粛川郡

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粛川郡
位置
DPRK2006 Pyongnam-Sukchon.PNG
各種表記
ハングル 숙천군
漢字 肅川郡
発音 スクチョン=グン
ローマ字転写 Sukch'ŏn-gun
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粛川郡(スクチョンぐん)は朝鮮民主主義人民共和国平安南道に属する郡。

地理[編集]

平安南道西部に位置し、西は黄海に面する。

北に文徳郡安州市、東に順川市平城市、南に平原郡と境を接する。

行政区域[編集]

1邑・1労働者区・20里を管轄する。

  • 粛川邑(スクチョヌプ)
  • 南陽労働者区(ナミャンロドンジャグ)
  • 検山里(コムサンリ)
  • 検興里(コムンリ)
  • 広川里(クァンチョンリ)
  • 金豊里(クムプンリ)
  • 大成里(テソンリ)
  • 龍徳里(リョンドンリ)
  • 白巌里(ペガムリ)
  • 蛇山里(ササンリ)
  • 松徳里(ソンドンリ)
  • 新豊里(シンプンリ)
  • 双雲里(サンウンリ)
  • 薬田里(ヤクチョンリ)
  • 雲井里(ウンジョンリ)
  • 長興里(チャンフンリ)
  • 倉東里(チャンドンリ)
  • 七里(チルリ)
  • 平山里(ピョンサンリ)
  • 平和里(ピョンファリ)
  • ヘビッ里(ヘビンリ)
  • 興五里(フンオリ)

歴史[編集]

朝鮮王朝時代に平安道粛川都護府が置かれ、1895年に粛川郡となったが、1914年平原郡に併合された。

朝鮮戦争中の1950年10月には、国連軍による大規模な空挺作戦がおこなわれた(粛川・順川の戦い)。1952年、北朝鮮の行政区画改編により平原郡から粛川面・朝雲面・海蘇面・西海面・検山面・東松面が分離され、粛川郡(1邑20里)が編成された。

年表[編集]

この節の出典[1]

  • 1952年12月 - 郡面里統廃合により、平安南道平原郡粛川面・朝雲面・西海面・検山面・東松面・海蘇面および龍湖面の一部地域をもって、粛川郡を設置。粛川郡に以下の邑・里が成立。(1邑21里)
    • 粛川邑・興五里・長興里・龍徳里・検興里・大成里・検山里・平和里・双雲里・白巌里・薬田里・基隠里・新豊里・蘇恩里・蓮花里・広川里・倉東里・七里・蛇山里・松徳里・雲井里・平山里
  • 1953年 (1邑21里)
    • 検興里の一部が検山里に編入。
    • 七里の一部が蛇山里に編入。
  • 1963年 - 蓮花里が南陽労働者区に昇格。(1邑1労働者区20里)
  • 1967年 - 白巌里の一部が龍徳里に編入。(1邑1労働者区20里)
  • 1972年 - 白巌里の一部が平和里に編入。(1邑1労働者区20里)
  • 1977年 - 蘇恩里がヘビッ里に改称。(1邑1労働者区20里)
  • 1982年 - 基隠里が金豊里に改称。(1邑1労働者区20里)

交通[編集]

外部リンク[編集]

  1. ^ 평안남도 숙천군 역사