北見富丘駅
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北見富丘駅 | |
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1962年(昭和37年)頃の北見富丘駅(毎日新聞社編『日本の鉄道5』〔1962年〕p.23より) | |
きたみとみおか Kitami-Tomioka | |
◄浜佐呂間 (3.4 km) (2.5 km) 東富丘仮乗降場► | |
所在地 | 北海道北見市常呂町富丘 |
所属事業者 | 日本国有鉄道(国鉄) |
所属路線 | 湧網線 |
キロ程 | 49.4 km(中湧別起点) |
電報略号 | キト |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1952年(昭和27年)12月6日[1] |
廃止年月日 | 1987年(昭和62年)3月20日[1] |
備考 |
湧網線廃線に伴い廃駅 仮乗降場との距離は実キロ |
北見富丘駅(きたみとみおかえき)は、かつて北海道(網走支庁)常呂郡常呂町字富丘(現・北見市常呂町富丘)に設置されていた、日本国有鉄道(国鉄)湧網線の駅(廃駅)である。電報略号はキト。事務管理コードは▲122408[2]。
歴史
[編集]- 1952年(昭和27年)12月6日 - 日本国有鉄道湧網東線の常呂駅 - 下佐呂間駅(後の浜佐呂間駅)間の延伸開通に伴い、開業[1]。旅客のみ取り扱い[1]。
- 1953年(昭和28年)10月22日 - 中湧別駅 - 網走駅間全通により路線名を湧網線に改称、それに伴い同線の駅となる。
- 1987年(昭和62年)3月20日 - 湧網線の全線廃止に伴い、廃駅となる[1]。
駅名の由来
[編集]当地は以前「西川沿」の字名であったが、1941年(昭和16年)に「富丘」と改称されていた。当駅はこの名称を用い、すでに同音の常磐線富岡駅が存在したため、旧国名の「北見」を冠した[3]。
地名は富んだ丘になるように、との願いから付けられたと考えられる[4]。
駅構造
[編集]廃止時点で、1面1線の単式ホームと線路を有する地上駅であった。プラットホームは、線路の北側(網走方面に向かって左手側)に存在した。転轍機を持たない棒線駅となっていた[5]。
無人駅となっており、駅舎は無いがホーム中央部分に待合所を有していた[5]。ブロック造りで広さが約30平方メートル、電気設備が無い建物であった[5]。
利用状況
[編集]乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。
年度 | 乗車人員 | 出典 | 備考 | |
---|---|---|---|---|
年間 | 1日平均 | |||
1978年(昭和53年) | 13 | [6] |
駅周辺
[編集]畑が広がり農家が点在する。
駅跡
[編集]2011年(平成23年)時点では駅跡附近に枕木が積み重ねられて残存し、当駅跡から常呂駅方の線路跡が築堤として残存していた[7]。
隣の駅
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、915頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、244頁。doi:10.11501/1873236 。2023年3月21日閲覧。
- ^ 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、205頁。ASIN B000J9RBUY。
- ^ 太田幸夫『北海道の駅878ものがたり 駅名のルーツ探究』富士コンテム、2004年2月、169-170頁。ISBN 978-4893915498。
- ^ a b c 宮脇俊三 編『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』原田勝正、小学館、1983年7月、161頁。ISBN 978-4093951012。
- ^ 藤田, 稔 編『国鉄全駅大事典』藤田書店、1980年4月30日、910頁。doi:10.11501/12065814 。
- ^ 本久公洋『北海道の鉄道廃線跡』北海道新聞社、2011年9月、105頁。ISBN 978-4894536128。