川崎製鉄水島硬式野球部
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チーム名(通称) | 川崎製鉄水島、川鉄水島 |
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加盟団体 | 日本野球連盟 |
加盟区分 | 企業チーム |
創部 | 1970年 |
廃部 | 2002年 |
チーム名の遍歴 |
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本拠地自治体 |
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都市対抗野球大会 | |
出場回数 | 5回 |
最近の出場 | 2000年 |
最高成績 | 2回戦 |
社会人野球日本選手権大会 | |
出場回数 | 8回 |
最近の出場 | 2002年 |
最高成績 | 2回戦 |
全日本クラブ野球選手権大会 | |
出場回数 | ※出場資格なし |
川崎製鉄水島硬式野球部(かわさきせいてつみずしまこうしきやきゅうぶ)は、岡山県倉敷市に本拠地を置き、日本野球連盟に加盟していた社会人野球の企業チームである。2002年に解散した。
概要
[編集]川崎製鉄水島製鉄所(岡山県倉敷市)の硬式野球部として1970年に創部した[1]。ユニフォームのズボンのすそを足首まで下げない、23歳以下の部員は喫煙禁止など厳格な部則があった[1]。
1972年の都市対抗野球岡山予選で公式戦初勝利を挙げた[1]。その後1982年に宮本和知が入部するなど強化に注力し[1]、1984年に都市対抗野球、1985年には日本選手権に初出場を果たしている。
1991年から1993年にかけては、都市対抗野球と日本選手権に合わせて5期連続で本大会出場を果たすなど黄金期を迎え[1]、三菱自動車水島とともに県内の社会人野球で2強と呼ばれていた[2]。1994年には、同年限りで解散した神戸野球部の選手を受け入れている。
2001年、母体である川崎製鉄と日本鋼管(NKK)が合併しJFEスチールが発足することが発表され、野球部もNKK硬式野球部(旧:日本鋼管福山硬式野球部)と統合して新たにJFE西日本硬式野球部となるため、2002年シーズン限りでの活動停止が決定した。2002年は、神田義英や北川利之を擁して日本選手権に4年ぶりに出場した。ベテランを中心に7人の選手が引退し[3]、NKKの本拠地であった福山市の新生野球部に合流した。
沿革
[編集]- 1970年 - 『川崎製鉄水島硬式野球部』として創部。
- 1984年 - 都市対抗野球に初出場。
- 1985年 - 日本選手権に初出場
- 2002年 - 解散。NKK硬式野球部と統合しJFE西日本硬式野球部となる。
主要大会の出場歴・最高成績
[編集]- 都市対抗野球大会 - 出場5回
- 社会人野球日本選手権大会 - 出場8回
- JABA高砂市長杯争奪大会 - 優勝1回(1997年)
- JABA徳山(スポニチ)大会 - 優勝1回(1997年)
主な出身プロ野球選手
[編集]- 宮本和知(投手) - 1984年ドラフト3位で読売ジャイアンツに入団
- 吉原孝介(捕手) - 1990年ドラフト2位で読売ジャイアンツに入団
- 真栄喜正和(外野手) - 1990年ドラフト6位で日本ハムファイターズに入団
- 山原和敏(投手) - 1992年ドラフト1位で日本ハムファイターズに入団
- 神田義英(投手) - 2002年ドラフト4位で千葉ロッテマリーンズに入団
- 北川利之(内野手) - 2002年ドラフト6位で横浜ベイスターズに入団
- 岡本秀寛(投手) - チームの統合に伴いJFE西日本に移籍後、2004年大学生・社会人ドラフト4位で東京ヤクルトスワローズに入団
かつて所属していた主な選手
[編集]- 射手園眞一 - 選手として在籍。九州三菱自動車を経て、BASEBALL FIRST LEAGUE(現・関西独立リーグ (2代目))球団のコーチや監督を務めた。
脚注
[編集]関連項目
[編集]- 社会人野球チーム一覧
- 川崎製鉄水島サッカー部 - かつて活動していた水島製鉄所のサッカー部。ヴィッセル神戸の前身チーム。
- JFE東日本硬式野球部(旧:川崎製鉄千葉硬式野球部)