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江北橋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
江北橋
北側から見た江北橋
基本情報
日本の旗 日本
所在地 東京都足立区
交差物件 荒川
建設 -1966
構造諸元
形式 アーチ橋
材料
全長 449 m
11.0 m
最大支間長 90 m
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
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東京都道501号標識

江北橋(こうほくばし)は、東京都足立区荒川(荒川放水路)に架かる東京都道501号王子金町市川線(江北橋通り)のである。左岸(北側)は足立区江北、右岸(南側)は足立区宮城の区域に跨る。

概要

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荒川の河口から16.8 km[1][2]の地点に架かる橋長449メートル、幅員15メートル(車道11メートル)、最大支間長90メートルの下路式アーチ橋の一種である鋼カンチレバーランガー桁を持つ10径間の単純活荷重合成プレートガーダー橋(鋼鈑桁橋)である[3]。歩道は2メートルで上流側下流側共に設置されている。縦断勾配は250分の1(0.4パーセント)でパラボラ(放物線)状になっている[4]。また、右岸側アプローチは単純鋼鈑桁橋の高架橋に接続されている[5]。橋の管理者は東京都である[1][2]。また、災害時に防災拠点等に緊急輸送を行なうための、東京都の一般緊急輸送道路に指定されている[6]

橋名は足立区内旧村名にちなむ。橋には珍しく欄干に蛍光灯による高欄照明が付けられている。欄干に衝突する交通事故が多発したために、夜間の視認性を上げ交通事故を防止するために設置された物である。また、王40系統・東43系統はじめ都バスの走行経路となっている橋でもある。橋は左岸側のアプローチ区間のみ自転車の車道走行が禁止されており、その旨を示す道路標識もその入口に設置されている。

諸元

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  • 構造形式
    • 上部工 - 鋼ゲルバー(カンチレバー)式ランガー桁・単純活荷重合成桁[4]
    • 下部工 - 井筒基礎(主径間)・コンクリート杭基礎(側径間)
  • 橋長 - 449メートル[注釈 1]
  • 幅員 - 15メートル(車道11メートル、歩道2メートル × 2)
  • 最大支間長 - 90メートル
  • 径間割 - 37.875 m + 38.250 m + 38.250 m + 38.250 m + (44.000 m + 90.000 m + 44.000 m) + 39.250 m + 39.250 m + 38.875 m
    • ゲルバーヒンジを除く各桁の間に長さ0.75メートル、桁と橋台の間に長さ0.5メートルの伸縮継手(フィンガージョイント)がある。
  • 開通 - 1966年(昭和41年)6月21日[7][8]

歴史

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1923年の橋

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橋は荒川改修付帯事業として1923年大正12年)4月21日[9]に木製およびRC(鉄筋コンクリート)製の橋脚を持つ木桁橋として開通した[10][11]。橋長434.5メートル、幅員5.4メートル。架橋場所は蛇行する隅田川の流路形状から俗に「天狗の鼻」と呼ばれていた場所[12]の丁度先端に位置していた[13]。 直後の9月1日の関東大震災で損傷したために、1925年(大正14年)5月に同じ形式の橋に架け替えられている。橋長441.5メートル、幅員7.2メートル[3][11]。橋面は床版上にコンクリートが敷かれていた[11]。この橋は1959年昭和34年)7月10日、橋の中央部の橋桁3本を焼く火災を起こしていた[14]。木造橋なので老朽化が早く、昭和20年度から昭和34年度にかけて4646万4千円を掛けて橋の橋脚根固や桁・床版の一部交換をする修繕が実施され、その後も翌年度に工事費600万円を掛けて桁の取換工事が実施された[15]1959年(昭和34年)9月9日の交通状況の調査によると、橋の利用は橋長の関係で自転車の利用が最も多く、その台数は6002台を数え、他は徒歩が405人、荷車牛馬車が70台、原付・自動二輪車が2825台、乗用車が1081台、乗合自動車498台、貨物自動車が5471台、特殊自動車が134台であった[16]

1966年の橋

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現在の橋は、約300メートル下流に架け替えられたもので、東京オリンピックの工事の影響もあって工事が遅れ、着工から5年半の時間を要したが、1966年(昭和41年)6月21日開通した[7][注釈 2]。総工費は約11億8520万円が投じられた[17]。 ランガー桁はベント工で桁を支持しながらキャリアクレーンを用いて架設された[18]。 開通式は都区共催で[17]同日地元の人80名が参加する中挙行され、鈴木俊一東京都副知事によるテープカットが執り行われた後渡り初めが行なわれ[8]、同日14時から橋の一般供用が開始された[7]。開通後は川上の旧橋は全面閉鎖され、解体撤去された[7]。ただし、取り付け道路は橋の両詰は民家が密集していて用地買収が遅れたため、左岸側がまだ未完成で、1967年(昭和42年)においてもその計画は具体化されていなかった[19][13]

周辺

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戦後頃まで五色桜の名所である国指定名勝荒川堤が付近にあった。ワシントンに桜が植樹されて100年目を節目に区はその復活・整備事業を行っている[20]

路線バス

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隣の橋

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(上流) - 鹿浜橋 - 五色桜大橋 - 江北橋 - 扇大橋 - 荒川橋梁 - (下流)

脚注

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注釈

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  1. ^ 1966年6月17日朝日新聞(東京朝刊)16頁では長さ499メートルと報じされている。
  2. ^ 土木学会(歴史的橋梁DB)や『角川日本地名大辞典 13 東京都』283頁では1972年架け替えや開通と記されている。

出典

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  1. ^ a b 荒川下流河川維持管理計画【国土交通大臣管理区間編】” (PDF). 国土交通省関東地方整備局 荒川下流河川事務所. p. 73(巻末-7) (2012年3月). 2017年2月21日閲覧。
  2. ^ a b 企画展「荒川の橋」荒川・隅田川の橋(amoaノート第8号)” (PDF). 荒川下流河川事務所(荒川知水資料館). 2005年11月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年2月21日閲覧。
  3. ^ a b 江北橋1925-5 - 土木学会附属土木図書館、2014年11月2日閲覧
  4. ^ a b 三上澄 (1966, pp. 25–28)
  5. ^ 交通開放下での橋梁架替工事 (PDF) - 宮地エンジニアリング、2014年11月2日閲覧
  6. ^ 特定緊急輸送道路図”. 東京都耐震ポータルサイト (2013年). 2017年3月7日閲覧。
  7. ^ a b c d “江北橋 21日に開通”. 朝日新聞 東京 朝刊 (朝日新聞社): p. 16. (1966年6月17日) 
  8. ^ a b “江北橋渡りぞめ_ニュース・グラフ”. 朝日新聞 東京 夕刊 (朝日新聞社): p. 3. (1966年6月21日) 
  9. ^ 江北橋1923-4-21 - 土木学会附属土木図書館、2014年11月2日閲覧
  10. ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 13 東京都』角川書店、1978年10月27日、283頁。ISBN 4040011309 
  11. ^ a b c (竹ケ原輔之夫 & 安田伊三郎 1960, p. 67)
  12. ^ 流路変遷にまつわる荒川七ふしぎ” (PDF). 国土交通省 関東地方整備局 (2008年11月12日). 2013年1月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年2月21日閲覧。
  13. ^ a b MKT666X-C3-16(1966/10/22) 1966年10月22日撮影の江北橋周辺 - 国土地理院(地図・空中写真閲覧サービス)、2017年2月21日閲覧。
  14. ^ “江北橋が燃える”. 朝日新聞 東京 夕刊 (朝日新聞社): p. 7. (1959年7月10日) 
  15. ^ (竹ケ原輔之夫 & 安田伊三郎 1960, p. 69)
  16. ^ (竹ケ原輔之夫 & 安田伊三郎 1960, p. 68)
  17. ^ a b 『写真で見る足立区40年のあゆみ』東京都足立区、1972年10月1日、66頁。 
  18. ^ 三上澄 (1966, pp. 32–33)
  19. ^ “ドライバーもやっと安心 荒川の平井大橋 取付道路が来月完成”. 朝日新聞 東京 朝刊 (朝日新聞社): p. 16. (1967年3月8日) 
  20. ^ 五色桜のなりたちをご存知でしたか? - 足立区. (2012年2月1日)、2017年3月11日閲覧。
  21. ^ 荒川江北橋緑地 - 足立区観光協会(あだち観光ネット)、2017年3月11日閲覧。

参考文献

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  • 竹ケ原輔之夫、安田伊三郎「荒川新荒川長大橋梁整備計画について」『道路建設』第156巻、日本道路建設業協会、1960年12月、67-70頁、ISSN 0287-2595 
  • 三上澄「荒川における長大橋の整備」『土木施工』第7巻第2号、株式会社オフィス・スペース、1966年2月、25-34頁、ISSN 0387-0790 

座標: 北緯35度45分48秒 東経139度45分38秒 / 北緯35.76333度 東経139.76056度 / 35.76333; 139.76056