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常呂町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ところちょう
常呂町
旧常呂町カーリングホール施設外観(2011年)
常呂町カーリングホール施設外観(2011年)

常呂町旗

常呂町章
廃止日 2006年3月5日
廃止理由 新設合併
北見市、留辺蘂町端野町常呂町北見市
現在の自治体 北見市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 北海道地方
都道府県 北海道 網走支庁
常呂郡
市町村コード 01553-9
面積 278.29 km2
総人口 4,889
(住民基本台帳、2006年2月28日)
隣接自治体 網走市北見市
常呂郡端野町佐呂間町
紋別郡湧別町
町の木 ナナカマド
町の花 クレマチス
常呂町役場
所在地 093-0292
北海道常呂郡常呂町字常呂323番地
外部リンク 北見市:常呂総合支所
座標 北緯44度07分14秒 東経144度04分16秒 / 北緯44.12064度 東経144.07119度 / 44.12064; 144.07119座標: 北緯44度07分14秒 東経144度04分16秒 / 北緯44.12064度 東経144.07119度 / 44.12064; 144.07119
北海道内における常呂町の位置
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常呂町(ところちょう)は、北海道網走支庁管内の常呂郡に属していた、オホーツク海に面する町。2006年3月5日に周辺3市町との合併により北見市の一部となり、常呂郡から離脱した(住所表記は北見市常呂町)。

概要

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2006年平成18年)3月5日北見市留辺蘂町端野町新設合併し、北見市の一部となった。合併後も自治区が設けられ、一定の自治が認められる形となっている。町名の由来は、アイヌ語の「トー・コロ」(のある所)から。北海道におけるカーリングの町としても有名であった。

常呂町は常呂郡の地域ではあるが、昔から網走市佐呂間町の結び付きが強かった。そのため、常呂町はサロマ湖岸の佐呂間町・湧別町上湧別町との枠組みで合併協議して合併を目指す予定だったが、これに当時の常呂町首脳は生活圏が遠軽町に変わることを恐れ反対し、北見市との協議に入った。また、当時の女満別町(現・大空町)も「網走市女満別町東藻琴村美幌町津別町・常呂町」の枠組みを発案したが、常呂町は不参加であった。その後、北見市合併の是非に関する住民投票でも賛成の声が反対を上回ったことで合併が実現することとなった。

地理

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網走支庁中部に位置。北部はオホーツク海に接し、常呂川の河口を有する。 西部はサロマ湖に隣接、南部は丘陵地帯。

海岸に位置するが夏と冬の温度差は比較的大きい。夏は32度、冬は-20度程度。 冬季は流氷が接岸する。

気象庁の細分では、天気予報および警報注意報は北見地方ではなく、網走西部地方となる。

隣接していた自治体

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地名の変遷

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1941年11月10日に北海道庁告示第1500号をもって字名改正が実施された。その内容は以下のとおりである。大字欄に記述している鐺沸村1915年の発足時に大字常呂村に編入した地域であり実際は大字ではなかった。また少牛村については発足時には存在していた大字であるが1916年野付牛町と大字手師学村に分割されて編入したことにより字名改正時には存在していない大字であった[1]

字名改正対照表[2]
新たに画する字 区域(旧大字:常呂郡常呂村大字) 区域(旧小字)
常呂 常呂村 常呂、トコロ、常呂原野、常呂原野東一線、常呂市街、常呂市街北裏通東一丁目六、常呂市街地、常呂市街地大通東一丁目、常呂市街地大通西一丁目、常呂市街地北通東一丁目、常呂市街地北通西一丁目、常呂市街地北裏通西一~二丁目、常常市街地北通西三丁目、常呂市街予定地、常呂大通西三丁目、常呂川、下常呂、下常呂原野、下常呂原野東一線、市街予定地、市街予定地大通一丁目、市街予定地大通西一丁目、市街予定地北裏通東一丁目、ポントマリ、ノテツト、オキザル、オギザル、ヲキザル、ヲキサル、ラキサル、ウヲルケー、シヨヤニ、字シヨヤニ、ポンニンタイ、モンカンル、モンカンロ、フヲウタカ、トフルバ
東浜 モヤサン、ポンモヤサム、ホロモヤサム、ホロムアサム、ポロモイアサム、ホロモイアサム、メチヤコマナイ、シラリカタナイ、ポントマリ、ホントマリ、常呂
土佐 常呂、常呂原野基線、常呂原野東一線、下常呂、下常呂原野、下常呂原野基線、下常呂原野東一線、下常呂原野西一~二線、トフルバ
岐阜 トクセキベリ、オタチ、オタチツプ、常呂原野、常呂原野西四~五線、下常呂、下常呂原野、下常呂原野西三~六線
(鐺沸村) 下常呂原野、サロマベツ川口
栄浦 常呂村 鐺沸、トウブツ、下常呂原野、イルヱサシ
(鐺沸村) 鐺沸、トウブツ、サルマ、蠣島、蠣島市街、サロマベツ川口、ボント、ワツカ、フレワツカ、ア子ブス
共立 常呂村 常呂原野東二線、下常呂、下常呂原野、下常呂原野基線、下常呂原野東、下常呂原野東一~二線、下常呂原野西一線、下常呂原野西一線西二線、下常呂区外、モンカンロ、アネトイ
豊川 下常呂、下常呂原野、下常呂原野東二線
太茶苗村 坂下
富丘 常呂村 下常呂、下常呂原野、下常呂原野西一線、サロマベツ
福山 下常呂、下常呂原野、チエトイ、チヱトイ、ポロナイ、ボロナイ、太茶苗村
太茶苗村 太茶苗、下常呂、下常呂原野、ウツナイオベツ
日吉 常呂村 下常呂原野
太茶苗村 太茶苗、太茶苗密居宅地、下常呂、下常呂原野、ウツナイオベツ
手師学村 手師学、手師学密居宅地、下常呂、下常呂原野、アシリコタン、クマ川、ポンクマ川、トイカ
(少牛村) 下常呂原野
吉野 手師学村 下常呂原野、クマ川、トイカ、トイカ原野、北登
北登、ニコロ、トイカ

2006年には北見市と合併したことにより全ての字町に旧自治体名を冠して「北見市常呂町○○」となった。

歴史

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  • 1883年明治16年):常呂村に、常呂郡を一円とする常呂村外六箇村戸長役場が設置される(常呂町の開基)。
  • 1897年(明治30年):常呂村外六箇村戸長役場より野付牛村外一箇村戸長役場を分離。
  • 1914年大正3年):常呂外四箇村戸長役場より鐺沸村(のちの佐呂間町)を分離。
  • 1915年(大正4年)4月1日 - 常呂村、少牛(ちいうし)村、太茶苗(ふとちゃない)村、手師学(てしまない)村が合併し、常呂郡常呂村となる。鐺沸村の一部を編入。
  • 1916年(大正5年) - 野付牛町に大字少牛村及び大字手師学村の各一部を分割編入。村内に残った両大字の残部を併せて大字手師学村となる。
  • 1936年昭和11年)10月10日 - 鉄道省湧網東線が延伸開業し、村内に常呂駅新設。
  • 1941年(昭和16年) - 村内の大字を廃止、行政字に再編。
    • 常呂村 → 常呂、東浜、土佐、岐阜、共立、富丘、豊川、栄浦、福山
    • 太茶苗村 → 福山、日吉
    • 手師学村 → 日吉、登、吉野
  • 1950年(昭和25年)11月1日 - 町に昇格、常呂町となる[3]
  • 1952年(昭和27年)12月6日 - 国鉄湧網東線延伸開業により、町内に北見富丘北見共立の2駅新設。
  • 1953年(昭和28年)10月22日 - 湧網東線を湧網西線に編入し湧網線に改称。
  • 1956年(昭和31年)1月7日 - 国鉄湧網線の北見共立・常呂間に土佐仮乗降場、常呂・能取(町外)間に常呂港仮乗降場を新設。
  • 1956年(昭和31年)5月1日 - 国鉄湧網線の北見富丘・北見共立間に東富丘仮乗降場を新設。
  • 1972年(昭和47年)2月8日 - 土佐仮乗降場、常呂港仮乗降場を廃止。
  • 1987年(昭和62年)3月20日 - 国鉄湧網線廃止、町内から鉄道路線が無くなる。
  • 2006年平成18年)3月5日 - 留辺蘂町端野町、旧北見市と合併、4市町区域に新たに北見市を設置。北見市常呂町となる。これに伴い端野町・留辺蘂町・常呂町の3町は常呂郡より離脱。

経済

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産業

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海岸部では漁業が発達、ホタテなどがとれる。 丘陵部では農業(畑作)が発達。

姉妹都市

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国内

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海外

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地域

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教育

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交通

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北見市常呂町交通ターミナル(2009年6月)

鉄道・バス

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常呂町内を通っていた旧日本国有鉄道(国鉄)湧網線1987年昭和62年)3月20日に廃止された。町内には北見富丘駅、東富丘仮乗降場、北見共立駅、常呂駅が設置されていた。現在、常呂駅の跡地はバスターミナルになっている。

下記の駅へバスが運行される。

町内へは町営バスが運行されており、バスターミナルから栄浦(サロマ湖沿岸)までを巡回している。

道路

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名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

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ワッカネイチャーセンター(2011年4月)

観光

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  • サロマ湖(サロマ湖に沈む夕日,冬期のサロマ湖に現れる蜃気楼
  • ワッカ原生花園北海道遺産
  • ワッカネイチャーセンター
  • 常呂遺跡(北海道遺産)
  • ところ遺跡の森
    • ところ遺跡の館
    • ところ埋蔵文化財センター「どきどき」
  • 常呂町手工芸の館
  • 常南ビーチ海水浴場
  • 常呂町カーリングホール(日本国内初の屋内カーリング場)
  • 1本の木(農協牧場)
  • 常呂森林公園(アスレチックパークゴルフ、焼き肉ハウス)
    • 百年記念塔(白鳥が羽を広げた様子をイメージして作られているが、名産のホタテにちなみ、ホタテタワー、ホタテの塔と呼ばれることが多い)

祭り

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  • ところふるさとまつり
  • 雪ん子まつり
  • 常呂神社祭

催事

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  • サロマ湖100キロウルトラマラソン
  • インターナショナルオホーツクサイクリング
  • 町民大運動会
  • スノーモービルランド in サロマ湖
  • NHK杯カーリング大会
  • ところ物産まつり

出身人物

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政治・経済

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スポーツ

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カーリングの町として知られ、日本におけるカーリングの聖地と言われている。冬季オリンピックに出場したカーリング選手には常呂町出身者が多い。北海道とカナダアルバータ州が姉妹提携を結んだことをきっかけに、普及に努めるようになった。1988年には国内初のカーリングホール「常呂町カーリングホール」を開設した。

2018年2月、平昌オリンピックにおいてロコ・ソラーレが銅メダルを獲得し常呂町に凱旋した折には1000人の住民が出迎えた。吉田知那美「小さいときは、この街にいても絶対夢はかなわないと思っていました。でも今は、ここにいなかったら夢はかなわなかったなと思います」とコメントした[4]

また2006年の女子日本選手権ではチーム常呂中学校がトリノ代表のチーム青森を破る殊勲を挙げ3位入賞、翌2007年の大会でも続けて3位に入賞するなど、合併後もカーリングにおいて常呂の存在感を示し続けている。

芸能・マスコミ

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アイヌ文化

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  • 藤山ハル - 戦後樺太から移り住み、樺太アイヌ語の話者、文化伝承者として数多くの研究者に協力するとともに、樺太アイヌ文化の伝承活動に尽力したことで知られる。
  • 金谷フサ - 藤山ハルの長女。母とともに樺太アイヌ文化の伝承活動に尽力し、常呂町樺太アイヌ文化保存会を結成した。母の死後も、夫の金谷栄二郎とともに引き続き文化伝承活動において大きな功績を果たした。その功績で、1979年、エイボン伝統芸術賞を受賞した。

ゆかりの作品

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トピック

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関連項目

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脚注

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  1. 『角川日本地名大辞典 : DVD-ROM for Windows』角川学芸出版、2011年。
  2. 『常呂村字地番整理調書』常呂村役場、1941年。
  3. 総理府告示第339号 官報. 1950年12月18日
  4. カーリングLS北見、世界を魅了した笑顔とその裏の涙。「そだねー」の背景にあったもの”. テレ朝POST. 2025年12月10日閲覧。

外部リンク

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