コンテンツにスキップ

坂崎幸之助のオールナイトニッポン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
オールナイトニッポン > 坂崎幸之助のオールナイトニッポン

坂崎幸之助のオールナイトニッポンニッポン放送の人気深夜放送オールナイトニッポンTHE ALFEE坂崎幸之助がパーソナリティを担当したラジオ番組

放送時間

[編集]

コーナー

[編集]
  • どうもすいませんコーナー
    • リスナーからの怒りのはがきを読み、坂崎が林家三平の真似をして「どうもすいません」と謝る[1]
  • 桜井の父コーナー
  • 質問コーナー
  • 恋人になりたい情報
  • 替え歌コーナー
  • モーニングコール
    • 火曜2部時代、「この早朝から準備や仕事で起きている人もいるだろう」として、そのような人たちと電話をつないで話をするコーナー。このコーナーの第1回目に出演したのは、ちょうど『ズームイン!!朝!』(日本テレビ)の準備をしていた徳光和夫(当時同局アナウンサー)だった[1]
  • 特集コーナー[2]

登場したゲスト

[編集]

補足

[編集]
  • 1984年4月4日から1985年3月27日まで『アルフィーのオールナイトニッポン』が水曜1部にて放送されていた。
  • 1980年~1981年の火曜2部担当の当時は、ニッポン放送において『坂崎幸之助のほとんど冗談!』のパーソナリティも兼任していた。
  • 後に歌手・シンガーソングライターとしてデビューする池田幸司が、はがきや自分の歌を録音したデモテープをこの番組宛に送り続け、まずこの番組中で有名になる[3]。この番組ではアルフィーのミキサーの鈴木千春の名を借りて「岡山の千春」を名乗って投稿していた[3][4]。この番組がきっかけでそのユニークさと熱意、音楽的志向の強さにアルフィーのスタッフが強く反応し、アルフィーの他のメンバーやスタッフらファミリーに紹介される[3][5]。1983年3月には坂崎から池田に向けて直接「上京したら番組に出してあげよう」とメッセージを発し、早速その翌週に上京した池田は本番組に出演した[4]

脚注

[編集]

出典

[編集]
  1. ^ a b c 『オールナイトニッポン大百科』主婦の友社、1997年10月、62頁。 坂崎幸之助インタビュー
  2. ^ ラジオライフ』第2巻第2号、三才ブックス、1981年3月1日、69頁。 
  3. ^ a b c ラジオマガジン 1984年10月号 129 - 130頁 池田幸司の記事。
  4. ^ a b 明星 1985年1月号 130 - 131頁 池田幸司の記事。
  5. ^ 明星集英社)1984年10月号 164頁「今月の新人」池田幸司の記事。
オールナイトニッポン
前担当
坂崎幸之助のオールナイトニッポン
火曜 27:00 - 29:00
次担当
オールナイトニッポン
前担当
坂崎幸之助のオールナイトニッポン
火曜 25:00 - 27:00
次担当
オールナイトニッポン
前担当
坂崎幸之助のオールナイトニッポン
水曜 25:00 - 27:00
次担当
2004年オールナイトニッポンパーソナリティ
曜日 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
月曜 西川貴教
火曜 土屋礼央
水曜 堀内健とビビる大木 坂崎幸之助 ビビる大木
木曜 ナインティナイン
金曜 週替わり 田村淳 笹川美和
土曜 リスナーズBEST! SHOGO