三箇町
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三箇町 | |
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三箇町の位置 | |
北緯35度14分22.1秒 東経137度13分21.3秒 / 北緯35.239472度 東経137.222583度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 愛知県 |
市町村 | 豊田市 |
地区 | 藤岡地区 |
町名制定 | 2005年(平成17年)4月1日 |
面積 | |
• 合計 | 5.638 km2 |
人口 | |
• 合計 | 284人 |
• 密度 | 50人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
470-0402[2] |
市外局番 | 0565(豊田MA)[3] |
ナンバープレート | 豊田 |
概要
豊田市の北西部に位置し、藤岡地区(旧西加茂郡藤岡町の町域にほぼ相当する)に属する。全体的に山がちで、南北に長い町域を持ち、南部では町境付近に木瀬ダムとダム湖であるしらさぎ湖があり、北部は岐阜県土岐市鶴里町と接する。町域の中央部を縦貫する三箇川とそれにほぼ併走する愛知県道13号豊田多治見線沿い、及び同線が同じく町域のほぼ中央部を西進する愛知県道353号大平折平線と重複・交差する付近に、人家が疎らかに集まっている。愛知県道13号は深い山林の中を北進するが、県境上付近には広漠とした平坦地があり、土岐市南部の盆地に連続している。
大正期には陶土材料である石粉の製造が盛んであったが、昭和期に入り衰退する[4]。
歴史
沿革
- 江戸期- 寛永期の『三河国村々高附』においては「加茂郡三ヶ村」、天保期の郷帳においては「加茂郡三箇村」という表記が見受けられる[5]。
- 1635年(寛永12年)当時- 幕府領であった[6]。
- 1698年(元禄11年)当時- 旗本久永信豊の知行地となる[4]。
- 1871年(明治4年)- 大区小区制施行により、第4大区第3小区に所属する[5]。
- 1878年(明治11年)- 郡区町村編制法施行により、加茂郡が西加茂郡と東加茂郡に分割される。これに伴い、三箇村の所属が加茂郡から西加茂郡に変更される[4]。
- 1884年(明治17年)7月- 戸長役場設置に伴い、三箇村、石畳村(いしだたみむら)、大岩村(おおいわむら)、折平村(おりだいらむら)、上渡合村(かみどあいむら)、木瀬村(きせむら)、白川村(しらかわむら)、西市野々村(にしいちののむら)、北曽木村(ほくそぎむら)の9村が同組に組み込まれる[7]。
- 1889年(明治22年)10月1日- 市制・町村制施行に伴い、三箇村、石畳村、大岩村、折平村、上渡合村、木瀬村、白川村、西市野々村、北曽木村の9村が合併して西加茂郡高岡村が誕生し[8]、三箇村は高岡村大字三箇に継承される[4]。
- 1906年(明治39年)4月1日- 高岡村、富貴下村の内3大字、藤河村が合併して藤岡村が誕生し[9]、高岡村大字三箇は藤岡村大字三箇に継承される[4]。
- 1978年(昭和53年)4月1日- 藤岡村の町制施行に伴い[9]、住所表示が藤岡町大字三箇に変更される[4]。
- 2005年(平成17年)4月1日- 藤岡町の豊田市への編入に伴い、住所表示が豊田市三箇町に変更される。
世帯数と人口
2019年(令和元年)7月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
三箇町 | 114世帯 | 284人 |
人口の変遷
国勢調査による人口の推移
2005年(平成17年) | 376人 | [10] | |
2010年(平成22年) | 354人 | [11] | |
2015年(平成27年) | 311人 | [12] |
学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[13]。
番・番地等 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 豊田市立石畳小学校 | 豊田市立藤岡中学校 |
寺社
- 八柱神社
- 弘法堂
- 筋向かいには榎一里塚が残っている。
文化財
指定文化財
天然記念物
- アラカシ[14]
- カヤ[14]
- 豊田市指定。1974年(昭和49年)2月10日指定。個人が管理。
名木
- 豊田市指定名木。樹高8.0m、樹齢100年以上。所在地は三箇町石田。
- 豊田市指定名木。樹高31.0m、樹齢500年以上。所在地は三箇町森前14。
その他の文化財
散布地
古窯
- 田野尻窯- 近現代[16]
その他
日本郵便
脚注
- 出典
- ^ a b c “豊田市の人口 2019年7月1日現在人口 詳細データ - 町別面積・人口・世帯数”. 豊田市 (2019年7月11日). 2019年7月15日閲覧。
- ^ a b “三箇町の郵便番号”. 日本郵便. 2019年7月15日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『角川日本地名大辞典 23 愛知県』:619ページ
- ^ a b 『日本歴史地名体系』23:1165ページ
- ^ a b c d e 『日本歴史地名体系』23:846ページ
- ^ 『豊田加茂の地名』:8ページ、ただし参照元の表記は『北曾木村』である。
- ^ 『角川日本地名大辞典 23 愛知県』:768ページ
- ^ a b 『豊田加茂7市町村の合併の記録』:20ページ
- ^ “平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年6月27日). 2019年3月23日閲覧。
- ^ “平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2012年1月20日). 2019年3月23日閲覧。
- ^ “平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2019年3月23日閲覧。
- ^ “2019年度豊田市立小中学校区一覧表” (PDF). 豊田市 (2019年6月26日). 2019年7月15日閲覧。
- ^ a b 指定・登録文化財一覧(豊田市ウェブサイト、2012年1月23日閲覧)
- ^ a b 豊田の名木(豊田市ウェブサイト、2012年2月11日閲覧)
- ^ 埋蔵文化財一覧(豊田市ウェブサイト、2012年1月23日閲覧)
- ^ “郵便番号簿 2018年度版” (PDF). 日本郵便. 2019年6月10日閲覧。
参考文献
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年3月8日。ISBN 4-04-001230-5。
- 有限会社平凡社地方資料センター 編『日本歴史地名体系第23巻 愛知県の地名』平凡社、1981年。ISBN 4-582-49023-9。
- 『豊田加茂7市町村の合併の記録』、豊田市、2005年。
- 深津重貞 「豊田加茂の地名」、1991年。