大阪府立大学工業短期大学部
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大阪府立大学工業短期大学部 | |
---|---|
大学設置 | 1950年 |
創立 | 1949年 |
廃止 | 1983年 |
学校種別 | 公立 |
設置者 | 大阪府 |
本部所在地 | 大阪府大阪市生野区勝山南3-1-4[注釈 1] |
キャンパス |
生野キャンパス 寝屋川キャンパス 淀川キャンパス |
学部 |
機械科第二部 電気科第二部 溶接科第二部[注 1] |
大阪府立大学工業短期大学部(おおさかふりつだいがくこうぎょうたんきだいがくぶ、英語: Technical Junior College University of Osaka Prefecture)は、大阪府大阪市生野区勝山南3-1-4[注釈 1]に本部を置いていた日本の公立大学である。1950年に設置され、1983年に廃止された。大学の略称は工短[1]。
概要
[編集]大学全体
[編集]- 大阪府大阪市生野区に所在した日本の公立短期大学で、設置主体は大阪府[注 2]
- 国内で最初に認可された短期大学149校[注 3]の1校として、1950年に浪速大学短期大学部として開学した[4]。
- 開学当初は、堺市耳原町1202[注 4]に所在し、後に寝屋川・淀川に各キャンパスを擁していたが、後に生野キャンパスに統合・移転された。当初は昼間部・夜間部に同じ3学科を擁していたが、最終的には夜間部3学科となる。
- 1980年度の入学生を最後に[注釈 2]、1983年に短期大学としての使命を終える[注釈 3]。
教育および研究
[編集]- 大阪府立大学工業短期大学部は科学技術と地域産業に寄与する中堅技術者の育成に力をいれていた。廃止になるまで勤労学生の教育に力をいれていた。I部は現在の大阪公立大学工業高等専門学校における教育の起源ともなっている。
学風および特色
[編集]- 大阪府立大学工業短期大学部は科学技術と地域産業に寄与する中堅技術者の育成をねらいに設置された。
- 大阪府立淀川工業(現:「工科」)高等学校やのちに桃谷高等学校と共同でキャンパスを使用するなどの経営を行っていた。
沿革
[編集]基礎データ
[編集]所在地
[編集]象徴
[編集]- 大阪府立大学工業短期大学部のカレッジマークは右記資料にあり[27]。
教育および研究
[編集]組織
[編集]学科
[編集]学科の変遷
[編集]専攻科
[編集]- なし
別科
[編集]- なし
取得資格について
[編集]年度 | 機械科 | 電気科 | 溶接科 | 出典および備考 |
---|---|---|---|---|
1954年 | 第一部 170 第二部 124 |
第一部 175[注釈 7] 第二部 126 |
第一部 49 第二部 58 |
[30] |
1958年 | 第一部 155 第二部 119 |
第一部 158[注釈 7] 第二部 122 |
第一部 39 第二部 53 |
[31] |
1959年 | 第一部 166 第二部 128 |
第一部 154[注釈 7] 第二部 128 |
第一部 43 第二部 57 |
[32] |
1960年 | 第一部 173 第二部 134 |
第一部 154 第二部 125 |
第一部 46 第二部 54 |
[33] |
1961年 | 第一部177 第二部140[注釈 7] |
第一部152 第二部132 |
第一部 53 第二部 52 |
[34] |
1962年 | 第一部 169 第二部 129 |
第一部 156[注釈 7] 第二部 131 |
第一部 46 第二部 52 |
[35] |
1963年 | 第一部 81 第二部 131 |
第一部 75[注釈 7] 第二部 143 |
第一部 19 第二部 58 |
[36] |
1964年[注 17] | 132 | 159 | 65 | [37] |
1965年 | 137 | 155 | 65 | [38] |
1966年 | 156 | 152 | 65 | [39] |
1967年 | 151 | 156 | 67 | [40] |
1968年 | 151 | 164 | 73 | [41] |
1970年 | 168[注釈 7] | 163 | 78 | [42] |
1971年 | 172[注釈 7] | 173[注釈 7] | 74 | [43] |
1972年 | 164[注釈 7] | 169[注釈 7] | 74 | [44] |
1973年 | 156 | 168[注釈 7] | 85 | [45] |
1975年 | 166 | 178[注釈 7] | 80 | [46] |
1976年 | 181 | 191[注釈 7] | 79 | [47] |
1977年 | 167 | 181[注釈 8] | 76 | [48] |
1978年 | 190 | 184[注釈 7] | 77 | [49] |
1979年 | 163 | 179[注釈 7] | 65[注釈 7] | [50] |
1980年 | 118 | 143[注釈 7] | 46[注釈 8] | [51] |
1981年[注 18] | 61 | 80[注釈 7] | 2[注釈 7] | [52] |
1982年 | 19 | 37[注釈 7] | 8 | [53] |
研究
[編集]大学関係者一覧
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- 歴代学長
出身者
[編集]施設
[編集]キャンパス
[編集]生野キャンパス
[編集]- 使用専攻科:なし
- 使用附属施設:なし
- 使用学科:機械科II部・電気科II部・溶接科II部
寝屋川キャンパス
[編集]- 使用学科:機械科・電気科・溶接科各第一部
- 使用専攻科:なし
- 使用附属施設:なし
- 設備:本館・第二本館・第三本館・実習工場・寄宿舎・運動場などがあった。
淀川キャンパス
[編集]- 使用学科:機械科・電気科・溶接科各第二部
- 使用専攻科:なし
- 使用附属施設:なし
- 設備:当時、大阪府立淀川工業高等学校(現:淀川工科高等学校)とキャンパスを共同使用していた。
学生食堂
[編集]- 大阪府立大学工業短期大学部の学生食堂(学食)は、当初構内中央部にあった学生集会室の一部を充てており、面積はおよそ10坪程度とやや狭隘であった。その後、利用する学生が増えたことにより、1955年より寝屋川寮のボイラー室の一部およそ40坪を改造して新築している。発足当時は、パンや麺類の販売が主なものとなっていたが、年を経るとともに米飯類も出されるようになっている[55]
寮
[編集]- 大阪府立大学工業短期大学部には、寝屋川キャンパスに学生寮があった。1938年に「商工省大阪機械工養成所寄宿舎」として設置されたのがはじまりであり、以来「厚生省大阪機械技術員養成所」、「大阪府立機械工業専門学校」を経て短期大学部寝屋川寮となった。1960年においては木造2階建2棟、建坪716坪となっていた[56]。
対外関係
[編集]系列校
[編集]卒業後の進路について
[編集]就職について
[編集]編入学・進学実績
[編集]- 大阪府立大学工学部をはじめ理工学系の大学等に進学した人もいたものとみられる。ほか京都工芸繊維大学への編入者もいた。
注釈
[編集]注釈グループ
[編集]- ^ a b 現在は、大阪府立桃谷高等学校の所在地。
- ^ a b 昭和56年度より学生募集停止[5]。
- ^ a b 出典[6][7]
- ^ a b 現在の文部科学省。
- ^ a b c 最終募集となった1980年における体制[28]。
- ^ a b c 最終募集となった1962年における体制[24]。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u うち女1
- ^ a b うち女2
補足
[編集]- ^ ほか学科も参照のこと。
- ^ 出典[2][3]
- ^ うち公立短期大学17校
- ^ 現在の堺区に相当。
- ^ 短期大学名 浪速大学短期大学部
- ^ 出典[9][10][11]。
- ^ 出典[12][13]
- ^ 出典[14][15]。
- ^ 出典[16][17]
- ^ 昨年度の資料[19]及び本年度のそれ[20]とを見比べた結果から。
- ^ 大阪府立工業高等専門学校に切り替えのため昭和38年度より学生募集停止[22]
- ^ 昨年度の資料[23]及び本年度のそれ[24]とを見比べた結果から。
- ^ 出典[8][26]
- ^ 現在は大阪公立大学工業高等専門学校の所在地。
- ^ 現在は大阪府立淀川工科高等学校の所在地。
- ^ 1954年度についてはその年度(月日は不詳だが、1955年3月以前のデータ)、1958年度以降はその該当年度の5月1日時点でのデータである。なお、注釈のない部分は、男のみの在籍である、
- ^ 1964年度以降は、第二部のみ
- ^ この年度以降、募集停止
出典
[編集]- ^ a b c 大阪府立大学工業短期大学部第一部'1964.
- ^ 全国短期大学一覧 昭和57年度より。
- ^ 全国短期大学・高等専門学校一覧 昭和57年度より。
- ^ 官報 1950年09月15日より。
- ^ 全国短期大学一覧 昭和56年度より。
- ^ 全国短期大学一覧 昭和58年度より。
- ^ 全国短期大学・高等専門学校一覧 昭和58年度より。
- ^ a b 全国公立短期大学協会'1980.9, p. 170.
- ^ 文部省a, p. 39.
- ^ 文部省b, p. 3.
- ^ 日本教育年鑑より。
- ^ 全国学校名鑑 昭和25年版より。
- ^ 旺文社1950-01, p. 33.
- ^ 全国大学大観 昭和30年版より。
- ^ 日本大学大鑑 1977年版より。
- ^ 短期大学一覧 昭和25年5月1日現在より。
- ^ 文部省d, p. 3.
- ^ 短期大学一覧 昭和26年度 (短期大学資料 ; 第3号)より。
- ^ 短期大学一覧 昭和27年度 (短期大学資料 ; 第5号)より。
- ^ 短期大学一覧 昭和28年度 (短期大学資料)より。
- ^ 短期大学一覧 昭和31年度 (短期大学資料)より。
- ^ 短期大学一覧 昭和38年度 (短期大学資料)より。
- ^ 短期大学一覧 昭和36年度 (短期大学資料 ; 第27号)より。
- ^ a b 短期大学一覧 昭和37年度 (短期大学資料 ; 第30号)より。
- ^ 短期大学一覧 昭和39年度 (短期大学資料)より。
- ^ 廣潤社'1969.10, p. 28.
- ^ 廣潤社'1969.10, p. 27.
- ^ 全国短期大学一覧 昭和55年度より。
- ^ 文部省e, p. 34.
- ^ 文部省'54, p. 1371.
- ^ 文部省'58, p. 15.
- ^ 文部省'59, p. 15.
- ^ 東京教育研究所'60, p. 19.
- ^ 文部省'61, p. 19.
- ^ 文部省'62, p. 22.
- ^ 文部省'63, p. 23.
- ^ 文部省'64, p. 23.
- ^ 文部省'65, p. 25.
- ^ 文部省'66, p. 27.
- ^ 文部省'67, p. 27.
- ^ 文部省'68, p. 29.
- ^ 文部省'70, p. 29.
- ^ 文部省'71, p. 29.
- ^ 文部省'72, p. 30.
- ^ 文部省'73, p. 31.
- ^ 文部省'75, p. 35.
- ^ 文部省'76, p. 35.
- ^ 文部省'77, p. 35.
- ^ 全国学校総覧 昭和54年版より。
- ^ 全国学校総覧 昭和55年版より。
- ^ 全国学校総覧 昭和56年版より。
- ^ 全国学校総覧 昭和57年版より。
- ^ 全国学校総覧 昭和58年版より。
- ^ 大阪府立大学工業短期大学部第一部'1964, p. 36.
- ^ 大阪府立大学十年史-50コマ目-より。
- ^ 大阪府立大学十年史-49コマ目-より。
参考文献
[編集]1949年短大設置申請分
[編集]- 文部省『申請大学、短期大学等一覧』(PDF)文部省 。
- 文部省『短期大学審査状況』(PDF)文部省 。
- 旺文社『蛍雪時代 19(10);昭和25年1月號』旺文社 。
- 文部省管理局管理課『昭和25年5月1日現在 短期大学等一覧』(PDF)文部省 。
教員養成機関
[編集]- 文部省大学学術局『教員養成課程認定大学短期大学一覧 : 附指定教員養成機関一覧. (昭和30年) / (編)』(PDF)文部省 。
全国学校総覧
[編集]- 文部省調査局統計課『全国学校総覧 昭和30年版』青葉書房 。
- 文部省『全国学校総覧 昭和34年版』東京教育研究所 。
- 文部省『全国学校総覧 昭和35年版』原書房 。
- 東京教育研究所/編『全国学校総覧 昭和36年版』東京教育研究所 。
- 文部省『全国学校総覧 昭和37年版』東京教育研究所 。
- 文部省『全国学校総覧 昭和38年版』東京教育研究所 。
- 文部省調査局統計課『全国学校総覧 昭和39年版』東京教育研究所 。
- 文部省調査局統計課『全国学校総覧 昭和40年版』東京教育研究所 。
- 文部省調査局統計課『全国学校総覧 昭和41年版』東京教育研究所 。
- 文部省調査局統計課『全国学校総覧 昭和42年版』東京教育研究所 。
- 文部省調査局統計課『全国学校総覧 昭和43年版』東京教育研究所 。
- 文部省調査局統計課『全国学校総覧 昭和44年版』東京教育研究所 。
- 文部省『全国学校総覧 昭和46年版』東京教育研究所 。
- 文部省『全国学校総覧 昭和47年版』東京教育研究所 。
- 文部省『全国学校総覧 昭和48年版』東京教育研究所 。
- 文部省『全国学校総覧 昭和49年版』東京教育研究所 。
- 文部省『全国学校総覧 昭和51年版』東京教育研究所 。
- 文部省『全国学校総覧 昭和52年版』原書房 。
- 文部省『全国学校総覧 昭和53年版』東京教育研究所 。
全国公立短期大学協会三十年誌
[編集]- 全国公立短期大学協会『全国公立短期大学協会三十年誌』全国公立短期大学協会 。
全国短期大学受験要覧(廣潤社)
[編集]- 広潤社編集部『全国短期大学受験要覧 昭和45年版』廣潤社 。
短期大学記念誌
[編集]- 大阪府立大学工業短期大学部第一部閉部記念誌編纂小委員会/編集『工短:閉部記念誌』大阪府立大学工業短期大学部第一部閉部記念事業実行委員会 。