梅ケ峠駅
梅ケ峠駅 | |
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駅入口 | |
うめがとう Umegatō | |
◄黒井村 (3.4 km) (3.9 km) 吉見► | |
所在地 | 山口県下関市豊浦町大字厚母郷字梅ヶ峠2 |
所属事業者 | 西日本旅客鉄道(JR西日本) |
所属路線 | ■山陰本線 |
キロ程 | 658.8 km(京都起点) |
電報略号 | ウメ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
乗車人員 -統計年度- |
95人/日(降車客含まず) -2019年- |
開業年月日 | 1914年(大正3年)4月22日[1] |
備考 | 無人駅(自動券売機 有) |
梅ケ峠駅(うめがとうえき)は、山口県下関市豊浦町大字厚母郷字梅ヶ峠にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)山陰本線の駅。
概要
旧豊浦町と旧下関市の境界にあった。駅名は梅ヶ峠という峠の名からだが、その名は昔、峠のあちらこちらに梅の木が生えていたことからといわれる。また「峠」を「トウ(古くはタオ)」と発音する例は、山口県でよく見られる。
駅舎は待合室兼用で、その内部に自動券売機が設置されている。
また、駅舎及びホームに本州最西端であることを示す看板・案内がある。
歴史
- 1914年(大正3年)4月22日 - 長州鉄道の駅として開業[1]。旅客営業のみ。
- 1925年(大正14年)6月1日 - 長州鉄道線幡生以北の国有化により、国有鉄道小串線の駅となる[3]。
- 1933年(昭和8年)2月24日 - 小串線が山陰本線に編入され、山陰本線所属駅に変更[4]。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 豊浦町成立に伴い、所在地表示が山口県豊浦郡豊浦町大字厚母郷字梅ヶ峠になる。
- 1971年(昭和46年)12月10日 - 無人化[5]。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道の駅となる。
- 2005年(平成17年)2月13日 - 下関市(第2次)成立に伴い、所在地表示が現行のものになる。
駅構造
下関側に向かって左側(山側)に1面1線の単式ホームを有する地上駅(停留所)。道路から階段で数段降りたところにある。棒線構造のため、下関方面行きと小串方面行きの双方が同一ホームを共有する。
駅周辺
下関市吉見と豊浦町厚母郷の間の峠「梅ケ峠」のすぐそばにある。道路沿いに国道191号が走る。
- 安養寺厚母大仏 - 国指定重要文化財。駅北方約1.4km。大仏殿は隈研吾氏の設計によるもの。
- 毘沙ノ鼻 - 本州最西端の岬。駅西方約5km。岬に至る公共交通機関はなく、駅からは徒歩90分。
- ときわ屋 豊浦店 - 「二見饅頭」が人気の和菓子屋。駅北方約0.5km。なお、本店は同じ山陰本線の長門二見駅前にある。
- 無添加手作りレストラン 燻製屋 - 駅南方約0.2km。
駅東方に梅光学院大学梅ヶ峠キャンパスがあったが、下関市中心部にある東駅キャンパスに統合され、2002年頃を最後に利用されなくなっている[6]。
利用状況
1日の平均乗車人員は以下の通りである。
乗車人員推移 | |
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年度 | 1日平均人数 |
1999 | 712 |
2000 | 670 |
2001 | 482 |
2002 | 289 |
2003 | 181 |
2004 | 172 |
2005 | 172 |
2006 | 161 |
2007 | 150 |
2008 | 155 |
2009 | 146 |
2010 | 149 |
2011 | 131 |
2012 | 136 |
2013 | 141 |
2014 | 127 |
2015 | 115 |
2016 | 106 |
2017 | 95 |
2018 | 92 |
2019 | 95 |
隣の駅
脚注
- ^ a b 「通運」『官報』1914年4月28日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ “山陰本線梅ケ峠駅で「本州最西端の駅PRイベント」開催”. 鉄道ファン railf.jp 鉄道イベント (2018年12月11日). 2019年5月16日閲覧。
- ^ 「鉄道省告示第81号」『官報』1925年5月26日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「鉄道省告示第42号」『官報』1933年2月18日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「山陰本線の合理化計画発表 伊上など五駅無人化」『中國新聞』昭和46年10月23日山口版 8面
- ^ “梅光大梅ヶ峠キャンパス本格活用へ-下関”. 山口新聞. (2013年5月9日) 2019年5月16日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 梅ケ峠駅|駅情報:JRおでかけネット - 西日本旅客鉄道