鄒衍

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鄒衍(すうえん)は中国戦国時代陰陽家稷下の学士の一人。『史記』では騶衍と書かれる。

略歴[編集]

史記』田敬仲完世家の斉宣王十八年(紀元前302年)の記事に、

宣王、文学遊説の士を喜ぶ。騶衍、淳于髠田駢接予慎到環淵の徒の如きより七十六人、皆、列第を賜い、上大夫と為す。治めずして議論す。是を以て斉の稷下の学士、復た盛んにして、且に数百千人ならんとす。

と記されていることから、鄒衍が稷下の学士の中での代表的な地位にあったことが分かる。

また、『史記』孟子荀卿列伝によれば、騶衍は孟子よりややあとの時代の人物で、斉に仕えた後、昭王の師となり、またに赴き平原君の信頼を得たという。

著作[編集]

漢書芸文志には鄒衍の著作として『鄒子』49篇と『鄒子終始』56篇が挙げられているが、いずれも伝わらない。しかしその学説の大略は『史記孟子荀卿列伝に紹介されており、儒家、特に孟子の影響を受けながら五行説を唱えたと考えられている。また、儒家のいう「中国」は世界全体の181に過ぎないと主張した。

参考文献[編集]