尻毛駅
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尻毛駅 | |
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駅構内(2005年3月撮影) | |
しっけ SHIKKE | |
◄旦ノ島 (1.2 km) (1.1 km) 又丸► | |
所在地 |
岐阜県岐阜市尻毛 北緯35度26分18秒 東経136度42分47秒 / 北緯35.438285827637度 東経136.71313476562度 |
所属事業者 | 名古屋鉄道 |
所属路線 | 揖斐線 |
キロ程 | 3.2 km(忠節起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面2線 |
乗降人員 -統計年度- |
809人/日 -1992年[1]- |
開業年月日 | 1914年(大正3年)3月29日 |
廃止年月日 | 2005年(平成17年)4月1日 |
尻毛駅(しっけえき)は、岐阜県岐阜市尻毛にあった名古屋鉄道揖斐線の駅である。隣の又丸駅と合わせて珍地名として知られていた。
歴史
[編集]揖斐線の前身である岐北軽便鉄道が1914年(大正3年)に路線を開通させた時より存在した駅である。2005年(平成17年)に揖斐線が全線廃止されたことに伴い廃駅となった。
- 1914年(大正3年)3月29日 - 岐北軽便鉄道の忠節駅 - 北方町駅(のちの美濃北方駅)間の開通と同時に開業[2][3]。
- 1938年(昭和13年)8月4日 - 長良川の河川改修のため、忠節駅から当駅までが休止[3][4][5]。
- 1939年(昭和14年)2月13日 - 近ノ島(西)駅から当駅までが再開[4]。
- 1972年(昭和47年)11月1日 - 無人化[6]。
- 2005年(平成17年)4月1日 - 揖斐線の忠節駅 - 黒野駅間の営業廃止により廃駅[7][5]。
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東側からのホーム跡(2015年10月撮影)
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西側からのホーム跡(同左)[8]。
駅構造
[編集]相対式ホーム2面2線の交換可能駅で、忠節寄りに構内踏切と小さな駅舎があった。なお、1972年11月1日から廃止までは無人駅となっていた[9]。配線上は黒野方面行きが直線となっていたが、一線スルーではなく、左側通行であった。
配線図
[編集] ← 黒野方面 |
→ 忠節方面 |
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凡例 出典:[10] |
利用状況
[編集]- 『名古屋鉄道百年史』によると1992年度当時の1日平均乗降人員は809人であり、この値は岐阜市内線均一運賃区間内各駅(岐阜市内線・田神線・美濃町線徹明町駅 - 琴塚駅間)を除く名鉄全駅(342駅)中239位、 揖斐線・谷汲線(24駅)中5位であった[1]。
駅周辺
[編集]その他
[編集]- 大正時代に尻毛駅付近から本巣郡山添村(後の本巣町、現・本巣市)を結ぶ中濃電気鉄道という鉄道の計画が存在した。
- 朝日放送制作のバラエティ番組『笑いの金メダル』の「投稿あなたもヒロシ」というコーナーで、当駅周辺を紹介された際に読みを「しりげ」と紹介されたことがある。この際、放送の最後に「『尻毛』は『しっけ』と読みます」というテロップが表示された。
隣の駅
[編集]脚注
[編集]- ^ a b 名古屋鉄道広報宣伝部 1994, pp. 651–653.
- ^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1914年4月9日(国立国会図書館デジタル化資料)
- ^ a b 『岐阜のチンチン電車 岐阜市内線と美濃町・揖斐・谷汲線の85年』郷土出版社、1997年11月、220-230頁。ISBN 4-87670-097-4。
- ^ a b 名古屋鉄道広報宣伝部 1994, p. 962.
- ^ a b 徳田耕一 2005, p. 144, “岐阜線”各線停車場一覧 揖斐線.
- ^ 徳田耕一 2005, p. 95, 廃線路線主要駅の今昔 揖斐線.
- ^ 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』 7 東海、新潮社〈新潮「旅」ムック〉、2008年11月、52頁。ISBN 978-4-10-790025-8。
- ^ 岐阜市表記のある自転車置場もある。
- ^ 徳田耕一 2005, pp. 33, 97, 名鉄600V線の廃線を歩く.
- ^ 電気車研究会、『鉄道ピクトリアル』通巻第473号 1986年12月 臨時増刊号 「特集 - 名古屋鉄道」、付図「名古屋鉄道路線略図」
参考文献
[編集]- 徳田耕一『名鉄600V線の廃線を歩く-惜別の“岐阜線”と空港線誕生』JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉、2005年3月。ISBN 978-4-53305-883-7。
- 名古屋鉄道広報宣伝部 編『名古屋鉄道百年史』名古屋鉄道、1994年6月。全国書誌番号:95002573。