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== 概要 ==
== 概要 ==
元々は天界の役人で{{ルビ|'''捲簾大将'''|けんれんたいしょう}}。[[天帝]]の御側役の一人で、{{ルビ|霊霄殿|れいしょうでん}}で謁見を求める者が罷り出た時に、天帝の前の[[すだれ|御簾]]の側にいて、天帝と謁見を受ける者の間に入り、天帝を守護する役目。[[近衛兵]]の大将であり、「'''霊山の大将'''」と称される。“捲簾”の職名からしばしば誤解されるが、御簾の揚げ降ろしをする担当ではなく、高官であり、西遊記における沙悟浄は地位の象徴であると理解される。雑劇でも水官大帝が[[四海竜王]]達へ差し向けた上使の役回りである。
元々は天界の役人で{{読み仮名|'''捲簾大将'''|けんれんたいしょう}}。[[天帝]]の御側役の一人で、{{読み仮名|霊霄殿|れいしょうでん}}で謁見を求める者が罷り出た時に、天帝の前の[[すだれ|御簾]]の側にいて、天帝と謁見を受ける者の間に入り、天帝を守護する役目。[[近衛兵]]の大将であり、「'''霊山の大将'''」と称される。“捲簾”の職名からしばしば誤解されるが、御簾の揚げ降ろしをする担当ではなく、高官であり、西遊記における沙悟浄は地位の象徴であると理解される。雑劇でも水官大帝が[[四海竜王]]達へ差し向けた上使の役回りである。


[[蟠桃会]]のおりに、天帝の宝である[[玻璃]]の器を手を滑らせて割ってしまった罪で天界を追われた<ref>二次作品には天界で悟空との絡みを描くものが多いが、原作では地上で会うのが初対面である。天界を追われた理由はただの'''過失'''</ref>。鞭打ち800回の刑を受けて下界に落とされ、さらに7日に1度は鋭い剣を飛ばして脇腹を貫くという罰を受け続け、飢えと寒さから三千里もあるという弱水<ref>[[書経]]の禹貢篇に「弱水を導きて合黎に至り余波は流砂に至る(=消えるの意味)」とある。中国の川はすべて東に向かって流れるのだが、この川は西に向かうので古くから伝説の舞台として登場した。場所は判然としないが現在の黒河のことと推測されている</ref>の流沙河<ref>もともとは流砂河は文字通りの[[流砂]]の広がる砂漠のことであったが、かなり早い段階で川と誤解され、西遊記の中でも川や水中のような描写になっている。なお幅は800里とのこと</ref>で人を喰らう妖仙となった。
[[蟠桃会]]のおりに、天帝の宝である[[玻璃]]の器を手を滑らせて割ってしまった罪で天界を追われた<ref>二次作品には天界で悟空との絡みを描くものが多いが、原作では地上で会うのが初対面である。天界を追われた理由はただの'''過失'''</ref>。鞭打ち800回の刑を受けて下界に落とされ、さらに7日に1度は鋭い剣を飛ばして脇腹を貫くという罰を受け続け、飢えと寒さから三千里もあるという弱水<ref>[[書経]]の禹貢篇に「弱水を導きて合黎に至り余波は流砂に至る(=消えるの意味)」とある。中国の川はすべて東に向かって流れるのだが、この川は西に向かうので古くから伝説の舞台として登場した。場所は判然としないが現在の黒河のことと推測されている</ref>の流沙河<ref>もともとは流砂河は文字通りの[[流砂]]の広がる砂漠のことであったが、かなり早い段階で川と誤解され、西遊記の中でも川や水中のような描写になっている。なお幅は800里とのこと</ref>で人を喰らう妖仙となった。


ある日、[[天竺]]に[[経典]]を取りに行く取経者を探していた[[観音菩薩]]と出会って突然襲いかかるが、お供の恵岸行者に阻止されて戦う。ひとかどではないと悟って相手の名を聞いてみると菩薩の一行であったので、ひれ伏して慈悲を乞い、これまでに9名の取経者を殺したこと告白する。菩薩は次に来る取経者の弟子となるように諭し、'''沙悟浄'''という法名と[[戒律]]を与え、さらに殺した取経者の髑髏は持っておくように命じた。なお、悟浄という名は「[[諱#実名敬避俗|実名敬避俗]]」に準じ師や兄など目上の者からの呼びかけのみに使用される。普通は通称の「{{ルビ|'''沙和尚'''|しゃおしょう}}<ref>この渾名は、三蔵に弟子入りしたときに剃髪して、礼儀作法や仕草に僧侶の風格があったことからきている</ref>」と僧侶名で呼ばれる(孫悟空の「孫行者」、猪悟能の「猪八戒」と同じ)。
ある日、[[天竺]]に[[経典]]を取りに行く取経者を探していた[[観音菩薩]]と出会って突然襲いかかるが、お供の恵岸行者に阻止されて戦う。ひとかどではないと悟って相手の名を聞いてみると菩薩の一行であったので、ひれ伏して慈悲を乞い、これまでに9名の取経者を殺したこと告白する。菩薩は次に来る取経者の弟子となるように諭し、'''沙悟浄'''という法名と[[戒律]]を与え、さらに殺した取経者の髑髏は持っておくように命じた。なお、悟浄という名は「[[諱#実名敬避俗|実名敬避俗]]」に準じ師や兄など目上の者からの呼びかけのみに使用される。普通は通称の「{{読み仮名|'''沙和尚'''|しゃおしょう}}<ref>この渾名は、三蔵に弟子入りしたときに剃髪して、礼儀作法や仕草に僧侶の風格があったことからきている</ref>」と僧侶名で呼ばれる(孫悟空の「孫行者」、猪悟能の「猪八戒」と同じ)。


その後、観音菩薩の約束どおり[[玄奘三蔵]]の一行が流沙河を通りかかるが、また相手が誰か確かめることなく、旋風のように襲いかかる。三蔵を掠おうとした試みは、水戦が得意な[[猪八戒]]に阻止されたが、三度戦ってもなかなか打ち破れないので、[[孫悟空]]が{{ルビ|觔斗雲|きんとうん}}でわざわざ観音菩薩を呼びに行った。菩薩は恵岸を派遣して、悟浄を降参させ、ひょうたんを渡して、9つの髑髏とあわせて法船(筏)とし、三蔵一行を流沙河の向こう岸へと渡した。法船は渡りきった後に、またひょうたんと髑髏に戻り、ひょうたんは恵岸が持ち帰るが、9つの髑髏は九筋の{{ルビ|陰風|いんぷう}}<ref>陰気で無気味な風の意</ref>となって音もなく消え去った。
その後、観音菩薩の約束どおり[[玄奘三蔵]]の一行が流沙河を通りかかるが、また相手が誰か確かめることなく、旋風のように襲いかかる。三蔵を掠おうとした試みは、水戦が得意な[[猪八戒]]に阻止されたが、三度戦ってもなかなか打ち破れないので、[[孫悟空]]が{{読み仮名|觔斗雲|きんとうん}}でわざわざ観音菩薩を呼びに行った。菩薩は恵岸を派遣して、悟浄を降参させ、ひょうたんを渡して、9つの髑髏とあわせて法船(筏)とし、三蔵一行を流沙河の向こう岸へと渡した。法船は渡りきった後に、またひょうたんと髑髏に戻り、ひょうたんは恵岸が持ち帰るが、9つの髑髏は九筋の{{読み仮名|陰風|いんぷう}}<ref>陰気で無気味な風の意</ref>となって音もなく消え去った。


以後、三蔵に弟子入りし、剃髪して僧形となると、孫悟空、猪八戒らと共に天竺まで経典を求めて旅をすることになった。このように原作では、弟子の中では唯一、僧形をしているが人間とは異なる濃色の容姿から「竈君」([[竃|竈]]の神様)としばしば間違われる様が見られる。
以後、三蔵に弟子入りし、剃髪して僧形となると、孫悟空、猪八戒らと共に天竺まで経典を求めて旅をすることになった。このように原作では、弟子の中では唯一、僧形をしているが人間とは異なる濃色の容姿から「竈君」([[竃|竈]]の神様)としばしば間違われる様が見られる。
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* 黒いとも青いとも言えないような、藍色の顔
* 黒いとも青いとも言えないような、藍色の顔
* 雷や太鼓の音のような恐ろしい声
* 雷や太鼓の音のような恐ろしい声
* 美しい黄錦の{{ルビ|直綴/直裰|じきとつ}}、腰は白藤を束ねたもので隠す
* 美しい黄錦の{{読み仮名|直綴/直裰|じきとつ}}、腰は白藤を束ねたもので隠す
* 9個の髑髏のネックレスを首にさげ、手に宝杖
* 9個の髑髏のネックレスを首にさげ、手に宝杖
*(二次作品とは違い原作では)孫悟空とは直接対決はしておらず、猪八戒とは三回も互角の戦いをした
*(二次作品とは違い原作では)孫悟空とは直接対決はしておらず、猪八戒とは三回も互角の戦いをした
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*本編では、妖仙が現れると悟空から三蔵の警護を命じられる役回りで、大きな活躍はない。自由奔放で、コミカルな掛け合いのある2人の兄弟子と比べると、やや生真面目で実直な性質であるように描写されている。
*本編では、妖仙が現れると悟空から三蔵の警護を命じられる役回りで、大きな活躍はない。自由奔放で、コミカルな掛け合いのある2人の兄弟子と比べると、やや生真面目で実直な性質であるように描写されている。


[[元 (王朝)|元]]代の[[朝鮮]]の資料『{{ルビ|朴通事諺解|ぼくつうじげんかい}}』には悟空と八戒のみが紹介されているが、これは沙悟浄が登場する流沙河の段が現存していないためで、西遊記物語への登場は悟空や八戒よりも早い。『大唐三蔵取経詩話』(北宋末から南宋に成立したと推定される通俗小説話本)に登場する、玄奘三蔵が流沙河という砂漠で幻想に見、励まされた[[深沙神]]がモデルと推測される。ほかに、[[ヨウスコウカワイルカ科|ヨウスコウカワイルカ]]をモデルに考え出されたという説もある。岩波文庫の『西遊記』の翻訳元である蘇州刊本『李卓吾先生批評西遊記』の翻訳を引き継いだ[[中野美代子]]は、後に自著内でヨウスコウカワイルカ説を[[ヨウスコウアリゲーター]]説に移行した。
[[元 (王朝)|元]]代の[[朝鮮]]の資料『{{読み仮名|朴通事諺解|ぼくつうじげんかい}}』には悟空と八戒のみが紹介されているが、これは沙悟浄が登場する流沙河の段が現存していないためで、西遊記物語への登場は悟空や八戒よりも早い。『大唐三蔵取経詩話』(北宋末から南宋に成立したと推定される通俗小説話本)に登場する、玄奘三蔵が流沙河という砂漠で幻想に見、励まされた[[深沙神]]がモデルと推測される。ほかに、[[ヨウスコウカワイルカ科|ヨウスコウカワイルカ]]をモデルに考え出されたという説もある。岩波文庫の『西遊記』の翻訳元である蘇州刊本『李卓吾先生批評西遊記』の翻訳を引き継いだ[[中野美代子]]は、後に自著内でヨウスコウカワイルカ説を[[ヨウスコウアリゲーター]]説に移行した。


== 日本の沙悟浄 ==
== 日本の沙悟浄 ==

2015年4月7日 (火) 12:54時点における版

西遊原旨の挿絵より。原作のイメージは河童ではない、僧形の人物
京劇の沙悟浄

沙 悟浄(さ ごじょう、繁体字: 沙悟淨簡体字: 沙悟净拼音: Shā Wùjìng)は、小説『西遊記』に主要登場する神仙

概要

元々は天界の役人で捲簾大将けんれんたいしょう天帝の御側役の一人で、霊霄殿れいしょうでんで謁見を求める者が罷り出た時に、天帝の前の御簾の側にいて、天帝と謁見を受ける者の間に入り、天帝を守護する役目。近衛兵の大将であり、「霊山の大将」と称される。“捲簾”の職名からしばしば誤解されるが、御簾の揚げ降ろしをする担当ではなく、高官であり、西遊記における沙悟浄は地位の象徴であると理解される。雑劇でも水官大帝が四海竜王達へ差し向けた上使の役回りである。

蟠桃会のおりに、天帝の宝である玻璃の器を手を滑らせて割ってしまった罪で天界を追われた[1]。鞭打ち800回の刑を受けて下界に落とされ、さらに7日に1度は鋭い剣を飛ばして脇腹を貫くという罰を受け続け、飢えと寒さから三千里もあるという弱水[2]の流沙河[3]で人を喰らう妖仙となった。

ある日、天竺経典を取りに行く取経者を探していた観音菩薩と出会って突然襲いかかるが、お供の恵岸行者に阻止されて戦う。ひとかどではないと悟って相手の名を聞いてみると菩薩の一行であったので、ひれ伏して慈悲を乞い、これまでに9名の取経者を殺したこと告白する。菩薩は次に来る取経者の弟子となるように諭し、沙悟浄という法名と戒律を与え、さらに殺した取経者の髑髏は持っておくように命じた。なお、悟浄という名は「実名敬避俗」に準じ師や兄など目上の者からの呼びかけのみに使用される。普通は通称の「沙和尚しゃおしょう[4]」と僧侶名で呼ばれる(孫悟空の「孫行者」、猪悟能の「猪八戒」と同じ)。

その後、観音菩薩の約束どおり玄奘三蔵の一行が流沙河を通りかかるが、また相手が誰か確かめることなく、旋風のように襲いかかる。三蔵を掠おうとした試みは、水戦が得意な猪八戒に阻止されたが、三度戦ってもなかなか打ち破れないので、孫悟空觔斗雲きんとうんでわざわざ観音菩薩を呼びに行った。菩薩は恵岸を派遣して、悟浄を降参させ、ひょうたんを渡して、9つの髑髏とあわせて法船(筏)とし、三蔵一行を流沙河の向こう岸へと渡した。法船は渡りきった後に、またひょうたんと髑髏に戻り、ひょうたんは恵岸が持ち帰るが、9つの髑髏は九筋の陰風いんぷう[5]となって音もなく消え去った。

以後、三蔵に弟子入りし、剃髪して僧形となると、孫悟空、猪八戒らと共に天竺まで経典を求めて旅をすることになった。このように原作では、弟子の中では唯一、僧形をしているが人間とは異なる濃色の容姿から「竈君」(の神様)としばしば間違われる様が見られる。

名前の遍歴

  • 捲簾大将(天帝の任命)
  • 河伯(流沙河の水怪)
  • 沙悟浄(観音菩薩の命名)
  • 金身羅漢(釈迦如来の命名)
  • 沙和尚(三蔵法師が付けた呼び名)
  • 沙僧(「沙和尚」の別の呼び方)

原作における容姿と特徴

  • 紅い炎のような色の毛で、ふわふわの髪(ただし三蔵に弟子入りするときに髪を剃った)
  • 光る円い目玉
  • 黒いとも青いとも言えないような、藍色の顔
  • 雷や太鼓の音のような恐ろしい声
  • 美しい黄錦の直綴/直裰じきとつ、腰は白藤を束ねたもので隠す
  • 9個の髑髏のネックレスを首にさげ、手に宝杖
  • (二次作品とは違い原作では)孫悟空とは直接対決はしておらず、猪八戒とは三回も互角の戦いをした
  • 雲に乗って飛ぶことが出来る[6]
  • 本編では、妖仙が現れると悟空から三蔵の警護を命じられる役回りで、大きな活躍はない。自由奔放で、コミカルな掛け合いのある2人の兄弟子と比べると、やや生真面目で実直な性質であるように描写されている。

代の朝鮮の資料『朴通事諺解ぼくつうじげんかい』には悟空と八戒のみが紹介されているが、これは沙悟浄が登場する流沙河の段が現存していないためで、西遊記物語への登場は悟空や八戒よりも早い。『大唐三蔵取経詩話』(北宋末から南宋に成立したと推定される通俗小説話本)に登場する、玄奘三蔵が流沙河という砂漠で幻想に見、励まされた深沙神がモデルと推測される。ほかに、ヨウスコウカワイルカをモデルに考え出されたという説もある。岩波文庫の『西遊記』の翻訳元である蘇州刊本『李卓吾先生批評西遊記』の翻訳を引き継いだ中野美代子は、後に自著内でヨウスコウカワイルカ説をヨウスコウアリゲーター説に移行した。

日本の沙悟浄

日本では河童とされることがあるが、それは水の妖怪というイメージからで、最初に流沙河の水中から現れたとする間違った解釈に由来する、日本の児童向け作品固有の意訳である。

  • 半月刃の杖「降妖宝杖」 - 「降魔の宝杖」とも呼ばれる。材質は月に生えている桂で、芯にはの筋が1本通され、たくさんの宝珠が付いている。日本のドラマではしばしば月牙またはを使用するが、本来の農具踏み鋤の一種で西洋農具のスコップ相同である。
  • 髏の首飾り - 一説には玄奘三蔵の前世の9人の首とされる。三蔵一行が流沙河を渡る際に首から外され、恵岸行者の持参した瓢箪と組み合わせてにされた。

原作での個性の薄さ[7]故、日本の『西遊記』の翻案では、思い切った演出がなされる事がある。

  1. 妖怪でありながら妖怪を憎み、常に「自分とは何か」を自問している存在
  2. 一攫千金を目論むマイペースな存在
  3. 冷静沈着なクールな存在

などである。

代表例

手塚治虫
翻案作品『ぼくのそんごくう』(コミック、アニメ)の場合は「スコップを持つ黒い顔の頑固な老人」である。さらにこの作品をもとにつくられた『悟空の大冒険』では、(なんらかの風刺と思われるが)宝物にしか興味のない変人となっている。
中島敦
沙悟浄を主役とした小説『悟浄出世』、『悟浄歎異』では、虚無的な性格となっている。
ドラマなど実写作品
以下の俳優が沙悟浄を演じている。沙悟浄役としてもっとも知名度の高い岸部シローが、長身であった影響で、背が高いか、細身の俳優が演じることが多い。

よく知られるエピソード

首に掛けていた9個の髑髏はすべて三蔵法師の前世の髑髏である(呉承恩の再録作より)。すなわち三蔵は下界に転生させられてからこれまで九回も西天取経を志し、かついつも流沙河で立ち往生したあげく沙悟浄に取って喰われていたということになる。ちなみに三蔵はこの十回生まれ変わる間一度も精を漏らしたことがない聖僧ということから、妖仙達の間では三蔵法師を喰えば不老長生となるとされていた。それでいっそう三蔵一行は妖仙達に狙わることになるわけであるが、十回目の挑戦では悟空以下の強力なメンバーに加え宿敵・沙悟浄まで部下にし、ついに三蔵は取経に成功したのである。

脚注

  1. ^ 二次作品には天界で悟空との絡みを描くものが多いが、原作では地上で会うのが初対面である。天界を追われた理由はただの過失
  2. ^ 書経の禹貢篇に「弱水を導きて合黎に至り余波は流砂に至る(=消えるの意味)」とある。中国の川はすべて東に向かって流れるのだが、この川は西に向かうので古くから伝説の舞台として登場した。場所は判然としないが現在の黒河のことと推測されている
  3. ^ もともとは流砂河は文字通りの流砂の広がる砂漠のことであったが、かなり早い段階で川と誤解され、西遊記の中でも川や水中のような描写になっている。なお幅は800里とのこと
  4. ^ この渾名は、三蔵に弟子入りしたときに剃髪して、礼儀作法や仕草に僧侶の風格があったことからきている
  5. ^ 陰気で無気味な風の意
  6. ^ 黄袍怪と戦いに行く前に宴席で酒を飲んだ後、猪八戒と二人で別々に雲に乗って飛んで行く
  7. ^ 原作では無口でメンバーの仲裁ぐらいしか大して話さない上、自分について語る発言が無く性格や個性が把握できない。『西遊記解体新書』コーエー発刊、マジック・モンキーズ編

関連項目

外部リンク