ウィン・マウン
表示
マン・ウィン・マウン မန်းဝင်းမောင် | |
任期 | 1957年3月13日 – 1962年3月2日 |
---|---|
首相 | ウー・ヌ ネ・ウィン ウー・ヌ |
出生 | 1916年4月17日 イギリス領インド帝国、パテイン県、チョンピョー郡、フレゼイッ村 |
死去 | 1989年7月4日(73歳没) ミャンマー連邦、ヤンゴン |
政党 | 反ファシスト人民自由連盟 |
出身校 | ラングーン大学 |
配偶者 | ミャ・メイ |
マン・ウィン・マウン(ビルマ語: မန်းဝင်းမောင်, 1916年4月17日 - 1989年7月4日)は、ミャンマーの政治家。第3代大統領。
経歴
[編集]カレン族のウィン・マウンは1916年4月17日、イギリス領インド帝国イラワジ・デルタにてドー・タヤーとウー・シュエ・インの息子として誕生する。1937年にウィン・マウンはラングーン大学を卒業、学士号を取得した。
1937年から1940年まで、ビルマ石油会社の経理部門の会社員、事務局の公務員として勤務。1941年にウィン・マウンはメイシティメジャーコースに参加し、1941年から1942年にかけて下士官として軍に勤務した。1942年にイギリス軍がインドへの撤退に成功したとき、イギリス軍はインドには行かずビルマに留まった。独立闘争と思われたこの戦いにおいて、ウィン・マウンは地元の革命家と連絡を取るために、同盟国の助けを得てビルマにパラシュート降下した兵士の一人であったため、パラシュート大統領とも呼ばれた。
1957年、ウー・ヌ首相によってウィン・マウンは第3代大統領に選出されたが[1]、1962年に発生したネ・ウィンによるクーデターを受けてウィン・マウンは失脚し、1967年まで拘留されることとなる。
1989年、ウィン・マウンは首都ヤンゴンにて73歳で死去した。
脚注
[編集]- ^ “Myanmar's Presidents Since Independence”. THE IRRAWADDY 4 April 2019閲覧。