龍造寺家氏

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龍造寺家氏
時代 室町時代中期 - 戦国時代
生誕 不明
死没 不明
改名 家氏、定誉(法名)[1]
戒名 瑞應寺殿誉幸公大禅定門[2]
墓所 佐賀県佐賀市高伝寺
官位 隠岐守[3]
主君 少弐氏
氏族 龍造寺氏
父母 父∶龍造寺家秀
母∶不明
家貞家正定明家次康家
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龍造寺 家氏(りゅうぞうじ いえうじ)は、室町時代中期から戦国時代にかけての武将龍造寺氏13代当主。

略歴[編集]

肥前国国人・龍造寺氏12代当主・龍造寺家秀の子として誕生。

龍造寺氏は肥前の国人領主の一つであったが、主君筋の少弐氏大内氏との紛争で疲弊すると、相対的に肥前国内で自家の力を増加させた。また信心深く、肥前瑞應寺[4]を開基した。

死後、家督は嫡男・康家が継いだ。

脚注[編集]

  1. ^ 大日本史料』第9編之2 529頁
  2. ^ 『本荘の歴史』
  3. ^ 『龍造寺隆信譜』
  4. ^ 現在の佐賀県佐賀市

出典[編集]

  • 『本荘の歴史』(著 古野尚司、昭和62年(1987年))100頁
  • 『龍造寺隆信譜』
  • 『かたりべの里 本荘東分』