市原市立湿津小学校
市原市立湿津小学校 | |
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北緯35度29分54.19秒 東経140度10分48.32秒 / 北緯35.4983861度 東経140.1800889度座標: 北緯35度29分54.19秒 東経140度10分48.32秒 / 北緯35.4983861度 東経140.1800889度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 市原市 |
設立年月日 | 1903年(明治36年) |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 2学期制 |
学校コード | B112210004486 |
校地面積 | 19,256m2 |
校舎面積 | 4,543m2 |
所在地 | 〒290-0171 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
市原市立湿津小学校(いちはらしりつ うるつしょうがっこう)は、千葉県市原市潤井戸にある公立小学校[1]。文部科学省の学校コードはB112210004486、旧学校調査番号は121066[2]。
概要
[編集]市原市北東部の市津地区に位置する[1]。明治時代後半に創立した比較的歴史の長い小学校で[3][4]、2023年で開校120周年を迎えた[1][5]。第2次ベビーブーム終息以降は児童数が減少傾向にあったが、うるいど南の開発が進んだことから再び増加傾向となり、その増加率は市内トップの勢いである[3][4]。
通学区域が広大であるため、最大約35%の児童が一般路線バスを利用して通学している[4]。
沿革
[編集]概歴
[編集]学校教育法施行前
[編集]1874年(明治7年)に、横峰小学校、葉木小学校、古都辺小学校の3校が開校した[3][6]。その後これらは再編され、徳潤尋常小学校、薫風尋常小学校、陶成尋常高等小学校となる[4][6]。1903年(明治36年)にこれらが合併して、湿津尋常高等小学校となった[3][6]。1915年(大正4年)には新校舎が新築されたほか、小田部分教場が設置される[3][6]。しかし、その新築されたばかりの校舎は1917年(大正6年)9月の台風により倒壊してしまった[4]。それらの再建は1920年(大正9年)まで待つこととなる[4]。1941年(昭和16年)に国民学校令が公布されると、湿津国民学校に改称した[4]。
学校教育法施行後
[編集]戦後、1947年(昭和22年)の学校教育法施行に伴い湿津村立湿津小学校に改称した[3][4]。その後、1955年(昭和30年)の村合併により市津村立湿津小学校となり、1961年(昭和36年)には町制施行によって市津町立湿津小学校となる[3][4]。1963年(昭和38年)には再度の町村合併により現校名の市原市立湿津小学校となった[3]。1982年(昭和37年)には児童数が過去最高の978名(25学級)に達した[4]。以降、児童の減少が進み、2010年(平成22年)に過去最低の230名となったものの、うるいど南の開発が進行したことから再び増加傾向にあり、近年は児童数が500名を超える規模となっている[4]。
年表
[編集]- 1874年(明治7年)- 横峰小学校、葉木小学校、古都辺小学校が開校[3][4][6]。
- 1882年(明治15年)5月 - 古都辺小学校が陶成尋常小学校に改称[3][4][6]。
- 1891年(明治24年)4月 - 横峰小学校が徳潤尋常小学校に改称[3][4][6]。
- 1893年(明治26年)12月 - 葉木小学校が薫風尋常小学校に改称[3][4][6]。
- 1903年(明治36年)8月 - 湿津尋常高等小学校として開校[3][6]。
- 1915年(大正4年)6月1日 - 新校舎および小田部分教場が新築[3]。
- 1917年(大正6年)9月30日 - 台風により校舎が倒壊[3]。
- 1920年(大正9年)5月9日 - 倒壊校舎の再建が行われ、完成[3]。
- 1929年(昭和4年)11月6日 - 校舎増築[3]。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 湿津村国民学校に改称[3][4]。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 湿津村立湿津小学校に改称[3][4]。
- 1955年(昭和30年)2月11日 - 市津村立湿津小学校に改称[3][4]。
- 1958年(昭和33年)8月20日 - 現所在地に移転[3][4]。
- 1961年(昭和36年)4月1日 - 市津町立湿津小学校に改称[3][4]。校歌を制定[3][4]。
- 1963年(昭和38年)5月1日 - 市原市立湿津小学校に改称[3][4]。
- 1967年(昭和42年)9月20日 - 旧校舎の取り壊しを開始[3][4]。
- 1968年(昭和43年)
- 2002年(平成14年) - 次年度の創立100周年を記念して、敷地内に校歌碑、および旧校舎跡地に標柱を設置した[3][4]。
校則
[編集]校章
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校歌
[編集]施設
[編集]敷地
[編集]敷地の詳細は以下の通りである[7]。
所在地 | 〒290-0171 千葉県市原市潤井戸2299番地14 |
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所有者 | 市原市 |
敷地面積 | 19,256m2 |
用途地域 | なし |
指定建蔽率 | 60% |
指定容積率 | 100% |
取得価格 | 729,345,000円 |
建物
[編集]棟番号 | 棟名称 | 構造 | 階数 | 延床面積 | 建築年 | 耐震 | Is値 | 備考 | |
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001 | 校舎-1 | RC造 | 地上3階建て | 1,728.00m2 | 1976年 | 旧基準 | 耐震化工事済 | 0.72 | |
002 | 校舎-4 | RC造 | 地上3階建て | 842.00m2 | 1981年 | 旧基準 | 耐震性あり | 0.71 | [注釈 1] |
003 | 体育館 | RC造 | 地上2階建て | 747.00m2 | 1974年 | 旧基準 | 耐震化工事済 | 0.78 | |
004 | 校舎-2 | RC造 | 地上2階建て | 713.00m2 | 1968年 | 旧基準 | 耐震性あり | 0.73 | |
005 | 校舎-6 | S造 | 地上1階建て | 325.00m2 | 1981年 | 旧基準 | 耐震性あり | 1.24 | |
006 | 校舎-4 | RC造 | 地上3階建て | 260.00m2 | 1976年 | 旧基準 | 耐震性あり | 0.96 | |
007 | 校舎-5 | RC造 | 地上2階建て | 174.00m2 | 1976年 | 旧基準 | 耐震性あり | 1.00 | |
008 | 校舎-2 | RC造 | 地上2階建て | 167.00m2 | 1968年 | 旧基準 | 耐震性あり | 0.79 | |
009 | 校舎-3 | S造 | 地上1階建て | 103.00m2 | 1965年 | 旧基準 | 不明 | 不明 | [注釈 2] |
010 | 便所・校舎-7 | RC造 | 地上2階建て | 86.00m2 | 1968年 | 旧基準 | 耐震性あり | 0.89 | |
011 | 倉庫・物置 | 木造 | 地上1階建て | 76.00m2 | 1981年 | 旧基準 | - | - | |
012 | 校舎-7 | S造 | 地上1階建て | 60.00m2 | 1985年 | 新基準 | 不明 | 不明 | [注釈 2] |
013 | 調理室・校舎-1 | RC造 | 地上3階建て | 35.00m2 | 1968年 | 旧基準 | 耐震化済 | 不明 | [注釈 3] |
014 | 倉庫・物置 | 木造 | 地上1階建て | 26.00m2 | 1981年 | 旧基準 | - | - | |
015 | 校舎-3 | S造 | 地上1階建て | 21.00m2 | 1975年 | 旧基準 | 不明 | 不明 | [注釈 2] |
016 | 倉庫・物置 | 木造 | 地上1階建て | 20.00m2 | 1970年 | 旧基準 | - | - | |
017 | 調理室・校舎-3 | S造 | 地上1階建て | 17.00m2 | 1982年 | 新基準 | 不明 | 不明 | [注釈 2] |
018 | 校舎-3 | S造 | 地上1階建て | 12.00m2 | 1975年 | 旧基準 | 不明 | 不明 | [注釈 2] |
019 | 便所 | RC造 | 地上1階建て | 10.00m2 | 2002年 | 新基準 | 不明 | 不明 |
併設施設
[編集]- 湿津小学校児童クラブ(学童保育)
規模
[編集]2022年(令和4年)4月1日現在の学校規模は以下の通りである[注釈 4][9][10]。
児童数 | 529名 |
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学級数 | 20学級 |
通学区域面積 | 25.414km2 |
通学区域人口 | 8,542人 |
諸活動
[編集]児童会活動
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
部活動
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
年間行事
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
通学区域
[編集]以下の町丁字とその範囲を通学区域に指定している[11]。
通学区域内施設
[編集]通学区域内の主な施設は以下の通りである。
中学校区
[編集]隣接小学校区
[編集]アクセス
[編集]出身有名人
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c “湿津小学校基本情報”. 市原市 公式ホームページ. 市原市. 2023年1月1日閲覧。
- ^ “市原市立湿津小学校の学校コード”. 学校コード検索. 文部科学省. 2023年1月7日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab “学校の歴史”. 2015年8月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年8月9日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab 市原市立湿津小学校. “湿津小学校沿革”. 市原市 公式ホームページ. 市原市. 2021年2月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年2月7日閲覧。
- ^ “一歩ずつ夢かたちに 書家の飯高さん 卒業生に色紙贈る 市原・湿津小120周年と門出祝う”. 千葉日報社. (2023年3月9日) 2024年1月16日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 市原郡教育会 編『市原郡誌』市原郡、1916年。
- ^ a b c d e “市原市公共施設カルテ 学校教育施設”. 市原市. 2022年8月25日閲覧。
- ^ a b c d “市原市学校耐震化情報一覧表”. 市原市. 2023年1月1日閲覧。
- ^ “令和4年度市原市教育要覧”. 市原市. pp. 23 - 52. 2022年9月1日閲覧。
- ^ 防災アセスメント調査及び防災地区別カルテ作成業務『市原市地区防災カルテ』市原市、2009年3月1日。
- ^ “通学区域一覧”. 市原市 公式ホームページ. 市原市. 2023年1月3日閲覧。
- ^ “「最高のニャー」五輪で 市原市出身 猫さんカンボジア代表に”. 千葉日報オンライン (千葉日報社). (2016年6月4日) 2024年1月14日閲覧。