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甘露寺豊長

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甘露寺豊長
時代 安土桃山時代 - 江戸時代初期
生誕 天正18年(1590年
死没 慶長11年(1606年
官位 従五位上右兵衛佐
主君 後陽成天皇
氏族 正親町三条家甘露寺家
父母 父:正親町三条公仲、母:勧修寺晴秀の娘
養父:甘露寺経遠
兄弟 正親町三条実有中川貞秀豊長
家女房
中川貞長
養子:時長[1]嗣長[2]
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甘露寺 豊長(かんろじ とよなが)は、安土桃山時代から江戸時代にかけての公家官位従五位上右兵衛佐甘露寺家22代当主。

経歴

権中納言正親町三条公仲の三男として誕生。蔵人頭右中弁甘露寺経遠の養子となる。

慶長11年(1606年)、卒去。家督は公仲の子・中川貞秀の子で養子・時長が継いだ。

系譜

  • 父:正親町三条公仲(1557-1594)
  • 母:勧修寺晴秀の娘
  • 養父:甘露寺経遠(1576-1602)
  • 妻:家女房
  • 生母不明の子女
    • 男子:中川貞長
  • 養子
    • 男子:甘露寺時長 - 右大弁
    • 男子:甘露寺嗣長 - 中川貞秀の子

脚注

  1. ^ 右大弁
  2. ^ 中川貞秀の子。時長の弟