北倉郡

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北倉郡
位置
DPRK2006 Pyongnam-Bukchang.PNG
各種表記
ハングル 북창군
漢字 北倉郡
発音 プクチャン=グン
ローマ字転写 Pukch'ang kun
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北倉郡(プクチャンぐん)は、朝鮮民主主義人民共和国平安南道に属する

地理[編集]

隣接行政区[編集]

行政区域[編集]

1邑・ 5労働者区・20里を管轄する。

  • 北倉邑(プクチャンウプ)
  • 官下労働者区(クァナロドンジャグ)
  • 北倉労働者区(プクチャンロドンジャグ)
  • 松南労働者区(ソンナムロドンジャグ)
  • 芢浦労働者区(インポロドンジャグ)
  • 豊穀労働者区(プンゴンロドンジャグ)
  • 加坪里(カピョンリ)
  • 光労里(クァンロリ)
  • 南上里(ナムサンリ)
  • 南陽里(ナミャンリ)
  • 大坪里(テピョンリ)
  • 龍山里(リョンサンリ)
  • 梅峴里(メヒョンリ)
  • 鳳倉里(ポンチャンリ)
  • 三里(サムリ)
  • 上下里(サンハリ)
  • 召倉里(ソチャンリ)
  • 松林里(ソンリムリ)
  • 松寺里(ソンサリ)
  • 水玉里(スオンリ)
  • 新福里(シンボンリ)
  • 新石里(シンソンリ)
  • 新坪里(シンピョンリ)
  • 淵流里(ヨルリュリ)
  • 蚕上里(チャムサンリ)
  • 檜安里(フェアンリ)

歴史[編集]

北倉郡は、北朝鮮建国後に新設された郡である。

1952年12月、孟山郡の玉泉面・封仁面・鶴川面、徳川郡の蚕島面・蚕上面が統合され、北倉郡が編成された(1邑25面)。

はじめ郡人民委員会は旧玉泉面北倉里に置かれ、この地区を北倉邑と称した。1967年には楊村里とその周辺地域が北倉労働者区に編成された。1972年、郡人民委員会は北倉労働者区(旧・楊村里)に移転し、この地区が北倉邑と呼ばれるようになり、それまでの北倉邑(旧・北倉里)は北倉労働者区に改称された。

1995年8月には石山里・院坪里・龍山里を再編し、得場地区が新設された。2000年に得場地区は廃止され、同地区所属の労働者区は北倉郡に編入されている。

年表[編集]

この節の出典[1]

  • 1952年12月 - 郡面里統廃合により、平安南道孟山郡玉泉面・封仁面・鶴川面、徳川郡蚕島面・蚕上面をもって、北倉郡を設置。北倉郡に以下の邑・里が成立。(1邑25里)
    • 北倉邑・龍浦里・水玉里・豊穀里・光労里・採嶺里・南上里・淵流里・新福里・加坪里・召倉里・上下里・院坪里・官下里・三興里・蚕上里・石山里・梅峴里・新石里・松寺里・南陽里・檜安里・三里・大坪里・松林里・龍山里
  • 1954年10月 (1邑26里)
    • 官下里・淵流里の各一部が合併し、楊村里が発足。
    • 召倉里の一部が成川郡新坪里と合併し、新坪里が発足。
    • 三興里が徳川郡に編入。
  • 1967年 (1邑2労働者区24里)
    • 大坪里の一部が龍山里に編入。
    • 龍山里の一部が石山里に編入。
    • 楊村里および大坪里の一部が合併し、北倉労働者区が発足。
    • 採嶺里が松南労働者区に昇格。
  • 1972年 (1邑2労働者区24里)
    • 北倉邑が北倉労働者区(新)に降格。
    • 北倉労働者区(旧)が北倉邑に昇格。
  • 1981年 (1邑4労働者区22里)
    • 豊穀里が豊穀労働者区に昇格。
    • 龍浦里が芢浦労働者区に昇格。
  • 1984年 - 价川郡鳳倉里を編入。(1邑4労働者区23里)
  • 1990年10月 - 大坪里の一部が北倉労働者区に編入。(1邑4労働者区23里)
  • 1992年1月 - 新坪里が新設の殷山郡に編入。(1邑4労働者区22里)
  • 1994年 - 殷山郡新坪里を編入。(1邑4労働者区23里)
  • 1995年8月 (1邑4労働者区21里)
    • 石山里および院坪里・龍山里の各一部が新設の得将地区に編入。
    • 院坪里の残部が龍山里に編入。
  • 1997年 - 官下里が官下労働者区に昇格。(1邑5労働者区20里)
  • 2000年1月 - 得将地区得将労働者区・鳴鶴労働者区・甫業労働者区・カルコル労働者区を編入。(1邑9労働者区20里)
  • 2008年前 - 得将労働者区・鳴鶴労働者区・甫業労働者区・カルコル労働者区が新設の得将地区に編入。(1邑5労働者区20里)

交通[編集]

外部リンク[編集]

  1. ^ 평안남도 북창군 역사