鷲尾金弥

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鷲尾 金弥(わしお きんや、1936年 - )は、日本の園芸プロデューサー[1]技術士建設部門(都市および地方計画)を保持している[2]

来歴[編集]

1959年、大阪府立大学農学部園芸学科を卒業し[2]1960年から大阪府立大学助手となる[3]

1974年にアメリカ合衆国に渡り、現地でWashioアソシエイツ有限会社を設立する[要出典]。1980年に帰国し、荒木造園設計事務所取締役企画部長となる[4]

1990年に鷲尾アソシエイツを設立して独立する。同年の国際花と緑の博覧会ではプロデューサーを担当し[5]、『国際花と緑の博覧会 花博植栽管理記録集成』の作成委員会代表を務めた[6]

以後、日本国外での園芸系博覧会(オランダ国際園芸博覧会フロリアート92、ドイツ国際庭園博覧会IGA93)で、日本国政府(農林水産省)の出展総合プロデューサーを担当した[7][8]。1996年のフラワーパークかごしまでは総合プロデューサーを務める[9]

1995年には株式会社ウィンを設立した[9]

2001年に、第23回日本公園緑地協会北村賞を受賞した[10]

代表作に、播磨科学公園都市光都21/3期(ワシオアソシエイツ名義)[11]、フローラルガーデンおぶせ花壇[12]などがある。

著書に『ランドスケープデザイン 1: 森の生態と花修景』(共著、京都造形芸術大学編、角川書店、1998年)、『花の造園 : 都市空間のフロリスケープ』(川上幸男・鷲尾金弥(編著)、経済調査会、1996年)がある。

脚注[編集]

  1. ^ ぶなの森を歩こう - 飯山市(2012年6月13日)
  2. ^ a b 『日本著者名人名典拠録』日外アソシエーツ、1989年、[要ページ番号]
  3. ^ 学報 第95号」第95巻、大阪府立大学、1960年11月。 
  4. ^ 近畿建築士会協議会(編)『ひろば』第207号、近畿建築士会協議会, 1981年7月、[要ページ番号]
  5. ^ 「はんしん自立の家」プログラムのご案内 (PDF) - はんしん自立の家(「ガーデニングクラブ」の箇所を参照)
  6. ^ 糸谷正俊「万博における造園界のかかわりについて考える (PDF) 」(2ページ目を参照)
  7. ^ 日本花卉園芸協会(編)『新花卉』第156号、タキイ種苗出版部、1992年11月、[要ページ番号]
  8. ^ 日本花卉園芸協会(編)『新花卉』162号、タキイ種苗出版部, 1994年5月、[要ページ番号]
  9. ^ a b 『ランドスケープ研究』第60巻4号 (No.339)、日本造園学会、1997年3月、[要ページ番号]
  10. ^ 北村賞受賞者一覧 (PDF) - 日本公園緑地協会(2019年12月)
  11. ^ 播磨科学公園都市 光都21/3期 - 住宅生産振興財団(「まちなみ検索)
  12. ^ 中山由稀, 川向正人「14057 小布施町の花のまちづくり運動(まちづくり(1),建築デザイン,2014年度日本建築学会大会(近畿)学術講演会・建築デザイン発表会)」『建築デザイン』第2014号、日本建築学会、2014年9月、114-115頁、ISSN 18839363NAID 110009853485  (Paid subscription required要購読契約)

外部リンク[編集]