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大森治豊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大森治豊
生誕 1852年12月20日
日本の旗江戸神田三河町
死没 (1912-02-19) 1912年2月19日(59歳没)
日本の旗 日本福岡県
国籍 日本の旗 日本
研究機関 福岡医科大学
出身校 東京帝国大学
プロジェクト:人物伝
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大森 治豊(おおもり はるとよ、嘉永5年11月10日1852年12月20日) - 1912年2月19日)は日本の外科医医学博士。日本の腹部外科の開拓者。

人物

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1852年嘉永5年)、上山藩御典医、大森快春の長男として江戸に生まれる。以後、出羽国上山藩に移り、藩校の明新館に入学[1]

1879年東京大学医学部卒業後、福岡医学校に赴任し、1885年同校校長となる。 1885年日本で初めて帝王切開手術に成功[2]し、以来次々に腹部手術を行う。

1903年福岡医科大学が創設された際に、初代学長兼付属医院長となり、外科学講座をもつ。1909年病気により退官、1911年九州帝国大学名誉教授。

1910年、九州大学医学部に大森の銅像が建てられた[3]

栄典・授章・授賞

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位階
勲章等

脚注

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  1. ^ 山形県上山市の大森治豊博士住居跡案内板による。
  2. ^ 消化器・総合外科(第二外科)の歴史 九州大学医学部
  3. ^ 大森治豊と大森関係史料の寄贈について 九大広報30号 2003年7月
  4. ^ 『官報』第7051号、「叙任及辞令」1906年12月28日。
  5. ^ 『官報』第7980号「叙任及辞令」1910年2月1日。
  6. ^ 『官報』第7955号「叙任及辞令」1909年12月28日。

参考文献

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  • 岩熊哲「杏仁医館随筆(その十一、十四、十七)、九大医史の試み(上、中、下)」(『九大医報』10-4、11-1、11-4、1936年~1937年)
  • 宇留野勝弥, 大森治豊『医傑大森先生の生涯』宇留野勝彌、1961年。doi:10.11501/2986271全国書誌番号:62000532https://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I001315895-00 
  • 杉江勇「九州開眼秘史(南蛮医術)」(『夕刊フクニチ新聞』1964年4月21日~6月23日)
  • 九州大学百年の宝物刊行委員会「第6章 97.歴代総長の肖像」『九州大学百年の宝物』丸善プラネット, 丸善出版 (発売)、2011年、210頁。hdl:2324/1526202ISBN 9784863450738https://hdl.handle.net/2324/1526202 
  • 土居善胤編、佐藤裕・光富彰対談「九州大学医学のきらめく博士たち」(博多に強くなろうシリーズ 79、西日本シティ銀行、2011年)
  • 『九州大学大学文書館ニュース』39、2015年

ギャラリー

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外部リンク

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