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スコーリイ級駆逐艦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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スコーリイ級駆逐艦 (30-bis型)
基本情報
艦種 駆逐艦[注 1]
建造所 ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
運用者  ソビエト連邦海軍
 エジプト海軍
 インドネシア海軍
 ポーランド海軍
就役期間 ソビエト連邦 1949年 - 1988年
建造数 70隻
前級 オグネヴォイ級 (30-K型)
次級 タリン型 (41型)
要目
基準排水量 2,600トン
満載排水量 3,130トン
全長 121.2 m
最大幅 12.0 m
吃水 4.5 m
ボイラー 水管ボイラー×4缶
主機 蒸気タービン
推進器 スクリュープロペラ×2軸
出力 60,000馬力
航続距離 3,000海里 (18kt巡航時)
乗員 約220名
兵装
FCS
  • KDP2-4L主方位盤
  • SVP-29RLM副方位盤
  • レーダー
  • Gyus-1B 対空捜索用
  • ソナー
  • タミル-5N→ペガス-2 探信儀
  • テンプレートを表示

    スコーリイ級駆逐艦英語: Skory-class destroyer)は、ソビエト連邦海軍の駆逐艦の艦級[1][2]。計画名は30-bis型駆逐艦(Эскадренный миноносец проекта 30-бис[2][注 1]。砲熕と水雷を重視した伝統的駆逐艦であり、ソ連・ロシア海軍の駆逐艦としては最多の70隻が建造された[1]

    来歴

    第二次世界大戦後、ソビエト連邦共産党書記長を務めていたヨシフ・スターリン外洋海軍の建設を志向したが[1]、沿海域戦力も同時に保持することを求めており、まずは1946-50年の五カ年計画に基づいて戦前の設計を元にした艦隊を建設したのち、1956-50年の五カ年計画より、大戦の戦訓を踏まえた新型艦の建造に着手するという漸進的な艦隊整備を構想した[3]

    このうち、戦前の設計を元にした艦隊建設の一環として盛り込まれたのが本級であった[3]。海軍総司令官を務めていたクズネツォフ提督は、より大型で高性能な駆逐艦(40型; 約3,500トン)を10隻という少数のみ建造することを要望したものの、スターリン書記長は駆逐艦戦力250隻の整備を掲げており、本級を約200隻建造するよう要求した[3]。その後、駆逐艦の整備目標が188隻に削減されたことにともない、本級の建造数も削減された[3][2]

    設計

    戦術・技術規則(要求)では36ノットの速力、また巡航速度15.5ノットで3,500海里の航続距離が求められた[2]。本級の設計作業は1945年10月8日より開始され、基本設計は1947年1月28日に承認された[2]。急速建造を実現するため、先行するオグネヴォイ級駆逐艦(30/30-K型)を多くの点で踏襲しつつ[2]、戦後にドイツ国から獲得した駆逐艦の技術的要素を加味した設計となっている[1]

    本級は、ソ連で初めて船体を全溶接式・縦肋骨式としている[2]。30型よりも船体構造を強化し、船殻重量は50パーセント近く増大した[2]。急速建造に配慮して101個のモジュールに分割して建造されており、「セリョズヌイ」は起工からおよそ1年で竣工にこぎつけた[2]。凌波性を重視して、強いシアを有する船首楼船型を採用し[1]、また30型やストロジェヴォイ級(7U型)よりも乾舷を高めている[2]。ただし波浪対策は不十分で、例えば静水面では36ノットを発揮できた「スメリイ」は、荒天下では空気取入口からの海水の流入に悩まされ、最大速力は28ノットに制約された[2]

    艦橋は露天式で、建造時期からすると旧弊な設計であった[1]。水線下の設計も古典的で、は1枚、また推進軸の整流覆などに特徴があった[1]。艦尾部のスケグは設けずビルドアップ方式であった[1]。旋回径は船の長さの8.5倍とかなり大きく、後にビルジキールが付された[2]

    機関はギアード・タービン方式で、重油専焼式のKV-30型水管ボイラー4基とTV-6型蒸気タービンにより、2軸のスクリュープロペラを駆動する[1][2][4]

    装備

    兵装面では、砲熕と水雷を重視した伝統的駆逐艦といえる[1]艦砲としては、B-2LM 50口径130mm連装砲2基と92-K 52口径85mm連装高角砲1基、70-K 67口径37mm単装機関砲7基を搭載した[2][4]。これらを管制するため、艦橋トップには大型のKDP2-4L主方位盤、後部にはやや小型のSVP-29RLM副方位盤を設置した[1][4]。その後、1952年からの改装の際に、70-KはV-11 連装機関砲4基に変更されたほか、重機関銃25mm機関砲に換装された[2]

    1957年、本級の一部を対象として電子情報(ELINT)能力を強化する改装が計画され、31型と呼称された[2]。この改装とあわせて対空対潜兵器の強化が行われることになり、艦首側の85mm高角砲・37mm機関砲および主方位盤、5連装魚雷発射管1基を撤去して、57mm単装砲5基およびRBU-2500ロシア語版対潜ロケット砲2基が搭載された[2]

    ソナーとしては、当初はタミル-5Nが搭載されていたが、1952年の改装でペガス-2に換装された[2]

    同型艦一覧

    艦名 建造所 起工 進水 竣工 除籍 その後
    スメリイ
    Смелый
    A. A. ジダーノフ記念
    第190造船所
    (レニングラード)
    1948年
    5月16日
    1948年
    9月29日
    1949年
    12月21日
    1960年
    11月
    ストイキイ
    Стойкий
    1948年
    11月16日
    1949年
    2月1日
    1950年
    4月18日
    1980年
    2月
    スコーリイ
    Скорый
    1949年
    2月15日
    1949年
    8月14日
    1950年
    9月26日
    1958年
    6月
    ポーランド海軍「ヴィヘル」(ORP Wicher)として再就役
    スロヴィ
    Суровый
    1949年
    8月15日
    1949年
    10月1日
    1950年
    10月31日
    1988年
    2月
    セルディティ
    Сердитый
    1949年
    12月22日
    1950年
    4月15日
    1950年
    12月20日
    1975年
    3月
    スポソブヌイ
    Способный
    1950年
    3月1日
    1950年
    4月30日
    1950年
    12月20日
    1957年
    12月
    ポーランド海軍「グロム」(ORP Grom)として再就役
    ストレミテルヌイ
    Стремительный
    1950年
    5月15日
    1951年
    4月15日
    1951年
    7月4日
    1981年
    6月
    ソクルシテルヌイ
    Сокрушительный
    1950年
    9月15日
    1951年
    6月30日
    1951年
    11月28日
    1977年
    7月
    スヴォボドヌイ
    Свободный
    1950年
    11月27日
    1951年
    8月20日
    1952年
    6月23日
    1983年
    1月
    スタトヌイ
    Статный
    1951年
    3月1日
    1951年
    10月28日
    1952年
    8月4日
    1982年
    7月
    スメトリヴィ
    Сметливый
    1951年
    5月24日
    1951年
    11月17日
    1952年
    8月5日
    1956年
    6月
    エジプト海軍「エル・ザフェル」(El Zaffer)として再就役
    スモトリアシュチイ
    Смотрящий
    1951年
    6月21日
    1952年
    2月19日
    1952年
    11月4日
    1978年
    2月
    ソヴェルシェンヌイ
    Совершенный
    1951年
    7月16日
    1952年
    4月24日
    1952年
    12月24日
    1987年
    3月
    セリョズヌイ
    Серьёзный
    1951年
    10月25日
    1952年
    7月13日
    1952年
    12月24日
    1987年
    3月
    ソリドヌイ
    Солидный
    1952年
    1月4日
    1952年
    8月17日
    1952年
    12月31日
    1956年
    6月
    エジプト海軍「エル・ナセル」(El Nasser)として再就役後、
    1968年7月よりソ連海軍に復籍、1987年4月に再除籍
    ステペンヌイ
    Степенный
    1952年
    2月11日
    1952年
    9月22日
    1953年
    2月11日
    1986年
    3月
    ブディテルヌイ
    Бдительный
    61人のコミューン参加者記念
    第445造船所
    英語版

    (ニコラーエフ)
    1948年
    6月10日
    1948年
    12月30日
    1949年
    10月25日
    1960年
    11月
    ベズデルジヌイ
    Безудержный
    1948年
    7月20日
    1949年
    3月31日
    1949年
    12月30日
    1960年
    11月
    ブイヌイ
    Буйный
    1949年
    4月15日
    1949年
    9月23日
    1950年
    8月29日
    1986年
    3月
    ベズプレチヌイ
    Безупречный
    1949年
    7月15日
    1949年
    12月31日
    1950年
    9月9日
    1975年
    3月
    ベスストラシュヌイ
    Бесстрашный
    1949年
    9月29日
    1950年
    3月31日
    1950年
    10月31日
    1961年
    8月
    ボエヴォイ
    Боевой
    1949年
    12月21日
    1950年
    4月29日
    1950年
    12月19日
    1961年
    8月
    インドネシア海軍「スルタン・ダルムダ」(KRI Sultan Darmuda)として再就役
    ビストリイ
    Быстрый
    1950年
    2月20日
    1950年
    6月28日
    1950年
    12月19日
    1979年
    7月
    ブルヌイ
    Бурный
    1950年
    5月18日
    1950年
    8月29日
    1951年
    6月4日
    1962年
    1月
    エジプト海軍「スエズ」(Suez)として再就役
    ベスポシュチャドヌイ
    Беспощадный
    1950年
    5月28日
    1950年
    9月30日
    1951年
    6月27日
    1962年
    1月
    エジプト海軍「ダミエット」(Damiet)として再就役後、
    1968年7月よりソ連海軍に復籍、1988年2月に再除籍
    ベズジャロストヌイ
    Безжалостный
    1950年
    7月12日
    1950年
    12月30日
    1951年
    7月6日
    1964年
    5月
    インドネシア海軍「ブラウィドジャジャ」(KRI Brawidjaja)として再就役
    ベズザヴェトヌイ
    Беззаветный
    1950年
    9月28日
    1951年
    3月30日
    1951年
    11月11日
    1959年
    6月
    インドネシア海軍「スルタン・イスカンダル・ムダ」
    KRI Sultan Iskandar Muda)として再就役
    ベスシュムヌイ
    Бесшумный
    1950年
    10月31日
    1951年
    5月31日
    1951年
    11月30日
    1979年
    6月
    ベスポコイヌイ
    Беспокойный
    1951年
    1月16日
    1951年
    6月30日
    1951年
    12月21日
    1959年
    6月
    インドネシア海軍「サンドジャジャ」(KRI Sandjaja)として再就役
    ベズボヤズネンヌイ
    Безбоязненный
    1951年
    3月26日
    1951年
    8月31日
    1952年
    1月11日
    1976年
    8月
    ベゾトカズヌイ
    Безотказный
    1951年
    6月22日
    1951年
    10月31日
    1952年
    10月4日
    1985年
    4月
    ベズコリズネンヌイ
    Безукоризненный
    1951年
    7月29日
    1952年
    1月31日
    1952年
    9月30日
    1961年
    8月
    ベススメンヌイ
    Бессменный
    1951年
    9月12日
    1952年
    3月31日
    1952年
    12月10日
    1968年
    6月
    エジプト海軍「ダミエット」(Damiet)として再就役
    ピルキイ
    Пылкий
    1952年
    4月20日
    1952年
    7月31日
    1952年
    12月31日
    1964年
    5月
    インドネシア海軍「ディポネゴロ」(KRI Diponegoro)として再就役
    ヴストレチヌイ
    Встречный
    第199造船所ロシア語版
    (コムソモリスク・ナ・アムーレ)
    1948年
    4月29日
    1949年
    5月20日
    1949年
    12月07日
    1972年
    9月
    ヴェドシュチイ
    Ведущий
    1948年
    7月31日
    1949年
    8月21日
    1949年
    12月26日
    1975年
    3月
    ヴァジュヌイ
    Важный
    1948年
    10月30日
    1949年
    9月4日
    1949年
    12月29日
    1975年
    3月
    フスピルチヴィ
    Вспыльчивый
    1949年
    2月15日
    1950年
    5月14日
    1950年
    9月30日
    1960年
    11月
    ヴェリチャヴィ
    Величавый
    1949年
    8月4日
    1950年
    5月14日
    1950年
    10月31日
    1972年
    9月
    ヴィオルトキィ
    Вёрткий
    1949年
    11月5日
    1950年
    7月22日
    1950年
    12月14日
    1973年
    10月
    ヴェチヌイ
    Вечный
    1950年
    1月12日
    1950年
    8月30日
    1950年
    12月15日
    1960年
    11月
    ヴィクレヴォイ
    Вихревой
    1950年
    2月28日
    1950年
    9月15日
    1950年
    12月27日
    1983年
    6月
    ヴィドヌイ
    Видный
    1950年
    5月27日
    1951年
    5月17日
    1951年
    12月21日
    1961年
    8月
    ヴェルヌイ
    Верный
    1950年
    7月15日
    1951年
    5月17日
    1951年
    12月26日
    1981年
    3月
    ヴネザプヌイ
    Внезапный
    1950年
    9月23日
    1951年
    6月14日
    1951年
    12月28日
    1959年
    2月
    インドネシア海軍「サルワジャラ」(KRI Sarwajala)として再就役
    ヴニマテルヌイ
    Внимательный
    1950年
    10月31日
    1951年
    8月2日
    1951年
    12月26日
    1986年
    7月
    ヴィラジテルヌイ
    Выразительный
    1950年
    12月14日
    1951年
    8月26日
    1951年
    12月29日
    1962年
    11月
    インドネシア海軍「シンガマンガ・ラジャ」(KRI Singamanga Radja)として再就役
    ヴォレヴォイ
    Волевой
    1951年
    3月1日
    1951年
    9月11日
    1951年
    12月29日
    1959年
    2月
    インドネシア海軍「シリワンギ」(KRI Siliwangi)として再就役
    ヴォルヌイ
    Вольный
    1951年
    6月12日
    1952年
    6月4日
    1952年
    12月31日
    1981年
    12月
    ヴクラドチヴィ
    Вкрадчивый
    1951年
    7月14日
    1952年
    6月4日
    1952年
    12月31日
    1979年
    1月
    ヴドゥムチヴィ
    Вдумчивый
    1951年
    11月5日
    1952年
    7月31日
    1952年
    12月31日
    1976年
    8月
    ヴラズミテルヌイ
    Вразумительный
    1951年
    12月15日
    1952年
    9月3日
    1953年
    1月10日
    1977年
    2月
    オグネンヌイ
    Огненный
    第402造船所
    (セヴェロドヴィンスク)
    1948年
    8月14日
    1949年
    8月17日
    1949年
    12月28日
    1979年
    12月
    オトチョトリヴィ
    Отчётливый
    1948年
    10月29日
    1949年
    9月14日
    1949年
    12月28日
    1960年
    11月
    オストリイ
    Острый
    1948年
    12月21日
    1950年
    4月16日
    1950年
    8月25日
    1983年
    6月
    オトヴェトストヴェンヌイ
    Ответственный
    1949年
    6月11日
    1950年
    4月12日
    1950年
    8月31日
    1961年
    8月
    オトメンヌイ
    Отменный
    1949年
    10月8日
    1950年
    6月17日
    1950年
    11月06日
    1978年
    2月
    オトリヴィスティ
    Отрывистый
    1949年
    12月3日
    1950年
    8月25日
    1950年
    12月10日
    1977年
    2月
    オトラジャユシュチイ
    Отражающий
    1950年
    3月3日
    1950年
    10月1日
    1950年
    12月17日
    1961年
    8月
    オトラドヌイ
    Отрадный
    1950年
    5月10日
    1950年
    12月30日
    1951年
    7月20日
    1984年
    3月
    オザリオンヌイ
    Озарённый
    1950年
    7月6日
    1951年
    3月7日
    1951年
    7月28日
    1978年
    4月
    オベレガユシュチイ
    Оберегающий
    1950年
    9月23日
    1951年
    5月11日
    1951年
    10月20日
    1975年
    3月
    オハラニャユシュチイ
    Охраняющий
    1950年
    11月25日
    1951年
    7月26日
    1951年
    11月28日
    1987年
    2月
    オストリジヌイ
    Осторожный
    1951年
    1月25日
    1951年
    9月25日
    1951年
    12月20日
    1981年
    12月
    オクリリオンヌイ
    Окрылённый
    1951年
    3月24日
    1951年
    10月17日
    1951年
    12月31日
    1978年
    12月
    オトジヴチヴィ
    Отзывчивый
    1951年
    5月30日
    1951年
    12月29日
    1952年
    12月20日
    1977年
    7月
    オトチャヤンヌイ
    Отчаянный
    1951年
    8月25日
    1951年
    12月29日
    1952年
    11月25日
    1968年
    6月
    エジプト海軍「エル・ナセル」(El Nasser)として再就役
    オパスヌイ
    Опасный
    1951年
    10月20日
    1952年
    6月1日
    1952年
    12月9日
    1987年
    3月
    オズィヴリオンヌイ
    Оживлённый
    1952年
    1月12日
    1952年
    8月4日
    1953年
    1月24日
    1976年
    6月
    オジェストチオンヌイ
    Ожесточённый
    1952年
    4月3日
    1952年
    9月16日
    1953年
    3月14日
    1961年
    8月

    脚注

    注釈

    1. ^ a b 直訳すると「艦隊水雷艇」となる。

    出典

    1. ^ a b c d e f g h i j k 海人社 2001.
    2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r Gardiner 1996, pp. 386–387.
    3. ^ a b c d Gardiner 1996, pp. 340–341.
    4. ^ a b c スメリイ級 ("30bis"型) 駆逐艦 Smelyy ("Project 30bis") class Destroyer”. kasado.net (2022年8月31日). 2023年3月13日閲覧。

    参考文献

    • Gardiner, Robert (1996). Conway's All the World's Fighting Ships 1947-1995. Naval Institute Press. ISBN 978-1557501325 
    • 海人社 編「独特の発達を遂げたソ連/ロシアの駆逐艦 (特集・戦後の駆逐艦)」『世界の艦船』第587号、海人社、86-91頁、2001年10月。 NAID 40002156164 

    外部リンク