エンジング-グルです。英語で検索し、その英語版ウィキペディアの記事をグ-グルの翻訳機能を使い、その翻訳記事から他言語の一覧から日本語版を選択すると、そのまま翻訳機能が働き簡書体に変換されてしまうようです。グーグルの翻訳の機能が、本来の字体と簡書体を混ぜて使用しているためと思われます。ウィキペディアのシステムやバグではないようですし、グーグルのサービス機能の問題であるならば、いかんともしがたく、またこのような翻訳記事からリンクしている従前の言語記事に行くという、「あまり一般的でないやり方」であるということもいえるので、「どうしましょう」といったところですが。--202.223.73.195 2009年3月31日 (火) 03:07 (UTC)[返信]

曖昧さ回避のリンク先について日本語版以外の記事をリンクすることは可能か?

こんにちは。過去ページを確認致しましたが、解答が見つからなかったので質問いたします。曖昧さ回避のOtherusesの使用法についてなのですが、

{{Otheruses|代表的なトピックの説明|別ページの説明|別ページ}}

で記載した「別ページ」の部分は日本語版ページでない記事でもリンクする事は可能でしょうか?enやcnなど多言語の記事を入力しても、リンク部分がNullになってしまうようです。Wikipedia:曖昧さ回避にはその方法は記載されておりませんが、実現は不可能でしょうか?お教え頂きたく存じます。--篠岡 2009年3月31日 (火) 04:57 (UTC)[返信]

Help:言語間リンク#言語間リンクをご覧下さい。「:en:ページの名前」のように頭にコロンをつけるのがミソのようです。
とはいえ、曖昧さ回避で他言語版の記事をリンクする必要があるのか、私としてはかなり疑問ではあります。--Dwy 2009年3月31日 (火) 05:38 (UTC)[返信]
編集競合してしまったのですが、具体的に書くと {{Otheruses|代表的なトピックの説明|別ページの説明|:en:別ページ}} となります。パイプがテンプレートの引数分割として優先的に解釈されるので、"en:" を隠すことはできないみたいですが。- NEON 2009年3月31日 (火) 05:42 (UTC)[返信]
{{Otheruses|代表的なトピックの説明|別ページの説明|:en:別ページ{{!}}別ページ}}とすれば隠すことは出来ますが、ぱっと見でどこへリンクしてるのか分からないという問題もあります。--Marine-Blue [ 会話 履歴 電信 ] 2009年3月31日 (火) 05:49 (UTC)[返信]
そのようなエスケープの方法は知りませんでした。ありがとうございます。とは言え、確かにプリフィクスを積極的に隠す意味は無さそうです。- NEON 2009年3月31日 (火) 06:33 (UTC)[返信]
技術的に可能でも、ここはあくまで日本語版なので、曖昧さ回避に使う記事は日本語版に限定した方がよろしいかと思います。日本語版の記事にリンクし、その記事内の言語間リンクで他言語版へ移動可能にする方が適切ではないでしょうか(日本語版がない記事はよくあるんですが、それでもです)。--草薙 2009年4月1日 (水) 05:03 (UTC)[返信]

翻訳の出典について

こんにちは、前回はいろいろアドバイスいただきありがとうございます。新たな疑問がわきましたので、質問させていただきます。英語版の翻訳で主に投稿を行っておりますが、その場合の出典とはどうなるのでしょうか?他言語版を翻訳して投稿するのは簡単ですが、その出典について記載するようにと書かれましたが、日本語の資料で確認しながら記述したものですから、出典というよりは参考ということになります。ただ、細かく明記するようにということですので、多少は記載しましたが、大部分について困っております。また、参考として利用した書籍を削除されており、元に戻しましたが、これはよろしいことなのでしょうか? 今後、翻訳で活動をしていく上で他言語版を翻訳した場合の出典についての記事がないようでしたので質問させていただきます。よろしくお願いいたします。--Hideokun 2009年3月31日 (火) 08:50 (UTC)[返信]

これが、私なりの回答になりますが、いかがでしょうか?記事『バラク・オバマ大統領就任式』をご覧になってください。英語版からの訳出で、最も脚注が丁寧についているものの1つだと思いますが、最初の概要だけで、9つの脚注がついているのが確認できるかと思います。こういう形で出典もとを丁寧に記していくのが読むほうにとっても親切だと思います。
もう一つの回答が私が2年前に手がけた『イスラーム建築』です。もともとこの記事は英語版からの訳出でスタートしていますが、英語版で足りない点は日本語文献で補っているので、参考文献のところには、日本語文献のリストができている形になっています。
とりあえず、記事を読んで、参考にしてください。--Tantal 2009年3月31日 (火) 09:27 (UTC)[返信]
『バラク・オバマ大統領就任式』や『イスラーム建築』のように立派な記事ではありませんが、私が英語版からの翻訳した記事に『自家不和合性 (植物)』があります。その記事では英語版の"references"は、そのまま引き継いでおり、日本語文献からの注釈は<ref group="*" name="">と<references group="*" />をつけて別途示しております。Wikipedia:レイアウトの指針にはない形ですが、ご参考までに。なお、日本語の参考書籍の記述を削除されたとのことですが、私としては日本語の文献も他言語の資料も、同時に記載しておくべきだと考えております。--Janus01 2009年4月1日 (水) 09:50 (UTC)言語の問題ではなく、文献の信頼性の問題だったようなので取り消し線を追加しました。--Janus01 2009年4月1日 (水) 10:00 (UTC)[返信]
いろいろありがとうございます。記事の方、拝見させていただきました、勉強になります。まずは、日本語の文献より脚注を追加いたしました。これについては指摘された通りですので、返すことばはございません。また、英語の文献についてもできうる限り、注釈として導入するべきだという判断をすべきでした、これについても私の足りないところですね。文献の信頼性についてはいささかながら自信を持っておりますので、またご指摘をいただいた場合には説明を丁寧にさせていただこうと考えております。Tantal様、丁寧なご説明ありがとうございます。Janus01様、お気遣いさせてしまい申し訳ありません。今回もお答えいただきありがとうございます。--Hideokun 2009年4月1日 (水) 10:40 (UTC)[返信]
すばらしい取り組み方だと思います。ぜひ、インラインの出典明記法を日本語版でも広げてください。逆のケースで、日本語版から英語版へと記事が輸出されているのを見かけます。ところが、どの部分の記述についてどの参考文献が用いられているかが残念ながらさっぱり分からないのが日本語版では普通であり、日本語が母語でない人にとっては多少(人によってはかなり)日本語が読めたとしても満足な出典が英語版でつけられず、結果としてまったくわけの分からない記事や、(日本語、あるいは日本を少し知る人なら単純で、すぐ分かることでも分からないことが多くなるために)即刻出典不明ラベルを貼られる英語版で続々と生み出されています。--服部半端 2009年4月1日 (水) 15:54 (UTC)[返信]

</noinclude>

「ブロック中の自身の会話ページ編集」を可能にする提案

MediaWikiに、ブロックされたユーザーに対して「ブロック中の自身の会話ページ編集」を許可できるようにするエクステンション設定項目があります。日本語版ではまだ導入されていませんが、英語版コモンズでは利用可能になっています。コモンズのブロック対処画面では、日本語版と同じ選択肢(「メール送信をブロック」など)に加えて

□ ブロックされる利用者に対してブロック中の自身の会話ページ編集を許可

という選択肢、MediaWiki:Ipballowusertalkが表示され、デフォルトではチェックボックスがonになっています。

この「ブロック中の自身の会話ページ編集」を可能にするエクステンション設定項目$wgBlockAllowsUTEditを日本語版でも導入することを提案します。--miya 2009年3月31日 (火) 16:00 (UTC) Marine-Blueさんのご指摘を受けて訂正しました。--miya 2009年3月31日 (火) 17:40 (UTC)[返信]


(前回提案について)2008年12月に一度Wikipedia:井戸端/subj/被ブロック者の会話ページ編集を可能にする仕様 として提案したのですが、この時は運用に関する提案が明確でなかったため、仕切り直した方がいいのではないかとご指摘をいただき、いったん取り下げました。

(再提案理由)最近のことですが、WikiJA-lへの投稿者とウィキペディア上のアカウントの同一性を確認する必要性が痛感されたため、今回あらためて、運用方法案を添えて、導入を提案します。

運用案(1)
運用案(1)
  1. ブロック行使の画面に、「ブロック中の自身の会話ページ編集」を許可するかどうかのオプションが追加される。
  2. 管理者が必要と判断した場合は裁量で「ブロック中の自身の会話ページ編集」を不許可にしてよい(当初の提案。議論を受けて修正した案を掲示します。--miya 2009年4月4日 (土) 11:54 (UTC)[返信]
  3. 一般利用者が必要と判断した場合は、Wikipedia:管理者伝言板/投稿ブロックで依頼する。(セクション名:「#ブロック中の自身の会話ページ編集」など)
  4. 以前にブロック依頼で不許可が決まっていた場合、伝言板に出しても対処されない場合などは、必要に応じて投稿ブロック依頼で改めて提案する。
ブロック解除の依頼方法案(仮)
  • ブロックされたユーザーは、自身の会話ページでブロック解除をリクエストできる。
  • これまでどおり、WikiJA-lでもブロック解除をリクエストすることができることとする。
    その場合、WikiJA-lへの投稿者とウィキペディア上のアカウントの同一性確認のため、WikiJA-l保存書庫における投稿メールのログURLを会話ページに記載する(会話ページもブロックされている場合はその旨MLで表明する)
  • 今後、会話ページとWikiJA-lと、どちらをブロック解除を求める場にするのがよいかについては、導入後の経過を見て議論する。

いかがでしょうか。--miya 2009年3月31日 (火) 16:00 (UTC)[返信]

技術面について

私個人としてはどちらでも構わないと考えますが一点だけ。拡張機能ではなくMediaWiki本体の設定項目です。該当する設定項目は$wgBlockAllowsUTEditとなります。確か個人的にどこかで申し上げた気もしますがそこまで説明しませんでしたっけ。--Marine-Blue [ 会話 履歴 電信 ] 2009年3月31日 (火) 16:37 (UTC)[返信]

すみません、$wgBlockAllowsUTEditのことは教えていただいていたのに、エクステンションと区別がついていませんでした。ご指摘ありがとうございます。訂正しました。--miya 2009年3月31日 (火) 17:40 (UTC)[返信]

コメント 質問なのですが、これは導入ということで合意ができたら技術的には簡単に実施できることなのでしょうか?英語版でできているのだから問題ないとは思いますが、せっかく合意できても簡単に実施できないようなことであれば議論倒れになってしまいますので。--Freetrashbox 2009年3月31日 (火) 22:22 (UTC)[返信]

導入する場合はちょっと面倒かも。Bugzillaに依頼して、Wikipediaで使用しているMediaWikiの設定ファイルを書き換えてもらう必要があります。実際に運用されているものなので却下されることはないんじゃないかな、とは思いますがどの程度の期間で対処していただけるかは分かりません。--Marine-Blue [ 会話 履歴 電信 ] 2009年4月1日 (水) 03:51 (UTC)[返信]
開発者の人たちは、合意が出来てれば比較的簡単に動いてくれるのでそんなに面倒でも難しいことでもないように私は思います。そのあたりを心配して恐れるよりはひとまず合意形成を行なってから、それでも反応がなかったらどうにかしたらいいかなと思います。--青子守歌会話/履歴 2009年4月1日 (水) 12:16 (UTC)[返信]

運用面について

(賛成)私は会話ページ編集許可には賛成です。「ブロック依頼などで合意が出来ている場合や明らかな目的外利用が続くような場合を除いて、全てのブロックで会話ページの編集は有効にしておく」というルールがさらに加わっていればなおよいかなと思いますが、それ以外の運用方針についてはそれでよいと思います。--青子守歌会話/履歴 2009年4月1日 (水) 12:16 (UTC)[返信]

賛成 前の提案のときから考えは変えておりません。荒らされたとしても、その影響は会話ページにとどまるので、大きな問題にはならないと思います。--Tamago915 2009年4月1日 (水) 15:03 (UTC)[返信]
(コメント)被ブロック者の会話ページ編集自体に関しては特に意見を持ちませんが、一点だけ。miyaさんの運用案はあまりにも管理者裁量部分が大きすぎるのではないかという懸念を示しておきます。この件について管理者裁量部分が大きくても実害はないと言ってしまえばそりゃそのとおりですが、Wikipedia:管理者に示される「なお、管理者はこれらの操作を物理的に行える利用者であり、その操作を行うかどうか決定する利用者ではありません。各操作については、方針によって使用範囲が決められており、また操作の必要性が誰の目にも明らかな場合を除き、利用者からの依頼と利用者間の合意形成を経た後に実行されます。」という管理者権限の運用全般に関する精神に照らしてみると少し問題があるのではないでしょうか。--122.18.219.134 2009年4月2日 (木) 02:40 (UTC)[返信]
コメント 個人的には2は「原則として許可するものとし、法的問題など重大な問題が懸念される場合は裁量で不許可とすることができる」くらいなら、柔軟な対応をある程度可能としつつ濫用を制限できるかな、と思います。--cpro 2009年4月2日 (木) 02:53 (UTC)[返信]
賛成 現状の「WikiJA-lでリクエストする」という方法は少々ハードルが高いように思っていましたので、導入は好ましいことのように思います。管理者権限をどこまで持たせるかについては運用しながら改善していけばよいのではないでしょうか。--Freetrashbox 2009年4月4日 (土) 00:32 (UTC)[返信]
反対 2のみ。これ以上裁量を増やすべきでない。一般ページをブロックしたと同時に会話ページも裁量で不許可とする懸念がある。(現に利用者行為については、管理者と利用者との解釈、意見の違いから裁量ブロックが頻発している。顕著な例としては昨年解任された某氏の例がある)よって 「全てのブロックで会話ページの編集は有効にしておく」ルールとし、会話ページでのブロックが必要なら現ブロック依頼・緊急ブロックの方針を適用する事を踏襲すべきと思う。--118.243.88.200 2009年4月4日 (土) 07:53 (UTC)[返信]
コメント なるほど、会話ページブロックする場合には管理者といえどもブロック依頼を通すべき、とするってことですかね?それも一案ですね。逆に、管理者裁量で緊急に会話ページブロックしなければならないようなことって何かありますかね?--Freetrashbox 2009年4月4日 (土) 08:15 (UTC)[返信]
コメント 挙げたコブシを下ろせなくなっているとき等もあるでしょうが、こういうときは管理者、第三者とも静観すれば自然と沈静化するでしょうからわざわざブロックする必要もないでしょう。緊急具体例としては、プライバシー侵害・犯罪予告などの記述が考えられるのではないでしょうか。--Qoop 2009年4月4日 (土) 09:10 (UTC)[返信]
追記:運用しながらの改善と言う件につきましては、政治献金の例もありますし(適切な例かはもうしませんが)低いハードルを自ら高くすることはなかなか進まないような気がします。--Qoop 2009年4月4日 (土) 09:15 (UTC)[返信]
反対 項目2.他の項目については賛成。提案者はまずはWikipedia:管理者のノートで裁量範囲の話し合いを持っていただきたい。個別の案件提案にて裁量範囲拡大に繋がる話を提案するのは、方針、ガイドラインの軽視に繋がり、JAWPにとって良いことではないと考えます。重視すべきは方針、ガイドラインであって変更に繋がるものはそれらノートで話し合いの場を持ち合意を得てからでも遅くはないと思います。個人ノートでの荒らし行為が発生した場合は既存の公式な方針などWikipedia:荒らしWikipedia:投稿ブロックの方針にて対処がすでに可能となっています。--Justia 2009年4月4日 (土) 09:42 (UTC)[返信]
運用案(2)

皆さんのコメントを元に運用案の2を修正した案を以下に提示します。2については、たしかにそこまで配慮しておくべきでした。引き続き、賛否並びにコメントをお願いします。--miya 2009年4月4日 (土) 11:54 (UTC)[返信]

運用案(2)(修正案)
  1. ブロック行使の画面に、「ブロック中の自身の会話ページ編集」を許可するかどうかのオプションが追加される。
  2. (修正箇所)管理者がブロックをかける際、「ブロック中の自身の会話ページ編集」のオプションは原則として「許可」するものとする。ただし特に問題がある場合は、例外として「不許可」とすることができる(以下に例示)。
    1. ブロック依頼などで合意が出来ている場合。
    2. 明らかな目的外利用・荒らし行為などが続く場合。
    3. プライバシー侵害・犯罪予告・法的問題など重大な問題が懸念される場合。
  3. 一般利用者が必要と判断した場合は、Wikipedia:管理者伝言板/投稿ブロックで依頼する。(セクション名:「#ブロック中の自身の会話ページ編集」など)
  4. 以前にブロック依頼で不許可が決まっていた場合、伝言板に出しても対処されない場合などは、必要に応じて投稿ブロック依頼で改めて提案する。
  • コメント Miyaさんに質問です。会話ページの編集について、一切の例外なく許可するとした場合、どのようなリスクが想定されるでしょうか。また、そのリスクはWikipedia:保護の方針で当該会話ページを保護することで回避不可能なものでしょうか。--Tamago915 2009年4月4日 (土) 13:07 (UTC)[返信]
    • 追記。いくつか認識にずれがあるようなので。荒らしや犯罪予告を会話ページになされたとして、それがどのような不利益を誰に与えるのか、ということです。記事本文や他人の会話ページに荒らしがあるのと異なり、影響は限定的なのだから、気づいた人が差し戻すだけで十分なのではないでしょうか。--Tamago915 2009年4月5日 (日) 15:19 (UTC)[返信]
賛成 会話ページならやり取りを一括して読む事ができるし、ブロック対象の編集者に関心のある人だけ見に行けばいいので、MLより便利だと思います。この修正案なら管理者に裁量の余地がないので、運用しても問題はなさそうですね。--Game-M 2009年4月5日 (日) 02:19 (UTC)[返信]
  • 反対  なんで、管理者の裁量で不可にしようとしたり、今回のように無用な条件付きとするのか?「ブロック依頼などで合意が出来ている場合。」「明らかな目的外利用・荒らし行為などが続く場合。」というのは、そもそも<第一段目>のブロックが合意によりかかった時点で、<そのブロック被依頼者が悪者だ>みたいな雰囲気が限定されたその場の参加者によって形成されておる場合がほとんどで、ついでにノートでも口をふさいでしまおう文句があるならMLでと、現在の状態たいして変わらない運用が容易に想像できる。「明らかな目的外利用」って、この<明らか>ってのもブロック依頼の合意と別に記述している、ってことは要するに管理者裁量なわけでしょ?たいして「修正案」になっていないので当然反対。以下修正案
運用案(3)(修正案)
  1. ブロック行使の画面に、「ブロック中の自身の会話ページ編集」を許可するかどうかのオプションが追加され、これは原則「許可」にする。
  2. ただし特に問題がある場合は、例外として「不許可」とすることができる(以下に例示)。
    1. プライバシー侵害・犯罪予告・法的問題など重大な問題が懸念される場合。
  3. 一般利用者が必要と判断した場合は、Wikipedia:管理者伝言板/投稿ブロックで依頼する。(セクション名:「#ブロック中の自身の会話ページ編集」など)
  4. 以前にブロック依頼で不許可が決まっていた場合、伝言板に出しても対処されない場合などは、必要に応じて投稿ブロック依頼で改めて提案する。

上記罫線囲み修正--219.2.131.194 2009年4月5日 (日) 05:47 (UTC)[返信]

ブロック依頼などで合意が出来ている場合。明らかな目的外利用・荒らし行為などが続く場合。というのは、そもそも「第一段目」のブロックが合意によりかかった時点で、そのブロック被依頼者が悪者だ、みたいな雰囲気が限定されたその場の参加者によって形成されておる場合がほとんどで、ついでにノートでも口をふさいでしまおう、文句があるならMLでと、現在の状態たいして変わらない運用が容易に想像できる。明らかな目的外利用、って、この明らか、ってのもブロック依頼の合意と別に記述している、ってことは要するに管理者裁量なわけでしょ?明らか、っていうのも管理者裁量の明らか基準なので、たいして「修正案」になっていないので当然反対。--121.84.144.173 2009年4月5日 (日) 05:05 (UTC)[返信]

--121.84.144.173 2009年4月5日 (日) 05:05 (UTC)[返信]

  • 反対 運用案(2)に反対。121.84.144.173氏の仰るとおりです。なぜ管理者裁量を担保する必要があるのでしょうか。裁量ブロックの多発などを見るに付け危惧を感じています。Wikipedia:管理者において管理者はこれらの操作を物理的に行える利用者であり、その操作を行うかどうか決定する利用者ではありません。がなぜ最初に述べられているのかという事実を考えて欲しいと思います。
  • 賛成 運用案(3)に賛成。ただし、2の1項にある「プライバシー侵害・犯罪予告・法的問題など重大な問題が懸念される場合。」が多少気になります。現在の管理体制でも「事実が起きたあと」対処されており、あらし行為を除き「懸念される状態」では対処されてない気がします。--219.2.131.194 2009年4月5日 (日) 05:47 (UTC) 取消線は運用案(4)に賛成の為--219.2.131.194 2009年4月5日 (日) 08:28 (UTC)[返信]
  •  (再度修正しようとした矢先にコメントがついたので)以下修正案--121.84.144.173 2009年4月5日 (日) 06:07 (UTC)[返信]
運用案(4)(修正案)
  1. ブロック行使の画面に、「ブロック中の自身の会話ページ編集」を許可するかどうかのオプションが追加され、管理者はこれを例外なく「許可」にする。
  2. 以下の場合のみ、「ブロック中の自身の会話ページ編集」は管理者により「許可」から「不許可」へ変更される。
    1. その後、被ブロック者が自身の会話ページの明らかな目的外利用を継続し、複数回の警告にも関わらず、なお事態が改善されないとみなされた場合のみ、「ブロック中の自身の会話ページ編集」を不許可、つまり完全ブロックをこの正当な理由をもってのみ、一般の利用者が依頼することができる(Wikipedia:管理者伝言板/投稿ブロック)。このブロック依頼で合意形成が図られれば、管理者は「ブロック中の自身の会話ページ編集」を「許可」から「不許可」へ変更する。
    2. その後、プライバシー侵害・犯罪予告・法的問題など重大な問題が「ブロック中の自身の会話ページ編集」にあった場合、それは発見者がすみやかにRVし、例外的に管理者は管理者裁量によりただちに「不許可」とすることができる。
  3. 本運用以前の被ブロック者について、MLにて本人のリクエストなどがあれば、原則管理者は積極的に「許可」する。また一般利用者が必要と判断した場合は、Wikipedia:管理者伝言板/投稿ブロックで依頼する(セクション名:「#ブロック中の自身の会話ページ編集の許可」など)。伝言板に出しても対処されない場合などは、必要に応じて投稿ブロック依頼で改めて提案する。
賛成 そこまでガチガチに定義する必要まではないような気もしますが、運用案(4)でも構いません。原則としては「許可」という骨子でいいと思います。--Game-M 2009年4月5日 (日) 09:55 (UTC)[返信]
  • 反対 2の1について、「複数回の警告にも関わらず、なお事態が改善されないとみなされた場合のみ」ではなく、明らかな目的外利用を継続した時点で十分。--122.29.94.16 2009年4月5日 (日) 13:30 (UTC)[返信]
  • コメント どっちみち最初は仮運用でしょうから、シンプルに「管理者裁量では被ブロック者の会話ページをブロックしない」「コミュニティの合意があれば、被ブロック者の会話ページを解除またはブロックできる」「重大な問題がある場合に限り会話ページに関しても管理者裁量で緊急ブロックできる」ぐらいにしませんか?あんまり細かく決めようとすると意見がまとまらなくて、結局「合意が得られなかったから取りやめます」ということになる予感がします。--Freetrashbox 2009年4月5日 (日) 14:11 (UTC)[返信]
Freetrashboxさんに同意します。そこまでガチガチに決める必要はないかと。--青子守歌会話/履歴 2009年4月5日 (日) 18:02 (UTC)[返信]
運用案(5)(シンプル版)
便宜上、シンプル版に(5)というナンバーを振りました。--miya 2009年4月21日 (火) 14:56 (UTC)[返信]

というわけで、ゴタゴタしたものではなくすっきり以下のように簡単にしてはどうでしょうか。

運用案(シンプル版)
  1. 管理者は、投稿ブロック依頼中で会話ページの編集を禁止する合意が出来ている場合を除き、必ず「ブロック中の自身の会話ページ編集」を許可にする。
  2. 問題投稿が繰り返される場合は、WP:PPol#保護をかけてもよい場合-3によって会話ページを編集保護することによって対処する。

これで十分実用に耐えると思うのですが、いかがですか?(追記)その他細かいことは、とりあえず運用してみて問題が出てきたときにその状況に合わせて考えてみればよいかと思います。--青子守歌会話/履歴 2009年4月5日 (日) 18:34 (UTC)[返信]

賛成 ツボは抑えているので、この案でも十分実用に耐えると思います。--Game-M 2009年4月5日 (日) 18:30 (UTC)[返信]
コメント 青子守歌様 お疲れ様です。シンプル案のご提案ありがとうございます。リンク先の方針を読ませていただきました。率直に意見を述べさせていただきます。
この運用変更は、ブロック対象者がブロック対処後に最後に自分の意見を述べる救済処置のような意味合いを含むと思われます。(もっともMLでの意見表明もありますが、第三者がWEB上でブロック対象者の意見を確認できる意味が重要です)さて、そこでリンク先の文章を拝見しましたが、最初に「次のような場合、管理者はページを一時的に保護してもよいものとします。」とあります。私が思うには、この最終段階で、ブロックという行為が正当とされるにはコミュニティの総意をもって担保されると言うことが重要ではないでしょうか。そこで、何らかのコミュニティの総意という意味を持たせるために以下の記述はどうでしょう。
運用案 (5-1)(シンプル版修正案1)
運用案(シンプル版の一部変更提案)
  1. 管理者は、投稿ブロック依頼中で会話ページの編集を禁止する合意が出来ている場合を除き、必ず「ブロック中の自身の会話ページ編集」を許可にする。
  2. 問題投稿が繰り返される場合は、投稿ブロック#投稿ブロックの対象となる行為の方針に基づきコミュニティの総意で対処する。
  3. 上記例外として、プライバシー侵害・犯罪予告・法的問題など重大な問題があった場合は管理者裁量によりただちに投稿ブロックとすることができる。

なお、起案者のmiya様が述べられていますように「WikiJA-lへの投稿者とウィキペディア上のアカウントの同一性を確認する必要性」の件は大変重要な意味合いを保つと思われますので、是非この起案を実現させたく思っております。
以上です。検討よろしくお願いします。--219.2.131.194 2009年4月5日 (日) 19:02 (UTC)[返信]

反対 しかし一個上の青子守歌案よりは改善。だから、この「投稿ブロック依頼中で会話ページの編集を禁止する合意が出来ている場合を除き」って部分で、どうせ投稿ブロックという結論になる場合に、その場の少数メンバーにより「悪い奴だから会話ページもついでにブロックしちゃえ」となる可能性が高いから、この部分でザル法になる。第二項に、問題投稿が繰り返される場合とあるのだから、以下。--119.228.164.45 2009年4月5日 (日) 21:10 (UTC)[返信]
運用案(5-2)(シンプル版修正案2)
運用案(シンプル版の一部変更提案2)
  1. 管理者は、必ず「ブロック中の自身の会話ページ編集」を許可にする。
  2. 問題投稿が繰り返される場合は、投稿ブロック#投稿ブロックの対象となる行為の方針に基づきコミュニティの総意で対処する。
  3. 上記例外として、プライバシー侵害・犯罪予告・法的問題など重大な問題があった場合は管理者裁量によりただちに投稿ブロックとすることができる。
コメント 修正案は2つとも、文章がおかしい。2の「対処する」および3の「上記」の内容が不明ですし、3の「投稿ブロックとすることができる」はすでに投稿ブロックとなった利用者に対して何を行うのかわかりません。そして、論点は以下の3つのはずですが、2以下の2点が消えています。
  1. 投稿ブロック依頼で会話ページの編集を禁止することを決定することを認めるかどうか。
  2. どのような場合に、会話ページの編集を禁止するべきか。
  3. 会話ページの変種を禁止する際、保護の方針に従って編集保護を行うのは適切か。
1については、修正案を提示されたお二方の意見に同意し、認めるべきではないと考えます。--Tamago915 2009年4月6日 (月) 01:00 (UTC)[返信]
コメントシンプル案では、確かにせっかくその詳細をつめた部分を過剰にばっさりやっている点が問題です。実用に耐えるというためには、最低限ふたつ、(1)投稿ブロック依頼中に会話ページの編集も禁止するオプションというこのルールの存在価値を皆無にするような抜け道を与えない。(2)管理者裁量による会話ページの編集の禁止行為を厳しく制限しておく。
ブロック関連って性善説で甘く設定しておれば、必ず暴走するケースがでてきてルールが破綻あるいは混乱をきたすのが予想できるので、この二点は最低限必須だと思います。
会話ページの編集を禁止する手段として保護の方針を利用するのは、(2)の観点でまずい、理由は保護って現状でもコミュニティ合意が必須ではなく多分に管理者裁量による執行が可能だからです。
あと、ちょっとオイタをすれば、即刻この最後の手段も封じ込められる姿勢は崩すべきではない、というようなむきも一部感じますが、そういうのは意味ない。なぜなら「最悪荒らされても自身の会話ページだけなので被害はないだろう」っていう前提があるからこそ、このルールなんだから。この辺はMLに準じたゆるさを用意するくらいの基準、むしろ「ブロック中の自身の会話ページ編集」というのはきっちり守られた権利、よほどでないと封じられないくらいの保証を与えておかないと、被ブロック者については何をやっても許されると思っている利用者も実際おられるようだし、性善説が結果信じられなかったという過去の例からも機能不全というか、あってもないのと同じのザル法に陥ることは明白です。
運用案 (5-3)(シンプル版修正案3)
運用案(シンプル版の一部変更提案3)
  1. 管理者は、必ず「ブロック中の自身の会話ページ編集」を許可にする。
  2. 被ブロック者が自身の会話ページの明らかな目的外利用を継続し、警告にも関わらず事態が改善されない場合は、利用者は「ブロック中の自身の会話ページ編集」を「不許可」にするためのWikipedia:投稿ブロック依頼をすることができる。この依頼で合意形成が図られれば、管理者は「ブロック中の自身の会話ページ編集」を「許可」から「不許可」へ変更する。
  3. プライバシー侵害・犯罪予告・法的問題など重大な問題が「ブロック中の自身の会話ページ編集」にあった場合のみ、管理者は裁量によりただちに「許可」から「不許可」へ変更することができる。

--119.228.164.45 2009年4月6日 (月) 05:43 (UTC)[返信]

「原則許可」「合意によるブロック」「重大な問題による緊急ブロック」の3点が守られてますし、これでもいいと思います。というか、そこまでつめていっても仕方ないので、そろそろゴールを見据えませんか・・・?--青子守歌会話/履歴 2009年4月6日 (月) 06:32 (UTC)[返信]
というか、当初のシンプル案では、「合意によるブロック」「重大な問題による緊急ブロック」がすでに書いたように担保されていないということですね。あと「原則許可」でなく「例外なく許可」ですね。セーフティネットは「合意によるブロック」「緊急ブロック」の事後対応として組み込まれています。つめるというか、最低限の抜け道は閉じておくべきだし、わざわざ問題がおこりそうな部分をあいまいに放置して運用にまわすことはないと思いました。--119.228.164.45 2009年4月6日 (月) 06:52 (UTC)[返信]
賛成 提案3。 219.2.131.194=Safari(ID取得)です。シンプル版の一部変更提案3で試運用でいかがでしょう。最後の発言担保ですので、どなたにも解釈の揺るぎがない事も必要ですね。--Safari 2009年4月6日 (月) 07:44 (UTC)[返信]
賛成 そこまできっちり抜け道をふさぐというのなら、シンプル版の一部変更提案3の3.に「既存のいずれかの方針に該当する重大な問題が~」と補足すべきでしょう。それ以外はこの提案でいいと思います。--Game-M 2009年4月6日 (月) 09:39 (UTC)[返信]
「会話ページの明らかな目的外利用」というのは、どういったことを指すのでしょうか。「明らかな」という言葉を、仮に文字通りの意味に受け取れば、ウィキペディアの目的は何か、利用者の会話ページの目的は何かということが完全に明確であるとはいえない以上、およそこの理由で投稿ブロックになるということはまずありえないということになりそうです。また、仮に文字通りの意味に受け取れば、目的外利用であることが明白なのですから、コミュニティで合意形成を行おうと、管理者裁量で判断しようと結論が変わるはずがなく、すでに進行中の逸脱行動を停止させるまでに手続き的負担をかけ、時間をかける理由がわかりません。
もっとも、「明らかな」を文字通りの意味に受け取り一般論として「明らかな」の境界線が分からないとしても、個別事情によっては、例えばそれまで何の話題にもなっておらず、相互に何の関連もない商品の広告を出し宣伝を始めるなどすれば、それは「明らかな」目的外利用といえるかもしれません。しかし、そういった極端な場合だけに、「ブロック中の自身の会話ページ編集」の「不許可」を限定するのは、あまり合理的ではないように思います。
結局、「明らかな」を文字通りの意味に受け取るのはあまり合理的ではなく、「明らかな」のその意味があまり定かではありません(例えば、独自研究の人種差別的な投稿を繰り返すという理由で投稿ブロックされた人が、自分の主張が正当であることを説明しようとして根拠も示さずに延々と持論を展開し続けた場合に、これは「明らかな」目的外利用なのでしょうか)。
そのため、「明らかな」の文言を外すことを提案いたします。--mizusumashi月間感謝賞を応援します) 2009年4月6日 (月) 12:07 (UTC)--提案撤回:2009年4月6日 (月) 15:17 (UTC)[返信]
文字通りであろうが一般論であろうが、それはある利用者が主観で判断し、ブロック依頼を提出するまでの内面の作業なんだから、ここをそうやって厳密に詰めるのはたいして意味がないですね。「だれかがブロック依頼を提出するための要件を定める法律を言葉の意味に注意して厳密に定める」みたいな作業をいちいちこまごままじめにやってたらまとまるもんもまとまるはずがないし。要するに、個人ベースでも「明らか」と思えないようであれば、ブロック依頼提出という次のフェイズに進めるアクションを牽制する程度の役割だろうし、それはそれで役割がある言葉なのであえてはずす必然性もないしメリットも見いだせない。どの道、最後にはブロック依頼でのコミュニティの合意によりレバーが二者択一的に倒されるのだから、この部分、第一段階の個人の内面作業のとっかかりとなる形容詞をつけるかつけないか、とかウェイトは小さいし、個人的には提案却下票ですが、どうしてもということで、他の方もないほうがいい(その妥当性は私はみいだせないが)という意見が大勢を占めるようであればどちらでもいいと思います。--119.228.164.45 2009年4月6日 (月) 13:29 (UTC)[返信]
「それはある利用者が主観で判断し、ブロック依頼を提出するまでの内面の作業なんだから」というのは、投稿ブロック依頼を提出にせよ、それに賛成意見を投ずるにせよ、納得しない人がいるかもしれないが私にはこれは明らかだと考えれば、それで提出・賛成の根拠として十分だということでしょうか? 「明らか」という言葉がそういう意味であることがここで確認できるのであれば、少しミスリーディングではあると私は思うものの、「明らか」という言葉を外すことを強硬に主張するつもりはありません。--mizusumashi月間感謝賞を応援します) 2009年4月6日 (月) 14:27 (UTC)[返信]
そのとおりです。現にブロックの方針でそれなりに細かく要件が規定しており、本人はその要件に即してブロック依頼提出しているつもりでも、反対票圧倒でブロックならずというのはめずらしいことではありませんね?現にあなたは上で<それは「明らかな」目的外利用といえるかもしれません>とコメントされており、あなたなりの明らか度ってものがあるってことですね。ここで何を確認しようが、それ以前にすでに「明らかな」という言葉によりそれ相応の判断がでてきた、ってことはミスリーディングでもなんでもなくちゃんと機能してるってことです。--119.228.164.45 2009年4月6日 (月) 14:42 (UTC)[返信]
分かりました。納得しない人がいるかもしれないが私にはこれは明らかだと考えるので十分であるということであれば、提案を取り下げます。--mizusumashi月間感謝賞を応援します) 2009年4月6日 (月) 15:17 (UTC)[返信]
広告宣伝をはじめるようなよほどのケースのみが明らかなケースと扱われて、ブロック相当となるならば、安易に最後の手段を封じることを牽制するという意味で私にはむしろ合理的に思える。あまり合理的でないように思います、との見解はこのルールによるNGハードルを下げようという意味では同意しかねるし、繰り返すが、最悪荒らされても個人ページに収まるからそこだけ穴をあけようよというルールにおいて、よほどのことがないとその穴はふさがれない、と担保する意味でも「明らか」くらいの形容詞で牽制されていて当たり前なんじゃないの?とは思う。--119.228.164.45 2009年4月6日 (月) 13:55 (UTC)[返信]
ウィキペディアに投稿することは権利ではないため、投稿ブロックへの抗議の「最後の手段」を用意しなくてはならないということはありません。合理的に考えて投稿ブロック解除の見込みがまずないと言えるような場合にまで、ブロック中の自身の会話ページ編集を不許可とすることを「明らか」という言葉で牽制することが、どうウィキペディアの利益になるのでしょうか?--mizusumashi月間感謝賞を応援します) 2009年4月6日 (月) 14:27 (UTC)[返信]
 どっちにしろプロジェクト発足時とほぼ同時にMLでの発言権は最初から担保されているじゃないですか。あなたが何をもってウィキペディアの利益だとおっしゃりたいのかわかりかねるが、誤認ブロック、手続き上の不備、公平性の欠落という不完全性がある以上、どの参加者の発言を完全に封じるというようなことは常識的に考えてまずかろうと思うんですが、それは私の常識なので共有してもらうためにここで議論するつもりもありません。--119.228.164.45 2009年4月6日 (月) 14:42 (UTC)[返信]
119.228.164.45さんのご意見にすべて賛同するわけではありませんが、「明らかな」の文言を外すという私の提案も取り下げましたし、この話をこれ以上つづけることも生産的ではなさそうですから、ここで中断したいと思います。--mizusumashi月間感謝賞を応援します) 2009年4月6日 (月) 15:17 (UTC)[返信]
確認ですが、シンプル版の一部変更提案3での「許可」から「不許可」への変更の合意と言うのはWikipedia:投稿ブロック依頼で行うのでしょうか?(そもそも「ブロック依頼」と言う言葉もおかしな気がしますが)現状の規定だとどこで合意をするのかが分かりません。以上の署名の無いコメントは、123.48.101.148(会話履歴)さんによるものです。Kazusan(会話:投稿記録)による補記。
わざわざ提案4にするまでもない確認なので、一部変更提案3の「ブロック依頼」という部分をWikipedia:投稿ブロック依頼に置き換えておきました。--119.228.164.45 2009年4月9日 (木) 03:05 (UTC)[返信]
反対 たとえば犯罪予告など、ほとんど明白に刑事罰の対象となるケースで、被ブロック者との対話により何かが解決することはありません。一方で、会話ページに同様の犯罪予告をまた投稿されれば、通報や特定版削除といった運営上の負担が増えます。このようなケースでも必ず許可し、会話ページでもう一度問題が起きるまで座視せよとする「シンプル版の一部変更提案3」には明確に反対します。
犯罪予告に限らず、裁量を全く否定するというのは、前例のない緊急の問題に柔軟に対応することができないということです。賛成されている方は、このルールを採用することによりどのような影響があるかもう一度ご考慮いただけますでしょうか。
なお、提案者は「ブロックされているアカウントユーザーのブロック破りの疑い」として先日ブロックされています。--cpro 2009年4月20日 (月) 08:12 (UTC)[返信]

(ブロック逃れユーザによる発言を、議論正常化のためコメントアウトしてあります。--cpro 2009年4月21日 (火) 05:57 (UTC)[返信]

コメントアウトされていますが、その内容には首肯できるものがあります。少なくとも、本件に関して裁量を認めないことによる影響は見いだせません。cproさんも具体的な影響を指摘できていませんし、現状(被ブロック者が自身の会話ページを編集できない)でも発生していることと同じことが起こるだけではないでしょうか。
また、「前例のない緊急の問題」なら、おそらくここで議論している範囲に収まらないので、検討する意味はないと思います。まさしく杞憂だと思いますよ。--Tamago915 2009年4月21日 (火) 15:28 (UTC)[返信]
意見を取り消させていただきました。私の会話ページでも指摘がありましたが、お手数をおかけし申し訳ありませんでした。--Tamago915 2009年4月22日 (水) 15:49 (UTC)[返信]

コメント 犯罪予告等をする方は、自分から足が付く可能性を増やす事になりますので、同じノートに再度記入することは余程無知か、わざと捕まりたい方でしょう。miyaさんがここのノートページで実際の運用検討事項を作られてます。ご覧になってみて下さい。--Qoop 2009年4月21日 (火) 05:23 (UTC)[返信]

コメント 犯罪予告をするような方にそのような健全な判断力を期待しても仕方ないと思います……。ノートについては気付いていませんでした。お知らせありがとうございます & miyaさんまとめありがとうございます。--cpro 2009年4月21日 (火) 05:57 (UTC)[返信]
「のみ」や「必ず」をつけると、ガイドライン的文章としては硬直してしまうので、「必ず」を「原則として」に置き換え「のみ」を削るのではいかがですか。--miya 2009年4月21日 (火) 14:56 (UTC)[返信]
運用案(5-4)(シンプル版修正案4)
  1. 管理者は、必ず原則として「ブロック中の自身の会話ページ編集」を許可にする。
  2. 被ブロック者が自身の会話ページの明らかな目的外利用を継続し、警告にも関わらず事態が改善されない場合は、利用者は「ブロック中の自身の会話ページ編集」を「不許可」にするためのWikipedia:投稿ブロック依頼をすることができる。この依頼で合意形成が図られれば、管理者は「ブロック中の自身の会話ページ編集」を「許可」から「不許可」へ変更する。
  3. プライバシー侵害・犯罪予告・法的問題など重大な問題が「ブロック中の自身の会話ページ編集」にあった場合のみ、管理者は裁量によりただちに「許可」から「不許可」へ変更することができる。
運用案(6)

運用案(5)とその修正案には、「不許可」を「許可」に変える方法が明示されていません。保護ならブロック期間と異なる期間設定ができるのだから、一時的な保護で対処できるケースも有るかもしれません。ということで、あらためて運用案(6)を提案します。--miya 2009年4月21日 (火) 14:59 (UTC)[返信]

運用案(6-1)
  1. 管理者は、原則として「ブロック中の自身の会話ページ編集」を「許可」としてください。
    • プライバシー侵害・犯罪予告・法的問題など重大な問題が原因でブロックする場合など、「不許可」とせざるをえない場合もあります。
  2. 当人以外の一般利用者が、特定被ブロック者の会話ページについて「許可・不許可」を変更するべきと考える場合、「ブロック依頼」で提案できます。この依頼で合意が形成されれば、管理者は「ブロック中の自身の会話ページ編集」の「不許可・許可」を変更するでしょう。
    • 「不許可」とした場合、特に切り替えない限りそのブロック期間中ずっと「不許可」の状態が続きます。一時的に不可とするだけでよい場合は「不許可」とするよりも保護をかけてもよい場合-3によって会話ページを編集保護するほうが適切ではないか、検討してください。
賛成 ただし、1によって編集を不許可とする場合は、管理者はその事由を含めた追認依頼を速やかに(ブロック後30分以内をめど)提出することを義務としてください。その条件で賛成いたします。--Tamago915 2009年4月21日 (火) 15:31 (UTC)[返信]
(コメント)ええと、諸方面への通報連絡に追われているとき(通報は電話を一本かけて済むような生易しいものではありません)や、影武者系のような明らかな長期荒らしの場合でも、いちいち追認依頼を出せとおっしゃるわけですか。--miya 2009年4月21日 (火) 16:04 (UTC)[返信]
そういうことになります。雪玉条項もありますし、形式だけでも出していただければと考えています。あるいは、「誰々系の長期荒らしについては、今後会話ページでの編集を認めない」ということで合意を取れれば、その限りではありません。
通報の手続きが面倒なのはその通りだと思いますが、こちらの追認依頼は(表現はよくないですが)片手間でできないものですか。できないのであれば、片手間で済むように追認依頼のフォーマットを簡略化するなど、手続きの方向で検討したほうがよいのではないかと思います。--Tamago915 2009年4月22日 (水) 00:16 (UTC)[返信]
賛成 裁量ブロックの追認依頼に準じて、追認依頼の提出は1週間以内にした方が適切かと考えます。追認依頼の手続きに即時対応できないために編集不許可対応に二の足を踏んでしまう危険性を考慮すると30分は短すぎると考えます。--Himetv 2009年4月22日 (水) 00:27 (UTC)--誤字修正--Himetv 2009年4月22日 (水) 15:57 (UTC)[返信]

運用案(6)の1.にて「不許可」にせざるを得ない場合の方針根拠を追加。

運用案(6-2)
  1. 管理者は、原則として「ブロック中の自身の会話ページ編集」を「許可」としてください。
  2. 当人以外の一般利用者が、特定被ブロック者の会話ページについて「許可・不許可」を変更するべきと考える場合、「ブロック依頼」で提案できます。この依頼で合意が形成されれば、管理者は「ブロック中の自身の会話ページ編集」の「不許可・許可」を変更するでしょう。
    • 「不許可」とした場合、特に切り替えない限りそのブロック期間中ずっと「不許可」の状態が続きます。一時的に不可とするだけでよい場合は「不許可」とするよりも保護をかけてもよい場合-3によって会話ページを編集保護するほうが適切ではないか、検討してください。

格別ここで裁量を新たに設定するなどのレアケースが必要な案件とも思われません。Wikipedia:投稿ブロックの方針/改定案#利用者を危険にさらす個人攻撃(他の利用者の安全を脅かす攻撃)訳注: 現在の日本語版ウィキペディアでは、Wikipedia:追放の方針は草案の段階です。これが正式化するまでは、旧来のブロック依頼を準用します。とあり、Wikipedia:投稿ブロックの方針#即時投稿ブロック手続きにはすでに管理者裁量に関する方針が明記されていますので、ここの運用案にて、新たに方針に基づかない裁量範囲を決めることが必要であるのか?と、大きく疑問を挙げておきます。裁量範囲を個別案件の提示にて新たに設定することは、方針の軽視に繋がり、かつ混乱を生じる元となりえます。裁量範囲の変更が必要なのであれば、まずはWikipedia:投稿ブロックの方針#即時投稿ブロック手続きに関する話し合いを該当ノートにてお進めいただき、その結果が出てからでも遅くは無いのではないか?と提示します。追認依頼提出の時間はともかく、犯罪予告などに関するブロックは該当ページの削除などが行われて、抗弁などが不可能となる利用者ページを同時に「不許可」を行った場合、管理者でなければ確認が出来なくなることは明らかと思われますので、ブロックした管理者がWikipedia:投稿ブロックの方針#即時投稿ブロック手続きの規定の元に、追認依頼を提出する必要はあるでしょう。長期荒らしの場合でも行われてきていた報告や追認依頼をここで別に規定し、行う、行わないと決めるべきではなく、粛々と既存の方針の下に今までと同じに方針に従った報告や追認依頼を行うことこそが、方針を遵守ではないでしょうか?--Justia 2009年4月21日 (火) 17:13 (UTC)(追記)プライバシー侵害・犯罪予告・法的問題など重大な問題が原因で即時ブロックする場合などは、すでに即時ブロックの手続きの方針により、追認依頼の提出が規定されていましたね。ここで懸念されている裁量が必要なほどの即時ブロックを行うことについては「不許可」にするに関係なく追認依頼を行う必要が発生するわけですし、ここで追認依頼をすべきかどうかは、検討する必要は無いようです。--Justia 2009年4月21日 (火) 17:29 (UTC)[返信]

(ブロック逃れユーザによる発言を、議論正常化のためコメントアウト。)--海獺 2009年4月21日 (火) 22:22 (UTC)[返信]

運用案(6-2)をノートに転記しました。また、ノートにまとめを置いておくと、通常ノートに書くような議論の場所がなくなるので、運用案と検討事項のまとめは Wikipedia‐ノート:井戸端/subj/「ブロック中の自身の会話ページ編集」を可能にする提案/まとめに移動しました。
初案を提示する段階では、$wgBlockAllowsUTEditを導入すること(というか、この設定を"on"にすること)そのものをコミュニティから却下される可能性や、導入はしても「原則不許可とすべき」という意見がでる可能性があったためおっかなびっくりでしたが(初案が「原則許可」とも「原則不許可」ともしていなかったのはそのためです)、少なくとも「却下」や「原則不許可」方向の意見がでることもなく、Bugzilla申請まで無事にたどり着けました。
次の方向としては、会話ページ編集をブロック解除にどうつなげるか、ということになると思います。すぐ思いつくこととしては、英語版からen:Wikipedia:Appealing a blocken:Wikipedia:Guide to appealing blocksen:Template:Unblocken:Category:Requests for unblockなどを導入することでしょうか。しかし、これはen:Wikipedia:Appealing a blockを翻訳してWikipedia:投稿ブロック解除の方針(案)を作り、そのノートで議論すべきことかもしれません。--miya 2009年4月21日 (火) 23:34 (UTC)[返信]
英語版から移入するのが合理的だと思います。文書名としては、解除の方針ではなく、ブロックへの異議申し立ての方法を述べているものだと思いますのでその方向の名前が良いと思います。--Aotake 2009年5月9日 (土) 15:19 (UTC)[返信]
英語版からの移入に賛成です。ただ、設定項目変更そのものの話題ではないので、続きはこのページのノートでいかがでしょうか。--miya 2009年5月14日 (木) 07:15 (UTC)[返信]
とりあえず、ページ名は英語のままWikipedia:Appealing a blockを翻訳しました。そちらのノートで内容、ページ名などをつめればよいのではないかと思います。よろしくお願いします。--Aotake 2009年5月15日 (金) 23:57 (UTC)[返信]

POLL

合意確認のための意見調査:POLL whether to adopt "$wgBlockAllowsUTEdit"
Bugzilla依頼に備えて、セクション名を短くしました。--miya 2009年4月9日 (木) 22:53 (UTC)[返信]

ここまででも導入自体には賛成ばかりで反対意見は出ていないと思いますが、もし日本語版コミュニティが導入に反対多数なら、運用案を検討するのは時間の無駄となりますので、運用案の検討と並行して、「BlockAllowsUTEditを日本語版に導入すること」自体に合意があることについて、「意見調査 (POLL)」の形での確認をお願いしたいと思います。

導入に関してコンセンサスができているかどうか、日本語が読めない開発者の方にも分かっていただけるように、アイコンを用いた投票形式(POLL)で賛否表明してください。--miya 2009年4月6日 (月) 04:53 (UTC)[返信]

導入自体には賛成 (Support)

If you support to adopt $wgBlockAllowsUTEdit, sign here.
賛成の場合、「# {{賛成}}--~~~~」で賛成表明してください。
  1. 賛成 --青子守歌会話/履歴 2009年4月6日 (月) 06:32 (UTC)[返信]
  2. 賛成 --Safari 2009年4月6日 (月) 07:45 (UTC)[返信]
  3. 賛成 --Game-M 2009年4月6日 (月) 09:39 (UTC)[返信]
  4. 賛成 --Justia 2009年4月6日 (月) 10:55 (UTC)[返信]
  5. 賛成 --ZCU 2009年4月6日 (月) 11:26 (UTC)[返信]
  6. 賛成 --Kazusan(会話:投稿記録) 2009年4月6日 (月) 12:02 (UTC)[返信]
  7. 賛成 --mizusumashi月間感謝賞を応援します) 2009年4月6日 (月) 12:07 (UTC)[返信]
  8. 賛成 --森藍亭 2009年4月6日 (月) 13:56 (UTC)[返信]
  9. 賛成 --Tamago915 2009年4月6日 (月) 14:13 (UTC)[返信]
  10. 賛成 --かげろん 2009年4月6日 (月) 14:45 (UTC)[返信]
  11. 賛成 --How I Learned to Stop Worrying and Hate the Bomb 2009年4月6日 (月) 16:42 (UTC)[返信]
  12. 賛成 --ろう(Law soma) D C 2009年4月6日 (月) 23:55 (UTC)[返信]
  13. 賛成 --Su-no-G 2009年4月7日 (火) 14:38 (UTC)[返信]
  14. 賛成 --co.kyoto 2009年4月7日 (火) 19:20 (UTC)[返信]
  15. 賛成 --BLAD 2009年4月8日 (水) 12:37 (UTC)[返信]
  16. 賛成 --健ちゃん 2009年4月8日 (水) 12:46 (UTC)[返信]
  17. 賛成 --Freetrashbox 2009年4月9日 (木) 00:16 (UTC)[返信]
  18. 賛成 --Ziman-JAPAN 2009年4月9日 (木) 22:05 (UTC)[返信]
  19. 賛成 --Himetv 2009年4月11日 (土) 08:47 (UTC)[返信]
  20. 賛成 --Kingofclub13 2009年4月20日 (月) 10:02 (UTC)[返信]
  21. 賛成 --Qoop 2009年4月21日 (火) 05:25 (UTC)[返信]

導入自体に反対 (Oppose)

If you oppose to adopt $wgBlockAllowsUTEdit, sign here.
反対の場合、「# {{反対}}--~~~~」で反対表明してください。

その他・コメント (Comment)

  1. ブロックされた人の抗弁の同一性を確保するために必要です。 / We need this function to identify blocked users.--青子守歌会話/履歴 2009年4月6日 (月) 06:32 (UTC)[返信]
  2. Same as 1.--Safari 2009年4月6日 (月) 07:47 (UTC)[返信]
  3. 調査投票の有資格者はどういう条件なのでしょうか?投票権について明記されていないため、少し気になっております。--かげろん 2009年4月6日 (月) 14:45 (UTC)[返信]
    今回は、「調査投票」ということから投票資格についてあえて設定しませんでした。アカウント取得のお願いに答えてくださった方にも意見表明していただくことが今後の議論を進めていく上で有益であろうと考えたからです。ただし、ソックパペットによる投票など、ウィキペディアの方針に触れる票が判明すれば、それはそれぞれの方針により排除されることになると思います。--miya 2009年4月7日 (火) 02:04 (UTC)[返信]
  4. 意見表明期間としては、Wikipedia:合意形成に従い、168時間程度(約7日間)でよいのではないかと考えています。--miya 2009年4月8日 (水) 00:26 (UTC)[返信]

今後の予定について

みなさま、賛否表明をありがとうございます。このまま賛成多数の状態が続く場合についての提案です。運用案は今のところまだ確定していませんが、確定してから依頼したとしてもすぐ開発者に対応していただけるとは限りませんので、少なくとも導入自体について合意形成できたと考えられる時点で、運用案の議論と並行してBugzillaに依頼を出してはどうかと思います。ここでの「合意形成」とは、1週間以上意見募集を継続し、その期間に寄せられた意見表明のうち、{{賛成}}が多数(75%以上)を占めている場合を想定しています。

具体的には・・・このまま「賛成多数」が続いた場合、2009年4月6日 (月) 04:53 (UTC)の提案から丸1週間たった2009年4月13日 (月) 04:53 (UTC)以降にBugzilla「ブロック中の自身の会話ページ編集」を可能にするようにMediaWikiの設定ファイルを書き換えてもらうようリクエストしておいてはどうかと思いますが、いかがでしょうか。依頼方法については、simple.wikiquote.orgの例をご覧ください。--miya 2009年4月8日 (水) 00:26 (UTC)[返信]

  1. 賛成 --Safari 2009年4月8日 (水) 06:20 (UTC)[返信]
  2. 賛成 --Game-M 2009年4月9日 (木) 01:47 (UTC)[返信]
  3. 賛成 --mizusumashi月間感謝賞を応援します) 2009年4月11日 (土) 13:13 (UTC)[返信]
コメント
ついでに、ブロック中ではない利用者の利用者ページと会話ページの作成制限を緩和してほしいのですが。 --𪚥𪚥 2009年4月8日 (水) 04:43 (UTC)[返信]
ついでどころか、全然別の話でしょう。ここに持ってくるのは場違いです。--Tamago915 2009年4月8日 (水) 14:10 (UTC)[返信]
場違いな話題のようですが、𪚥𪚥さんの会話ページが作成できないのでここでコメントします。𪚥𪚥さんの利用者ページと会話ページは技術的な制限によって作成できないみたいです。現実的には利用者名を変更するしか方法はありません。--Widehawk 2009年4月9日 (木) 11:40 (UTC)[返信]
コメント Miyaさん。それを誰がやるのですか。
提案者がここに来て丸投げするのは、あまり好ましいとは思えません。Miyaさんが直接Bugzillaにリクエストするか、どなたか英語ができて信頼できる方を指名してリクエストしていただくようお願いするか、すべきだと思います。--Tamago915 2009年4月8日 (水) 14:10 (UTC)[返信]
コメント Tamago915さん、miyaさんは丸投げしようとしているわけではないと思いますよ。私の名前で依頼してもいいのですが、正直なところsimple.wikiquote.orgの記載を見てもさっぱり意味がわかりませんでした。これを真似してsummaryを「enable $wgBlockAllowsUTEdit for ja.wikipedia.org」、URLをこの節へのURLへと変えればいいだけなのか、それとも別のところも変えないとだめなのか。Assign Toの欄に何を入れたらいいのか、とか。また、とりあえずなので英語版の機能を英語のまま移植してもらえばいいように思うんですが、それとも日本語訳を添えて依頼しないと駄目なのか(運用案が決まっていないのでその意味でも英語のまま移植してもらった方がいいと思うのですが)。--Freetrashbox 2009年4月9日 (木) 00:16 (UTC)[返信]
コメント 上記提案は、「書いてある条件を満たした場合は、miya氏がBugzillaに依頼を出す」と読めますから、その点は心配ないと思いますが?--Game-M 2009年4月9日 (木) 01:48 (UTC)[返信]
コメント それならいいのですが、「~しておいてはどうかと思います」とか、依頼方法を示すとか、自分でやるつもりなら書かない表現だと思いました。
合意が得られたと確認する前から「自分が」と手を挙げるのをためらわれたのかもしれませんが、提案者が依頼まで行うのは自然な流れであって、合理的な期限を設定しているのですから、そこを批判することは誰にもできないと思いますよ。--Tamago915 2009年4月9日 (木) 13:48 (UTC)[返信]
Bugzillaへのリクエスト方法

以下にBugzillaへのリクエスト方法を提示します。もし間違っていたらご指摘ください。

依頼はEnter BugWikimediaを選択し、Version:Unspecified; Product:Wikimedia; Component:Site Requests; Severity:Enhancement; Initial Status: NEWをチェック。Assigned toはSite Requestsを選択すると自動表示。CCとDefault CCは空欄でよいそうです。URLは、ここの調査投票へのリンク http://ja.wikipedia.org/wiki/WP:VP/BlockAllowsUTEdit#POLL を入れます(このために、セクション名を#POLLに変えて短くしました)。Summeryは "Set $wgBlockAllowsUTEdit = true on ja.wikipedia" など。本文は同種の依頼を見比べると 17987 のような簡潔な文章が開発者の方にも分かりやすそうです。

Bugzillaへの依頼について、もし誰かが手を挙げてくださったら喜んでお願いしよう、でなければ自分でと考えていました。もし英語に堪能なFreetrashboxさんがやってくださるなら、大変ありがたいです。--miya 2009年4月9日 (木) 22:53 (UTC)[返信]

コメント やるのはかまいませんが、私、別に英語得意じゃないですよ。ここまで準備してくだされば誰でもできると思いますので、誰もやる人がいなければ私がやりますし、どなたか別の方がやられてもかまいません。また、私では動作確認ができないので、どのみち管理者どなたかの協力が必要です。Bugzillaでの実施判断も、一般利用者からの依頼だと遅くなるかもしれません。--Freetrashbox 2009年4月11日 (土) 06:27 (UTC)[返信]
「一般利用者からの依頼だと遅くなるかも」ということは思いつきませんでした。さらに依頼者のUser statusという点では、一般管理者よりもビューロクラットの方がいいのかもしれません。ということで、ビューロクラットで引き受けてくださる方を探して、2009年4月13日 (月) 04:53 (UTC)までに異論が出なければBugzillaへの依頼を出してくださるようお願いしてみます。Freetrashboxさん、ややこしいことを言ってすみませんでした。--miya 2009年4月12日 (日) 02:22 (UTC)[返信]
私で宜しければ、依頼を出させて頂きたいと思いますが、宜しいでしょうか。早く対処頂けるかどうかはわかりませんが、いちおう経験者ではありますので。依頼の趣旨は allow blocked users edit their own talk pages at ja.wikipedia で、具体的な設定内容は(蛇足でしょうけども)おそらく add 'jawiki' to the 'wgBlockAllowsUTEdit' array ということになるかと思います。 --Kanjy 2009年4月13日 (月) 17:54 (UTC)[返信]
賛成  提案から丸1週間たちましたので、是非お願いしたく思います。ちなみにKanjy様利用者ページの記述「管理者ボランティア」とはどのような制度でしょうか。検索しても不明でしたので。URLをお教え下さい。--Safari 2009年4月13日 (月) 18:18 (UTC)[返信]
賛成 Kanjyさんがやって下さるなら申し分無いです。--Freetrashbox 2009年4月14日 (火) 10:25 (UTC)[返信]
Thanks, everyone. I submitted bugzilla:18484 as we have discussed here. 皆さま、有難うございます。ここでの議論に沿って bugzilla:18484 を出させて頂きました。 --Kanjy 2009年4月16日 (木) 11:13 (UTC)[返信]
コメント ありがとうございました。Bugzillaのページからも、こちらの議論を紹介するように、リンクを張っておいたほうがよいと思うのですが。--Tamago915 2009年4月16日 (木) 23:25 (UTC)[返信]
ちゃんとリンクを張りましたけど。所定の方式(URL 入力)を本節冒頭で miya さんが指示してくださっていて、そのとおりに入力しております。依頼本文の上に表示されるヘッダ部分に "URL:" という見出しがありますね。そこをクリックすれば、このページに飛びます。サイト設定変更依頼にはコミュニティの合意を提示することが必須の要件であり、それをよくご存知の miya さんは投票を呼びかけてくださったわけです。 --Kanjy 2009年4月17日 (金) 04:07 (UTC)[返信]
失礼しました。本文の部分しか見ておらず、枠内のリンクを見落としておりました。考えてみれば、リンクを張っているのが当然ですよね。軽率な指摘を行ったことに反省です。--Tamago915 2009年4月17日 (金) 13:22 (UTC)[返信]
だいぶたっても設定変更が行われていないようですが、どなたか IRC でシステム管理者にお願いした方はいらっしゃいますか?バグジラに投げただけではなかなか気付いてもらえなかったり放置されたりしがちなので、IRC でお願いした方がいいとおもいます。--Aotake 2009年5月9日 (土) 15:19 (UTC)[返信]
もしよろしければ、Aotakeさん、お願いします(少なくとも私はお願いしていません)。--miya 2009年5月14日 (木) 07:15 (UTC)[返信]
お願いしてきました。あとは関連文書・テンプレートの整備ですね。--Aotake 2009年5月14日 (木) 11:10 (UTC)[返信]
仕事早いですね~。Kanjyさん共々、GJです。--Freetrashbox 2009年5月14日 (木) 12:20 (UTC)[返信]
対処され、jawpに反映されていることを確認しました。「ブロックされる利用者に対してブロック中の自身の会話ページ編集を許可」のチェックボックスがあり、標準で選択された状態になっています。--Kurihaya 2009年5月14日 (木) 12:30 (UTC)[返信]
Aotakeさん、ありがとうございました。--miya 2009年5月14日 (木) 14:14 (UTC)[返信]
$wgBlockAllowsUTEdit日本語訳を用意してくださったMarine-Blueさん、議論と投票に参加してくださった皆さん、依頼してくださったKanjyさんとIRCでお願いしてくださったAotakeさんにあらためてお礼申し上げます。--miya 2009年5月14日 (木) 14:48 (UTC)[返信]

特別ページでブロック記録とログを見たところ、およそ、2008-09-28T10:17:02から2009-05-14T11:09:59のブロック対象者だけ「不許可」のままになっているようです。これは、この選択肢が設定項目に追加されてから、今日、日本語版で"on"になるまでの間、ということかもしれません。--miya 2009年5月14日 (木) 14:14 (UTC)[返信]

運用案策定までの当面の取扱い

機能が実装されましたが、運用案はまだ未確定です。とはいえ、投稿ブロックは行われますから、当面の取扱いを決めておきましょう。

当面は「許可」とするのは、運用案の先取りではありますが、原則許可までは合意ができていますので問題は少なそうです。逆に当面は「不許可」とするのは、現状の運用の維持ではありますが、標準設定が「許可」であるため管理者が対処時にはずし忘れるおそれがあります。私からは、「許可」を提案します。--Kurihaya 2009年5月14日 (木) 13:02 (UTC)[返信]

  • 賛成 デフォルトで「許可」とすることに賛成いたします。実際に「許可」で運用して問題が生じた場合に「不許可」とする事例を決めていけばよいと思います。またそれに伴って{{Infiniteblocked}}の文面も変更した方がよいのではないでしょうか。--Web comic 2009年5月14日 (木) 14:06 (UTC)[返信]
  • コメント昨今の方針類の受け取られ方を見るに、許可を不許可にする制度を作っておかないと、「不許可にできない」と捉えられる可能性が否めないように思います。既存の運用案を仮運用とするか、暫定的に、Wikipedia:投稿ブロックの方針#投稿ブロック後の対話プロセスに、「試験的な運用として、投稿ブロック中でも、対話や解除のアピールのため、自分の利用者ページに限り編集が可能になっています。なお、暫定的にブロック期間中の会話ページを不許可としたり、再度許可としたりする手続きは、通常のブロックの方針に準じることとします。」とでも追記しておく必要があると思います。--Ks aka 98 2009年5月14日 (木) 18:09 (UTC)[返信]
  • コメントKs aka 98さんの提案の後者に賛成です。追記付きでの「原則許可」で。残念なことですが自分に都合のよい読解をして、明示のない類推のルールを拒否される方が結構いらっしゃいますので。--ろう(Law soma) D C 2009年5月15日 (金) 00:13 (UTC)[返信]
  • コメント運用案は設定変更前に検討したものなので、おそらく不十分な点が残っていると考えられます。そのため、Ks aka 98さんの提案をもとに、Wikipedia:投稿ブロックの方針#投稿ブロック後の対話プロセスに「ブロック中の自身の会話ページ編集」に関する説明を付け加え、Wikipedia‐ノート:投稿ブロックの方針で報告しました。--miya 2009年5月15日 (金) 05:43 (UTC)[返信]
  • コメントWeb comic さんの提案に関連して。Wikipedia:Template メッセージの一覧/利用者‐会話名前空間#投稿ブロックテンプレートのいくつかに、暫定処置をしてきました。そこで思ったのですが、明らかに自身の会話ページでの投稿も許可されない場合があるのではないでしょうか。それは、無期限ブロックされた本体以外の多重アカウントと、パスワード公開したアカウントです(他にもある?)。しかし、その理由でされたブロックが誤認だった場合(誤認でなかった場合?)、ブロックされたアカウント所有者は、間違いだ、誤認だと訴えたいことでしょう。が、それは、許可できるものではありません。実際そうだという疑いが濃厚であるためにブロックされたのですから、それが真実正当なブロックであるなら、許可されるべきではありません。どうすればいいのか、このときは、誤認であるにせよないにせよ、ML のみ受付けるのも、やむを得ないことだと考えるのですが。--Mobnoboka 2009年5月16日 (土) 13:28 (UTC)[返信]
  • コメント運用案ができるまでは管理者さんそれぞれの判断にお任せでいいです。無論、早く運用案を決めてそれに則るのが望ましいです。--Freetrashbox 2009年5月16日 (土) 13:53 (UTC)[返信]
  • {{{1}}} とりあえず、広域ブロックとオープンプロクシに関しては、原則不許可で良いでしょう。簡単に理由を述べると、特にオープンプロクシに関してはそのIPアドレスの属性が問題なので、対話という概念になじまないこと、両者とも対象のページが多いために「投稿に気づかない」懸念が多分にあるためです。Tietew 2009年5月20日 (水) 07:47 (UTC) 誤認ぽいので、訂正。IPアドレスは関係ないね? Tietew 2009年5月20日 (水) 09:31 (UTC)[返信]
  • コメントTest-5などのブロックテンプレートなのですが、現在暫定的に、ブロック中においても原則として、あなたの会話ページでのみ、ウィキペディア内での投稿を受け付けていますってのが入ってるとすごく使いにくいと思うのですがいかがでしょうか。せめて、あなたの会話ページでのみ、ウィキペディア内での投稿を受け付けている場合もあります。位でいいのではないかと思います。まともじゃない相手に会話ページの編集を許可する事もないはずですから。以上、テンプレ張ってる側の意見でした。--Chatama 2009年6月28日 (日) 01:54 (UTC)[返信]

気付かずに(?)会話ページで応答してしまった利用者

気になった実例を見かけましたので報告しておきます。利用者‐会話:Naigaiの差分で、短期ブロックされた直後の利用者がブロック了承の応答をしています。従来であれば、このような応答をした人(通常ログイン状態で編集できないためIPで)は、ブロック逃れを理由にブロック期間延長をされていたものです。個人的な感想としては、善意の応答者(反省の弁や今回のように受忍する旨の発言をした人)はブロック延長せずともよいと感じていましたので、会話ページのこのような使用方法も許容してよいと思いますが、皆さんはどのようにお思いですか?--ろう(Law soma) D C 2009年5月18日 (月) 00:44 (UTC)[返信]

ログインした状態で使用が許可されている会話ページで発言しているのであれば、延長する必要はないと思います。IPで発言した場合は、また別かもしれませんけれども。--Himetv 2009年5月18日 (月) 02:05 (UTC)[返信]

html <!----> について。

編集していて<!-- -->を使った独自の研究の記述、他の執筆者への呼びかけなどをよく見かけます。私自身もネタバレを隠すときに使用していて今まであまり気にならなかったのですが、<!-- -->の使用はウィキペディアで問題は無いのでしょうか?--チンドレ・マンドレ 2009年4月1日 (水) 14:35 (UTC)[返信]

Help:ページの編集#文字飾りの中に「コメントアウトができます。」という名称で説明されています。全く問題無いと思います。--Szk7788 2009年4月1日 (水) 16:29 (UTC)[返信]
技術的には可能でも、積極的には使わない、むしろなるべく控えめに、他の方法が用意されているのならそれを使う方がよいと思います。役立つ場面があるのは事実ですが、勘違いして、じゃあ独自研究をどんどん書こう、となるとおかしな方向へ行ってしまいますから。--
>「<!-- -->を使った独自の研究の記述」
問題があると判断した記述を除去するときに、いきなり除去するのではなく、除去のコンセンサスが最終的に確認されるまでの間<!-- -->によってコメントアウトしておくというのは、全く問題ない使い方です。
しかし、独自の研究等に当たるおそれがある記述でもコメントアウトの形なら書いてよいだろうと、<!-- -->を使ってこっそり記述を追加するということであれば、本末転倒な使い方であり許されないと思います。--Dwy 2009年4月2日 (木) 08:31 (UTC)[返信]
利用者によっては、明らかに問題のある記述を削除した場合であっても「何故俺の書いた記事を消すんだ!」とカッとなって差し戻しにかかるユーザもいますからね。コメントタグを使うとうまく対象の記述を隠すことができ、編集合戦を防ぐことができます(ただしまれにそれでもノートに飛び込んでくる利用者の方もいますが)。--Beatclick-Nijiiro7 2009年4月9日 (木) 12:45 (UTC)[返信]
ネタバレや独自研究を回避しているつもりなコメントアウトはたびたび見ますね。これはコメントアウトを用いるとか用いない以前の問題かと思います。
他の執筆者への呼びかけについては問題ないと思いますし、それが本来の使われ方だと思います(編集しようとして初めてわかるわけで)。ただ、特定個人へ向けた物をたまに見ますが、これは対象の会話ページに書くべきことで、これもまた不適切だと思ってます。--EULE 2009年4月2日 (木) 16:59 (UTC)[返信]

本年度のエイプリルフールの項目について。

本年も楽しみにしておりましたが。Wikipedia:削除された悪ふざけとナンセンス
議論があったようです。利用者‐会話:Miya#エイプリルフールの項目 --118.243.64.35 2009年4月1日 (水) 18:53 (UTC)[返信]

この議論は利用者サブページに分割してWikipedia:エイプリルフールからリンクしました。--miya 2009年4月3日 (金) 05:35 (UTC)[返信]

この即時ブロック・コメント依頼・コメント即時終了の流れはどうなんだろう?

Wikipedia:コメント依頼/はるひ_20090403が出されてすぐ、即時終了となったがいったいどうなっているんだろう?1時間もたたずに利用者‐会話:アイザール#Wikipedia:コメント依頼/はるひ 20090403の即時終了についてとなっているようだ。管理者、被依頼者間で事が進んでいて、第三者の検証する余地がないのだが。

とおもったら、書いてるそばからWikipedia:コメント依頼/はるひ_20090403_その2もすぐに興されているようだ。--203.181.27.147 2009年4月3日 (金) 06:31 (UTC)[返信]

Wikipedia:コメント依頼/寝ず見 20090316をご参照ください。--Himetv 2009年4月3日 (金) 06:46 (UTC)[返信]

ウィキペディア記事の憶測記述が報道されました

『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』新アスカ・ラングレー解禁!なぜ惣流を改め式波に?(2009年4月2日 6時20分) - シネマトゥデイ

>ウィキペディアの惣流・アスカ・ラングレーの項目には、旧日本海軍の敷波(しきなみ)・海上自衛隊に因んでいると考えられる……との予測も掲載されるなど、

この報道の出典とした憶測記述は2009年3月31日 (火) 05:23時点の編集によるものと思われます。

また、同じ憶測はヱヴァンゲリヲン新劇場版2009年3月17日 (火) 09:20時点の編集と差し戻し後の2009年3月31日 (火) 05:19時点の編集で行われており、時系列で見るとこちらが初出です。

以上、ウィキニュースもどきで報告します。--Dvorak2008 2009年4月3日 (金) 11:12 (UTC)[返信]

悪用されると指摘されている記述内容は書くべきか否か

トランスポンダの記事によるものであります。 スクォークコードについて、航空従事者を名乗る方から「航空機運航に重大な影響を与える安全上の理由の為。不特定多数の者にコードを開示する理由はない、実際悪用例もあり、乗員乗客の安全確保ため、爆薬製造法や殺人の具体的方法などを詳細に記述するのと同じ」との理由でコード一覧を一部削除されております。

しかし実際にもといスクォークの悪用は電波法違反である事は(電波従事者になる際に)教育されるはずでありますし、なにぶんen:Transponder (aviation)de:Transpondercodeにおいては当該のコードが記載されております。

ただし、強引にリバート合戦を行ってしまえば記事を編集する方に多大な迷惑が掛かる事が予想される為、井戸端での相談と相成った訳ですが、意見をお聞かせ願えないでしょうか?宜しくお願い致します。--R34SkylineV-SpecⅡNür 2009年4月3日 (金) 15:04 (UTC)[返信]

他言語リンク冒頭にコロンを入れました。 By 健ちゃん 2009年4月3日 (金) 19:14 (UTC)[返信]
私は当該のことについてはよく知りませんが、それが一般に公開されていたり、容易に入手できる程度の情報であるなら、別に記述されていても何の問題も無いと思われます。ここで言う容易に入手できるとは、図書館等で調べればわかるというレベルです--EULE 2009年4月3日 (金) 18:53 (UTC)[返信]
私は上記当事者で某社の航空機運航を行っている者です。弊社操縦士より指摘があり確認すると、コードが仔細に記述されており航空機運航の観点から安全上の問題があると考え、削除を行っております。
氏は考え違いをされているようで、航空・無線従事者が本件コードを悪用する事はまずないと考えます。記載中で不特定多数の者に開示すれば、多くの人命財産が失われる危険性をも孕んでいる物もあり、航空安全という観点から判断し削除を行いました。
Wikipediaは外部にも多くの引用がある影響力の大きい媒体であり、具体事例を記載すると犯罪の助長や模倣犯を生む危険性があり、詳細は立場上述べる事ができません。氏や皆様がお考えになるよりも、重大な結果に繋がりかねない事なので削除をしたという事です。
航空機運航に係る立場から申し述べますと、氏のノートにて主張される、英語版に記載があるから、また、法律に定めがないから何をしても良いに類する考えは、あまりにも危険で身勝手な解釈であると考えます。
それが上記の「爆薬製造法や殺人の具体的方法などを詳細に記述するのと同じ」という事です。誤解を恐れずに書けば「知る必要のない人間には、知らせない」という事です。言論の自由、知る権利、Wikipediaの趣旨も当然理解しておりますしこれに反対するものでもありません。
しかし、マニアやファンの間では当然の事実でも、一般人が安易に広くこれを知るという事については、昨今の情勢を鑑みても憂慮せざるを得ません。
流失した情報については対処不可能ですが、影響の大きいWikipediaから流れ出るものを制限する事は可能です。乗客・乗員の安全と生命財産を守る義務のある立場からの削除とお考え下さい。--219.75.241.7 2009年4月3日 (金) 19:17 (UTC)[返信]

[1]の削除でしたならば、中途半端に外すことで逆に邪な関心を惹起してしまうのではないでしょうか。もし消すことが必要ならば削除依頼で完全に。How I Learned to Stop Worrying and Hate the Bomb 2009年4月3日 (金) 22:00 (UTC)[返信]

身勝手・・・といわれ少々引っかかったので、参考程度にアトランタ在住の知人(アメリカ人です)の父親が航空会社の副操縦士と聞いた事を思いだしまして、友人を介して聞いてみましたが、英版Wikipediaにコードを開示している事云々は特に気にしていないとの事でした(当たり前ですが、フライトマニュアルを持ち出して無関係の人に見せた場合、連邦航空法で重罪になるそうです)。

この件を話すと驚いていたそうですが(日本の航空法ではないと説明はしてあります)、やはり日本とアメリカの航空会社間の解釈の違いであると判断し、日本の慣習(219.75.241.7氏のパイロットさんが複数そう言われているのならば、消さざるを得ない事態であると考えます)を尊重すべきと考え、この件からは手を引こうと思います。--R34SkylineV-SpecⅡNür 2009年4月4日 (土) 03:47 (UTC)[返信]

削除する必要は無いと考えます。まず重要なこととして今回の情報は「隠されていない情報」です。そして現時点において公的機関および航空事業社いずれからも「載せるべきではない、載せていたら削除してほしい」という要請、通達は出ていません。また、殺人の方法とは異なり倫理的な問題がこれに介在しているとは考えにくく、この点で219.75.241.7さんが同列としている物とは違うと考えます。

次に、この依頼の正当性についてです。応答を見るにR34SkylineV-SpecⅡNürさんはこの点を一切考慮していないように思うのですが・・・219.75.241.7さんが何者か?という問題があります。現時点では自称航空関係者でしかなく、どこの会社なのか、またその会社のどの役職もしくは部署に属する人なのか、果てまたこの要請は「法人」としての物なのかそれとも「個人」の物なのか、まったく不明です。少なくともこのIPはeonetに割り当てられているものであり、WHOISで見る限りいわゆる家庭のPC(場所は京都と示されています)からではないかというような感じです。この時点で219.75.241.7さんの主張は個人的な要望としか受け止めることが出来ず、またそもそも219.75.241.7さんが本当に航空関係者なのかすら不明な時点では、「削除要請」に正当性があるとは思えません。もし「(自称)自衛隊関係者ですが、F-15のスペック等を影響の大きいWikipediaに載せるのは防衛に重大な影響があると考え、昨今の情勢を鑑みても憂慮せざるを得ませんので削除してください」なんていう投稿があったら削除するのでしょうか?--koon1600 2009年4月4日 (土) 04:41 (UTC)[返信]

(コメント)上記発言(手を引く発言)を撤回させて頂きます。これ以上のいざこざを起こすのは良くないと言う判断を下しましたが、Koon16000さんの仰るとおり、確かに本当に航空関係者なのかすら不明でありますし、継続して意見を聞く事としたいと思います(ならびに助言感謝いたします)。--R34SkylineV-SpecⅡNür 2009年4月4日 (土) 04:54 (UTC)[返信]

「私は・・・某社の航空機運航を行っている者です」とか「友人を介して聞いてみました」とかは、他の人たちが検証できませんから、Wikipediaでの議論の進め方としてはあまり適切でないと思います。「信頼できる情報源に準拠する」というWikipedia:検証可能性の基本に立ち戻って、「信頼できる情報源があるのか?」「信頼できる情報源が同じテーマを扱うときにはどのような扱いをしているのか?」をチェックしていくのが良いのではないでしょうか。
英語版で出典となっているのはTransport Canada(カナダの運輸省)のサイトのようです。外国のことではありますが、政府機関が公表しても良いという判断をしていることは、それなりに意味があると思います。
しかし、日本語の資料で同様の出典が見つからないということなら、日本では考え方や扱いが違うということなのかもしれません。同様のテーマを扱った「信頼できる情報源」で、問題の情報については明確な記述を避けているという例があるなら、Wikipediaでも同様の扱いにしようという議論ができるかもしれません。とりあえずは、出典を探してみて、何が見つかるか(あるいは見つからないか)を確認すべきだと思います。--Dwy 2009年4月4日 (土) 06:11 (UTC)[返信]

Dywさん、貴重な意見誠に感謝いたします、ならびに(果たして諸外国ではスクォークの認識はどのようなものかと言う意味で)参考意見と言う意味合いで聞いて載せたものですが、少々趣旨が外れていた事をお詫び致します。

さて、情報源としてのスクォークコードですが、やはり米軍(というよりICAO?)管理のシロモノですので、日本ではあまり出回っていないのが現状のようですが、[2][3](これはドジおこしたというニュース)で記載されております。やはり日本では馴染みが無いというのが現状なのではないでしょうか。--R34SkylineV-SpecⅡNür 2009年4月4日 (土) 08:56 (UTC)[返信]


どうも、お邪魔します。ここでスクォークについての論議が行われていると聞いてお邪魔しに来ました。ぱっと見た感じの意見であることをお許しください。スクォークが悪用されることって、きわめて稀なケースじゃないかと思うのですがいかがでしょうか。どの書籍かは忘れました(探しているけど見つからないです)が、日本国内でのスクォークコードの方面別の割り当てとかが掲載されてたように思います。スクォーク7700は緊急信号(メーデー、シビルエマージェンシー)である事は、航空ファン以外の方にも知れ渡ってるんじゃないかと思います。モードAのスクォークは、フライトプランなどと照合して、初めてどこの会社の何便だってわかるものですよね? 普通の人がどの便がどのスクォークを出してるかを知るのはかなり厳しいかと思います。全国の空港の管制のATCクリアランス(フライトプランの承認)を同時に聞いて、スクォークから便名を調べるなんて無理でしょう。あと、トランスポンダが応答を返すのには、インタロゲータ(質問する側)も必要です。インタロゲータは、大抵PSR(1次レーダー)のパルスと同期して動作しています。もちろん、1次レーダーでもMTI(移動体識別)処理して航跡は採っているわけですから、とてつもない場所にスクォークを出している物体(悪戯とか)があったとしても、移動速度などでエラーターゲットとして処理されてしまうんじゃないかなと思います。スクォーク出してる側にとっては不安材料に感じるとは思いますが、見る側にとっては、データベースがない限りは詳細は不明なものなのです。以上、SSR(2次レーダー)のモード1、モード2、モード3/A、モードCを扱う機械の整備をしてた人間の意見でした。あまり深く書けないこと、また、乱筆ご容赦くださいませ。--Chatama 2009年4月4日 (土) 12:26 (UTC)[返信]

ちゃたまさん、貴重な意見有難う御座います。 記載賛成多数と言う事ですが、219.75.241.7氏の正当な反対意見が無い場合、1週間で合意したとみなし、リバートにてスクォークコードを記載致します。--R34SkylineV-SpecⅡNür 2009年4月5日 (日) 08:52 (UTC)[返信]

正当な反対意見が無い状態で1瞬間経過しましたため、差し戻しました。--R34SkylineV-SpecⅡNür 2009年4月12日 (日) 00:09 (UTC)[返信]

ちんと申します。差し戻しについて賛成であるとともに、論旨を補強させていただきます。当該スコークコード(トランスポンダー)は、国土交通省航空局・気象庁監修の Aeronautical Information Manual Japan (通称AIM-J)と呼ばれる3,500円の書籍(雑誌)に常時掲載されているものです。政府刊行物に近い属性を含みますので取次ぎを経由しているかは存じませんが、しっかりISBNコードも付与されていますので、書店で注文できます。また古いものでよければ国立国会図書館にも所蔵されていることが確認できます。ISBN 4931160026
本件の提案者が 保安上の理由で掲載を控えるべきだとの意見も理解はできますが、スコークコードが公開された国際的な取り決め(ICAO)であることをお忘れです。Wikipedia での掲載に躊躇する必要はないと考えます。--ちん 2009年5月25日 (月) 13:28 (UTC)[返信]
aim-jにも記載されていますが、航空従事者以外の方が購入できる関連情報が記載された書籍は沢山あります。またweb上で調べれば関連の記述は出ます。英語版も見ましたが普通に書かれてます。--natto-u 2009年9月17日 (木) 13:12 (UTC)[返信]

管理者の任期制度導入に関する検討のその後

Wikipedia‐ノート:管理者の解任/過去ログ5 = 管理者の任期制度導入に関する検討」が2006年10月28日 (土) 09:04 (UTC)で終わっておりますが。その後の進行に関する議論をご存じの方はいらっしゃいますでしょうか。 --Qoop 2009年4月3日 (金) 22:06 (UTC)[返信]

その話題は蒸し返さない方が良いと思いますよ。Et9ecutte4692ope93478ffg 2009年4月3日 (金) 23:18 (UTC)[返信]
その後はWikipedia‐ノート:管理者の解任#今後の検討課題の中程に提起されています。この種の議論はいろんな思惑というかそういうことに類した問題が錯綜して大変難しく、また、議論をリードできる人が現れないというのが、現実の様です。--Godaigo 2009年4月7日 (火) 13:47 (UTC)[返信]
なるほど、そうでしょうね。解任と言う言葉ですと多少あれですので「リンク部分やタイトルに解任というフレーズ」がついてますと、ちょっと引きますよね。私などは任期制導入をもって、辞任とか解任とかのニュアンスではない感覚で、自然な感じで『お疲れ様でした、ありがとうございました。』とコミュニティから言葉がでる感じがよろしいかとも思いますし、管理人諸兄におかれましても骨休みができると思われますが。しばらく休養なされたらまた違ったコミュニティの見方もできるとも思います。(予備役管理人制度など、再登壇でのハードルを下げる規則も考えられるかも知れません)どちらにしましても制度としてあってもよろしいかと存じますが、議論をリードする方がいらっしゃいませんといかんともしがたいですね。--Qoop 2009年4月7日 (火) 16:02 (UTC)[返信]
既述のように思っていたのですが、議論を仕切ってくれる人が現れました。Wikipedia‐ノート:管理者#任期制導入の提案がそのようです。途中で有耶無耶にせず最後までやりきるそうです。今後はそちらの方で議論すればよろしいかと思います。--Godaigo 2009年4月9日 (木) 12:00 (UTC)[返信]

高等学校の英称について

主に公立高等学校に関してですが、「英称:~ Prefectural ~ High School」の記載のあるものが多い気がしますが、これは必要なものなのでしょうか。そもそもそれが公式(公式サイトの片隅に書いてあるから公式、という考え方ではない)な表記かどうか分かりません。実際それ以外の表記は考えられないということもありますが、それならそもそも表記の必要はないでしょう。大学とか私立高校なら公式な表記があるんでしょうが、公立高校に関しては特に公式(一般に公立高校については、こういう書き方をするのが公式である、という意味ではない)な表記もないと思いますし、記事上に記載する必要はないように思います。TtPÍPICH[talk]UTC:2009.4.4(土)14:27

「思います」で来られても困ります。わからないのなら調べてください。その上で、明らかに執筆者の想像、もしくは英語版から何も考えずに持ってきたと分かるものはどうぞ消してください。--6144 2009年4月5日 (日) 00:59 (UTC)[返信]

公式の英語表示であることが確認できないものは独自研究ですので削除対象ですね。この手の投稿者の方は「英文法的にはまちがってない」等々となかなか理解頂けないことが多いので、根気よく説得しながら削除していく必要があり大変です。在日朝鮮人で著名な人物に、勝手にハングル名をつけてまわるような奇特な方もいるのですが、著名人本人がハングル文字で自分の名前を公開しているようなケースでもない限り独自研究になります。--ネコバット 2009年4月5日 (日) 01:34 (UTC)[返信]
そもそも、なぜ日本の学校などの記事に英語表記がいるのか、分らないのですが。英語表記が必要なら、ドイツ語表記、朝鮮語表記、、、と際限ない気がするのですけれども。学術用語として、医学ならドイツ語が、生物学なら英語がよく使われてて有用だから(例として不適当ならすみません)、というのなら、分りますが、さて、日本の学校記事では必要なのでしょうか。Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)もご覧ください。--Mobnoboka 2009年4月5日 (日) 02:24 (UTC)[返信]
もしかすると、日本は英語圏の国の植民地であるという認識があるのかもしれません。実際にそうなのかどうか私は知りませんが、もし事実であるならば、英語表記をつけることは妥当性を帯びることになります。--トトト 2009年4月22日 (水) 00:24 (UTC)[返信]

(インデント戻します。)「日本語以外の言語による表記を記載すべきか否か」については、ウィキプロジェクト 学校で協議して決めれば良いと考えます。また、仮に表記すると決定したとして、「表記が公式かどうか」ということについては、(公立高等学校というのはその属する都道府県・市町村・一部事務組合の組織の一つですから)都道府県庁などの国際化担当部署で発表している組織名対訳表を確認すれば済む話ではないのでしょうか。(例:埼玉県千葉県神奈川県。)公式に発表されているものをそのまま載せるだけならどの言語を載せるか頭を悩ませる必要もないでしょう(対訳がなければ載せなければいいだけです)し、出典も明記できます。対訳表に載っていない場合には記事の方にも載せなければいいだけ(コメントアウトによる注意書きなどは必要かもしれません)ですし。--zenkota 2009年4月5日 (日) 06:10 (UTC) (うっかり重複させた文を削除)--zenkota 2009年4月5日 (日) 06:20 (UTC)[返信]

上智大学のような例(JOUCHI×SOPHIA○)もありますから、明確に確認できないものはWikipedia上の体裁統一にヘンにこだわり無理訳するのでなく、書かないでおくほうが無難でしょう。--ネコバット 2009年4月14日 (火) 23:23 (UTC)[返信]
(管理者により3日間停止となり、かつ、本人も今後使用しないと言っているアカウントに意見するのも虚しいですが)「ネコバット」さんの上記の御意見では、私が4/5に提案した内容があたかも体裁統一が第一で、英語記載欄があるならそれを埋めるために無理訳せよとしているように読みとれてしまい大変不快です。
私の提案は
  1. 主として公立高校の学校名の英語表記に関し、
  2. その記載の是非を話し合って決める場所を提示し、
  3. かつ、公式な表記の確認方法を提示した上で、
  4. 公式なものと確認できたものだけ記載すればよい。
としたものです。それを
  1. 例外的なケースとして私立大学を挙げ、
  2. 話し合いの場を体裁統一第一の場と曲解させ
  3. 確認方法については「明確に確認できないもの」という表現を用いて無視し、
  4. 当方が公式なものがないものは無理訳せよと言っているかのように表現した上で
書かない方が無難でしょうなどと意見されるのではどうにもかないません。
私の提案は「ネコバット」さんの「公式の英語表示であることが確認できないものは独自研究ですので削除対象」とする御意見と何らの矛盾もしていませんが、どうしてわざわざ蛇足意見をお書きになるのでしょうか?読む方の誤解を招くような表現はお控えいただけると幸いです。--zenkota 2009年4月19日 (日) 04:55 (UTC)[返信]

紅茶品種の改名についてご意見を下さい。

現在、紅茶の品種であるシレットにおいて改名の提案がノート:シレットでされておりますが、「シレット・ティー」とするか「シレット (紅茶)」とするかで一月ほど議論が続いております。現在上位項目である紅茶においても命名の規則がないようですので、第三者である私が井戸端orコメント依頼を具申したのですが、「ご自由にどうぞ」というコメントをいただきましたので、広く皆様のご意見を頂きたくお願いいたします。--Qoop 2009年4月7日 (火) 09:58 (UTC)[返信]

それはまずコメント依頼でやるべきで、ここ井戸端でやる内容では無いと思います。--EULE 2009年4月7日 (火) 12:18 (UTC)[返信]


ウィキメールについて

以前、利用者の間で個人的な用事に関わることはウィキメールで済ますと知りました。私はメールアドレスなどの個人情報は匿名にして送りたいですし、メールの送信先の方が必ずしも信頼のおける間柄とも限らないので、ウィキメールのやりとり(送受信)の過程で送り先や受け取り先にメールアドレスが知られることがあるのかを伺いたいです。--Kingofclub13 2009年4月7日 (火) 22:33 (UTC)[返信]

自分自身も一ユーザーなので仕様まではわかりかねますが、ウィキペディアにアカウントを作成した際に登録したメールアドレスから送信されたことになりますので、どのメールアドレスから登録されたか知られることになっています。--Tamago915 2009年4月7日 (火) 23:08 (UTC)[返信]