俵口町
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俵口町 | |
---|---|
北緯34度42分11.5秒 東経135度41分7.5秒 / 北緯34.703194度 東経135.685417度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 奈良県 |
市町村 | 生駒市 |
面積 | |
• 合計 | 3.17 km2 |
人口 | |
• 合計 | 7,246人 |
• 密度 | 2,300人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
630-0243[3] |
市外局番 | 0743(奈良MA)[4] |
ナンバープレート | 奈良 |
俵口町(たわらぐちちょう)は、奈良県生駒市の町名。郵便番号は630-0243。
地理
[編集]生駒市中部に位置し、北に新生駒台、松美台、南田原町、喜里が丘、西に大阪府四條畷市、大東市、東大阪市、南から東にかけて門前町、北新町、光陽台、西松ケ丘、東松ケ丘、谷田町、桜ケ丘、生駒台南、生駒台北、小明町と接する。
河川
[編集]- 竜田川
- 薬師堂川 - 竜田川に合流する。
歴史
[編集]俵口の名は戦国時代には見え、大和国平群郡生馬荘に属していた[5]。江戸時代の村名としては俵口村と言い、田原口村とも書いた[5]。江戸時代の領主ははじめ竜田藩、寛永16年(1639年)からは郡山藩、延宝7年(1679年)からは旗本の松平氏へと移り変わる[5][6]。
明治22年(1889年)に北生駒村の一部となり、大正3年(1914年)に大軌電車が開通しても人口はあまり増えなかったが、戦後、住宅が増加し都市化が進んでいった[7]。
地名の由来
[編集]早くから開けていた北隣の田原谷への入口という意味で「田原口」になったとみられ、その後「俵」の文字が用いられるようになったと考えられる[8]。
沿革
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
- 1889年(明治22年) - 山崎村・谷田村・小明村・辻村・菜畑村と合併して北生駒村が発足[9]。北生駒村大字俵口となる[5]。
- 1921年(大正10年) - 生駒町の大字となる[5]。
- 1962年(昭和37年) - 生駒台北が分離[5]。
- 1968年(昭和43年) - 新生駒台・東松ケ丘・西松ケ丘・北新町が分離[5]。
- 1970年(昭和45年) - 松美台・門前町が分離[5]。
- 1971年(昭和46年) - 生駒市俵口町となる[5]。
- 1975年(昭和50年) - 光陽台が分離[5]。
世帯数と人口
[編集]2020年(令和2年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
俵口町 | 3,074世帯 | 7,246人 |
人口の変遷
[編集]国勢調査による人口の推移。
1995年(平成7年) | 6,918人 | [10] | |
2000年(平成12年) | 7,720人 | [11] | |
2005年(平成17年) | 7,731人 | [12] | |
2010年(平成22年) | 7,894人 | [13] | |
2015年(平成27年) | 7,389人 | [14] |
世帯数の変遷
[編集]国勢調査による世帯数の推移。
1995年(平成7年) | 2,220世帯 | [10] | |
2000年(平成12年) | 2,569世帯 | [11] | |
2005年(平成17年) | 2,687世帯 | [12] | |
2010年(平成22年) | 2,934世帯 | [13] | |
2015年(平成27年) | 2,805世帯 | [14] |
事業所
[編集]2016年(平成28年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[15]。
町丁 | 事業所数 | 従業員数 |
---|---|---|
俵口町 | 117事業所 | 1,326人 |
交通
[編集]バス
[編集]道路
[編集]施設
[編集]史跡
[編集]- 俵口北窯跡[17] - 奈良時代後半(8世紀後半)のものとみられる須恵器の窯跡[18]。俵口から谷田地域にわたって発見されている[18]。
- 田原口城跡 - 田原口氏(俵口氏[8][5])がいたとみられる中世の城跡[19]。長福寺の本堂北側の裏山が主郭部と考えられる[20][19]。
脚注
[編集]- ^ “1.土地及び気象”. 生駒市公式ホームページ. 生駒市 (2020年4月23日). 2021年5月20日閲覧。
- ^ a b “2.人口”. 生駒市公式ホームページ. 生駒市 (2021年5月19日). 2021年6月9日閲覧。
- ^ “奈良県 生駒市 俵口町の郵便番号”. 日本郵便. 2021年6月9日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2021年5月20日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k 『角川日本地名大辞典29』699頁。
- ^ 『生駒市誌V』449頁。
- ^ 『生駒市誌V』451–457頁。
- ^ a b 『生駒市誌V』448頁。
- ^ 『角川日本地名大辞典29』367頁。
- ^ a b “平成7年国勢調査 小地域集計(総務省統計局) 第2表 男女別人口及び世帯数”. 政府統計の総合窓口(e-Stat). 総務省統計局 (2014年3月28日). 2021年5月20日閲覧。
- ^ a b “平成12年国勢調査 小地域集計(総務省統計局) 第2表 男女別人口及び世帯数”. 政府統計の総合窓口(e-Stat). 総務省統計局 (2014年5月30日). 2021年5月20日閲覧。
- ^ a b “平成17年国勢調査 小地域集計(総務省統計局) 第2表 男女別人口及び世帯数”. 政府統計の総合窓口(e-Stat). 総務省統計局 (2014年6月27日). 2021年5月20日閲覧。
- ^ a b “平成22年国勢調査 小地域集計(総務省統計局) 第2表 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 政府統計の総合窓口(e-Stat). 総務省統計局 (2012年1月20日). 2021年5月20日閲覧。
- ^ a b “平成27年国勢調査 小地域集計(総務省統計局) 第2表 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 政府統計の総合窓口(e-Stat). 総務省統計局 (2017年1月27日). 2021年5月20日閲覧。
- ^ “平成28年経済センサス‐活動調査 確報集計(事業所に関する集計) 第32表 経営組織(4区分),従業者規模(6区分)別民営事業所数及び従業者数―市区町村,町丁・大字”. 政府統計の総合窓口(e-Stat). 総務省統計局 (2018年6月28日). 2021年5月20日閲覧。
- ^ “長福寺”. 生駒市デジタルミュージアム. 生駒市. 2021年5月21日閲覧。
- ^ “俵口北窯跡”. 生駒市デジタルミュージアム. 生駒市. 2021年5月21日閲覧。
- ^ a b 『生駒市誌V』458頁。
- ^ a b “長福寺田原口城跡8次”. 生駒市デジタルミュージアム. 生駒市. 2021年5月21日閲覧。
- ^ 生駒市教育委員会 編『生駒市内遺跡発掘調査概要報告書 2005年度』生駒市教育委員会〈生駒市文化財調査報告書 第23集〉、2006年、16頁。doi:10.24484/sitereports.1739。
参考文献
[編集]- 生駒市誌編纂委員会 編『生駒市誌(通史・地誌編)V』生駒市役所、1985年。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 29 奈良県』角川書店、1990年。ISBN 4-04-001290-9。