ドラえもんの最終回

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ドラえもん > ドラえもんの最終回

ドラえもんの最終回(ドラえもんのさいしゅうかい)は、藤子・F・不二雄による未完の漫画作品『ドラえもん』に存在する正式な最終回。3つのエピソードが描かれている。

また、都市伝説として広まった、藤子Fによらない「二次創作(非公式)の最終回」も多数存在し、インターネットを通じて様々なバリエーションのものが公開されている。本項ではこれらについても言及する。

概要

『ドラえもん』は、作者である藤子・F・不二雄の死去に伴って連載を終えた作品であり、事実上の未完成作品となっているが、その一方で藤子F本人の手によって描かれた「最終回」が存在する。これは、『ドラえもん』を連載していた雑誌が『小学○年生』として知られる小学館の学年別学習雑誌であったことに関係する。

このような形態の雑誌は基本的に1年間しか読まれない(例えば『小学一年生』3月号の読者は、翌4月の進級に伴って『小学二年生』4月号を読み始める)ため、学年誌連載作品においては、毎年4月号には新たに購読を始める新学年生のために「第1話的」な内容のエピソードを、毎年3月号には講読を終える読者のために「最終回的」な内容のエピソードを掲載するということが慣例的に行われていた。連載開始当初の『ドラえもん』では、『小学五年生』と『小学六年生』では連載していなかったことから、『小学四年生』3月号を最後に『ドラえもん』を「卒業」する読者への配慮として便宜的に「最終回」を掲載していた。無論、この「最終回」が掲載された翌月の『小学四年生』4月号(新四年生が読み始める)には、通常通り『ドラえもん』が掲載されるため、本来的な意味での最終回とは異なる。

ただし、間も無く『小学五年生』『小学六年生』にも連載が拡大されたことや(1973年4月号より開始)、単行本の発売などもあり、『ドラえもん』についてはこの趣旨に則って描かれた「最終回」は2話のみで、以後は3、4月号ともに通常のエピソードを掲載するようになった(この結果、2本目の最終回を読んだ読者〈1972年3月当時の小学4年生〉は、『小学五年生』購読の1年を空けて『小学六年生』から『ドラえもん』を読めるという状況となった)。

なお、この2話の他に藤子F自身が「正式な最終回」と位置付けて執筆したエピソードも存在しており(詳細後述)、これを合わせた3つのエピソードが、正式な「ドラえもんの最終回」として知られるものとなっている。

藤子・F・不二雄による最終回

便宜上の「最終回」

先述の事情により描かれた便宜上の「最終回」。いずれもてんとう虫コミックス藤子不二雄ランドには未収録のため、永らくマニアの間で「幻の最終回」として扱われていたが、2009年に刊行された『藤子・F・不二雄大全集』の『ドラえもん』第1巻に収録されたことにより、現在では手軽に読めるようになっている。

「ドラえもん未来へ帰る」
  • 『小学四年生』1971年3月号掲載(本誌掲載時は無題)
あらすじ
ある晩、勉強部屋で寝ていたのび太はザワザワとした物音に眠りを妨げられる。雑踏のような物音に顔を起こしてみると、大勢の人間が壁をすり抜けて部屋に現れ、また壁をすり抜けては姿を消していった。
次の朝、未来の世界に一時的に帰っていたドラえもんが戻ってくるが、ひどく元気がなく、なぜかぼんやりとしていた。のび太は昨晩の奇妙なできごとを説明しようとするが、その矢先にママがのび太を呼びつけ、壁に書かれた落書きを指さしてのび太をなじり始める。まったく身に覚えのないことにのび太は知らないと弁解するが、そこへパパが来て大事なライターがなくなったと騒ぎ出し、「そういえばこのところいろんな物がよくなくなるなあ」と3人は顔を見合わせる。不思議そうに首をかしげる彼らを見ながら、ドラえもんは「とうとう、このへんにもあらわれたか」と力なく呟く。
のび太は勉強部屋でドラえもんと向き合っておやつを食べるが、ドラえもんは大好きなどら焼きを前にしても手をつけようともしない。声をかけても気のない返事しかしないドラえもんをいぶかしんでいると、そこへ突然、昨晩のように壁をすり抜けて奇妙な人間たちがドヤドヤと部屋に侵入してきた。先頭に立つ男は名刺を差し出し、「自分は未来世界の観光会社ガイドで、未来世界の時間観光ツアー客を案内している」と名乗る。ドラえもんは時間旅行のマナーを持ち出し、「旅先の時代の住人に気づかれないように行動するのが時間旅行のルールだろう」と怒るが、ガイドは「それでは客が満足しなくなったのだ」と笑っていうことを聞かない。やがて母子連れはのび太のノートやパパの入浴を覗いたり、新婚カップルは家に記念の落書きをしたりその場でイチャイチャしたり、金持ちはママが洗っていたシャツを「珍しい繊維だ」と言って買い取ろうとするなど、ツアー客達はその傍若無人ぶりをエスカレートさせる。野比家の面々はすっかり憤慨するが、彼らは4次元移動で壁をすり抜けて移動して家の中を駆け回り、なかなか捕まえることができない。
そんな中、ピストルを持った奇妙な男が現れ、「ここが気にいった、下宿するぜ」と野比家への下宿を要求する。男は、「殺し屋ジャック」という未来世界から逃亡してきた凶悪犯だった。ジャックはピストルを突きつけて野比家の面々とツアー客を脅迫し騒然とさせるが、駆けつけてきたタイムパトロールに撃たれて拘束される。
ツアー客が去って、野比家にようやく静寂が戻ってきた。のび太が「時間観光旅行なんて迷惑だ!」とぼやいていると、そこへセワシが現れる。セワシは未来からの渡航者たちのマナーが非常に悪く、過去の人間に迷惑をかけないために「時間旅行規制法」が制定され、過去への渡航が一切禁止となったと説明する。ドラえもんが元気がなかったのは、「規制法」が近々制定されるのを知っていたからだった。当然ドラえもんも帰らねばならなくなりのび太は引き止めるが、ドラえもんは「男だろ!これからはひとりでやってくんだ。きみならできる!!」とのび太に檄を飛ばす。やがて帰還のサイレンが鳴り、別れの時が来る。のび太に檄を飛ばしたドラえもんも、別れの瞬間を前にして「のび太くんとわかれるのいやだあ」と泣きわめくが、セワシに引っ張られ、結局否応なしに未来へと帰っていった。
ドラえもんはセワシとともに未来の世界へ戻り、タイムマシンの出入り口も机の引き出しから消えた。勉強机に向かうのび太は、その引き出しを開けるたびにドラえもんのことを思い出し、そこに彼の影を見て静かに呟くのだった。「つくえの引き出しは、ただの引き出しにもどりました。でも……、ぼくは開けるたびにドラえもんを思い出すのです。」と。
「ドラえもんがいなくなっちゃう!?」
  • 『小学四年生』1972年3月号掲載(本誌掲載時は無題)
あらすじ
友達とサイクリングに行く約束をしたものの、のび太は自転車に乗れない。自転車に乗れるようになる道具を出してと安直にドラえもんに頼ろうとするが、ドラえもんはそれを冷たく突き放し、「ぐずぐずいってるひまに、練習したらどうだっ!!」と言い出し、それにびっくりしたのび太は、慌てて部屋を出た。実はドラえもんは、彼に頼りっきりなのび太の自立心を養うために未来へ帰ろうと考えていたが、なかなかそれを言い出せずに悩んでいたのだった。困り果てたドラえもんはセワシと相談し、「ドラえもんが故障した」というウソをついて帰ることにする。そのウソを聞いたのび太は素直にそれを信じ、ドラえもんがいなくなったら困るけれどもドラえもんのために我慢するから自分にかまわず帰ってほしいと言う。優しい言葉に感激したドラえもんは正直にのび太に理由を告白するが、のび太はそれを受け入れ未来へと帰るドラえもんを勇気を持って送り出す。
その後、のび太は一人で自転車に乗る練習を始める。何度転んでも起き上がり、ひたむきに頑張るのび太。その姿を、ドラえもんはセワシと一緒にタイムテレビで未来の世界から温かく見守るのだった。
備考
前述の通り、この最終回には後日談がある。1973年4月号より『小学六年生』にも連載が拡大されることとなったのだが、その最初の読者となるのはかつてこの最終回と共に『ドラえもん』を「卒業」した当時の小学4年生であった。そのため、その直前の号に当たる『小学五年生』1973年3月号には再びドラえもんがのび太の元に帰って来るという形式の2ページの予告漫画が掲載された。この予告漫画も『藤子・F・不二雄大全集』の『ドラえもん』第1巻に収録されている。
なお、テレビアニメ第1作の最終話「さようならドラえもんの巻」(1973年9月30日放送)はこのエピソードをベースに作られたもので、ドラえもんの嘘に協力するのはセワシではなくガチャ子になっている。

「本当の最終回」

上記の2エピソードが便宜上の「最終回」であるのに対し、「さようなら、ドラえもん(連載時:みらいの世界へ帰る)」は藤子F自身が正式な最終回として執筆したエピソードである。

驚きももの木20世紀』(朝日放送テレビ朝日系)の1997年8月8日放送分「ドラえもん伝説 永遠の漫画少年 藤本弘」によると、テレビアニメ第1作が既に放送終了していたことや、藤子Fが『みきおとミキオ』など新しい連載を抱えていた事情などがあったことから、当初は「みらいの世界へ帰る」を本当の最終回として執筆し連載を終了する予定であった[1]。ただし、このエピソードが掲載されたのは『小学三年生』1974年3月号のみであり、他学年の同月号においては、読者が学年誌を読むのが最後となる『小学六年生』を含めドラえもんとの別離をテーマにした作品は掲載されなかった[2]

しかし、次の作品のことを考えていても『ドラえもん』のことが頭から離れなかった藤子Fが、思い直して「帰ってきたドラえもん(連載時:帰って来たドラえもんの巻)」を執筆。翌月号である『小学四年生』4月号に掲載されたことにより、連載は一転続行されることとなった(「みらいの世界へ帰る」掲載号発売時には既に連載続行が決定していたため、欄外にその旨が注記されていた)。

「さようなら、ドラえもん」
  • 『小学三年生』1974年3月号掲載(本誌掲載時タイトル:「みらいの世界へ帰る」)
  • てんとう虫コミックス6巻収録
あらすじ
いつもの通り、ジャイアンにいじめられて帰ってきたのび太。ケンカに勝てる道具を貸してほしいとドラえもんに甘えるが、ドラえもんはいつになく冷たい調子でつっぱねる。様子がおかしいと思ったのび太がドラえもんを問い詰めると、ドラえもんは未来の世界に帰らなければならなくなったと告白する(理由は不明)[3]。驚いたのび太はドラえもんにすがりつき引き止めるが、ママからは「ドラちゃんにも都合があるのよ。わがままいわないで」となだめられ、パパからは「人に頼ってばかりいてはいつまでも一人前になれない」と叱られ、悩み抜いた末にドラえもんとの別れを受け入れることを決意する。
最後の夜、眠ることのできない二人は一緒に夜の散歩に出かけることにする。涙を見せまいとしたドラえもんと途中で別れたのび太は、夜中に寝ぼけて徘徊するジャイアンをからかい喧嘩になる。何度も何度も殴り倒されるが、のび太は「自分がしっかりしないとドラえもんが安心して未来へ帰ることができない」と必死でつかみかかり、ボロボロになりながらもついに最後にはジャイアンに「おれの負けだ」と言わせる。駆けつけたドラえもんに抱き起こされたのび太は、自分一人の力でケンカに勝ったことを報告する。ドラえもんに担がれながら家に帰る道中、のび太はドラえもんに、もう自分は大丈夫だから安心して未来へ帰って欲しいとうわごとのように繰り返す。肩を借すドラえもんは、大泣きしながらのび太のその言葉を聞いた。
帰宅したのび太は、疲れやドラえもんを安心させたからか、静かに眠り始める。その横に座り、のび太の寝顔を涙を流しながら見守っていたドラえもんは、部屋に朝の陽光が射した時には、もう、どこにもいなかった。
起床したのび太は只の引き出しに戻った机を見つめ、ママから「ドラちゃんは帰ったの?」と問われ、「うん」と答える。ドラえもんがいなくなった部屋でのび太は、ドラえもんがいなくなった寂しさを感じながらも乗り越えようとするのだった。
「帰ってきたドラえもん」
  • 『小学四年生』1974年4月号掲載(本誌掲載時タイトル:「帰って来たドラえもんの巻」)
  • てんとう虫コミックス7巻収録
あらすじ
「二度と帰ってこられない」と言ってドラえもんが未来へ帰った後、心にぽっかり穴が開いたように毎日を過ごしていたのび太。何をするでもなくぼんやり日々を過ごしていたが、ママに「元気出しなさい」とたしなめられて気をとりなおす決意をする。だが、意気揚々と外へと繰り出すも、スネ夫のウソに騙されて野良犬に追い回される羽目にあう。ようやく逃げ切ったところへ今度は血相を変えたジャイアンが現れ、いるはずのないドラえもんを見かけたとのび太に告げる。ジャイアンの言葉を信じたのび太はドラえもんが帰ってきたのだと大はしゃぎするが、しかしその日は4月1日。ドラえもんを見かけたというのは四月バカのウソだと言われ、ジャイアンとスネ夫に大笑いされる。
だまされて部屋で涙に暮れるうちに、のび太はドラえもんが「ぼくが行った後、どうしても我慢できないことがあったらこれを開け」と言って残していってくれた箱のことを思い出す。ドラえもんの形をしたこの箱は、開ければそのときにのび太にとって必要なものがひとつだけ出てくるというのだ(アニメ版では“使えるのは一度だけ、開封の瞬間が最初で最後だから熟考せよ”と説明されている)。箱を開けて出てきたのは、これを飲んでなにかをしゃべると逆の事柄が現実に起こって、しゃべったことがすべてウソになる飲み薬「ウソ800(うそえいとおーおー)」だった。「ウソ800」を飲んだのび太は道具の力を駆使してジャイアンとスネ夫に仕返し2人を嘲笑う(「今日はいい天気だ」と言って大雨を降らせ、「激しい雨が降ってきた」と言ってカンカン照りにするなど)。しかし、ドラえもんのいない現実を前に空しさを覚え、ママの「ドラちゃんはいたの?」との問いかけに対し「ドラえもんは帰ってこないんだから」「もう、二度と会えないんだから」と、ふと本音を呟くのだった。
しかし、部屋に戻るとそこには二度と帰ってこられないはずのドラえもんがいた。「ウソ800」の力で「ドラえもんは帰ってこない」「もう、二度と会えない」という呟きが「ウソ」となり、「ドラえもんが帰ってくる」「再び会える」ことになったのだ。ドラえもんと抱き合ったのび太は大泣きし、「うれしくない。これからまた、ずうっとドラえもんといっしょに暮らさない」と逆さ言葉で再会を喜ぶのだった。
備考
1981年1月3日にアニメ版が放送。その後1994年と1997年のスペシャル放送で再放送され、1998年には「さようなら、ドラえもん」と合わせて『帰ってきたドラえもん』のタイトルで映画化された(感動中編シリーズ第1作)。2009年には第2作第2期でも「さようなら、ドラえもん」と同時放送という形でアニメ化された他、2014年公開の映画『STAND BY ME ドラえもん』でもこの2エピソードの内容が含まれている。
なお、藤子プロが日本国外では「帰ってきたドラえもん」を放送しないという方針を採ったため、国外未放送となっている。これを踏まえて、『決定!これが日本のベスト』(テレビ朝日)にて、複数の外国人にこのエピソードを見せ反応をうかがうといった企画も行われた。しばしば海外における「幻の最終回」として紹介されることがあるが、日本で発売されているDVDの『ドラえもんコレクションスペシャル 春の4』に収録されているため、これを入手してリージョンフリーまたは日本のリージョンコードに対応しているDVDプレイヤーを使用すれば日本国外でも視聴は可能である。ただし、映画版『帰ってきたドラえもん』に関してはこの限りではなく、2005年にスペインでテレビ放送されている[4]

アニメにおける最終回

第1作

1973年に放送された日本テレビ版のテレビアニメ版第1作は、2クール(26週)52話で完結したため「最終回」が描かれている。

「さようならドラえもんの巻」
あらすじ
自転車に乗れないのにしずか達とサイクリングに行く約束をしたのび太。いつものようにドラえもんを頼ろうとしていたのだが、なぜかドラえもんはのび太を冷たく突き放す。ドラえもんは、自分に頼りっきりなのび太の自立心を養うためにセワシと相談の結果未来へ帰ろうと考えていたのだが、何かと優しくしてくれるのび太にそれを言い出せないままだった。そこでガチャ子と一計を案じ、「ドラえもんの調子が悪くなった」という口実で未来に帰ることをのび太に告げた。のび太は泣き出してしまうが「ドラえもんを治すためなら我慢する」と言った。それを聞いて感動したドラえもんは真実を告げ、のび太もそれを受け入れてくれた。その後、仲間らと送別会を開いたドラえもんとのび太は、いつかの再会を誓い、最後の別れを告げた。
未来に帰った後、ドラえもんはセワシと共にタイムテレビを通して自転車に乗る練習をするのび太を温かく見守っていた。
解説
内容は、自転車が漕げなかったのび太が泣きながら自転車を漕ぐ練習をするところを、未来の世界から見守るところで物語が終わるというもので、先述の「ドラえもんがいなくなっちゃう!?」をベースにアニメ化したものである。おおむねストーリーは同じだが、原作には未登場だったジャイアン・スネ夫・しずか・パパ・ママ・ガチャ子が登場し、ドラえもんとの別れを惜しんでいた。
ちなみにこの回が最後の放送だったにもかかわらず、エンドカードでは前週までの「次週をお楽しみに」を踏襲した「次回をお楽しみに」と表記された。これは手抜きやミスではなく、日本テレビ動画の再建と続編の製作、「再びいつかドラえもんのアニメを」という希望を込めたものである。
これに対し、アニメ第2作第1期では第1話に「ドラえもんが未来からやって来る」という原作第1話のエピソード「未来の国からはるばると」を避け、「ゆめの町ノビタランド」とした。ドラえもんがやってくるエピソードは後に特番で番外編的に描かれた。

第2作第1期

アニメ第2作第1期では、通常放送の最終話として「45年後…」、翌週に特番として「ドラえもんに休日を?!」が放映された。

「45年後…」
  • 2005年3月11日放送
  • 『小学六年生』1985年9月号掲載(『コロコロコミック』1986年6月号再録、『小学六年生』1989年3月号、1991年3月号でも再録)
『ぼく、ドラえもん。』の付録冊子最終巻の最後に収められたエピソード。全作品中で唯一、老年期ののび太(小学6年生ののび太から見て45年後なので56~57歳)が登場する。ラストシーンではのび太自身が過去の自分に対するエールを送る。
なお、この話は2005年 - 2006年および2014年刊行の『ドラえもんプラス』シリーズの第5巻に収録されている。アニメ第2作第2期でも特番でアニメ化されたが、最終回に準ずる扱いではない。
「ドラえもんに休日を?!」
  • 2005年3月18日放送
特番『ドラえもん オールキャラ夢の大集合スペシャル』として放送。アニメ第2作第1期としての最後の放送となった。
原作はコミックス35巻の同タイトルのエピソードで、以前にも「ドラえもんに休日を」(1985年3月8日放送、1990年代に再放送)としてアニメ化されている(第2作第1期を参照)。のび太がドラえもんに1日だけ休日をプレゼントし、ドラえもんは念のためにのび太に呼びつけブザーを預けた上でミィちゃんとデートに出かける。原作や以前のアニメではのび太がドラえもんを想い、不良少年たちに囲まれてピンチに見舞われても、ドラえもんを呼ぶブザーをのび太は自ら踏み壊し(それを隠れて見ていたジャイアンとスネ夫が共感し、のび太に加勢する)、ドラえもんに頼らずに危機を自力で乗り越えていこうとする物語である。
2005年放送のアニメ作品では、前半は原作と同じだが、その後のび太が誤ってブザーを押してデート中のドラえもんを呼びつけてしまい、せっかくのデートをぶち壊した事に怒ったドラえもんが未来へ帰ったことをきっかけにセワシ、ドラミ、ミニドラなども登場するという、ほぼオリジナルのエピソードとなっている。

最終回にまつわる都市伝説・二次創作

1990年代の終わりごろから「ドラえもんの最終回」と称する事実無根のチェーンメールが出回り始めた。その中でも最も有名なのが「のび太植物人間説」と「ドラえもんの開発者はのび太説」の2つである。

のび太植物人間説

もとは1986年頃に子供たちの間で流行したであり[5]、「ドラえもんがいた話はすべて、交通事故にあって植物状態となったのび太が見ていたであった」という内容である[5][6]。「この噂は本当か」と、『ドラえもん』連載学年誌の出版元である小学館に問い合わせが相次いだため、作者の藤本弘(当時は藤子不二雄コンビ解消前)が正式に「ドラえもんはそのような突然で不幸な終わり方にはしない」とするコメントを発表する事態となった[7]。藤本がこの年の夏病気で入院したため、このような噂が生まれたと考えられる。その後出回ったチェーンメールでは内容が追加されており、「ある日、事故にあって植物人間状態になったのび太を、ドラえもんがどこでもドアを使いのび太をおぶって天国へと連れて行く」というものや、「実はのび太は心身障害者で、ドラえもんは彼による作り話(妄想・羨望といった派生型あり)」といったものもある。

また、同じ植物状態説でも「動かないのび太にドラえもんが自分の全エネルギーを与え、自身の命と引き換えに助けた。その後、のび太が停止したドラえもんを抱きしめ、泣きながら『ドラえもーん』と叫ぶと、垂れた涙がドラえもんに当たった瞬間にドラえもんが復活し、エンディングテーマが流れスタッフロールが出てきてフィナーレ」というハッピーエンドになるものもある。このエピソードは1991年にアニメ化された『丸出だめ夫』の最終回ほぼそのままの話である。ちなみにこのエピソードに関して作者の娘が作者に尋ねたところ、藤子は「ドラえもんはそんな終わり方をしない、もっと楽しい終わり方にする」と、コメントした。

ドラえもんの開発者はのび太説

これは、1人のドラえもんファンが「自作の最終回」と明記した上で作成したオリジナルストーリーが、チェーンメールなどにより一人歩きしたものである。「電池切れ説」とも呼ばれる。

あらすじ[8]
ある日突然ドラえもんが動かなくなってしまった。未来の世界からドラミを呼んで原因を調べたところ、バッテリー切れが原因だと分かった。のび太はバッテリーを換えてもらおうとするが、このままバッテリーを換えるとドラえもんの記憶が消えてしまうとドラミから聞かされる。ドラえもんなどの旧式のネコ型ロボットのバックアップ用記憶メモリーは耳に内蔵されているが、ドラえもんは既に耳を失っていたので、バッテリーを交換してしまえばのび太と過ごした日々を完全に消去してしまうことになる。バックアップを取ろうにも方法が分からず、開発者を呼ぼうとするも設計開発者の情報はわけあって絶対に開示されない超重要機密事項となっていた。
のび太は迷った末、とりあえずドラえもんを押入れにしまい込み、皆には「ドラえもんは未来へ帰った」と説明。しかし、ドラえもんのいない生活に耐えられず、猛勉強をしてトップクラスのロボット工学者に成長する。工学者になってからしずかと結婚したのび太は、ある日妻となったしずかの目の前で、努力の末に記憶メモリーを維持したままで修理完了したドラえもんのスイッチを入れる。
ドラえもんが復活し、いつものように「のび太君、宿題終わったのかい?」と第一声を発言。ドラえもんの製作者が明かされていなかったのは、開発者がのび太自身だからだった。

また、「のび太は15歳で海外に留学した(飛び級で大学に入ったとすることもある)」「修理には妻となったしずかが立ち会った」などと様々に脚色されている場合もある。

オリジナルの二次創作

この説の元になったオリジナルストーリーは、1990年代に学生だった、とあるファンが作成したものである。彼は自分のWebサイトに「僕が勝手に考えた ドラえもんの最終回(仮)」と言明し公開していた。さらに「ドラえもんには、藤子F不二雄先生作の最終回がちゃんとある」とも明記していた。

チェーンメール(後述)対策の意味もあって、発表当時は当初は名前等を公表しており、インターネットマガジンでのインタビュー記事もある。

当時この学生は太陽電池の研究をしており、そこから着想を得て作成したものであるという[9]。なお、2007年1月の東京新聞中日新聞のコラム内で、作者の氏名や2007年当時の職業が明記されている。

チェーンメール化・都市伝説化

上記オリジナルストーリーの内容は、その後チェーンメールとして広まった。

オリジナルストーリー作者は、この話がドラえもん最終話として一人歩きすることは全く望んでいなかったらしく、チェーンメール化されていることを知った彼は、自身のページに「このページの文を勝手に引用しないように」「私の知らないところで話が一人歩きしていることに恐怖を覚えている」旨のコメントを添えていた。さらにその後「チェーンメールはまことしやかに流布され、原作に対する権利の侵害、熱心なファンに対する冒涜であり、このような騒ぎになったのは私の責任」だとし、サイトを閉鎖した。

しかし、その後もチェーンメールは真実の確認がなされぬまま流され続けた上、鈴木蘭々などのドラえもんファンのタレントがテレビ番組などで「最終回は(のび太発明者説)なんだって」などと語ったこともあり、さらに広範囲に流布した。一部ではこれを真の最終回だと誤解した人もいたという。

オリジナルストーリー作者は、チェーンメール化により非難を受けるなど、非常にナーバスになっていたこともあったとのことである[9]

社会・文化への波及

このチェーンメール化・都市伝説化は、様々な波及が指摘される。

  • 後年の美少女ゲーム『To Heart』(1997年発売)のエンディングの一つ、およびそれを原作としたアニメ『To Heart 〜Remember my Memories〜』の最終回と重なる部分が多い。
  • ドラえもんのパロディーであるPCゲーム『ぱちもそ』で、エンディングの一つとしてこの最終回を元にしたものがある。
  • ファンの手によってフラッシュムービー化されておりWebで公開されていた時期があった。これは後述の同人誌が発行される以前に作られた。後に小学館よりクレームがつき公開が停止されたが、YouTubeなどに転載されたものが閲覧可能な場合もある。
  • 実写映画『ジュブナイル
    • この話をヒントにして、実写映画『ジュブナイル』が製作された。これについては、監督の山崎貴のインタビューのウェブページが残されている[10]
    • 山崎は、オリジナルストーリー作者に了解を取り、「Director's Thanks」として彼の名前をクレジットした。同時に「ドラえもんあってのオリジナルストーリー」との考えから、藤子プロにも了承を得て「For Mr. Fujiko・F・Fujio」のクレジットも含めた。
  • 同人誌問題
    • 2005年末、男性漫画家がこの「ドラえもんの開発者はのび太説」をもとに漫画化、てんとう虫コミックスのデザインを模倣した冊子を同人誌として発行した。
    • この同人誌はインターネットを通じて話題となり、半年の間に同人誌では異例の1万3千部が売れるヒットとなった。『ドラえもん』の出版権を持つ小学館サイドも事態の拡大について放置できなくなり、藤子の著作権を管理する藤子・F・不二雄プロとともに、著作権侵害にあたるとして、2006年6月に文書で警告して販売中止と回収、ネット公表の中止を要請。話し合いにより、この男性漫画家が数百万円の売上金の一部を藤子プロに支払うとともに、在庫の破棄、二度とやらないことを予報謝罪することでこの問題は決着した。

ドラえもんの最終連載作品

映画原作の『大長編ドラえもん』を除き、実際に最後に描かれた作品については以下のとおりである。本作は複数誌に跨って連載された作品であるため、各誌とも最終連載時期が異なる。

  • 小学館の学年別学習雑誌
    • 『小学一年生』1990年4月号「現実中継絵本」
    • 『小学二年生』1987年5月号「なかまバッジ」
    • 『小学三年生』1991年5月号「こわ〜い! 百鬼せんこうと説明絵巻」
    • 『小学四年生』1991年5月号「こわ〜い! 百鬼せんこうと説明絵巻」
    • 『小学五年生』1991年2月号「自然観察プラモシリーズ」
    • 『小学六年生』1991年2月号「自然観察プラモシリーズ」

このうち最終期に連載された作品は、1991年5月号の作品であり、これがドラえもん通常連載の最後の作品となる。なお、通常連載終了後も各誌(基本的に大長編以外は再録が主体だった『コロコロコミック』も含み)において再録連載は当分の間、継続した。

ガラパ星から来た男
通常連載終了後、連載開始25周年を記念して 『小学三年生』『小学四年生』『小学五年生』の3誌同時に1994年7月号 - 9月号に集中連載された中編。また、『コロコロコミック』1994年9月号では完全版として「ドラえもん 44.5巻」という別冊付録で掲載された。完全版と称するものの、コミックス45巻(最終巻。1996年5月25日初版発行)の最終話として掲載された際にさらに加筆(この際「ガラパ星からきた男」に改題)されている。
『大長編ドラえもん』を除き、通常連載分と本作を区別しないならば、本作が事実上最後の連載作品となる。内容はタイムパラドックスを効果的に利用したSF色の強い大規模な物語で、大長編にも匹敵する完成度となった。もっとも、このような規模の大きな物語が単行本の最後を飾る形になったのはあくまで偶然であり、当時作者が存命であったため、上述の初版刊行時には最終ページに「ドラえもん 第45巻終わり/第46巻に続く」と表記されていた(現在の版では「ドラえもん 第45巻終わり」のみの表記)。
1999年大晦日の特番で「未来を守れ! のび太VSアリ軍団」のタイトルでアニメ化されたが、物語が大幅にアレンジされているため、ほぼ別物となっている。

脚注

  1. ^ 実際、最後のコマに描かれているゴミ箱の文字は、単行本では「LOVE」となっているが、雑誌掲載時では「OWARI」である。
  2. ^ 他の学年の1974年3月号のエピソードは以下の通り。
    • 『小学一年生』:「ピーヒョロロープ」
    • 『小学二年生』:「人間磁石」
    • 『小学四年生』:「かならず当たる手相セット」
    • 『小学五年生』:「ママを取りかえっこ」
    • 『小学六年生』:「ユメコーダー」
  3. ^ 映画「STAND BY MEドラえもん」では、「成し遂げプログラム」の課題を成し遂げたためとされている。
  4. ^ El retorno de Doraemon
  5. ^ a b 松田美佐『うわさとは何か ネットで変容する「最も古いメディア」』中央公論新社中公新書〉、2014年4月25日、81-82頁。ISBN 978-4-12-102263-9 
  6. ^ のび太植物人間説 - 未来の夢 (中国語)
  7. ^ ドラえもん仰天 「終わり」のうわさ一人歩き 口コミ、小・中生に 読売新聞1986年11月13日夕刊15面
  8. ^ 一次ソースは消滅しているが、同じ年の8月に発行された週刊ポスト1998年8月14日号にほぼ全文が掲載されている
  9. ^ a b 映画『ジュブナイル』の山崎貴監督による。
  10. ^ Neo Utopia 山崎貴インタビュー

関連項目