村山幸子

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村山 幸子(むらやま ゆきこ、1940年3月10日 - )は、日本将棋の元女流棋士東京都墨田区出身。女流棋士一期生6人のうちの一人。日本将棋連盟所属時の女流棋士番号6。師匠はいない[1]

人物[編集]

1974年、第1回、2回、3回女流アマ名人準優勝の実績等が評価され、女流一期生のうちの一人としてプロを認定される。1974年10月31日に東京将棋会館で行われた、第1回女流プロ名人位戦トーナメントの対寺下紀子女流初段(段位は当時)戦は、女流棋士公式戦の第1号対局となった。 2002年4月10日付で退会届を提出し、日本将棋連盟を退会した[2]

棋歴等[編集]

昇段履歴[編集]

  • 1974年10月31日 女流初段[2]
  • 1989年 引退、女流二段[2]

脚注[編集]

  1. ^ 村山幸子 女流二段(女流棋士番号6)”. 日本将棋連盟. 2002年2月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年5月22日閲覧。
  2. ^ a b c d 村山幸子女流二段、退会”. 日本将棋連盟. 2002年6月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月7日閲覧。