徳本

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徳本(とくほん、宝暦8年6月22日(1758年7月26日)? - 文政元年10月6日1818年11月4日)?)は、江戸時代後期の浄土宗。俗姓は田伏氏。号は名蓮社号誉。紀伊国日高郡の出身。徳本上人徳本行者とも呼ばれた。

略歴[編集]

27歳のとき出家し、木食行を行った。各地を巡り昼夜不断の念仏や苦行を行い、念仏聖として知られていた。大戒を受戒しようと善導に願い梵網戒経を得、修道の徳により独学で念仏の奥義を悟ったといわれている。文化11年(1814年)、江戸増上寺典海の要請により江戸小石川伝通院の一行院に住した。一行院では庶民に十念を授けるなど教化につとめたが、特に大奥女中で帰依する者が多かったという。江戸近郊の農村を中心に念仏講を組織し、その範囲は関東・北陸・近畿まで及んだ。「流行神」と称されるほどに熱狂的に支持され、諸大名からも崇敬を受けた。徳本の念仏は、木魚と鉦を激しくたたくという独特な念仏で徳本念仏と呼ばれた。墓所は一行院。

その他[編集]

  • 文化13年(1816年)、上州遊行の際、その途中、武州児玉郡本庄宿円心寺小笠原信之が建立)に入り、3月23日に念仏百唱会を行い、1,400人の信者が参集。この念仏会を記念して、翌年(1817年)6月、行者の独特の筆跡による「南無阿弥陀仏」の名号碑が念仏構中の手によって建てられる。
  • 文化13年(1816年)6月22日から7月1日まで信州松本に滞在し、生安寺を中心に化益を執り行い、受けた人は28,000人を超えた。その影響もあり、松本市内には善光寺等順を上回る七十三基の徳本名号塔が存在している。[1]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ https://www.city.matsumoto.nagano.jp/miryoku/bunkazai/nenbutu_houkokusho.files/nenbutugyouji. ー松本市の念仏塔と念仏行事 調査報告書ー]

外部リンク[編集]