大森 (印西市)
大森 | |
---|---|
北緯35度49分51.0秒 東経140度8分30.6秒 / 北緯35.830833度 東経140.141833度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 千葉県 |
市町村 | 印西市 |
標高 | 21 m |
人口 | |
• 合計 | 4,636人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
270-1327[2] |
市外局番 | 0476[3] |
ナンバープレート | 習志野 |
※座標・標高は大森青年館付近 |
大森(おおもり)は、千葉県印西市の大字。郵便番号270-1327[2]。
地理
[編集]北は浅間前、茨城県利根町布川、北東は木下、東は竹袋、南東は別所、南は鹿黒南、草深、南西は鹿黒、西は亀成、北西は発作に隣接している。
小字
[編集]小字は以下の通り[4]。
- 中峠(なかびょう)
- 高堀(たかぼり)
- 大割(おおわり)
- 小割(こわり)
- 新畑(しんはた)
- 野辺場(のべば)
- 東台(ひがしだい)
- 古新田(こしんでん)
- 西台(にしだい)
- 宮脇(みやわき)
- 蒲ヶ沢(かばがさわ)
- 三高台(さんこうだい)
- 割野(わりの)
- 迎山(むかいやま)
- 鹿黒下(かぐろした)
- 仲田(なかた)
- 迎田(むかいだ)
- 小屋ノ内(こやのうち)
- 坪田(つぼた)
- 種井尻(たにいじり)
- 大山谷津(おおやまやづ)
- 飯島(いいじま)
- 新迎田(しんむかいだ)
- 谷津(やづ)
- 下田(しもだ)
- 鹿黒橋(かぐろはし)
- 長田(ながた)
- 儘田(ままだ)
- 八夜下(はちやした)
- 和田(わだ)
- 角田(つのだ)
- 堂下(どうした)
- 花輪下(はなわした)
- 蓬田(よもぎだ)
- 大畑(おおはた)
- 森内(もりうち)
- 前畑(まえばた)
- 下の辺田(しものへだ)
- 八夜台(やこうだい)
- 二畝割(にせわり)
- 呑内(のみうち)
- 下宿(しもじゅく)
- 原ノ宿(はらのじゅく)
- 上宿(かみじゅく)
- 東ノ下(ひがしのした)
- 池ノ内(いけのうち)
- 池ノ上(いけのうえ)
- 曽谷窪(そやくぼ)
- 狸穴(まみあな)
- 町田(まちだ)
- 池下(いけのした)
- 太田(おおた)
- 馬坂(まさか)
- 天王前(てんのうまえ)
- 後庵(ごわん)
- 宮ノ入(みやのいり)
- 杉ノ内(すぎのうち)
- 小山崎(こやまざき)
- 中の口根方(なかのくちねかた)
- 舟戸(ふなと)
- 西埜原(にしやわら)
- 丸山下(まるやました)
- 東埜原(ひがしやわら)
- 六軒(ろっけん)
- 七畝割(ななせわり)
- 中ノ口(なかのくち)
- 築留(つきどめ)
歴史
[編集]江戸時代は大森村[5]・大森新田[6]の2村、1874年(明治7年)頃からは大森村である。
大森村(おおもりむら)は下総国印旛郡のうち。印西領に属す。寛文年間(1661年~1673年)から幕府領、1697年(元禄10年)から幕府・旗本西山氏の相給、1701年(元禄14年)から佐倉藩領、1723年(享保8年)から淀藩領。村高は「元禄郷帳」1,069石余、「天保郷帳」「旧高旧領」ともに1,062石余。なお1672年(寛文12年)の検地により、新田582石余が高請されている。当村に、幕府領期に代官の出張陣屋、淀藩領期に飛地支配の陣屋が置かれた。1723年(享保8年)「淀領郷村帳」によれば、小物成として夫銭永2貫139文余・山銭永1貫906文余・百姓林銭永820文余・夏苅銭永744文を上納(田辺家文書)。1873年(明治6年)千葉県に所属。1872年(明治5年)の戸数560・人口1,375。1874年(同7年)頃に大森新田を合併。神社は火皇子神社・鳥見神社、寺院は天台宗長楽寺・星光院(印旛郡誌)。1889年(明治22年)大杜村の大字となる[5]。
大森新田(おおもりしんでん)は下総国印旛郡のうち。印西領に属す。利根川支流亀成川左岸に位置する。もと小金牧のうち印西牧の一部。1670年(寛文10年)惣深新田開発請負主・鰭ケ崎村清重郎らが近隣村との対立を避けて草深野の一部を16か村に分与した。それを切添新田として大森村が開発し1679年(延宝7年)の検地により高請され成立。幕府領。村高は「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに98石余。1679年(延宝7年)の反別下畑20町8反余・屋敷1反余。1873年(明治6年)千葉県に所属。1874年(同7年)頃本村である大森村の一部となるが、以来「古新田」と通称される[6]。
年表
[編集]- 1873年(明治6年) - 千葉県に所属。
- 1874年(明治7年)頃 - 大森村と大森新田が合併し大森村が成立。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行し大森村、鹿黒村、発作村、亀成村が合併し印旛郡大杜村が発足。大杜村大字大森になる。
- 1913年(大正2年)3月1日 - 大杜村が町制施行・改称して大森町となる。大森町大字大森となる。
- 1954年(昭和29年)12月1日 - 木下町・大森町・船穂村と永治村の一部が合併し印西町が発足。印西町大森となる。
- 1996年(平成8年)4月1日 - 印西町が市制施行して印西市となる。印西市大森となる。
世帯数と人口
[編集]2017年(平成29年)10月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
大字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
大森 | 2,207世帯 | 4,636人 |
小・中学校の学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[7]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 印西市立大森小学校 | 印西市立印西中学校 |
施設
[編集]- 印西市役所
- 印西警察署
- 大森図書館
- 印西市立大森小学校
- 印西市立印西中学校
- 印西市立大森幼稚園
- 天神幼稚園
- 大森保育園
- 中央公民館
- 印西市商工会館
- 印西市中央保健センター
- 農林水産省手賀排水機場
- 印西自動車学校
- 印西中央自動車学校
- 印西変電所
- 老人ホームみどり荘
- 老人保健施設シルバーヴィラ大森
- JA西印旛
- 千葉銀行印西支店
- 六軒コミュニティーセンター
- 中の口公民館
- 西埜原会館
- 大森青年館
- 古新田集会所
- 干拓稲荷神社
- 厳嶋神社
- 浅間神社
- 大杉神社
- 大森鳥見神社
- 火皇子神社
- 長楽寺
- 西埜原公園
- 西埜原公園
- おおた幼児公園
- まみあな幼児公園
- 七畝割第1幼児公園
- 七畝割第2幼児公園
- 馬坂幼児公園
交通
[編集]鉄道
[編集]道路
[編集]脚注
[編集]- ^ a b “印西市の人口と世帯数”. 印西市 (2017年11月2日). 2017年11月13日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2017年11月13日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年11月13日閲覧。
- ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 12 千葉県』、角川書店、1984年 ISBN 4040011201 1449頁
- ^ a b 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 12 千葉県』、角川書店、1984年 ISBN 4040011201 198頁
- ^ a b 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 12 千葉県』、角川書店、1984年 ISBN 4040011201 199頁
- ^ “印西市立小・中学校の通学区域”. 印西市 (2017年4月4日). 2017年11月13日閲覧。
発作 | 浅間前、茨城県利根町布川 | 木下 | ||
亀成 | 竹袋 | |||
大森 | ||||
鹿黒 | 鹿黒南、草深 | 別所 |