諏訪神社停留場

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諏訪神社停留場
全景
すわじんじゃ
Suwa-jinja Shrine
38 市役所 (0.5 km)
(0.2 km) 新大工町 40
所在地 長崎県長崎市出来大工町4番地先
北緯32度45分9.43秒 東経129度53分3.08秒 / 北緯32.7526194度 東経129.8841889度 / 32.7526194; 129.8841889 (諏訪神社停留場)
駅番号 39
所属事業者 長崎電気軌道
所属路線 蛍茶屋支線(□2号系統3号系統4号系統5号系統
キロ程 1.3 km(西浜町起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗降人員
-統計年度-
3,500人/日
-2015年-
開業年月日 1920年大正9年)7月9日
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諏訪神社停留場(すわじんじゃていりゅうじょう、諏訪神社電停)は、長崎県長崎市出来大工町にある長崎電気軌道蛍茶屋支線の路面電車停留場である。駅番号は392号系統3号系統4号系統5号系統が停車する。

長崎くんちで有名な諏訪神社の最寄りの停留場である[1]

歴史[編集]

当停留場は1920年大正9年)、長崎電軌の第3期線桜町 - 馬町間の開通に合わせて馬町停留場(うままちていりゅうじょう)として開業した[2][3]。当時の終点で、1922年(大正11年)には車庫が開設された[2]

1934年昭和9年)には蛍茶屋までの区間が延伸開通[2]。馬町停留場は廃止され[4][5]、移設のうえ諏訪神社下停留場(すわじんじゃしたていりゅうじょう)と改称した[6]。1936年(昭和11年)には諏訪神社前停留場(すわじんじゃまえていりゅうじょう)に改称[2]。2018年(平成30年)には停留場の最寄り施設を明確にするため、「前」を外して諏訪神社停留場に改称した[7]

年表[編集]

構造[編集]

諏訪神社停留場は併用軌道区間にあり、道路上にホームが置かれている[11][12]。ホームは2面あり、東西方向に伸びる2本の線路を挟んで向かい合わせに配される(相対式ホーム[11][12]。線路の北側にあるのが蛍茶屋方面行きのホーム、南側にあるのが西浜町長崎駅前方面行きのホーム[11][12]。付近にある馬町交差点の交通渋滞緩和のため横断歩道は設置されず、両ホームへは地下道にて連絡する[1]

戦前よりホーム(安全地帯)を備えた数少ない停留場の一つ[13]だったが、安全地帯は戦時中に軍の命令を受けて一度撤去されている[2][14]

馬町車庫[編集]

昭和初期ごろの馬町車庫

当地にはかつて長崎電軌の車両基地馬町車庫が置かれていた。1922年の開設で側線を3本備え、収容能力は車両20両分ほど[8]。車庫の建物は当時としては立派な2階建ての洋風建築で、2階は貸事務所、表通りに面した一画は貸店舗として使用された[2]。車庫はその後、1934年に大橋車庫が完成したのに伴い閉鎖され[8]、長崎電軌の本社事務所へと改装された[15]。車庫があった場所は出来大工町にあるガソリンスタンド、ENEOS馬町SS付近(北緯32度45分7.5秒 東経129度52分58.7秒 / 北緯32.752083度 東経129.882972度 / 32.752083; 129.882972 (馬町車庫))に相当する[8]

利用状況[編集]

長崎電軌の調査によると1日の乗降客数は以下の通り。

  • 1998年 - 5,316人[1]
  • 2015年 - 3,500人[16]

バス路線[編集]

県営バス長崎バス 諏訪神社前バス停

周辺[編集]

隣の停留場[編集]

長崎電気軌道
蛍茶屋支線(2号系統・3号系統・4号系統・5号系統)
市役所停留場(38) - 諏訪神社停留場(39) - 新大工町停留場(40)

脚注[編集]

  1. ^ a b c 田栗 & 宮川 2000, p. 74.
  2. ^ a b c d e f 田栗 2005, p. 83.
  3. ^ a b c 100年史, p. 129.
  4. ^ a b c d 今尾 2009, p. 58.
  5. ^ 100年史, p. 128.
  6. ^ a b c d 100年史, p. 126.
  7. ^ a b 電停名称変更のお知らせ”. 長崎電気軌道 (2018年3月30日). 2018年4月4日閲覧。
  8. ^ a b c d e 100年史, p. 18.
  9. ^ a b 田栗 2005, p. 157.
  10. ^ 浅野孝仁 (2018年7月31日). “長崎電気軌道:13カ所停留場、新名称に 35年ぶり、あすから”. 毎日新聞(地方版・長崎) (毎日新聞西部本社): p. 23 
  11. ^ a b c 100年史, p. 130.
  12. ^ a b c 川島 2013, p. 48.
  13. ^ 当時安全地帯があったのは当停留場から先、蛍茶屋までの各停留場のみだった。
  14. ^ 田栗 & 宮川 2000, p. 89.
  15. ^ 田栗 2005, p. 158.
  16. ^ 100年史, p. 125.

参考文献[編集]

  • 今尾恵介(監修)日本鉄道旅行地図帳』 12 九州沖縄、新潮社、2009年。ISBN 978-4-10-790030-2 
  • 川島令三『四国・九州ライン 全線・全駅・全配線』 第5巻 長崎・佐賀エリア、講談社〈【図説】 日本の鉄道〉、2013年。ISBN 978-4-06-295161-6 
  • 田栗優一『長崎「電車」が走る街今昔』JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉、2005年。ISBN 4-533-05987-2 
  • 田栗優一、宮川浩一『長崎のチンチン電車』葦書房、2000年。ISBN 4-7512-0764-4 
  • 長崎電気軌道株式会社『長崎電気軌道100年史』2016年。 

関連項目[編集]