文徳郡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
文徳郡
位置
DPRK2006 Pyongnam-Mundok.PNG
各種表記
ハングル 문덕군
漢字 文德郡
発音 ムンドク=クン
日本語読み: ぶんとくぐん
ローマ字転写 Mundŏk-kun
テンプレートを表示

文徳郡(ムンドクぐん)は、朝鮮民主主義人民共和国平安南道西北部に位置する郡。郡名は高句麗の将軍・乙支文徳に由来する。

地理[編集]

清川江の河口部に位置し、西は黄海に面する。

隣接行政区[編集]

行政区域[編集]

1邑・1労働者区・21里を管轄する。

  • 文徳邑(ムンドグプ)
  • 西湖労働者区(ソホロドンジャグ)
  • 金渓里(クムゲリ)
  • 南上渓里(ナムサンゲリ)
  • 南二里(ナミリ)
  • 東林里(トンリムリ)
  • 東四里(トンサリ)
  • 龍南里(リョンナムリ)
  • 龍潭里(リョンダムリ)
  • 龍林里(リョンリムリ)
  • 龍盤里(リョンバンリ)
  • 龍五里(リョンオリ)
  • 龍中里(リョンジュンリ)
  • 龍興里(リョンフンリ)
  • 立石里(リプソンリ)
  • 馬山里(マサンリ)
  • 万興里(マヌンリ)
  • 上北洞里(サンブントンリ)
  • 上八里(サンパルリ)
  • 聖法里(ソンボムリ)
  • 漁龍里(オリョンリ)
  • 仁興里(イヌンリ)
  • 豊年里(プンニョンリ)

歴史[編集]

612年煬帝は第二次高句麗遠征(隋の高句麗遠征)の軍を送った。高句麗は薩水(清川江)一帯で隋と戦い、勝利を収めた。このときの高句麗の将軍が乙支文徳であり、のちにつけられた郡名は彼を顕彰したものになっている。

1945年8月15日の時点で、この地域は安州郡に属していた。1952年12月、龍花面・大尼面・立石面・燕湖面が安州郡から分離され、文徳郡(1邑24里)が新設された。1980年2月、安州労働者区・新里・龍北里が郡から分離され、道直轄の清南区となった。

年表[編集]

この節の出典[1]

  • 1952年12月 - 郡面里統廃合により、平安南道安州郡立石面・大尼面・龍花面・燕湖面をもって、文徳郡を設置。文徳郡に以下の邑・里が成立。(1邑24里)
    • 文徳邑・南上渓里・龍南里・金渓里・上北洞里・漁龍里・尼西里・万興里・龍興里・協興里・龍中里・龍盤里・龍潭里・馬山里・南二里・東四里・上八里・仁興里・東林里・西湖里・龍林里・聖法里・新里・龍北里・博飛里
  • 1953年 (1邑25里)
    • 東林里の一部が分立し、龍五里が発足。
    • 文徳邑が立石里に降格。
    • 協興里が文徳邑に昇格。
    • 南二里の一部が博飛里に編入。
  • 1954年 - 新里の一部が分立し、安州労働者区が発足。(1邑1労働者区25里)
  • 1958年 - 龍興里の一部が立石里に編入。(1邑1労働者区25里)
  • 1959年 - 博飛里が龍五里に編入。(1邑1労働者区24里)
  • 1977年 - 尼西里が豊年里に改称。(1邑1労働者区24里)
  • 1980年2月 - 安州労働者区および新里・龍北里の各一部が新設の清南区に編入。(1邑24里)
  • 1981年 - 万興里・上北洞里の各一部が文徳邑に編入。(1邑24里)
  • 1991年 - 西湖里が西湖労働者区に昇格。(1邑1労働者区23里)
  • 1997年末 - 清南区文化洞・相逢洞・忠誠洞・孝誠洞・コムン金洞・楽園洞・産業洞・セゴリ洞を編入。(1邑5労働者区23里)
    • 文化洞・楽園洞が合併し、文化労働者区が発足。
    • 相逢洞・コムン金洞が合併し、相逢労働者区が発足。
    • 忠誠洞・セゴリ洞が合併し、忠誠労働者区が発足。
    • 孝誠洞・産業洞が合併し、孝誠労働者区が発足。
  • 1999年 - 文化労働者区・相逢労働者区・忠誠労働者区・孝誠労働者区・新里・龍北里および西湖労働者区の一部が新設の清南区に編入。(1邑1労働者区21里)

交通[編集]

外部リンク[編集]

  1. ^ 평안남도 문덕군 역사