秦万里子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
秦万里子
生誕 (1956-03-28) 1956年3月28日(61歳)
出身地 日本の旗 日本東京都杉並区
学歴 国立音楽大学器楽科ピアノ専攻卒業
アメリカ・バークリー音楽学院
ジャンル ポップス
職業 作曲家
シンガーソングライター
ピアニスト
担当楽器
ピアノ
公式サイト 秦万里子 Official Website

秦 万里子(はた まりこ、1956年3月28日 - )は、日本歌手ピアニスト作曲家作詞家

来歴[編集]

生い立ち[編集]

東京都杉並区出身。祖父は日本コロムビア元社長の秦米造。祖父も音楽好きだった影響もあって自宅には多数のレコードがあり、幼少から音楽に親しむ。3歳よりピアノをはじめ、5歳で自作曲で発表会に出る等、作曲をはじめていた。初等科、女子中、高等科と学習院で学ぶ。

その間、アメリカンポップス、プログレッシブロックなどを片っ端からコピーし、楽譜がなくてもなんでも弾けるようになる。

音楽家への道[編集]

国立音楽大学器楽科ピアノ専攻に進学。在学中よりバンドのキーボーディスト、東京おとぼけキャッツのメンバーとしても活動。その一方、作曲家・鈴木邦彦経営のポップスク講師として、スタジオにもミュージシャンとして出入りを始める。1978年卒業。

祖父の病の看病のため、一切の外部音楽活動をやめて子どもたちの音楽教室を開く。持ち前の絶対音感、即興性、コピー能力を活かし、徹底的に楽しい「生徒がやめないレッスン」を提供する。

祖父死去の後、28歳の時にロサンゼルス・オリンピックのファンファーレに感銘を受け、作曲者のジョン・ウィリアムズに弟子入りしようと思い立ち渡米[1]。ウィリアムズへの師事は叶わなかったが、1985年にアメリカ・バークリー音楽学院へ留学。CRAIG NAJJARに師事、ピアノ、アレンジ、ソングライティング、指揮などを習う。

帰国後 ピアノプレーヤ(YAMAHAの自動演奏ピアノ)のソフト作りに関わり、日本テレビ『スクスクのびのび』、ソニーハンディカムのコマーシャルなどの音楽を制作。

一方、幼稚園などで幼児教育にも力を注ぎ、即興でその現場に合う歌をつくり、ライブ感溢れる授業をつづけた。それが主婦の歌へとつながる。2006年よりNYパワーハウスと共に歩み始め、「半径5メートルの日常を歌う音楽家」として 知名度を上げていく。なお、歌の作詞は4歳年下の妹でドッグシッターの秦典子が多数担当している。

芸能活動[編集]

2009年1月、52歳で徳間ジャパンコミュニケーションズからライブアルバム『半径5メートル物語』[4]でメジャーデビュー。日常や、そのときの感情をこまやかに切り取り、それを歌にすることで多くの主婦の心をつかむ。2010年4月よりNHK総合で平日10時5分から放送の『歌うコンシェルジュ』のコンシェルジュ役として登場、2年間ホステスを務める。

2010年、フジテレビ放映の番組『ライオンのごきげんよう』のOP曲「あっけらカンとごきげんよう」を作曲(秦典子が作詞、歌唱を小堺一機が担当)。

2011年3月の東日本大震災に際し、海外からの支援へ感謝を込めた楽曲「Heroes 2011, Japan」をパックンマックンのパトリック・ハーランと制作(パックンが歌詞、秦が作曲を担当)。

2013年9月よりワタナベエンターテインメント所属となる。

出演番組[編集]

ディスコグラフィ[編集]

  • MOTTAINAI(2007年4月16日)
  • 半径5メートル物語(2009年1月14日)
  • 主婦たちへの応援歌(2009年10月7日)
  • Heroes 2011, Japan(2011年6月)Youtubeでの公開

脚注[編集]

外部リンク[編集]