小黒昌一
表示
人物情報 | |
---|---|
生誕 |
1935年5月4日 日本 新潟県新潟市 |
死没 |
2008年11月4日 (73歳没) 日本 東京都新宿区 |
出身校 | 早稲田大学、ワシントン大学 |
学問 | |
研究分野 | 英文学、英語学 |
研究機関 | 東京学芸大学、早稲田大学 |
小黒 昌一(おぐろ しょういち、1935年〈昭和10年〉5月4日 - 2008年〈平成20年〉11月4日)は、日本の英文学者、英語学者。早稲田大学名誉教授。専門は古代・中世英文学および古代・中世英語。小沼丹と平岡篤頼に師事。
略歴
[編集]新潟県新潟市出身[1][2]。1951年(昭和26年)4月に新潟高等学校に入学、1953年(昭和28年)12月に祖父の小黒猶一[注 1]の新潟高等学校と早稲田大学の後輩の会津八一を訪問した[5]。
1954年(昭和29年)3月に新潟高等学校を卒業、1958年(昭和33年)3月に早稲田大学第一文学部文学科(英文学専攻)を卒業[1][2]。
1962年(昭和37年)3月に早稲田大学大学院文学研究科(英文学専攻)修士課程を修了、1965年(昭和40年)6月にワシントン大学大学院(英語学専攻)修士課程を修了[1][2][注 2]。
1965年(昭和40年)9月から1966年(昭和41年)6月までワシントン大学日本語講師、1966年(昭和41年)6月から1967年(昭和42年)9月までスタンフォード大学日本語講師[1][7]。
1968年(昭和43年)4月に文京女子短期大学講師、東京女子大学短期大学部講師、東京学芸大学講師に就任、1972年(昭和47年)4月に東京学芸大学助教授、早稲田大学助教授に就任[1][7]。
1981年(昭和56年)4月に早稲田大学第一・第二文学部教授に就任[1][7]、ワシントン大学客員教授、スタンフォード大学客員教授を兼任[8]、2006年(平成18年)3月に早稲田大学を定年退職、4月に早稲田大学名誉教授の称号を受称[1][8]。
2008年(平成20年)11月4日午前9時28分に東京都新宿区の病院で心不全のため死去[9]。
親族
[編集]著作物
[編集]著書
[編集]- 『英文レター60日』三省堂、1970年。
- 『アメリカ面白事典 楽しみながらアメリカに強くなる本』創元社、1982年。
- 『アメリカでビジネスに成功する英会話』デイヴィッド・シャピロ[注 3]、アラン・ゲヴィルツマン[共著]、ジャパンタイムズ、1982年。
- 『GREEN COVER ENGLISH I』一橋出版、1991年。
- 『実戦ビジネス英語教本』デイヴィッド・シャピロ[注 3]、アラン・ゲヴィルツマン[共著]、ジャパンタイムズ、1991年。
- 『すぐに使える 英語スピーチ99』デイヴィッド・シャピロ[注 3][共著]、ジャパンタイムズ、1991年。
- 『GREEN COVER ENGLISH II』一橋出版、1992年。
- 『NEW STEP ENGLISH I』一橋出版、1994年。
- 『NEW STEP ENGLISH II』一橋出版、1995年。
- 『ACTIVE ENGLISH READING』一橋出版、1995年。
- 『むべの碁敵』校倉書房、2001年。
- 『尚古堂春秋』作品社、2002年。
- 『たんぽぽの詩』校倉書房、2008年。
訳書
[編集]- 『日本語 歴史と構造』ロイ・アンドリュー・ミラー[著]、三省堂、1972年。
- 『大学出の価値 教育過剰時代』リチャード・バリー・フリーマン[著]、竹内書店新社、1977年。
- 『日常生活の英語誌 単語の歴史と構造』ジョージ・レスリー・ブルック[著]、研究社出版、1986年。
- 『オックスフォード辞書編集部が答える 英語の「?」』ジェレミー・マーシャル、フレッド・マクドナルド[編著]、研究社出版、1996年。
- 『イギリス/アメリカ 英語対照辞典』ノーマン・ウォーレン・シュール[著]、豊田昌倫・貝瀬千章・吉田幸子[共訳]、研究社出版、1996年。
論文
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g 『現代 物故者事典 2006〜2008』151頁。『新潟県 人物・人材情報リスト 2021 第1巻』350頁。
- ^ a b c 『英文学』第91号、67頁。
- ^ a b 『會津八一傳』83頁。
- ^ 『青山同窓会會報』第42号、8面。
- ^ 『青山同窓会會報』第75号、8面。『むべの碁敵』30-31頁。
- ^ 『英文学』第91号、67・59頁。『英文学』第95号、144頁。
- ^ a b c 『英文学』第91号、65頁。
- ^ a b 『青山同窓會報』第88号、13面。
- ^ 『新潟日報』2008年11月5日付朝刊、27面。
- ^ 『青山同窓会會報』第41号、6面。
- ^ 『英文学』第95号、143頁。
参考文献
[編集]- 「小黒昌一教授を送る」『英文学』第91号、67-56頁、小黒昌一・Meiyo Mitsunobu・David Harry Shapiro(俳優の山本學の妹の夫)・Paul Snowden[著]、早稲田大学英文学会、2006年。
- 「小黒昌一名誉教授を偲ぶ」『英文学』第95号、145-128頁、大野浩、デイヴィッド・ハリー・シャピロ(俳優の山本學の妹の夫)、Paul Snowden[著]、早稲田大学英文学会、2009年。
- 「小黒昌一」『現代 物故者事典 2006〜2008』151頁、日外アソシエーツ[編]、日外アソシエーツ、2009年。
- 「小黒昌一」『新潟県 人物・人材情報リスト 2021 第1巻』350頁、日外アソシエーツ[編]、日外アソシエーツ、2020年。
- 「小黒昌一氏」『新潟日報』2008年11月5日付朝刊、27面、新潟日報社、2008年。
- 『會津八一傳』吉池進[著]、会津八一先生伝刊行会、1963年。
- 『むべの碁敵』小黒昌一[著]、校倉書房、2001年。
- 「画人笠原軔とその父漁村(七) (PDF) 」『青山同窓会會報』第41号、6面、小林智明[著]、青山同窓会、1985年。
- 「画人笠原軔とその父漁村(八) (PDF) 」『青山同窓会會報』第42号、8面、小林智明[著]、青山同窓会、1986年。
- 「『尚古堂春秋』(作品社)小黒昌一著 (PDF) 」『青山同窓会會報』第75号、8面、田村誠一[著]、青山同窓会、2002年。
- 「竹馬の友、異才小黒昌一の急逝を悼む (PDF) 」『青山同窓會報』第88号、13面、河野開[著]、青山同窓会、2009年。
関連文献
[編集]- 「アメリカの日本語学生と教師 (PDF) 」『青山同窓会會報』第13号、3面、小黒昌一[著]、青山同窓会、1971年。
- 「小黒昌一著 尚古堂春秋 巧みな「大通」話芸」「にいがたの一冊」『新潟日報』2002年6月9日付朝刊、14面、平岡篤頼[著]、新潟日報社、2002年。
- 「小黒昌一氏」『讀賣新聞』2008年11月5日付朝刊、32面、読売新聞社、2008年。