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諫早茂敬

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諫早茂敬
時代 江戸時代前期
生誕 慶長13年(1608年
死没 慶安5年(1652年)5月
別名 豊前(通称)
墓所 長崎県諫早市天祐寺
主君 鍋島勝茂
肥前佐賀藩
氏族 諫早鍋島家諫早氏
父母 諫早直孝鍋島直茂三女・彦菊
兄弟 鍋島茂和正室、彦宮、茂敬
鍋島勝茂娘・宝乗院
茂清茂孝茂真成富独幽
鍋島直之正室
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諫早 茂敬(いさはや しげよし)は、江戸時代前期の武士肥前国佐賀藩士。諫早鍋島家諫早氏)3代当主。

略歴

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慶長13年(1608年)、2代諫早邑主・諫早直孝の子として誕生。

寛永14年(1637年)、鍋島勝茂に従い島原の乱に出陣し、原城の攻略で先手として武功を挙げた[1]正保4年(1647年)、長崎に通商を求めて来航したポルトガル船の警戒をした。

慶安5年(1652年)、死去。

系譜

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脚注

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  1. ^ 33回忌に建てられた島原の乱戦没者追悼碑(天祐寺内)には、武士67名、又者14名、百姓11名、合わせて92名分の氏名が刻まれている。また、出陣の時の旗印は諫早市郷土館に収蔵されている(諫早市公式HP)。

出典

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  • 日本史大辞典(講談社)
  • 諫早近代史