西光寺 (長野市)
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西光寺 | |
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所在地 | 長野県長野市北石堂町1398 |
位置 |
北緯36度38分49.1秒 東経138度11分15.1秒座標: 北緯36度38分49.1秒 東経138度11分15.1秒 |
山号 | 苅萱山 |
院号 | 寂照院 |
宗派 | 浄土宗 |
本尊 |
阿弥陀如来 苅萱親子地蔵 |
創建年 | 鎌倉時代 |
開基 | 苅萱上人(苅萱道心) |
正式名 | 苅萱山寂照院西光寺 |
別称 | 苅萱山、かるかや山 |
札所等 | 善光寺七福神(第一番寿老人) |
文化財 |
親子地蔵(市指定文化財) 苅萱道心石童丸御親子御絵(無指定) |
法人番号 |
3100005000453 ![]() |
西光寺(さいこうじ)は、長野県長野市にある浄土宗の仏教寺院。通称はかるかや山。山号は苅萱山。院号は寂照院。本尊は阿弥陀如来[1]。絵解きの寺として知られる。
歴史と「苅萱伝説」[編集]
謡曲、説経節などで広まった「苅萱伝説」ゆかりの寺である。伝承によれば、苅萱道心(寂照坊等阿とも)は元は筑前国(現・福岡県)の領主で、俗名を加藤 左衛門尉 重氏といった。世の無常を感じた重氏は出家して高野山に赴き、仏道修行に励む。苅萱の出家後に生まれた子である石童丸と母は父を探して高野山に行き、女人禁制で母は麓に残る。石童丸は父と思しき苅萱を師として修業に励みつつ、「父ではないか?」と尋ねるが、出家の身である苅萱は涙を堪えて「そなたの父は死んだ」と告げる。石童丸が下山すると母が、帰郷すると姉も亡くなっていた。苅萱はその後、善光寺阿弥陀如来のお告げを得て信濃国に移って善光寺近くに庵を営み、そこで往生を遂げた。一人残された石童丸は、信濃の方角に紫雲のたなびくのを見て信濃へ向かい、父の死の2年後の同じ8月24日、そこで没した。西光寺に伝わる2体の地蔵菩薩像は「苅萱親子地蔵」と称され、苅萱道心と石童丸がそれぞれに刻んだものとされている。
西光寺にはこれを描いた『苅萱道心石童丸御親子御絵伝』が所蔵されており、聴衆に見せながら語り聞かせる絵解きを行っている[2]。
1831年(天保2年)の善光寺本堂建立にあたっては、造営奉行で松代藩の家老であった小山田平太夫が西光寺に滞在した。当寺の本堂も善光寺の資材を用いて建立されたという。
伽藍[編集]
- 本堂 - 本尊が祀られ、絵解きが行われる。
- 慈光門 - 1979年(昭和54年)の建立。
- 大師堂(園通殿) - 弘法大師を祀る。
- 玉取稲荷神社 - 苅萱稲荷社とも呼ばれる境内の鎮守。
- 大蛇、小蛇(おおにょう、こにょう)の塚(朝日山) - 霊験あらたかな塚として広く信仰される。
- 芭蕉塚 - 1743年(寛保3年)のもので、長野県内最古の松尾芭蕉の句碑。
- 一茶自筆の句碑 - 小林一茶の句碑。
- 苅萱塚 - 苅萱上人、石童丸の墓。
交通アクセス[編集]
寺院周辺[編集]
脚注[編集]
- ^ 本尊名については『日本歴史地名大系 長野県の地名』(平凡社、1979年)の「西光寺」の項による。ウェブサイト等では「苅萱親子地蔵」を本尊とするものが多い。
- ^ 清湖口敏/国語逍遥(88)絵解き 伝統の「語り芸」に酔った『産経新聞』朝刊2017年8月23日。
参考文献[編集]
- 『探訪 信州の古寺 浄土教・日蓮宗』1996年 郷土出版社