「Wikipedia‐ノート:特筆性 (人物)」の版間の差分

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: 本件は例示された説明が誤っているものであり、また変更前後で特定のジャンルで特筆されるという大意は変わらないため、合意無しに変更可能な範疇であると判断します。--[[利用者:Haetenai|Haetenai]]([[利用者‐会話:Haetenai|会話]]) 2020年6月25日 (木) 07:17 (UTC)
: 本件は例示された説明が誤っているものであり、また変更前後で特定のジャンルで特筆されるという大意は変わらないため、合意無しに変更可能な範疇であると判断します。--[[利用者:Haetenai|Haetenai]]([[利用者‐会話:Haetenai|会話]]) 2020年6月25日 (木) 07:17 (UTC)
:: {{報告}} Haetenaiさんのご意見を踏まえ、また検討の結果、同記述は明確な誤りであり、かつ編集によって基準に影響はもたらさないと考え、「[[SM (性風俗)|SM]]、[[同性愛]]、[[フェティシズム]]といった[[性的嗜好]]」という表現を「[[同性愛]]のような[[性的指向]]、あるいは[[SM (性風俗)|SM]]、[[フェティシズム]]といった[[性的嗜好]]」に変更する編集をいたしました。--[[利用者:しんぎんぐきゃっと|しんぎんぐきゃっと]]([[利用者‐会話:しんぎんぐきゃっと|会話]]) 2020年6月25日 (木) 09:22 (UTC)
:: {{報告}} Haetenaiさんのご意見を踏まえ、また検討の結果、同記述は明確な誤りであり、かつ編集によって基準に影響はもたらさないと考え、「[[SM (性風俗)|SM]]、[[同性愛]]、[[フェティシズム]]といった[[性的嗜好]]」という表現を「[[同性愛]]のような[[性的指向]]、あるいは[[SM (性風俗)|SM]]、[[フェティシズム]]といった[[性的嗜好]]」に変更する編集をいたしました。--[[利用者:しんぎんぐきゃっと|しんぎんぐきゃっと]]([[利用者‐会話:しんぎんぐきゃっと|会話]]) 2020年6月25日 (木) 09:22 (UTC)
* 既に書き換えて頂いているようですが、これについては「SM、同性愛、フェティシズムといった'''特定の表現に特化した'''サブジャンル」(太字は差分明示用)のような表現とした方が伝わりやすいのではないでしょうか。性的指向としての同性愛と、ヘテロセクシャル者による閲覧も想定しうるアダルト作品の同性愛ジャンルは、同一視し切れない面があると思います。それならばむしろ、「特定の表現に特化した」というような言い換えとする方が、冗長でなく、またご懸念も解消し得るものかと思いますが、いかがでしょうか。--''Ccgxk'' ([[利用者:Ccgxk|頁]] - [[利用者‐会話:Ccgxk|話]] - [[特別:投稿記録/Ccgxk|稿]]) 2020年6月26日 (金) 13:40 (UTC)

2020年6月26日 (金) 13:40時点における版

AV女優の特記性について(追記)

Wikipedia:特筆性 (人物)#アダルト俳優について、アダルトビデオの審査団体と特筆すべき賞について追記を行ったのですが、合意が得られていないという指摘がありましたので、プロジェクト‐ノート:性#アダルト俳優の特筆性について(再々)にて事後承認をいただければ幸いです。--Cho-ji会話2016年1月2日 (土) 19:59 (UTC)[返信]

現在、プロジェクト‐ノート:性#アダルト俳優の特筆性について(本数基準変えませんか)において、Wikipedia:特筆性 (人物)#アダルト俳優の「単体作品10作以上に主演している」の部分の本数を引き上げる提案を行っておりますのでお知らせいたします。--Haifun999会話2016年3月3日 (木) 11:16 (UTC)[返信]
本数を引き上げる提案については合意に至る見込みがないことから取り下げましたが、新たにプロジェクト‐ノート:性#アダルト俳優の特筆性について(本数基準廃止の提案)を提出いたしましたのでお知らせいたします。--Haifun999会話2016年3月12日 (土) 10:52 (UTC)[返信]
報告 上記議論により単体作品の本数基準を廃止いたしました。--Haifun999会話2016年4月2日 (土) 05:03 (UTC)[返信]

政治家の特筆性を市長全体に拡大する提案

以前、政治家の特筆性について議論提起させていただきましたが、改めて。現在地方の首長の特筆性について「都道府県・政令指定都市・中核市・特例市・特別区の選挙で選ばれた首長」である場合に特筆性が認められるとしています。ところが実際にはそれ以外の市の首長についても多く立項され、事実上立項が許容されています(特に県都の市長の場合に顕著です)。また選挙で選ばれた者としていますが、戦前の官選の者を排除する理由もないでしょう。制度上も去年4月1日より特例市は廃止され、中核市に一本化されました。そこでこの機会に当該記述について「都道府県、市、特別区の首長」の場合に認められるとすることを提案します。特に反対がなければ1週間後を目処に書き改めたいと存じますので、ご検討のほどよろしくお願いいたします--落ち穂拾いする人(Talk) 2016年1月6日 (水) 09:11 (UTC)[返信]

コメント Wikipedia:独立記事作成の目安の「特筆性とは、立項される対象がその対象と無関係な信頼できる情報源において有意に言及されている状態であることを意味します。」をクリアする必要はあると思います。地方紙等の記事を探せば「都道府県、市、特別区の首長」に関する記事を出典にすることは容易でしょうし、過去の人物であっても過去の新聞や郷土史に載るような業績を残しているものと思われます。独立記事作成を不当に難しくするような要件ではないと思います。ご一考いただければ幸いです。--ジャコウネズミ会話 | 投稿記録2016年1月6日 (水) 20:10 (UTC)[返信]
コメントありがとうございます。もちろん全体に適用される独立記事作成の基準をクリアすれば附随的な要件の方は無視しても良いのですが、そうなると特定の指定を受けている市だけに限定した記述の必要性はますます不明かと思います。例として藤沢市は特例市でも中核市でもありませんが、施行時特例市の指定を受けている市より規模は大きく、実際に歴代市長の記事が幾つか作られています。去年中核市に指定されたばかりの八王子市でもだいぶ前から歴代市長の記事が多く作成されていますし、この基準を設けることの妥当性は相当怪しいです。現に夕張市鈴木直道は出典すらない状態で就任直後に作成されており、特筆性は全く示されておりませんでした。福島市小林香などは当選したというだけであり、業績は未だに全く示されていません。仮に選挙で当選したというニュースを示すだけで特筆性を満たすとするなら政治家について基準を設ける意味はないはずです。町長や村長、地方議員についての削除依頼は多く出されてきましたが、市長の場合には市長であることだけをもって執筆される運用が既に確立されていると考えます。--落ち穂拾いする人(Talk) 2016年1月7日 (木) 00:14 (UTC)[返信]
(反対)「市長は無条件で特筆性が認められる」としてしまうと、全国各都市の市長のサブスタブを濫造する人が現れるので反対とさせていただきます。「市長であることだけをもって執筆される」というよりは、「今まで作成されたすべての市長の記事において特筆性が示されているし、これから市長の記事を作る場合もそうすべき」と考えるのが基本ではないかと思います。--Muyo会話2016年1月15日 (金) 02:34 (UTC)[返信]
挙げられた例ですが「市長であるうえに有名な中堅建設会社の社長を務めた人物」「全国的に大きく報道された財政問題が存在する中で就任した市長」「国家的な重大問題の最大の当事者たる県の県都の市長」などであれば必然的に「立項される対象がその対象と無関係な信頼できる情報源において有意に言及されている状態」にもなるので、それなりに特筆性もあるものとみなされるでしょう。大して報道もされない普通の市の市長で、市長としての実績も市長以外の経歴についても特筆に値するものがないような市長であれば「立項される対象がその対象と無関係な信頼できる情報源において有意に言及されている状態」ではないかもしれませんし、もしそうであれば作成されるべきではないでしょう。--Muyo会話2016年1月15日 (金) 04:40 (UTC)[返信]
悪用されるとはとても思えませんし、当選しただけで執筆されてきたのも事実なんですが…。進まなそうなので仕方ないですね。それでは県庁所在地の市長を条件に加え、「選挙で選ばれた」の要件を外すのはどうでしょうか。「選挙で選ばれた」に関しては過去の議論を見てもさして意味はないように感じますが、いかがお考えでしょうか。また特例市が廃止されたので、政令市、中核市もまとめて計量特定市として、「都道府県、計量特定市、県都、特別区の首長」としたいとですが。--落ち穂拾いする人(Talk) 2016年1月18日 (月) 11:00 (UTC)[返信]
たぶん少なくとも現に在任中の市長については何かしらの第三者による情報源はあると思いますし、記事を作成したときに情報源が記載されていなくても情報源の存在が確認されればいきなり削除されることはないわけで、実際には記事を作った場合に特筆性で削除されることは現状でもまずないでしょうし、それでいいとも思います。「何かしらの条件をきちんと決めるべき」と考えているわけではありません。しかし、戦前のわずかな期間在任しただけの官選市長などについては、名前と在任期間以外に情報が全くないかもしれません。そして、ウィキペディアとしてひとたび「どんな市でも市長の記事は無条件で作っていいよ」と宣言すると、そういった人物も含め「〇〇〇〇は(元)△△市長。」という一文だけの記事を片っ端から濫発する人が出てくるかもしれないので、あえてそれは宣言しないほうがいいのでは…という意味です。まあ考え過ぎかもしれませんけどね。--Muyo会話2016年1月18日 (月) 15:10 (UTC)[返信]
  • 賛成 最初の提案(条件なし)に賛成。市長なら、どこの市長でも、地方紙などで記事として基礎となる部分の内容を書くのに必要なだけの第三者的情報源は得られると見込めると思うのですが、そうではないのかな。当選時にはその市長を主題とした記事が掲載されるでしょうし、その後の市政についても取り上げられるでしょうし。それらが得られるなら特筆性は満たしますし、記事を作った段階で役所などの情報だけで作ったりしていたとしても、削除しなくてもよいでしょう。現状追認、ではなくて、実際に情報源が示されていなくとも独立した項目の目安を満たすと推定されることについて、一定の線引きをしてクリアさせてしまう、ということで賛成です。全国各都市の歴代市長について、短くとも基本的な事柄が掲載されている状態は、それほど悪いものだとは思えません。--Ks aka 98会話2016年1月18日 (月) 11:17 (UTC)[返信]
  • 賛成 現行の規定作りに関わった者ですが、Wikipedia:特筆性 (人物)#政治家についての改訂提案の経過を見ていただければわかるように市長のみならず県会議長や多選を重ねた県議さんも含めようとして一気に広げすぎるということで妥協案として現行になりました。しかし、提案がすんなり通らなかったのは県会議長や多選を重ねた県議さんまでも含めようとしたからであって、市長さんに限るならばいいだろうと思います。市長さんといえば小さくても数万人の行政区のトップ。その人の記事はあってもいいでしょう--ぱたごん会話2016年1月18日 (月) 11:31 (UTC)[返信]

コメント独立記事作成の目安の一般的な基準である「対象と無関係な信頼できる情報源から有意な言及があった場合」を、日本の市長がたいていの場合満たすであろうことは事実としてあるのでしょうが、それにしても「何をなしたか」(第三者による有意な言及)ではなく「何であったか」(何らかの立場に立っただけ)に基準を変えることがどうして必要なのかがわからないので、どちらかというと反対よりです。「当選しただけで執筆されてき」て今まで存続し続けているように見えたとしても、それは「市長になるくらいだから何らかの第三者による有意な言及があるだろう」と考えてみて見ぬふりをしてるだけかもしれないし、「言及を探す余裕もないけど、削除依頼も面倒だし」とあえてスルーしてるだけかもしれないし、現状が「第三者による言及がなくても作成してもいいだろう」というコミュニティの判断になっているわけではないと思います。--VZP10224会話2016年1月18日 (月) 14:47 (UTC)[返信]

  • (コメント)日本以外の場合をどうするのか検討する必要もあります。(韓国の場合、市長(特別市、特別自治市、広域市を除く)と郡守は同一の地位。区長も特別市・広域市の区に限定する必要あり)--hyolee2/H.L.LEE 2016年1月23日 (土) 23:24 (UTC)[返信]
  • ご意見ありがとうございます。誤ってチェックリストから外していたため気づかずコメントが遅れてしまったことご容赦ください。まず、今回の提案の趣旨は市長を特例市以上に限定することは妥当ではないのではないかと考えたためです。すなわち、特例市等大都市制度はあくまで自治体側の申請によるものであり、中国のように市の規模に応じて等級をつけているわけではないため、これらに指定されていなくても同等の規模を有する自治体は存在し、また基準自体が有名無実化していることがあります。「市長になるくらいだから何らかの第三者による有意な言及があるだろう」と考えて見て見ぬふりというのは基準が既に意味をなしていないことを示しているのに他なりません。特筆性がある事物に限って記事を書く原則なので、現時点で特筆性がないのならば時期尚早として削除されなければならず、ここで市長ということだけで記事が書くのがダメというのなら少なくともVZP10224さんは見て見ぬ振りはなさらず、見つけ次第削除依頼を出し、ウィキペディアの改善に協力なさるのが筋ではないでしょうか。上で何個か摘示していますので削除依頼をお出しになると良いと思います。外国の人物はどうするんだというご指摘がありましたのでそちらもコメントします。基本的には一級自治体(韓国であれば道・特別市・特別自治市・広域市ですね)は都道府県知事に準じていると考えますが、市等二級自治体については各国大都市制度に差があり、現状曖昧で分かりづらい部分があります。これも単に「市長」としておけば外国についても市長と同等の働きをする機関(韓国であれば郡守ですね)についての特筆性が容易になります。なお、特別区長としているので、これは大都市制度の区であり、行政区とは峻別されると推定することができると考えます--落ち穂拾いする人(Talk) 2016年2月1日 (月) 14:23 (UTC)[返信]
  • (コメント)これ結局進んでないってことですよね!?今年は、選挙もたくさんあったことだしもう少し閲覧者の調べものの参照として役立つようにこの分野広めませんか。ちなみに武蔵野市は、衆議院議員選挙、東京都議会議員選挙、武蔵野市長選挙、武蔵野市議会議員補欠選挙の投票の機会がありました。衆議院議員候補の情報さえ調べものの参照に役立つ(投票の際の参考になるかどうか)という点で十分と感じられず、その他の選挙に関しては情報すらないという状況。なんとかならないものかと、東まり子をちょっと書いてみました。ケースEとなることの指摘ばかりでしたが、ようやくこのノートへの促しをいただいたので書いています。--Musashino place会話2017年11月25日 (土) 23:47 (UTC)[返信]
削除依頼の方を拝見しましたが、本草案の基本的な基準、あるいはWP:GNG(記事全般における目安)を満たすように立項すれば済む話ではと思いました。削除依頼の方で例に出されている英語版のen:Sandra Lee Fewerも、en:WP:BASICおよびen:WP:GNGを満たす複数の信頼できる第三者情報源からの有意な言及があることが、出典によって記事中できちんと示されております。市議会議員では立項できないというのは、あくまでも付加的な基準としての話、市議会議員であるという事実だけでは立項できないという話です。--Yapparina会話2017年11月26日 (日) 00:22 (UTC)[返信]
素晴らしい話をありがとうございます。そのポイント重要ですね。どのレベルで立項できるか、できないかの判断が明示されると、みんな書きやすくなりますね。--Musashino place会話2017年11月26日 (日) 03:54 (UTC)[返信]
  • 結局のところ「複数の信頼できる第三者情報源からの有意な言及がある」以上でも以下でもないということでしょうか。さすがに現代において一つの市の市長に「複数の信頼できる第三者情報源からの有意な言及」が全くないわけがないです。市長の記事が事実上無条件で立項が許容されているというのは「まず間違いなく複数の信頼できる第三者情報源からの有意な言及がある」ということから結果としてそうなっているだけということになるのでしょうか。一方で都道府県や市町村議会議員、あるいは何度も立候補しメディアにも紹介されながらも当選歴のない人(政治活動家?)などの場合、多少メディアに取り上げられた程度では特筆性がないという判断がなされた例もあるのでやや整合性がないかもしれません。--Muyo会話2020年2月23日 (日) 02:50 (UTC)[返信]

同姓同名かつ、同時期に同分野で活動しており頻繁に混同される人物の扱いについて

こちらに諮るべき問題ではないかと思ったので失礼します。福岡市歌の作詞者について資料が揃えられたので、ノート:福岡市歌で分割提案を行い金子健造 (夢短歌会)を分割しました。ところが、調査の過程で同時期に歌壇で活動していた同姓同名の人物が存在し、頻繁に混同されていることがわかったので金子健造 (コスモス短歌会)を別に作成したところ、会話ページWikipedia:特筆性 (人物)の立証が不十分であるとの指摘を受けました。後者の立項に際して使用した出典は没後に刊行された遺稿集の巻末に掲載されていた年譜に依拠していますが、決してその他の資料の存在を軽視していた訳ではなく資料を探す努力をしております(結果的に不十分だったことは否定しません)。しかし、前者と同姓同名かつ歌人としての活動も同時期だったため頻繁に混同されているらしく、残念ながら立項者の調査能力では確実に後者を指すことが立証できる資料を見出すことが出来ませんでした。後日に立項者が見出せなかった出典が追加されることを希望しておりますが、「そもそも立項すべきでなかった」と言う批判がある場合は厳粛に受け止めます。

ここからは一般論になりますが「同姓同名かつ、同時期に同分野で活動しており頻繁に混同される人物」は他の分野にも存在していると思います。一方が代表的なトピックならば「同姓同名の人物が同時期に同分野で活動していた」と記述すれば済むかもしれませんが、今回のようにそこまで有意の差がない場合は現在のWikipedia:特筆性 (人物)ではかならずしも考慮されていないのではないかと感じます。特に、今回のケースでは両名とも故人のため該当しませんが、存命人物の場合は同姓同名かつ同時期に同分野で活動している人物が複数名いて1人が不祥事を起こした場合に同姓同名の人物が風評被害を受ける(Wikipediaでの扱いが原因でそれが助長される)ようなケースも想定されるでしょう。よって、そうしたケースについて何らかの方針を明記すべきではないかと思うので、皆様のご意見をお聞かせいただければ幸いです。 --サンシャイン劇場会話2016年3月15日 (火) 09:42 (UTC)[返信]

「何らかの方針を明記すべき」というのが具体的にどのような内容をお考えなのかよくわかりませんが、特筆性のガイドラインのノートで提案されたということは、混同を防ぐためという理由で、通常は独立記事作成に適さないような主題の記事作成を許容するという改訂を意図されているのでしょうか。だとすれば反対です。百科事典の記事は、相応しい主題について解説を行うためにあるものであって、同姓同名人物を紹介するためにあるのではありません。
混同を防ぐ必要性が特に高いような場合には、{{簡易区別}}などのテンプレートを使うことができます。また、すでに金子健造 (夢短歌会)でされているように、記事本文に「誰々は同姓同名だが別人」という趣旨の記述を(出典を付けるのが望ましいですが)書くこともできます。冒頭のテンプレートも記事本文も読まずに混同する読者もいるのかもしれませんが、そこまで配慮するのは行き過ぎでしょう。--Trca会話2016年3月15日 (火) 16:23 (UTC)[返信]
  • ご意見ありがとうございます。そのうえで改めてお聞かせいただきたいのですが、混同され得る人物に関する記述について単独立項を否とされるお立場からは具体的にどのような形式の記述であれば許容し得るとお考えでしょうか。
1. 項目名は「A」(分類括弧が必要な場合は「A_(職業)」)とし、定義を「Aは(中略)以下の2名が存在する。1. ○○年 - ××年、2. △△年 - □□年」として、同姓同名で活動分野も同一であるが無関係の別人であることを冒頭に述べたうえでAの節とBの節を分けて同一ページ内に記述する(記事を存立させる前提として、どちらか一方が特筆性_(人物)を満たしていれば良い)。
2. 項目名は「A」とし、冒頭の定義で同姓同名同分野のA'について生没年・出身地・所属組織など識別に繋がる情報を詳述したうえで「Aとは同姓同名の別人」とする。A'の単独項目を作成しない場合でもAの分類括弧が必要な場合は「A_(職業)」では曖昧さ回避にならないので「A_(生年や所属組織など職業よりも細かい定義)」とする。
3. 混同するのは読者の責任である以上、A'については一切の記述を認めない。よって無視する。
--サンシャイン劇場会話) 2016年3月17日 (木) 12:51 (UTC) 脱字があったので訂正 --サンシャイン劇場会話2016年3月17日 (木) 12:52 (UTC)[返信]
3を含めどの選択肢も許容できません(ただし、A'の知名度が混同のおそれがないほど低い、極端なケースでは著名でない一般人のような場合には、3を取るべきと考えます。)。私は「冒頭のテンプレートも記事本文も読まずに混同する読者」にまで配慮する必要はないと申しましたが、いかなる配慮の余地もないなどとは主張していません。以前のコメントで解決策は提案しておりますので、それをお読みください。そのうえで、私がすでに提案した策では不十分と思われる理由があるなら、具体的にご指摘ください。--Trca会話2016年3月20日 (日) 04:21 (UTC)[返信]

創造的な専門家について追加提案

提案 下記を提案します。なお、美術分野以外でもクリエイティブな分野で類似基準は作成できると思います。

*美術分野については、特筆性のある美術団体(Category:美術団体Category:日本の美術団体等)が主催する複数の特筆性のある美術展覧会(Category:美術展覧会Category:日本の美術展覧会等)において特選賞(入選では足らない)を受け、かつその受けた事について特筆性のある媒体による第三者言及が複数確認できるもの。

--Kyuri1449会話2017年12月4日 (月) 10:53 (UTC)[返信]

コメント 美術分野に知見を持ちませんので賛否はありませんが、複数の有意な第三者言及が確認できるのなら、受賞の有無に関わらず基本的な基準を満たすことにならないでしょうか。基本的な基準を超える付加的な基準を設けても、あまり意味が無いのではないかと思量します。--mit freundlichem Gruß LudwigSKDiskussion/Beiträge2017年12月6日 (水) 07:33 (UTC)[返信]
コメント LudwigSKさんが既に書かれましたが、第三者言及が確認できる時点で基本的な基準を満たします。そのためこの付加的な基準は機能しません。それどころか、付加基準を上位基準の上に置いたり、例示を絶対的な基準と取り違える人が少なからずいる現状では、むしろ害があるでしょう。例示としては特選が存在しなかったり、入賞がかなり高い賞となる場合もあり、その点でも基準設定に誤解を招きそうです。個別に「この賞でXXなら十分」って、各分野で例示を考えてもらうのがよさそうです。--Open-box会話2017年12月13日 (水) 01:18 (UTC)[返信]

「芸能人」基準の引き上げ提案

下記現行基準がありますが、これだと有名な音楽番組の司会に1回抜擢されたたけで掲載基準を満たしてしまいます。そう言うのは、デビューしたての歌手によくあるパターンですので、現行基準はゆるいと考えます(下記)よって、これを次のように変更を提案します。

検証可能で信頼できる出典において、すでに特筆性が立証されている映画やテレビ番組、舞台公演、その他の作品における重要な役割が明記されていること
検証可能で信頼できる複数の出典において、すでに特筆性が立証されている複数の映画やテレビ番組、舞台公演、その他の作品における重要な役割が明記されていること

(BOLDは本文には反映しません:変更点強調目的のみ。)--Kyuri1449会話2017年12月5日 (火) 11:46 (UTC)[返信]

反対 Wikipedia:独立記事作成の目安には、「一般的に、複数の情報源があったほうがよいでしょう。特筆性を示す出典がない、またはひとつしかないということだけでは削除の理由になりませんが、複数の独立した情報源によって言及されていない話題は、特筆性を示す出典が他に見つからないか試みた後、より広範な内容を扱う記事に記載するか、記事の統合を検討する方がよいかもしれません」「複数の情報源がなく、単一の情報源のみで特筆性を立証する場合は、その情報源が検証できる状態であり、信頼でき、中立的な観点に基づき、取り扱う対象に対し包括的かつ詳細な情報を提供している必要があります」(強調は引用者)とあり、複数であることが望ましい旨が明記される一方、単一であることは必ずしも削除の理由にならないとされています。また、このWikipedia:特筆性 (人物)#基本的な基準にさえ、「報道の程度が十分ではない場合、特筆すべきであることを検証するには、複数の独立した情報源が求められることでしょう」と明記されています。これらで十分でないでしょうか。そもそもこのWikipedia:特筆性 (人物)は草案である上に「これらの基準を満たさないという事が、対象者が収録されるべきではないことの決定的な証拠になるわけではありません。反対に、一つ以上基準を満たすからといって、対象者が収録されるべきことを保証するものでもありません」(強調は引用者)と明記されているのですから、Wikipedia:独立記事作成の目安に照らして不十分ないし不適切な単一出典提示の記事を削除することは可能です。「複数」ということを明記していない「現行基準はゆるい」というご認識自体、すみませんが共有できません。--Sumaru会話2017年12月6日 (水) 13:32 (UTC)[返信]
コメント 横からコメントをば。逆に申せば、世にあまたいる(と考えられる)新人歌手が『有名な音楽番組の司会に(1回でも)抜擢された』というならば、それは疑いようのない本人の歴史の一点となり、ある種の特筆性を有しているとは考えられないでしょうか?(それとも『(1回出演した程度では特筆性を有しないほど)司会を新人で取っ替え引っ替えする有名番組』があるのでしょうか?)また、もしその新人がそこまでで表舞台を去り、芸能デビューできなかったとしたら?(特筆性が十分に「無い」と判断されるならば)まず本人のページが削除され、赤リンクないし黒リンクとなるので一覧から削除しても問題なくなるわけです。氏がおっしゃりたいことは「芸歴の長短」に見受けられますので、「以上の特筆性を満たした後、一定期間内に芸能人とみなされるような活動を行っており、それが検証可能な媒体で確認できること」的な意見にすればよろしいのでは、と小生は愚考いたします。--力在領域会話2018年1月28日 (日) 16:56 (UTC)[返信]

「芸能人」基準の「コメディアン」に該当する場合の特筆性の追記について

お世話になっております。井戸端でもちょっと書いたのですが、現行の「芸能人」基準では、コメディアン(広義ですので、「お笑い芸人」または「お笑いコンビ」と置き換えた方がわかりやすいと思います)に対してちょっとハードルが高い印象があり、また削除依頼での判断基準としてやや扱いにくさを感じたため、「特筆性 (音楽)」に倣って、例えば以下のようなものを追加する提案なのですが、ご意見伺えればと思います。

  • 複数の国での単独公演、あるいはある国の特筆すべき会場での単独公演が、特筆すべき媒体で報道された
  • 特筆すべき大会やコンテスト、または特筆性のある番組内で、特筆すべき賞を受賞した
  • 2枚以上の映像作品をメジャー・レーベル(または重要なインディーズ・レーベル)から発表している。(ただしオムニバスによる収録は除く)

1つ目については全国ツアーを実施できた時点でお笑いコンビとしては特筆性がある人達な気がします。2つ目についてはM-1やキングオブコント、爆笑オンエアバトル等が該当。3つ目はその名の通りですが、「笑魂シリーズ」のように事務所の意向で出せているものもあると思うので2つ以上は必要、という判断です。 皆様のご意見お伺いいただければ幸いです。よろしくお願いいたします。--Scarlet 1会話2018年1月28日 (日) 09:13 (UTC)[返信]

  • 質問ですが、この基準は日本以外のお笑いにも適用されるものでしょうか?その場合、たとえばエディンバラ・フェスティバル・フリンジなどは多数のお笑い芸人が選抜なしで参加でき(日本のパフォーマーも出ています)、地元誌などでレビューされたりするので、そうなるとひとつめの「ある国の特筆すべき会場での単独公演が、特筆すべき媒体で報道された」に該当してしまう可能性もありますが、レビューで褒められたからといっても、新人で必ずしも有名ではないなどということもあります。また、外国のお笑いの場合、映像ではなくスタンダップのライヴを音声アルバムとしてリリースすることがあるので(グラミー賞にコメディアルバム部門があります)、三つめは「映像作品」だけではなく「映像作品あるいはライヴ音源」などとしてもいいのかもしれません。また「コメディアン」とすると喜劇役者が入ってしまうので、「お笑い芸人」などの基準であるとしたほうがいいのかもしれません。ちなみに、今は使われていないようですが英語版ウィキペディアにはen:Wikipedia:Notability (comedy)があります。--さえぼー会話2018年1月28日 (日) 11:16 (UTC)[返信]
    • 早速のコメントありがとうございます。現時点では「コメディアン」と広義でとらえるかどうかすらまだ未確定で話をしているところもあり、ふわふわしてて申し訳ございません。一つ目については仰る通り要検討ですね。ただ、エディンバラ・フェスティバル・フリンジの参加は「単独公演」ではないのでそもそも該当しないかと思います。どちらかというと2つ目に該当するか否か、になってくると思いますが、そこで特筆すべき賞が受賞できているなら・・・っていうのはどうでしょう?当方エディンバラ・フェスティバル・フリンジって全然知らなくてしゃべっちゃってて申し訳ないんですが。。3つ目については採用させていただきます。・・・でもちょっと1つ目が微妙な印象。。本提案をコメディアン広義にするかお笑い芸人またはコンビに適用するか、も引き続きご意見お待ちしております!
    • 複数の国での単独公演、あるいはある国の特筆すべき会場での単独公演が、特筆すべき媒体で報道された
    • 特筆すべき大会やコンテスト、または特筆性のある番組内で、特筆すべき賞を受賞した
    • 2枚以上の映像作品またはライヴ音源をメジャー・レーベル(または重要なインディーズ・レーベル)から発表している。(ただしオムニバスによる収録は除く)--Scarlet 1会話2018年1月28日 (日) 11:24 (UTC)[返信]
  • あ、ちなみに次のはどうでしょう。
  • 基本的には、Scarlet 1さんが提示の4項目について、いわゆる「お笑い芸人」さんの特筆性の基準として追加することに問題はないのではと思います(冠番組の「キー局」「準キー局」「在名基幹局」あたりが妥当かどうかはよく分からないんですが)。ただ、これらの基準をどこまで適用するかを先に検討した方が議論を進めやすいように思います。・・・これらの基準を芸能人一般に適用しても問題は生じないようにも思いますが。--Ccgxk ( - - 稿) 2018年2月4日 (日) 08:55 (UTC)[返信]
    • コメントありがとうございます!冠番組的なやつについては、例えば「出てきた頃のオリエンタルラジオ」が当時立項された場合、っていうのを想定して書いています。彼らはその時点ではM-1は準決勝敗退でとどまっており、単独DVDも発売はありませんでしたが、エンタ出演以降は冠番組を持つほどになっていたので、ここまでくれば特筆性は満たせているだろう、という判断です。しかし、例えば「あまりにも地方局すぎる番組でのレギュラー」の場合は、全国的に見て特筆性と言えるか、という点で議論が困難になりそうだったので在名基幹局くらいまでは範囲かなーという印象でした。ちなみに現在この話は「プロジェクト:お笑い」で割と現在も更新をしている人の意見待ちなところもあるのですが、やっぱこれもう少し適用範囲広げるべきでしょうか?確かに3つ目以外は適用できそうな印象はありますが・・・どうなんだろ。--Scarlet 1会話2018年2月4日 (日) 11:19 (UTC)[返信]
    • いや!一旦今回は「お笑い芸人さん」を基準として話を進めさせてください。これでOKが出たとしたら、次の議論として「拡大するか」でいければと思います!--Scarlet 1会話2018年2月4日 (日) 11:35 (UTC)[返信]
  • 正直言って、「芸人」や「コメディアン」について個別の基準を作る必要性を感じません。芸能人の基準に手を加えるにしても大規模な変更はすべきでない。それでなくてもお笑い・モデル・タレントなどで特筆性に疑問符がつく記事が日々立項され、削除依頼に掛けられているのですから、緩めすぎると収拾がつかなくなります。--KAMUI会話2018年2月5日 (月) 13:59 (UTC)[返信]
    • 確かに、それも一理ありますね。。特にアイドル系に顕著っていう印象は私も持ってました。でもこの話、「削除」を基準として考えるのはちょっと違うかなと思います。「特筆性」っていうのは、削除依頼の為にあるのではなく、単独記事を成立させるための基準のためにあるんだと思うんです。これから単独記事を作ろうとしている人が、果たしてその記事は特筆性を満たせるんだろうか、という判断をする為のものというか。特筆性の持つ意味は、「こうだから作るんじゃねえ!」っていうのではなく「こうであれば、作っていいですよ?」を促してあげるべきものだ、というか。だったら、こういう詳細の提案をしてあげた方がみんなでつくる百科事典としてはより理解を深めて参加できるのかなー、なんて。まあ、それを全く知ったこっちゃなく記事作っちゃうから収集つかなくなっちゃってるんだとは思いますけど・・・--Scarlet 1会話2018年2月5日 (月) 14:08 (UTC)[返信]
  • 特筆性に難がある芸能記事のありがちな点として「出演リストだけやたらと長い」てのがあります。いわゆる「容量稼ぎ」ですね。ちょっとだけゲスト出演したテレビ番組・イベント、お笑いだと出演したライブを(しかも会場毎に)リストに入れてるという。今まで見てきた限りでは、経歴が短くてこれがある場合にはWP:Nを満たさない場合がほとんどです。そもそもPJ:ENTAME#記事の書き方でも


芸能人のテレビ番組・ラジオ番組への出演、特にバラエティ番組に類するものへの出演については、原則的にレギュラーまたは準レギュラーとして出演しているもののみを掲載する。準レギュラーとまでは言えない場合などについては信頼できる情報源を元に精査し、掲載の必要性を検討する。いずれの場合も信頼できる情報源などにより出演自体に特記性が認められる場合には柔軟に対応することを可とする。特に単発出演については信頼できる情報源により内容や重要度を精査および担保せずにただ出演リストに番組を追加することは厳に避ける。
つまり「単発出演を何も考えんとリストに追加するんじゃねーよ」となってる訳で。「ウィキペディアは百科事典」という大前提からは、逆に「ちょっと厳しめにする」くらいの方が質を落とさないものと考えています。なお、上でもご指摘あるように「レギュラー・準レギュラー」についてはそもそも芸能人全般に適用できるでしょうね。--KAMUI会話2018年2月5日 (月) 21:39 (UTC)[返信]
  • おおお、参考になります。確かに「出演リスト」とか「参加したイベント」とか無暗やたらに書いちゃって「もうファンサイトじゃん」っていう記事多いですよね・・・。そしてなんとなく、それが無駄に多い記事が「特筆性を満たしてる風」に見えてしまうっていうのもある気がします。厳しめにする、というのは大賛成です。そうなると途中で追加しようとした「放送局」のくだりは一旦除外かな。より厳しくできるルールがあるとしたら何があるでしょう?--Scarlet 1会話2018年2月6日 (火) 12:18 (UTC)[返信]
  • 皆様いろいろご意見いただきましてありがとうございました。なんとなく見えた感もあったのですが、しばらく記事執筆メインでいくことにしましたので、頂いたご意見は今後の皆様のご参考になればと思います。中途半端に終了する形となり申し訳ございません。私からは以上を持ちましてクローズとさせていただきます。重ね重ね、シロートの意見にお付き合いくださいまして、ありがとうございました。--Scarlet 1会話2018年2月16日 (金) 14:15 (UTC)[返信]

PJ:OWARAIのノートにも提案した方がいいかと思います。--58.95.111.19 2018年3月5日 (月) 04:44 (UTC)[返信]

根拠のない例を挙げることについて

「アダルト産業は検索エンジンスパムを使用している」ことの根拠は何ですか? アダルト産業にも使用していないものもあるかもしれませんし、アダルト産業でなくても検索エンジンスパムを使用している可能性もあるので中立性に欠けると思います。ガイドラインの内容自体でなく表現を修正しただけなのにノートで議論を求めるということは、根拠のない例を挙げることに必然性があると仰りたいのでしょうか? 記述を残したいのならせめて「アダルト産業は検索エンジンスパムを使用している」ことの根拠となる情報源を提示してください。

ガイドライン文書に出典が要らないというのは、議論をした上で「コミュニティが定めたもの」だからと思いますが、前述の内容は「コミュニティが定めたもの」には当たりません。通常の記事でないからと言って根拠のない記述をして良いことにはなりません。

以上について異論がありましたらお願いします。異論がないようなら再び根拠のない記述を訂正致します。 --富士 / Fuji kyosuke会話2018年6月25日 (月) 04:14 (UTC)[返信]

「異論がないようなら」もなにもこの直後に差し戻していますよね? 対話する姿勢として極めて不誠実です。--Xx kyousuke xx会話2018年6月25日 (月) 04:43 (UTC)[返信]
言動と一致しない行動をしてしまったことに関してはすみませんでした。異論があるのなら筋の通った理由をお願いします。--富士 / Fuji kyosuke会話2018年6月25日 (月) 04:58 (UTC)[返信]
まず提案も無く先に直してしまってから、「異論があるなら根拠を示してノートで書け」という方法は、とくに(正式には方針やガイドラインになっていないものの)審議で参考にされているものでは好ましくありません。Fuji kyosukeさんの行った今回の内容変更自体には意義はありませんが、Fuji kyosukeさんの今回のような議論態度は今後は止めてください。主張に根拠を示すのは当たり前ですが、記事と方針文書では同じではありません。要出典タグ貼り付けのようなことは止めてください。Fuji kyosukeさんは異議がついたら強行することは止めてください。--ぱたごん会話2018年6月25日 (月) 05:13 (UTC)[返信]
情報 en:Wikipedia:Notability (people)にある『Adrian Degus (2014年2月19日). “SEO: Linking Up in 2014”. XBIZ. 2014年2月26日閲覧。』が根拠になるかと。--Haetenai会話2018年6月25日 (月) 05:20 (UTC)[返信]
例え方針でも根拠のない記述は良くないと思います。その上で根拠のない記述が根拠のある記述に修正されるように要出典タグを貼り付けましたが、それが禁止されているというのなら今後は気をつけます。ただし、ある特定の集合を主語とした根拠のない記述はガイドラインでもしてはいけないということに関しては譲れません。「アダルト産業」という一定の集合について言及するのですから、記事じゃないから良いということにはなり得ないと思います。
編集を強行したことに関しては少し感情が入ってしまったのでこれについても今後は気をつけます。「ノートで議論していないから」というだけで、ガイドラインの趣旨を変更するわけではない表現の修正まで差し戻されるのに納得がいきませんでした。特に具体的な反対意見もないのに差し戻すだけ差し戻されることに関しては疑問を感じました。
ガイドラインの内容については、異論がないならこのままでよろしいでしょうか。--富士 / Fuji kyosuke会話2018年6月25日 (月) 05:33 (UTC)[返信]
現状の表現では「Wikipedia:言葉を濁さない」に触れます。もちろん濁した方が良い方針、ガイドラインはあると思いますが、本件ではそうは思いません。補強するための例示をあやふやにしてしまえば補強された側まであやふやになります。
提示できる例文としては、元の文そのままに参照文献を付け、
たとえば、アダルトビデオ産業はランキングに影響を及ぼそうと検索エンジンスパムを利用しています[1]
またはWikipedia:Notabilityを参考に、
たとえば、アダルトビデオ産業ではランキングへ影響を及ぼすためにグーグル爆弾(英:Google bomb)を使用しています[1]
などとできるはずです。--Haetenai会話2018年6月25日 (月) 09:10 (UTC)[返信]
うーん、信頼できる情報源があるのなら「アダルトビデオ産業」として例示しても良いのかも知れません。ただしすべてのアダルト産業が検索エンジンスパムを利用しているとは限りませんし、また海外の情報なので「たとえば、海外のアダルトビデオ産業ではランキングへ影響を及ぼすためにグーグル爆弾(英:Google bomb)という検索エンジンスパム利用しているところもあります。」などとしたほうが良いのではないでしょうか。言葉を濁してはいけないとはいえ、根拠のない限定は控えたほうが良いと思います。--富士 / Fuji kyosuke会話2018年6月25日 (月) 09:31 (UTC)[返信]
そうですね、そのような表現にすることに異議はありません。--Haetenai会話2018年6月25日 (月) 09:52 (UTC)[返信]
上記の文案で少し引っかかっているのが、「海外のアダルトビデオ産業では」と、範囲を限定する用法にこだわっていることです。これらの出典となる情報はいわば「アダルト産業は検索エンジンスパムを利用していない」という主張を否定するものです。もちろんすべてのアダルト産業にかかわる人たちが検索エンジンスパムを利用していると決めつけるものではありませんが、出典で確認できる範囲内に限定することを強調するあまり、出典で確認できない範囲について、あたかも一切そのような行為を行っていないかのような印象を与える文章が生み出されてしまってはまさしくウィキペディアが禁じる「独自研究」に該当することになるでしょう。--VZP10224会話2018年6月25日 (月) 13:47 (UTC)[返信]
「印象を与える」はあくまでも一部の利用者が感じる感想であって、そのような印象が与えられたところで独自研究にはならないと思います。「日本では行われていない」という記述をするわけではありませんし、書いてないからと言って「一切行っていない」という解釈には普通ならないのではないでしょうか。むしろ出典に書いてないことまで推測することの方が独自研究に当たると思います。日本でも行われていると言いたいなら日本でも行われているという信頼できる情報のソースが示されるべきです。
個人的には「検索エンジンスパムが使われている可能性がある」ということが重要なのであってアダルトビデオ産業云々がこのガイドラインに重要であるようには思えません。もちろん具体的な例が確認できるのであればソースとともに記載するのが良いと思います。アダルトビデオ産業に拘る必要はないですし、「海外の」と書くことが好ましくないというなら日本での例を探して提示したほうが良いでしょう(後で探してみます)。--富士 / Fuji kyosuke会話2018年6月25日 (月) 14:24 (UTC)[返信]

脚注

  1. ^ a b Adrian Degus (2014年2月19日). “SEO: Linking Up in 2014”. XBIZ. 2014年2月26日閲覧。 “Since the early days of our industry we have relied on a standard set of methods to rank our sites for popular keywords, specifically buying and trading links. These two methods have always gone against Google's guidelines, they just didn’t have a reliable way to detect it until now.”

YouTuber等の特筆性に関し、参考となるべきAFD判例集

表題を見つけましたので、その部分をコピーペーストしておきます(コピー元:プロジェクト‐ノート:YouTube#YouTuberの特筆性と作成基準に関して、2018年9月6日 (木) 00:17 UTC oldid=69833036) Nekoraji666さん有難うございました(氏本人の見解も含まれます)

YouTuber等

  • その他
HIKAKINはじめしゃちょーは、読売新聞・朝日新聞などの信頼できる情報源から些細ではない形で取り上げられており、出典を見ても特筆性を保証できる情報源が揃っています。今後YouTuberの記事を作成したい方は参考にして出典武装しましょう。

--Kyuri1449会話) 2018年9月28日 (金) 17:54 (UTC) 履歴補遺--Kyuri1449会話2018年9月28日 (金) 17:57 (UTC)[返信]

サブページ作成

Wikipedia‐ノート:特筆性 (人物)/Youtuber関連AFDなど』を、ここのノートのサブページとして作成しました。参考情報として、どうぞご参照ください--Kyuri1449会話2018年9月29日 (土) 07:33 (UTC)[返信]

スポーツ選手の出場経験による基準は独立記事作成の目安を満たさないのではないか

長らくこの文書が草案のままでありガイドライン等に格上げされないのは、歴史的経緯により全体的に根本であるWikipedia:独立記事作成の目安と剥離しているからであり、今も本文書が何ら有効性をもっていない状態であることは前提としてお聞きします。

現時点の文書においてWikipedia:特筆性 (人物)#スポーツ選手には基準としていくつかの全国/国際レベルの出場経験が挙げられています。 さらに、これを参考に各分野のウィキプロジェクトで作成基準が細かく示されており、現実は(WP:Nに基づくべきところ)それらの作成基準を元に各記事が作成されています。

例を挙げます。例えばプロジェクト:サッカー選手/サッカー選手記事の作成基準がありますが、これに対応してJリーグチームに少しでも所属経験がある選手は皆ことごとく独立記事を作成されています(例:Category:水戸ホーリーホックの選手)。

しかしながら、上記例カテゴリの各記事や他の選手の記事を見れば分かる通り、ほぼすべての選手記事が出場試合数等データの羅列に終始しておりいわゆる「人物名鑑」程度の内容です。 それらの記事からいくつかを取り上げ実際にウェブ検索しても、確かにそれらのデータ以上の情報は皆無でした。

これでは到底、本来満たすべき独立記事作成の目安であるところの「対象とは無関係な信頼できる二次情報源から有意な言及」を代替しうるとは思えません。 私自身はスポーツ分野の専門家ではなく趣味で多少観戦したりする程度ですが、日常生活における常識と照らし合わせると、単になにかしらへの「試合への出場経験」があるだけでは、そのような有意な言及となりうる取材や報道の対象にならないだろうとは思います。

という疑問を持ったのですが、いかが思われますか?もし仮に有効な回答がないのであれば、この基準をどうにかする検討をしたほうが良いのではないかなとは思いますが、今は改定を提案しているわけではなくて、良い回答があるならそれをまずはお聞きしたいです。--青子守歌会話/履歴 2020年5月5日 (火) 07:58 (UTC)[返信]

 追記 もっと具体例がないと判断しづらいかなと思ったので、Wikipedia:削除依頼/小栗和秀 20200507を提出しました。本議論とは別立てで削除依頼は進めてもらうとして、ここでの話は、この件と同程度の記事がたくさん眠っている現況があり、しかも現状の本草案ではこれを良しとしているではないか?という疑問です。--青子守歌会話/履歴 2020年5月7日 (木) 08:39 (UTC)[返信]

スポーツ選手記事に、粗製濫造された記事が多く存在している可能性は大いにあります。Wikipedia:削除依頼/さんさんさんさん等によって作成されたサッカー選手記事群 2など。ウェブ検索で見つかる情報は信頼できる情報源のうちのほんの一部でしかなく、特に数年前のものであれば過去には検索結果にヒットしたが、今は容易に見つけることのできない情報は大手新聞社などでも多くあります。1896年アテネオリンピックに出場した選手などですと、他言語版を見ても名前以外ほぼ情報がない場合もあり、そうしたケースは独立記事作成の目安の問題として、わざわざ個別記事を作るかどうかといった話であり、特筆性とは異なることと思います。サッカー選手に限っていえばJ3やJFLレベルでの出場試合があるものが誰でも記事作成をすべきかといった話かなと思います。現役選手でJ2でリーグ戦に出場するレベルであれば、信頼できる二次情報源は十分に見つかるように思います。一方、Jリーグ以前ですとトップレベルのチームの選手であっても、サッカー雑誌などならともかく、一般紙ではチームの勝敗、勝ち点、得点者ぐらいしか一般紙には記載されませんのでウェブ検索結果のみで判断するのは乱暴な話ではないかと思います。不祥事を起こした選手(元選手)などでなければあまり積極的に削除依頼を出していく必要はないように思います。ところで本文書がガイドラインに格上げできない理由について、広く議論がされているのでしょうか。最近の議論でも他の分野について話題提起されておりますし、何年も前に参加者数や記事の質が異なった時代と現在とでもコミュニティの考えが変わってきているものかわかりませんが。--Tiyoringo会話) 2020年5月8日 (金) 12:16 (UTC) --Tiyoringo会話2020年5月8日 (金) 12:16 (UTC)[返信]

  • コメント 人物を含む各分野の基準は一般基準で漏れる拾うべき存在を拾っている面があるので、基準値に注文を付けるならまだしも、方針文書を悪用して死文化をもくろむのは問題がありますし、一般基準では誤読しそうな部分を埋めるので一見乖離している事自体はあまり問題にはなりません。むしろ、一般基準を補完する基準であるところの「いくつかの全国/国際レベルの出場経験」は、それを持って満たすとしているので「「対象とは無関係な信頼できる二次情報源から有意な言及」を代替しうるとは思えません」という意見を斟酌する余地はありません。これは、「代替しうる」として実装されているものであり、変更を求めるなら「いくつかの全国/国際レベルの出場経験」について公正かつ論理的に構築しなければならないものを個人的感情で左右してはなりません。加えて、この思想で運用することは極端に削除範囲を変質させ、日本語版のみの異常な運用を成立させることになります。例えば、多くのマイナースポーツ関係者は削除対象です(メダリストクラスでないと言及は期待できない)。逆に芸能関係者やメジャースポーツで削除されている記事のいくらかは復帰します(「notable」無視して削除している時点でどうかしていると言えばそれまでですが)。地方政治家の大半も復帰します(これは真面目に出典集めない執筆者にも問題があり、それを悪用されて削除範囲が際限なく広がった経緯もありますので、実は削除対象の幾分かは現在の基準でも復帰しそうですが)。これは「言及」を絶対視することによる問題です。
え? っと思われたかも知れませんが、そもそもの「対象とは無関係な信頼できる二次情報源から有意な言及」自体に問題があり、根本的に間違っているんです。現行は翻訳ベースなので問われるのは、「notable」か「worthy of notice」であり、これを翻訳として「言及」に置き換えたのは青子守歌さんです。ですが、「言及」では「notable」はカバーできても「worthy of notice」はカバーできません。「worthy of notice」に値するかどうかは、「言及」に左右されるものではありません。しかも実は「notable」の側も言及があるとは限りませんので、厳密にはどちらもカバーできていません。まして、振り回された第三者ならまだしも、青子守歌さんまでもがこれを「発言」「文章」に限定されるかのように扱う以上、置換した表記に自らが振り回されて「言及が正しい、だから言及以外はあってはならない」という論法になっています。そこで、「言及」ではなく「notable」「worthy of notice」に値するかどうかを見ていきましょう。
まず「notable」について考えるなら、目安とは逆に「notable」であるにもかかわらず削除することをどの程度是認するかです。比較的高校生以下の国内年代別実績は「worthy of notice」ではないと判断されてきていますが、「notable」の判定はいい加減です。むしろ年代別だから何があっても「notable」は無視するという傾向はあります。これは言及で解決できる問題ではなく(言及なら全て存続です)、「notable」か「worthy of notice」を「notable」かつ「worthy of notice」と誤解していることが原因ですが、同時に乱造防止を考えると方針を越えた制限がある程度は求められていると見なせます。
国際試合(クラブ対抗もあるので代表戦に限定しない)、国内トップレベルへの出場は正しく「worthy of notice」でしょう。さすがに国際レベルや各国最高レベルを認めないのでは、「特筆性 (人物)」以前に競技主体の「独立記事作成の目安」を問うべき段階です。むしろ問題になるのは、それ以外の「worthy of notice」たりうる出場記録が何かと言うことです。
サッカーに限らず基本的に全国規模のレベル制を取っているケースであれば、「全国規模の」2部リーグまでは認めざるを得ません(これは各競技・各国間の公平性(NPOV)と他言語版との比較(これもNPOV)によるものです)。問題はそれより下であったり、国内カップ戦等が平行して開催される場合です。これらは個別判定にならざるを得ません。例えばカップ戦なら対戦相手や頻度でまるで価値が違います。ちょっとだけ低レベルな相手との試合に出ましたと、カップ戦専従で通年出ましたでは価値が違いすぎます。それこそよく知らない人が「思えません」で雑に簡便な削除を実現するために判断してよいものではありません。
ただ、日本語版はこの判断が多すぎます。「理由は心証だけでけーすいー、反論は無視する」これが削除理由・反論への対応として通る日本語版では絶対的な強さを削除側が持ちますが、独立記事作成の目安はこんな運用を続けていては機能しないでしょう。独立記事作成の目安だけは論証無用で気分だけで依頼できるとか、反論者には証明が義務化されるのに受け入れるかどうかも心証だけでいいとか、IPでも成功するまで依頼できるとか削除の方針に問題ありすぎると言えばそれまでですが。分野外の素人の意見も重要ですが、それが公平な判断となるとの前提は夢想でしかありません。「好み(じゃない)から、どうでもいいから、XXさんだから」という他分野への心情や無責任さ、属人性から来る結論も多々あるのです。
それでも、基本的な条件(「有意な言及」、「信頼できる」、「情報源」、「対象と無関係な」、「推定できる」)はどうなんだ? 「worthy of notice」でも満たしていないじゃないかと考える向きはあるでしょう。もっともスポーツに限ればこの中で疑義を持ちうるのは、「有意な言及」だけです。「信頼できる」、「情報源」、「対象と無関係な」は満たせなければそもそも有効な出典の欠如という別の問題です(スポーツの特性上「worthy of notice」足りうる記録はこれらを容易に満たします。削除のために「対象と無関係な」を際限なく狭めることで対象外と主張するケースは明確に問題行為です。割と理解しやすいのは「当時の他の人じゃダメなのか?」ですね。チームや事務所だと無理でも、競技主体とか業界団体レベルだと誰でもいいって互換性がある)。「推定できる」に至っては「推定できている」ことが前提なので疑問を持つなら基準値の変更であってこの文書群の問題ではありません。そして、「有意な言及」にも問題があります。これは、「Significant coverage」の翻訳なのですが、この「coverage」に直接的な言及の意味はありません。これを「紙幅」とか「報道規模」として扱うことはできますが、言及とはやや異なります。例示も主題としている本という極端なものと明示的に排除されているトリビアで全く意味がありません(正直なところ、なぜこんな無価値な例示があるのかと)。そしてこれを踏まえた上でいくつかの解釈は考えられます。雑に考えて3つ作ってみました。
  1. 「notable」や「worthy of notice」と「Significant coverage」は相性が悪いので無視する:一見過激ですがこの考え方は実際に運用されています。芸能人はこれに該当するケース(どれだけ「Significant coverage」があっても一定以下は足切り)が多いです。
  2. 「worthy of notice」を満たす内容は自動的に「Significant coverage」として扱い、「notable」は個別取り扱い:「Significant coverage」の意義は有意な記載がカバーする範囲でありものによって十分と見なすそれは異なるとする考え方です。この考え方は、「worthy of notice」は記録がある事自体が十分な「coverage」として「Significant coverage」となる一方、「notable」の判定や「worthy of notice」の基準に注力することになります。
  3. 「Significant coverage」優先:これは「notable」や「worthy of notice」を満たすなら、当然相応の言及や記載が得られるという考え方になります。事実上、独立記事作成の目安を置き換えることになります。文書の性格上本来は避けなければなりませんが、事件や非上場企業など密接に結びついているためにこちらで判定することが向いているケースもあります。
このように様々な側面がありますが、それぞれ一長一短であり、濃淡もありますし、ある程度補完関係にあります。1はどれだけ「Significant coverage」があってもそれだけでは「notable」や「worthy of notice」ではないと考える方法ですね。宣伝には強い一方、明確な基準がないと心証への依存度が高くなります。2は「worthy of notice」で誤ることはなくなりますが、「notable」の判定には何ら資するところはありませんので、「notable」についての争いは1か3になるでしょう。3は「worthy of notice」と「notable」の意義が言及の補完事項に変質します。言及が多いケースで不正な取り扱いを防止できますが、「worthy of notice」はほぼ機能しませんし、歴史上の記録に残る人物のように言及が乏しいが「notable」なケースは取りこぼします。この中でスポーツは、2が適していると考えます。これは一定のレベルが求められる一方、それがあれば確実に記録が残ることから、「worthy of notice」寄りの特性を持つためです。またスポーツは「Significant coverage」優先では運用が困難である(年代別の「notable」無視は、)こともあります。
なお、「worthy of notice」がないのに「notable」となるのは、実績での判定が難しいが著名な類(いわゆる名前先行とか虚名ってのですね)と思われます。
Wikipedia:独立記事作成の目安にいまだに「特筆性」が残っていますし、縛りすぎたり緩すぎたり規定がなかったりして無理があるケースもあるので、ここにとらわれずに全体的に見直すのがよさそうですね。ただ日本語版は「削除を楽しみたい」という問題行為を行うLTAが複数いるのも事実ですし(削除依頼は達成感を得やすいのか、掃除屋ケンちゃん(Lemon pie)、123front(Nekowood)、きゅっきゅっきゅっニャーなど問題利用者は多く、まとめてLTAとして扱うページが欲しいぐらいです)、「気にいらない」「個人的に容認できない」を正当化しようとする人はさらに多いので、削除が容易になる方向に議論が流れやすいので注意が必要です。
おまけ:不祥事に関しては日本語版の運用は、単に日本語版の体制が弱いという面があるのでこっちを強化しないと打つ手無しですね(金と人がないのが全部悪い)。日本のサイトの出典が切れるのは、サイト維持って考え方が薄い各社が悪いとしか。まだまだ長期的な面では紙媒体が強いですね。--Open-box会話2020年5月8日 (金) 14:07 (UTC)[返信]
コメント 「そもそもの「対象とは無関係な信頼できる二次情報源から有意な言及」自体に問題があり、根本的に間違っているんです」という主張は、合意されたガイドラインであるWikipedia:独立記事作成の目安を根底から否定するものであり、草案のノートの別件の議論の中で行うべきものではありません。本セクションでの提案内容と関係ない演説は他の箇所で行ってください。また、「方針文書を悪用して死文化をもくろむ」のような攻撃的な表現は控え、Wikipedia:善意にとることを心掛けてください。--Trca会話2020年5月9日 (土) 02:35 (UTC)[返信]
コメント 善意にとるは、明白な悪意を許容するための口実であってはなりません。あなたはしばしば善意にとるを持ち出しますが、それは決して悪意を持って行われた提案を正当化しませんし、指摘を避けたり無効化することもできません。しかも、この文書を変えるために削除依頼を利用するってのは、度々行われてきている悪意ある行動ですよ。今回もそれの最新版に過ぎません。そこを悪意に取らないのは、善意にとるの悪用になるのです。しかもその根拠となる翻訳が間違ってるから、上位文書の再検討から入ろうって話なんだから、指摘するのは当たり前でしょう。「言及」は不磨の大典でも既得権益でもありません。当該方針文書の議論で文書に疑義を突きつけられて他でやってくれでは反論になっていません。しかも、それを指摘されて演説ではただの罵倒ですね。罵倒しかできないなら参加する資格はありません。そもそも何年もの間、あなたが私に粘着しているのが露見していないとでも思っているんですか? 他人に善意にとるを要求しておいて罵倒するってのはどういう了見ですか? それこそ善意ではありませんね。--Open-box会話2020年5月9日 (土) 05:26 (UTC)[返信]

この文書も「基本的な基準」はWP:Nと考え方は一緒なんですけね。。。ご懸念の基準はあくまでも「付加的な基準」であって、

「これらの基準を満たさないという事が、対象者が収録されるべきではないことの決定的な証拠になるわけではありません。反対に、一つ以上基準を満たすからといって、対象者が収録されるべきことを保証するものでもありません。」

ってことになっているはずですが、まあ、けっきょく付加的な基準の方が分かりやすいから、削除依頼の場では付加的な基準の方を参照して存続・削除の賛否意見が投じられがちですね。

個人的には、人物記事はプライバシーの点から問題をはらみ得ること、逆に自己宣伝のためによく利用されること、これらの点から、人物記事全般の立項基準は単に「二次情報源」を求めるだけでなく、英語版のように「複数の二次情報源 (multiple published secondary sources)」を求めるぐらい厳しくてちょうどいいと思ってます。--Yapparina会話2020年5月10日 (日) 09:42 (UTC)[返信]

現在の議論とは異なりますが、本当は英語版のように多くのスポーツごとで基準を設けられれば良かったのですが、個人スポーツと団体スポーツ、団体スポーツでもスポーツによっても事情が異なります。サッカーでJ2でリーグ戦に途中出場1試合するのとXリーグで数試合に出場しているがレギュラー/先発出場する選手ではない場合とではだいぶ異なります。日本国内でのアメリカンフットボールの場合、スペシャルチームとしての出場が中心の場合は独立記事作成が適当ではない場合が多いことは国内のアメリカンフットボールにそれなりに知識がある方ならばおわかりいただけることと思いますが。--Tiyoringo会話2020年5月15日 (金) 13:41 (UTC)[返信]

アダルト俳優の特筆性についての説明における表現について

アダルト俳優の特筆性の基準の説明において、以下の説明があります。

*アダルト俳優本人から独立している複数の信頼できる情報源において、性に関する特定のジャンル(SM同性愛フェティシズムといった性的嗜好に関するサブジャンルなど)でスタイル、テクニックに影響を与えたとして特筆され引用されている。

分野に詳しくないため、これが基準として適切かについては意見しません。ただ、SM、フェティシズムに並んで同性愛が「性的嗜好」とされていることには違和感があり、表現を改める必要があると考えます。同性愛は性に関しての好みやこだわりといった意味を持つ「性的嗜好」ではなく、性的魅力を感じるパターン、「性的指向」と呼ばれるものです。ウィキメディア財団は、WikipediaにおけるLGBTQへのハラスメントについて問題視しています(参考)。同性愛者への誤解・偏見が広まらないようにするためにも、こちらの表現を改めるべきと考えます。といっても、大幅に書き換える必要はなく、「SM同性愛フェティシズムといった性的嗜好」の部分を「同性愛のような性的指向、あるいはSMフェティシズムといった性的嗜好」に書き換えれば、この懸念は解消されるものと考えます。合意形成に1週間ほど待ちたいと思います。--しんぎんぐきゃっと会話2020年6月25日 (木) 06:23 (UTC)[返信]

本件は例示された説明が誤っているものであり、また変更前後で特定のジャンルで特筆されるという大意は変わらないため、合意無しに変更可能な範疇であると判断します。--Haetenai会話2020年6月25日 (木) 07:17 (UTC)[返信]
報告 Haetenaiさんのご意見を踏まえ、また検討の結果、同記述は明確な誤りであり、かつ編集によって基準に影響はもたらさないと考え、「SM同性愛フェティシズムといった性的嗜好」という表現を「同性愛のような性的指向、あるいはSMフェティシズムといった性的嗜好」に変更する編集をいたしました。--しんぎんぐきゃっと会話2020年6月25日 (木) 09:22 (UTC)[返信]
  • 既に書き換えて頂いているようですが、これについては「SM、同性愛、フェティシズムといった特定の表現に特化したサブジャンル」(太字は差分明示用)のような表現とした方が伝わりやすいのではないでしょうか。性的指向としての同性愛と、ヘテロセクシャル者による閲覧も想定しうるアダルト作品の同性愛ジャンルは、同一視し切れない面があると思います。それならばむしろ、「特定の表現に特化した」というような言い換えとする方が、冗長でなく、またご懸念も解消し得るものかと思いますが、いかがでしょうか。--Ccgxk ( - - 稿) 2020年6月26日 (金) 13:40 (UTC)[返信]