中島惣社

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中島惣社

拝殿
所在地 大阪府大阪市東淀川区東中島4丁目9-41
位置 北緯34度44分2.2秒 東経135度30分22.8秒 / 北緯34.733944度 東経135.506333度 / 34.733944; 135.506333座標: 北緯34度44分2.2秒 東経135度30分22.8秒 / 北緯34.733944度 東経135.506333度 / 34.733944; 135.506333
主祭神 宇賀御魂神受保大神大市比賣神
社格郷社
創建 伝・白雉2年(651年[1]
本殿の様式 切妻造
例祭 10月27日
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中島惣社(なかじまそうしゃ)は、大阪市東淀川区東中島にある神社。旧社格郷社

歴史[編集]

摂津名所図会』に「稲荷祠 北中嶋惣社也。此辺六ヶ村産土神とす。天満宮社家寺井紳主兼帯所」とあり、もとは稲荷神社と称していた。

孝徳天皇白雉2年(651年)、難波長柄豊崎宮に遷都した際に創建され、五穀豊穣を祈願されたとされている[1]。それに伴い、神領を賜っている。

豊臣秀頼の崇敬が厚く、「中嶋総社」の四字を記した絹地一通が寄進されている。しかし、慶長19年(1614年)の大坂冬の陣の兵火によって社殿が焼失し、わずかに絵図と建武2年(1335年)の木額だけが残った。

1872年明治5年)、郷社に列す。1896年(明治29年)、稲荷神社から現在の社名に改める。1907年(明治40年)には神饌幣帛料供進社に指定される。

1908年(明治41年)に北方の天満宮北中島春日神社、南宮原の春日神社、西宇城の皇大神社、南方宮西の村社稲荷神社、北中島の天満宮、柴島の八幡天神宮、薬師堂の八幡天神宮、南方新家の稲荷神社、淡路の天満宮、宇引江の宮の須賀神社を合祀する。須賀神社は建武年間(1334年 - 1336年)に有名であった刀鍛冶国次の勧請で創建されたものである。

1909年(明治42年)には淡路東寺の神明社、字浦の大将軍社を境内末社大将軍社に合祀[2]する。

1909年(明治42年)、須賀の森公園の場所にあった須賀神社を境内に合祀[1]している。

神楽殿・絵馬殿など多くの社殿があったが、1945年昭和20年)6月7日の第3回大阪大空襲によって全焼した。現在の社殿は1987年(昭和62年)に再建されたものである。

祭神[編集]

境内[編集]

交通アクセス[編集]

JR・地下鉄新大阪駅より 東へ徒歩約8分

出典[編集]

  1. ^ a b c 松井宏員(2014年10月9日). “わが町にも歴史あり・知られざる大阪:/362 須賀神社跡”. 毎日新聞 (毎日新聞社)
  2. ^ 井上正雄 「大阪府全志」 (1922)全国書誌番号:73012615

外部リンク[編集]