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== 歴史 == |
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カリビアンシリーズは1949年2月に、[[キューバ]]、[[パナマ]]、[[プエルトリコ]]、[[ベネズエラ]]の4か国・地域が参加して初開催された。この4か国が集う背景にはふたつの出来事があった。ひとつは[[メキシコ]]の[[メキシカンリーグ|夏季リーグ(メキシカンリーグ)]]による[[メジャーリーグベースボール|メジャーリーグベースボール(MLB)]]からの選手引き抜き、もうひとつは[[ジャッキー・ロビンソン]]のMLB入りである<ref name="origenserie">Tony Piña Cámpora, "[https://listindiario.com/el-deporte/2015/02/08/355481/origen-de-la-serie Origen de la Serie]," ''[[:es:Listín Diario|Listín Diario]]'', 8 de febrero de 2015. 2019年2月28日閲覧。</ref>。 |
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[[アメリカ合衆国]]では1901年の[[アメリカンリーグ]]発足により、先行の[[ナショナルリーグ]]と合わせて現在のMLBを構成する2リーグが揃った。両リーグは球界における支配的地位を利用し、選手との契約に[[:en:Reserve clause|保留条項]]を盛り込んで給料を抑制した。安い給料は選手と賭博師との癒着を生み、1919年には[[ワールドシリーズ]]での[[八百長]]事件、いわゆる "[[ブラックソックス事件]]" 発生という事態を招いた。この八百長に関与したとされ球界を追放された[[ジョー・ジャクソン (野球)|ジョー・ジャクソン]]は、年俸が6000ドルを超えたことがなかったとされる<ref>{{Harvnb|シマンスキー他|2006}}、110頁。</ref>。また、この両リーグや資金力で劣る全米各地の[[マイナーリーグ]]はいずれも[[白人]]選手だけで構成され、[[アフリカ系アメリカ人]]など[[有色人種]]の選手に門戸を閉ざしていた。有色人種の選手たちは独自に "[[ニグロリーグ]]" を立ち上げたが、こちらは経済的にはMLB以上に厳しいものだった。1932年に[[サチェル・ペイジ]]が[[ピッツバーグ・クロフォーズ]]入団の際に提示された月給は700ドルで、これはニグロリーグでは「破格」の条件だった<ref>{{Harvnb|佐山|1994}}、81-85頁。</ref>。こうした状況下、白人選手も有色人種の選手もさらなる収入を、さらに有色人種の選手は白人選手と同じ舞台でプレイする機会も求めて、[[カリブ海]]沿岸各地の[[ウィンターリーグ]]に参加するようになった<ref>{{Harvnb|石原|2013}}、47頁。</ref>。 |
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メキシカンリーグは首都[[メキシコシティ]]周辺の地方リーグとして1925年に創設され、1940年に[[ホルヘ・パスケル]]の球団買収による参入をきっかけに全国規模のリーグへと成長、1946年にパスケルがリーグ会長に就任するとMLBの選手を引き抜き始めた<ref>[[阿佐智]] 「[http://www.japan-baseball.jp/jp/news/press/20161106_2.html 侍ジャパン強化試合 対戦国紹介〜メキシコ野球の歴史〜]」 『[[野球日本代表|野球日本代表 侍ジャパン]]オフィシャルサイト』、2016年11月6日。2019年2月28日閲覧。</ref>。MLB、および[[マイナーリーグ]]統括団体のナショナル・アソシエーション・オブ・プロフェッショナル・ベースボール・リーグス(NAPBL)から成る "オーガナイズド・ベースボール" は[[タンパリング]]を御法度としていたが、その枠外にいたメキシカンリーグにはオーガナイズド側の規則に従う理由がなかった。メキシカンリーグは例えば、[[セントルイス・カージナルス]]で年俸1万3500ドルだった[[スタン・ミュージアル]]に対し、契約金5万ドル+5年総額12万5000ドルのオファーを出したとされる<ref>[[:en:Bernie Miklasz|Bernie Miklasz]], "[https://www.stltoday.com/sports/baseball/professional/things-to-love-about-the-man/article_12a02ef7-b9d3-5cec-91f8-843d44412f13.html 90 things to love about The Man]," ''[[:en:St. Louis Post-Dispatch|stltoday.com]]'', November 21, 2010. 2019年2月28日閲覧。</ref>。[[MLBコミッショナー]]の[[ハッピー・チャンドラー]]は対抗措置として、メキシカンリーグ移籍選手に5年の追放処分を課すと警告した<ref name="gardella">Thomas S. Mulligan, "[http://articles.latimes.com/1994-10-22/sports/sp-53439_1_major-league He Helped Blaze Free Agents' Trail : Baseball: Gardella challenged the major leagues' antitrust exemption in 1947--and still has second thoughts about the result.]," ''[[ロサンゼルス・タイムズ|latimes]]'', October 22, 1994. 2019年2月28日閲覧。</ref>。結局、ミュージアルや[[ジョー・ディマジオ]]のようなスター選手はMLBに残留したが<ref>Steve Treder, "[https://tht.fangraphs.com/tht-annual-2018/1946-major-league-baseballs-1491/ 1946: Major League Baseball’s 1491]," ''[[:en:The Hardball Times|The Hardball Times]]'', 2018. 2019年2月28日閲覧。</ref>、[[サル・マグリー]]や[[ミッキー・オーウェン]]、[[ダニー・ガーデラ]]といった選手たちがメキシコでのプレイを選択した<ref name="gardella" />。この「野球戦争」と呼ばれた選手争奪戦は、メキシコ側の設備の貧弱さや[[審判員 (野球)|審判員]]の不公正な判定が選手に不評で、さらに十分な観客を集められず収益を得られなかったことから、オーガナイズド側の勝利に終わった<ref>{{Harvnb|石原|2013}}、70頁。</ref>。しかし有期追放処分は覆らず、ガーデラのように[[連邦地方裁判所]]へ訴えを起こす選手も出てきた<ref name="gardella" />。 |
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MLBにとって1946年は、[[第二次世界大戦]]終結後初の開幕戦を迎えるシーズンだった。ミュージアルやディマジオらが従軍による1シーズン以上の欠場――といっても彼らは[[ヨーロッパ]]や[[アジア]]の戦地には送られず、[[アメリカ合衆国本土]]や[[ハワイ州|ハワイ準州]]などで壮行野球をしていたが<ref name="etoworlds">Robert Weintraub, "[https://slate.com/culture/2013/04/baseball-in-world-war-ii-the-amazing-story-of-the-u-s-militarys-integrated-world-series-in-hitler-youth-stadium-in-1945.html Three Reichs, You’re Out]," ''[[:en:Slate (magazine)|Slate Magazine]]'', April 2, 2013. 2019年2月28日閲覧。</ref>――から復帰する年であり、ガーデラがメキシカンリーグを新天地に選んだのも、[[ジョニー・マイズ]]の復員による出場機会喪失の恐れが背景にあった<ref name="gardella" />。この大戦で、有色人種のアメリカ人が白人とともに[[アメリカ軍]]の兵士として戦ったことで、人種間の融和を求める声が有色人種だけでなく白人からも挙がるようになった。1945年9月には、[[ヨーロッパ作戦戦域]]の兵士による野球大会の優勝決定シリーズが[[ドイツ]]の[[ニュルンベルク]]と[[フランス]]の[[ランス (マルヌ県)|ランス]]で行われ、特にニュルンベルクでは5万人近い兵士が観戦に訪れるなかで白人と黒人の混成チームがプレイしたのみならず、優勝チームの祝勝会でも白人と黒人が隔離されず同じ席で食事をとった<ref name="etoworlds" />。また同年、チャンドラーはコミッショナーに就任すると「黒人青年が、[[沖縄戦|沖縄]]や[[ガダルカナル島の戦い|ガダルカナル]]で立派にやれたのなら、野球界でも立派にやれるだろう」と述べた<ref>{{Harvnb|佐山|1994}}、170頁。</ref>。この流れを受け、[[ロサンゼルス・ドジャース|ブルックリン・ドジャース]]はロビンソンと[[ジョン・ライト (野球)|ジョン・ライト]]の2選手と契約、1946年に傘下マイナーリーグでプレイさせたのち、残ったロビンソンを翌1947年にメジャーへ昇格させてデビューさせた。これを機に他球団も、球団によって程度に差があるとはいえ<ref group="*">1947年4月15日にロビンソンがドジャースでデビューすると、その3か月後には[[クリーブランド・インディアンス]]と[[ボルチモア・オリオールズ|セントルイス・ブラウンズ]]が続いた。一方、同年に存在していた16球団のうち、有色人種選手のデビューが最も遅れたのは[[ボストン・レッドソックス]]で、ロビンソンのデビューから12年後の1959年まで待つこととなる。</ref>、有色人種選手の採用に動き始めた。 |
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キューバのウィンターリーグ "[[リーガ・クバーナ・デ・ベイスボル]]" はオーガナイズド陣営非加盟ながら、有期追放処分への協力を要請された。キューバ側は、ここで協力しておかないと今後MLB入りするであろう有色人種選手の派遣を拒否される可能性があったため、この要請を受け入れ1947年7月にNAPBLへ入会した<ref name="origenserie" />。この動きにプエルトリコやパナマ、ベネズエラの各ウィンターリーグが追随した。この3か国・地域各リーグは同年12月のNAPBL総会で入会の意向を表明し、翌1948年にはキューバも交えてカリブ海プロ野球連合({{lang-es-short|Confederación de Béisbol Profesional del Caribe, CBPC}})を設立した<ref>Lou Hernández, "[https://sabr.org/research/napbl-gathering-miami-gave-birth-caribbean-series NAPBL Gathering in Miami Gave Birth to the Caribbean Series]," ''[[アメリカ野球学会|Society for American Baseball Research]]'', 2016. 2019年2月28日閲覧。</ref>。 |
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1999年頃から、キューバ復帰の可能性が探られるようになる<ref name="cubarejoin">Jesse Sanchez / MLB.com, "[http://mlb.mlb.com/news/article.jsp?ymd=20130611&content_id=50308048&c_id=mlb Cuba says it will rejoin Caribbean Series / Nation hasn't played in championship since Castro ended participation in 1960]," ''MLB.com'', June 11, 2013. 2014年2月9日閲覧。</ref>。特に2006年3月、[[2006 ワールド・ベースボール・クラシック|第1回ワールド・ベースボール・クラシック]]において[[野球キューバ代表|キューバ代表]]が準優勝の好成績を収めると、監督の[[イヒニオ・ベレス]]が「シリーズへの招待も待っているよ」と発言するなど、再参加の可能性が大きくなっていった<ref>Guillermo Celis, "[http://sports.espn.go.com/mlb/worldclassic2006/columns/story?id=2377453 Cuban skipper is loyal to flag, people, players]," ''[[ESPN|ESPN.com]]'', March 20, 2006. 2013年2月9日閲覧。</ref>。2012年には同国野球連盟の会長に就いていたベレスが、厳しい国家財政のため大会開催費用の負担が必要な正式参加国にはなれないが、そうではない招待国としてなら大会に参加してもよいと述べた<ref> |
1999年頃から、キューバ復帰の可能性が探られるようになる<ref name="cubarejoin">Jesse Sanchez / MLB.com, "[http://mlb.mlb.com/news/article.jsp?ymd=20130611&content_id=50308048&c_id=mlb Cuba says it will rejoin Caribbean Series / Nation hasn't played in championship since Castro ended participation in 1960]," ''MLB.com'', June 11, 2013. 2014年2月9日閲覧。</ref>。特に2006年3月、[[2006 ワールド・ベースボール・クラシック|第1回ワールド・ベースボール・クラシック]]において[[野球キューバ代表|キューバ代表]]が準優勝の好成績を収めると、監督の[[イヒニオ・ベレス]]が「シリーズへの招待も待っているよ」と発言するなど、再参加の可能性が大きくなっていった<ref>Guillermo Celis, "[http://sports.espn.go.com/mlb/worldclassic2006/columns/story?id=2377453 Cuban skipper is loyal to flag, people, players]," ''[[ESPN|ESPN.com]]'', March 20, 2006. 2013年2月9日閲覧。</ref>。2012年には同国野球連盟の会長に就いていたベレスが、厳しい国家財政のため大会開催費用の負担が必要な正式参加国にはなれないが、そうではない招待国としてなら大会に参加してもよいと述べた<ref>"[https://www.elnuevodia.com/deportes/beisbol/nota/cubaregresariaalaseriedelcaribeenel2013-1294613/ Cuba regresaría a la Serie del Caribe en el 2013]," ''[[:es:El Nuevo Día (Puerto Rico)|El Nuevo Día]]'', 6 de julio de 2012. 2019年2月28日閲覧。</ref>。折衝の末に2013年6月、翌2014年の大会からキューバが復帰することが決まった<ref name="cubarejoin" />。 |
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大会は基本的に参加国のいずれかで開催されるが例外もあり、1990年と1991年の2大会はラテンアメリカからの移民([[ヒスパニック]])が多い[[アメリカ合衆国]][[フロリダ州]][[マイアミ]]で開催された<ref group="*">使用球場は、1990年大会が[[マイアミ・オレンジボウル]]、1991年大会が[[マイアミ・スタジアム]]。</ref><ref>Alden Gonzalez / MLB.com, "[http://mlb.mlb.com/news/article.jsp?ymd=20130207&content_id=41488000¬ebook_id=41488490&c_id=mlb Caribbean Series may return to Miami]," ''MLB.com'', February 7, 2013. 2013年2月9日閲覧。</ref>。また2008年大会は、プエルトリコのリーグが財政難のために活動を休止したことから、代わりに開催国のドミニカ共和国から2チームが参加している<ref>Jesse Sanchez / MLB.com, "[http://mlb.mlb.com/news/article.jsp?ymd=20080208&content_id=2368100&c_id=mlb '08 Caribbean Series made history / First time two Dominican Republic teams featured in tourney]," ''MLB.com'', February 8, 2008. 2013年2月9日閲覧。</ref>。 |
大会は基本的に参加国のいずれかで開催されるが例外もあり、1990年と1991年の2大会はラテンアメリカからの移民([[ヒスパニック]])が多い[[アメリカ合衆国]][[フロリダ州]][[マイアミ]]で開催された<ref group="*">使用球場は、1990年大会が[[マイアミ・オレンジボウル]]、1991年大会が[[マイアミ・スタジアム]]。</ref><ref>Alden Gonzalez / MLB.com, "[http://mlb.mlb.com/news/article.jsp?ymd=20130207&content_id=41488000¬ebook_id=41488490&c_id=mlb Caribbean Series may return to Miami]," ''MLB.com'', February 7, 2013. 2013年2月9日閲覧。</ref>。また2008年大会は、プエルトリコのリーグが財政難のために活動を休止したことから、代わりに開催国のドミニカ共和国から2チームが参加している<ref>Jesse Sanchez / MLB.com, "[http://mlb.mlb.com/news/article.jsp?ymd=20080208&content_id=2368100&c_id=mlb '08 Caribbean Series made history / First time two Dominican Republic teams featured in tourney]," ''MLB.com'', February 8, 2008. 2013年2月9日閲覧。</ref>。 |
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== 参考文献・資料 == |
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* {{wikicite|ref={{SfnRef|石原|2013}}|reference=[[石原豊一]] 『ベースボール労働移民――メジャーリーグから「野球不毛の地」まで』 [[河出書房新社]]〈[[河出ブックス]]〉、2013年、ISBN 978-4-309-62454-9。}} |
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* {{wikicite|ref={{SfnRef|佐山|1994}}|reference=[[佐山和夫]] 『黒人野球のヒーローたち 「ニグロ・リーグ」の興亡』 [[中央公論新社|中央公論社]]〈[[中公新書]]〉、1994年、ISBN 4-12-101176-7。}} |
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* {{wikicite|ref={{SfnRef|シマンスキー他|2006}}|reference=ステファン・シマンスキー、アンドリュー・ジンバリスト 『サッカーで燃える国 野球で儲ける国――スポーツ文化の経済史』 [[田村勝省]]訳、[[ダイヤモンド社]]、2006年、ISBN 4-478-22004-2。}} |
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== 関連項目 == |
== 関連項目 == |
2019年2月28日 (木) 14:56時点における版
メキシコのベナードス・デ・マサトラン。2016年大会優勝記念に同国大統領エンリケ・ペーニャ・ニエト(前列右)を表敬訪問した | |
開始年 | 1949 |
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チーム数 | 6チーム |
加盟国 |
キューバ(セリエ・ナシオナル・デ・ベイスボル) ドミニカ共和国(リーガ・デ・ベイスボル・プロフェシオナル・デ・ラ・レプブリカ・ドミニカーナ) メキシコ(リーガ・メヒカーナ・デル・パシフィコ) プエルトリコ(リーガ・デ・ベイスボル・プロフェシオナル・ロベルト・クレメンテ) ベネズエラ(リーガ・ベネソラーナ・デ・ベイスボル・プロフェシオナル) |
前回優勝 | トロス・デ・エレーラ(2019年、初) |
最多優勝 | ティグレス・デル・リセイ(10回) |
カリビアンシリーズ(英: Caribbean Series)またはセリエ・デル・カリベ(西: Serie del Caribe)は、ラテンアメリカの国際野球大会である。各国・地域の国内ウィンターリーグを勝ち上がったチームが毎年2月に集い、ラテンアメリカ王座をかけて争う。カリビアン・ワールドシリーズ(英: Caribbean World Series)とも呼ばれる。
歴史
この節の加筆が望まれています。 |
カリビアンシリーズは1949年2月に、キューバ、パナマ、プエルトリコ、ベネズエラの4か国・地域が参加して初開催された。この4か国が集う背景にはふたつの出来事があった。ひとつはメキシコの夏季リーグ(メキシカンリーグ)によるメジャーリーグベースボール(MLB)からの選手引き抜き、もうひとつはジャッキー・ロビンソンのMLB入りである[1]。
アメリカ合衆国では1901年のアメリカンリーグ発足により、先行のナショナルリーグと合わせて現在のMLBを構成する2リーグが揃った。両リーグは球界における支配的地位を利用し、選手との契約に保留条項を盛り込んで給料を抑制した。安い給料は選手と賭博師との癒着を生み、1919年にはワールドシリーズでの八百長事件、いわゆる "ブラックソックス事件" 発生という事態を招いた。この八百長に関与したとされ球界を追放されたジョー・ジャクソンは、年俸が6000ドルを超えたことがなかったとされる[2]。また、この両リーグや資金力で劣る全米各地のマイナーリーグはいずれも白人選手だけで構成され、アフリカ系アメリカ人など有色人種の選手に門戸を閉ざしていた。有色人種の選手たちは独自に "ニグロリーグ" を立ち上げたが、こちらは経済的にはMLB以上に厳しいものだった。1932年にサチェル・ペイジがピッツバーグ・クロフォーズ入団の際に提示された月給は700ドルで、これはニグロリーグでは「破格」の条件だった[3]。こうした状況下、白人選手も有色人種の選手もさらなる収入を、さらに有色人種の選手は白人選手と同じ舞台でプレイする機会も求めて、カリブ海沿岸各地のウィンターリーグに参加するようになった[4]。
メキシカンリーグは首都メキシコシティ周辺の地方リーグとして1925年に創設され、1940年にホルヘ・パスケルの球団買収による参入をきっかけに全国規模のリーグへと成長、1946年にパスケルがリーグ会長に就任するとMLBの選手を引き抜き始めた[5]。MLB、およびマイナーリーグ統括団体のナショナル・アソシエーション・オブ・プロフェッショナル・ベースボール・リーグス(NAPBL)から成る "オーガナイズド・ベースボール" はタンパリングを御法度としていたが、その枠外にいたメキシカンリーグにはオーガナイズド側の規則に従う理由がなかった。メキシカンリーグは例えば、セントルイス・カージナルスで年俸1万3500ドルだったスタン・ミュージアルに対し、契約金5万ドル+5年総額12万5000ドルのオファーを出したとされる[6]。MLBコミッショナーのハッピー・チャンドラーは対抗措置として、メキシカンリーグ移籍選手に5年の追放処分を課すと警告した[7]。結局、ミュージアルやジョー・ディマジオのようなスター選手はMLBに残留したが[8]、サル・マグリーやミッキー・オーウェン、ダニー・ガーデラといった選手たちがメキシコでのプレイを選択した[7]。この「野球戦争」と呼ばれた選手争奪戦は、メキシコ側の設備の貧弱さや審判員の不公正な判定が選手に不評で、さらに十分な観客を集められず収益を得られなかったことから、オーガナイズド側の勝利に終わった[9]。しかし有期追放処分は覆らず、ガーデラのように連邦地方裁判所へ訴えを起こす選手も出てきた[7]。
MLBにとって1946年は、第二次世界大戦終結後初の開幕戦を迎えるシーズンだった。ミュージアルやディマジオらが従軍による1シーズン以上の欠場――といっても彼らはヨーロッパやアジアの戦地には送られず、アメリカ合衆国本土やハワイ準州などで壮行野球をしていたが[10]――から復帰する年であり、ガーデラがメキシカンリーグを新天地に選んだのも、ジョニー・マイズの復員による出場機会喪失の恐れが背景にあった[7]。この大戦で、有色人種のアメリカ人が白人とともにアメリカ軍の兵士として戦ったことで、人種間の融和を求める声が有色人種だけでなく白人からも挙がるようになった。1945年9月には、ヨーロッパ作戦戦域の兵士による野球大会の優勝決定シリーズがドイツのニュルンベルクとフランスのランスで行われ、特にニュルンベルクでは5万人近い兵士が観戦に訪れるなかで白人と黒人の混成チームがプレイしたのみならず、優勝チームの祝勝会でも白人と黒人が隔離されず同じ席で食事をとった[10]。また同年、チャンドラーはコミッショナーに就任すると「黒人青年が、沖縄やガダルカナルで立派にやれたのなら、野球界でも立派にやれるだろう」と述べた[11]。この流れを受け、ブルックリン・ドジャースはロビンソンとジョン・ライトの2選手と契約、1946年に傘下マイナーリーグでプレイさせたのち、残ったロビンソンを翌1947年にメジャーへ昇格させてデビューさせた。これを機に他球団も、球団によって程度に差があるとはいえ[* 1]、有色人種選手の採用に動き始めた。
キューバのウィンターリーグ "リーガ・クバーナ・デ・ベイスボル" はオーガナイズド陣営非加盟ながら、有期追放処分への協力を要請された。キューバ側は、ここで協力しておかないと今後MLB入りするであろう有色人種選手の派遣を拒否される可能性があったため、この要請を受け入れ1947年7月にNAPBLへ入会した[1]。この動きにプエルトリコやパナマ、ベネズエラの各ウィンターリーグが追随した。この3か国・地域各リーグは同年12月のNAPBL総会で入会の意向を表明し、翌1948年にはキューバも交えてカリブ海プロ野球連合(西: Confederación de Béisbol Profesional del Caribe, CBPC)を設立した[12]。
キューバで1959年に革命が発生し、フィデル・カストロ政権によってプロスポーツ制度が廃止された影響で、1961年から1969年までは大会が中止された。1970年からはプエルトリコとベネズエラにドミニカ共和国を加えた3か国・地域で大会を再開。翌年からはメキシコが加わり、4か国・地域体制となった。
1999年頃から、キューバ復帰の可能性が探られるようになる[13]。特に2006年3月、第1回ワールド・ベースボール・クラシックにおいてキューバ代表が準優勝の好成績を収めると、監督のイヒニオ・ベレスが「シリーズへの招待も待っているよ」と発言するなど、再参加の可能性が大きくなっていった[14]。2012年には同国野球連盟の会長に就いていたベレスが、厳しい国家財政のため大会開催費用の負担が必要な正式参加国にはなれないが、そうではない招待国としてなら大会に参加してもよいと述べた[15]。折衝の末に2013年6月、翌2014年の大会からキューバが復帰することが決まった[13]。
大会は基本的に参加国のいずれかで開催されるが例外もあり、1990年と1991年の2大会はラテンアメリカからの移民(ヒスパニック)が多いアメリカ合衆国フロリダ州マイアミで開催された[* 2][16]。また2008年大会は、プエルトリコのリーグが財政難のために活動を休止したことから、代わりに開催国のドミニカ共和国から2チームが参加している[17]。
大会方式
この記事はただいま大幅な改稿を行っています。 申し訳ございませんが編集の競合を避けるため、しばらくの間編集を控えてくださるとありがたく存じます。ご迷惑をおかけしますが、ご協力お願いいたします。 設定期限もしくは貼付後72時間経っても工事が完了していない場合は、このテンプレートを除去しても構いません。 |
現在の参加チームは、以下の各国・地域冬季リーグを制した球団である。ただし各チームとも、それぞれが所属するリーグの他球団からシリーズに向けて選手を補強することが認められている。
- ドミニカ共和国:リーガ・デ・ベイスボル・プロフェシオナル・デ・ラ・レプブリカ・ドミニカーナ(Liga de Béisbol Profesional de la República Dominicana)
- プエルトリコ:リーガ・デ・ベイスボル・プロフェシオナル・ロベルト・クレメンテ(Liga de Béisbol Profesional Roberto Clemente)
- ベネズエラ:リーガ・ベネソラーナ・デ・ベイスボル・プロフェシオナル(Liga Venezolana de Béisbol Profesional)
- メキシコ:リーガ・メヒカーナ・デル・パシフィコ(Liga Mexicana del Pacifico)
- キューバ : セリエ・ナシオナル・デ・ベイスボル (Serie Nacional de Béisbol)
シリーズではまず参加5球団が総当たりを1回、つまり1チームにつき4試合のリーグ戦を行う。最下位を除く4球団が決勝トーナメントへ進出し、準決勝で1位と4位、2位と3位が対戦する。そして勝者どうしが決勝戦で相まみえる。
2012年大会までは総当たり2回のリーグ戦のみで、最も優れた勝率を残した球団が優勝となっていた。2013年大会で上位2球団による優勝決定戦が導入され、翌2014年大会からはキューバの復帰によって参加国が増えたため決勝トーナメント制になった。
結果
総当たり制時代
優勝決定戦制時代
年 | 優勝球団(リーグ戦順位) | 優勝回数 | 決勝戦 | (リーグ戦順位)準優勝球団 | 開催地 |
---|---|---|---|---|---|
2013年 | ヤキス・デ・オブレゴン(2位) | 2年ぶり 2回目 | 4-3 (延長18回) |
(1位)レオネス・デル・エスコヒード | ソノラ州エルモシージョ |
2014年 | ナランヘーロス・デ・エルモシージョ(2位) | 38年ぶり | 2回目7-1 | (4位)インディオス・デ・マヤグエス | ヌエバ・エスパルタ州マルガリータ島 |
2015年 | ベゲーロス・デ・ピナール・デル・リオ(4位) | 初優勝 | 3-2 | (3位)トマテーロス・デ・クリアカン | サンフアン |
2016年 | ベナードス・デ・マサトラン(1位) | 11年ぶり | 2回目5x-4 | (2位)ティグレス・デ・アラグア | 国家地区サントドミンゴ |
2017年 | クリオージョス・デ・カグアス(4位) | 30年ぶり | 4回目1-0 (延長10回) |
(2位)アギラス・デ・メヒカリ | シナロア州クリアカン |
2018年 | クリオージョス・デ・カグアス(3位) | 2年連続 5回目 | 9-4 | (4位)アギラス・シバエーニャス | ハリスコ州グアダラハラ |
2019年 | トロス・デ・エレーラ(B組1位) | 初優勝 | 3-1 | (A組1位)レニャドレス・デ・ラス・トゥーナス | パナマ県パナマシティ |
2020年 | - | サンフアン | |||
2021年 | - | シナロア州マサトラン | |||
2022年 | - | 国家地区サントドミンゴ |
球団所在国別成績
国 | 優勝回数 | 優勝年度 |
---|---|---|
ドミニカ共和国 | 19 | 1971, 1973, 1977, 1980, 1985, 1988, 1990, 1991, 1994, 1997, 1998, 1999, 2001, 2003, 2004, 2007, 2008, 2010, 2012 |
プエルトリコ | 16 | 1951, 1953, 1954, 1955, 1972, 1974, 1975, 1978, 1983, 1987, 1992, 1993, 1995, 2000, 2017, 2018 |
メキシコ | 9 | 1976, 1986, 1996, 2002, 2005, 2011, 2013, 2014, 2016 |
キューバ | 8 | 1949, 1952, 1956, 1957, 1958, 1959, 1960, 2015 |
ベネズエラ | 7 | 1970, 1979, 1982, 1984, 1989, 2006, 2009 |
パナマ | 2 | 1950, 2019 |
脚注
注釈
- ^ 1947年4月15日にロビンソンがドジャースでデビューすると、その3か月後にはクリーブランド・インディアンスとセントルイス・ブラウンズが続いた。一方、同年に存在していた16球団のうち、有色人種選手のデビューが最も遅れたのはボストン・レッドソックスで、ロビンソンのデビューから12年後の1959年まで待つこととなる。
- ^ 使用球場は、1990年大会がマイアミ・オレンジボウル、1991年大会がマイアミ・スタジアム。
出典
- ^ a b Tony Piña Cámpora, "Origen de la Serie," Listín Diario, 8 de febrero de 2015. 2019年2月28日閲覧。
- ^ シマンスキー他 2006、110頁。
- ^ 佐山 1994、81-85頁。
- ^ 石原 2013、47頁。
- ^ 阿佐智 「侍ジャパン強化試合 対戦国紹介〜メキシコ野球の歴史〜」 『野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト』、2016年11月6日。2019年2月28日閲覧。
- ^ Bernie Miklasz, "90 things to love about The Man," stltoday.com, November 21, 2010. 2019年2月28日閲覧。
- ^ a b c d Thomas S. Mulligan, "He Helped Blaze Free Agents' Trail : Baseball: Gardella challenged the major leagues' antitrust exemption in 1947--and still has second thoughts about the result.," latimes, October 22, 1994. 2019年2月28日閲覧。
- ^ Steve Treder, "1946: Major League Baseball’s 1491," The Hardball Times, 2018. 2019年2月28日閲覧。
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- ^ a b Robert Weintraub, "Three Reichs, You’re Out," Slate Magazine, April 2, 2013. 2019年2月28日閲覧。
- ^ 佐山 1994、170頁。
- ^ Lou Hernández, "NAPBL Gathering in Miami Gave Birth to the Caribbean Series," Society for American Baseball Research, 2016. 2019年2月28日閲覧。
- ^ a b Jesse Sanchez / MLB.com, "Cuba says it will rejoin Caribbean Series / Nation hasn't played in championship since Castro ended participation in 1960," MLB.com, June 11, 2013. 2014年2月9日閲覧。
- ^ Guillermo Celis, "Cuban skipper is loyal to flag, people, players," ESPN.com, March 20, 2006. 2013年2月9日閲覧。
- ^ "Cuba regresaría a la Serie del Caribe en el 2013," El Nuevo Día, 6 de julio de 2012. 2019年2月28日閲覧。
- ^ Alden Gonzalez / MLB.com, "Caribbean Series may return to Miami," MLB.com, February 7, 2013. 2013年2月9日閲覧。
- ^ Jesse Sanchez / MLB.com, "'08 Caribbean Series made history / First time two Dominican Republic teams featured in tourney," MLB.com, February 8, 2008. 2013年2月9日閲覧。
参考文献・資料
- 石原豊一 『ベースボール労働移民――メジャーリーグから「野球不毛の地」まで』 河出書房新社〈河出ブックス〉、2013年、ISBN 978-4-309-62454-9。
- 佐山和夫 『黒人野球のヒーローたち 「ニグロ・リーグ」の興亡』 中央公論社〈中公新書〉、1994年、ISBN 4-12-101176-7。
- ステファン・シマンスキー、アンドリュー・ジンバリスト 『サッカーで燃える国 野球で儲ける国――スポーツ文化の経済史』 田村勝省訳、ダイヤモンド社、2006年、ISBN 4-478-22004-2。
関連項目
外部リンク
- MLB.com(英語)