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青木宥明

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
青木 宥明
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 静岡県
生年月日 1937年4月18日
没年月日 (2001-11-18) 2001年11月18日(64歳没)
身長
体重
173 cm
82 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1960年
初出場 1960年
最終出場 1961年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

青木 宥明(あおき ひろあき、1937年4月18日[1]- 2001年11月8日)は、静岡県出身[1]のプロ野球選手(投手)。

経歴

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神奈川工業から1956年に関東学院大学へ進学[1]。横浜五大学野球リーグでは、エースとして3年次の1958年春季リーグのチーム初優勝と、その後の4連覇に貢献。2年次の1957年、1958年の全日本大学野球選手権大会に東部地区大学野球連盟代表として出場するが、いずれも1回戦で敗退。4年次の1959年春季リーグでは横浜国立大から完全試合を記録している。リーグ最優秀選手3回[2]。大和証券をノーヒットノーランに抑えたこともあったが、大和の藤本英雄監督が「サイドからのシュートはプロ向きかな」と感じ、青木を自身の古巣である読売ジャイアンツに紹介している[3]。

1959年オフに巨人へ入団[1]し、1960年開幕3戦目の国鉄戦に大卒ルーキーとして初登板初先発を果たす。田所善治郎と投げ合い8回を無失点に抑え、9回に代打鵜飼勝美に適時打を喫し1失点も、完投を果たし勝利投手となる。大卒ルーキー初登板初先発勝利は巨人においては青木が達成して以後、2019年入団の髙橋優貴まで59年間出現していなかった[4]。同年は6月までに5連勝を含む6勝を挙げるが、その後は故障もあって失速。2年目の1961年5月5日には、阪神の小山正明に投げ勝ち1-0で初完封を記録するが、度重なる故障により、3年目の1962年限りで現役を引退[1]。

引退後は球団に残ってスカウトを務めたが、2001年11月8日午後2時40分、食道がんのため神奈川県平塚市の病院で死去[5][1]。64歳没。

詳細情報

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年度別投手成績

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年

度
球

団
登

板
先

発
完

投
完

封
無
四
球
勝

利
敗

戦
セ
丨
ブ
ホ
丨
ル
ド
勝

率
打

者
投
球
回
被
安
打
被
本
塁
打
与
四
球
敬

遠
与
死
球
奪
三
振
暴

投
ボ
丨
ク
失

点
自
責
点
防
御
率
W
H
I
P
1960 巨人 231010062----.75027764.26241904330032273.761.25
1961 24621022----.50022357.24231700350017132.031.02
通算:2年 471631084----.667500122.110473604680049402.941.14

背番号

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  • 56 (1960年 - 1962年)

脚注

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  1. 1 2 3 4 5 6 “菅野、半世紀ぶりブチ破る!大卒ルーキーの壁”. スポーツ報知. 2012年11月25日閲覧。
  2. ↑ 神奈川大学野球リーグガイドブック
  3. ↑ 【週ベ60周年記念企画110】『特集 巨人を支える二人の1年生〜堀本と青木 特別レポート 新監督三人男の功罪』【1960年5月18日増大号】
  4. ↑ “巨人5連勝!ドラ1高橋がプロ初先発初勝利 球団大卒新人59年ぶり快挙 阪神は4連敗”. Sponichi ANNEX. スポーツニッポン新聞社. 2019年4月4日. 2019年4月4日閲覧.
  5. ↑ 青木宥明氏死去/元プロ野球巨人投手 四国新聞 2011年11月9日閲覧

関連項目

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外部リンク

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