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菅佐原英一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
すがさわら えいいち
菅佐原 英一
菅佐原 英一
松竹映画『若き日は悲し』(ポスター)での菅佐原(最右列最下)
本名 菅佐原 英一
生年月日 (1925-01-01) 1925年1月1日(99歳)
出生地 日本の旗神奈川県
国籍 日本
民族 日本人
職業 俳優
ジャンル 映画テレビドラマ
活動期間 1953年 - 1964年
主な作品
母性日記1955年 佐々木啓祐
美貌の園1956年 杉岡次郎
緑なる人1956年 田畠恒男
恋愛裁判1959年 尾崎甫
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菅佐原 英一(すがさわら えいいち、1925年大正14年〉1月1日 - )は、日本俳優神奈川県出身。

来歴・人物

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東京帝国大学(現・東京大学)法学部在学中の1944年学徒出陣して、陸軍特別操縦見習士官として特別攻撃隊に配属されたが[1]、敗戦後に無事に復員した。その後、京浜美術工芸社勤務を経て、1953年昭和28年)に佐分利信にスカウトされて、佐分利信監督主演の映画『広場の孤独』で銀幕デビューを果たす。2作目も佐分利が監督した映画『叛乱』(1953年、新東宝)に出演する。1953年、松竹に入社。松竹入社後は、『蛍草』(1954年、松竹)、『母性日記』(1955年、松竹)、『美貌の園』(1956年、松竹)などに水原真知子中川弘子杉田弘子七浦弘子紙京子らと共演して松竹大船調メロドラマ作品で活動する。松竹大船現代劇において、佐竹明夫船山裕二溝口亮らと共に、当時の松竹三羽烏:佐田啓二高橋貞二大木実川喜多雄二と肩を並べる活躍をする。その後も『花ふたたび』(1956年、松竹)、『家庭教師と女生徒』(1957年、松竹)などのメロドラマ作品に出演を続けた後に、1961年に松竹を退社。フリーになり、テレビドラマにも出演するようになった。

フリーになってからは『ごめんねママ』などのホームドラマに出演していたが、1967年頃には芸能界を離れて、当時、第2次佐藤内閣において菅野和太郎通商産業大臣の下で通産政務次官に就任していた宇野宗佑の秘書を務めており、その頃には信託銀行のCMだけに出演していた[2]。また、1967年には、自由民主党参議院議員タレント議員のはしりであった藤原あきの逝去に伴い、菅佐原が「学生時代(東京帝国大学法学部)からの夢でした。」と、藤原あきの政治基盤を引き継ぐ形で、自由民主党からの参院選出馬へ意欲を見せたこともあった[2]

主な出演作品

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映画

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テレビドラマ

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参考文献

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  • 『日本映画俳優全集・男優編』、キネマ旬報増刊10月23日号、キネマ旬報社、1979年、286頁

関連項目

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脚注

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  1. ^ 東京新聞1956年5月7日
  2. ^ a b 週刊TVガイド、1967年8月25日号、P25

外部リンク

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