名古屋市電笹島線
笹島線・広井町線 ・堀内町線・桜町西線・名古屋駅前待避線 | |
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概要 | |
現況 | 廃止 |
起終点 |
起点: 名古屋駅前電停(笹島線・広井町線・ 名古屋駅前待避線) 笹島町電停(堀内町線) 堀内町電停(桜町西線) 終点: 六反小学校前電停(笹島線) 那古野町電停(広井町線・堀内町線) 名古屋駅前電停(桜町西線) |
駅数 |
4駅(笹島線) 2駅(広井町線) 2駅(堀内町線) 2駅(桜町西線) |
運営 | |
開業 |
1921年12月7日(堀内町線) 1937年3月14日(桜町西線) 1937年4月16日(笹島線) 1938年12月16日(広井町線) 1943年3月20日(名古屋駅前待避線) |
市営化 | 1922年8月1日(堀内町線) |
廃止 |
1943年3月20日(堀内町線・桜町西線) 1967年3月31日(名古屋駅前待避線) 1972年3月1日(笹島線・広井町線) |
所有者 |
名古屋電気鉄道 →名古屋市交通局 (名古屋市電) |
路線諸元 | |
路線総延長 |
1.4km (笹島線) 0.6km (広井町線) 0.8km (堀内町線) 0.1km (桜町西線) 0.3km(名古屋駅前待避線) |
軌間 | 1,067 mm (3 ft 6 in) |
電化 | 直流600 V 架空電車線方式 |
路線概略図 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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笹島線(ささしません)は、かつて愛知県名古屋市に存在した、名古屋市電の路線(路面電車)の一つである。同市中村区東部にあった名古屋駅前停留場と六反小学校前停留場を結んでいた。ここでは、名古屋駅前停留場と那古野町停留場を結んでいた広井町線(ひろいちょうせん)、およびこれらに関連する堀内町線(ほりうちちょうせん)・桜町西線(さくらまちにしせん)・名古屋駅前待避線(なごやえきまえたいひせん)についても記述する。
5路線とも、名古屋駅の周辺にあった路線である。最も古いのは堀内町線で1921年(大正10年)開業。桜町西線・笹島線は1937年(昭和12年)に開業した。広井町線は1943年(昭和18年)に全通し、この時名古屋駅前待避線も整備されたが、入れ替わりで堀内町線・桜町線の2線が廃止された。笹島線・広井町線の廃止は戦後の市電最盛期を経た1972年(昭和47年)のことである。
路線概況
笹島線は全長1.4km、広井町線は全長0.6km[1]、名古屋駅前待避線は全長0.3kmである[2]。全線にわたり複線[3]で、笹島線は名駅通(愛知県道68号名古屋津島線および名古屋市道)上に、広井町線は名古屋市道広井町駅前線上に敷設された併用軌道であった[4]。名古屋駅前待避線は名古屋駅前に集結する各系統の電車を捌くために敷設された側線であり[2]、中央郵便局付近まで軌道が伸びていたものの、末端部に停留場は存在しなかった[3]。
笹島線・広井町線・名古屋駅前待避線ともに起点は名古屋駅前停留場である(笹島線・広井町線の起点は厳密には移転前の名古屋駅前停留場(南側0.2km地点)である)。名称の通り国鉄(現・JR東海)の名古屋駅の正面にあたる。名駅通と桜通が交差するロータリー交差点(名古屋駅交差点)の、ロータリーを挟んで南北双方に停留場は設置されていた[5]。
笹島線は名古屋駅前から名駅通を南進した。次の笹島町停留場は、名駅通と広小路通/太閤通が交差する笹島交差点にあり、広小路通を東・栄方面へ向かう栄町線と太閤通を西へ向かう中村線と接続、そのうち栄町線とは連絡線で繋がっていた[3]。終点は、名駅通と大須通が交差する現・名駅南五丁目交差点にあった六反小学校前停留場である。ここでは、大須通を東へ向かう水主町延長線に繋がっていた。
一方、広井町線は名古屋駅前から名駅通をわずかに北進、名古屋駅前待避線が分岐したのち、中央郵便局で東へ折れて市道広井町駅前線を北東へ進んだ[4]。途中の停留場はなく、次が終点の那古野停留場である。さらに北進して菊井町・押切町方面へ向かう押切線に繋がっていた。
名古屋駅が現在地に移転したのは1937年(昭和12年)2月である。それ以前は笹島交差点の北西角に位置しており[6]、笹島町停留場が名古屋駅前を名乗っていた。この旧名古屋駅前と、押切線に接続する那古野町を結んでいたのが堀内町線である。現在の名駅通よりも東にある、笹島交差点と那古野交差点を結ぶ道路を通っていた。全長0.8km[1]。名古屋駅の移転から1か月後の1937年3月、堀内町線の中間・堀内町停留場から桜通を西進し新・名古屋駅前までを結ぶ0.1km[1]の路線が開業する。これが桜町西線である。その1か月後の同年4月、笹島町から名古屋駅前まで笹島線が開業、並行する笹島町・堀内町間の堀内町線が廃止された。1943年(昭和18年)3月になると、桜町西線と堀内町線で結んでいた名古屋駅前から那古野町までの間に、広井町線と名古屋駅前待避線が敷設される。これに伴って、桜町西線・堀内町線の残部は廃止された。
なお、桜町西線は桜町東線(未成)[7]とともに桜通(国道19号)を東進する路線であり、完成すれば名古屋駅前から大津町線東桜町停留場まで短絡する路線になる予定であった[8]。
年表
- 1915年(大正6年)
- 1921年(大正10年)12月7日 - 【堀内線】笹島(後の笹島町)・那古野町間が開業[10][1]。名古屋電気鉄道が開業させた最後の路線であった。
- 1922年(大正11年)8月1日 - 【堀内線】 名古屋市が買収、名古屋市電気局(1945年以降交通局)の運営に[10][1]。この時点では、堀内町線ではなく「堀内線」であった[11]。
- 1928年(昭和3年)3月31日 - 【笹島線】 特許取得[7]。
- 1937年(昭和12年)3月14日 - 【桜町西線】 堀内町・名古屋駅前(名古屋駅乗車口前)間が開業[1]。
- 1937年(昭和12年)4月16日
- 1938年(昭和13年)12月16日 : 【広井町線】 名古屋駅乗車口前・名古屋駅降車口前間が開業[1]。
- 1940年(昭和15年)5月28日 - 【笹島線】 笹島町・六反小学校前間が開業[13][1]。
- 1943年(昭和18年)3月20日
- 1967年(昭和42年)3月31日 - 【名古屋駅前待避線】 廃止[15][2]。
- 1972年(昭和47年)3月1日
停留場
1961年12月時点で、広井町線・笹島線の2線には以下の計5停留場が設置されていた。
停留場名[1] | 距離 (km)[1] |
位置[4]・備考 |
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那古野町(なごのちょう) | 0.6 | 那古野交差点南西側 |
名古屋駅前(なごやえきまえ) (旧・名古屋駅降車口前) |
0.2 | 名古屋駅交差点付近 |
(旧・名古屋駅乗車口前) | 0.0 | 広井町線・笹島線の境界 |
笹島町(ささしまちょう) | 0.4 | 笹島交差点(名駅通・広小路通/太閤通交差)付近 |
下広井町(しもひろいちょう) | 0.8 | 下広井町交差点南方 |
六反小学校前(ろくたんしょうがっこうまえ) | 1.4 | 名駅南五丁目交差点(名駅通・大須通交差)北側 |
停留場の変遷
(この節の出典はいずれも『日本鉄道旅行地図帳』7号である)
- 1921年12月7日時点(堀内町線開業時) - 3か所
- 笹島 - 堀内町 - 那古野町
- 1922年8月1日、笹島を名古屋駅前(初代)に改称。
- 1928年1月6日、那古野町を電気局前に改称。
- 1930年3月24日、電気局前を那古野町に改称。
- 1937年2月1日、名古屋駅前(初代)を「笹島町(元名古屋駅前)」に改称。
- 1937年3月14日、桜町西線に名古屋駅前(2代)を新設。
- 1937年4月16日、笹島町(元名古屋駅前)を笹島町に改称。笹島線部分開業・堀内町線部分廃止。
- 1937年4月16日時点(笹島線部分開業時) - 計4か所
- 笹島町 - 名古屋駅前 - 堀内町 - 那古野町
- 1938年12月16日、名古屋駅前(2代)を名古屋駅乗車口前に改称。広井町線に名古屋駅降車口前を新設。
- 1940年5月28日時点(笹島線全通時) - 計8か所
- 六反小学校前 - 日置通八丁目 - 下広井町 - 笹島町 - 名古屋駅乗車口前 - 堀内町 - 那古野町
- 名古屋駅乗車口前 - 名古屋駅降車口前
- 1941年5月10日、六反小学校前を六反学校前に改称。
- 1943年ごろ、下広井町・日置通八丁目・那古野町休廃止。
- 1943年3月20日、広井町線全通。堀内町線・桜町西線廃止。
- 1943年5月8日、名古屋駅降車口前を名古屋駅前(3代)に改称し、名古屋駅乗車口前を統合。
- 1945年時点 - 計3か所
- 六反学校前 - 笹島町 - 名古屋駅前 - (押切線方面)
- 1946年11月15日、下広井町再開。
- 1949年7月15日、六反学校前を六反小学校前に改称。
- 1951年6月10日、那古野町再開。
- 1972年3月1日、全停留場廃止。
接続路線
脚注
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 『日本鉄道旅行地図帳』7号、p57等
- ^ a b c 『名古屋市電(中)』、p171
- ^ a b c 『名古屋市電が走った街 今昔』、pp18-19(配線図)
- ^ a b c 位置関係は『名古屋市全商工住宅案内図帳』(住宅地図・1965年)による。
道路名・交差点名は現在の地図ないし名古屋市道路認定図(2011年4月17日閲覧)から補記。 - ^ 『名古屋市電が走った街 今昔』、p32
- ^ 『名古屋市電が走った街 今昔』、p33
- ^ a b 『市営五十年史』、pp74-75
- ^ 『官報』1928年4月14日付、NDLJP:2956847/7
- ^ a b 『名古屋鉄道社史』 p.734
- ^ a b 『市営五十年史』、p588
- ^ 『電気軌道事業買収顛末』、p62
- ^ 『市営五十年史』、p598
- ^ 『市営五十年史』、p601
- ^ 『名古屋市電が走った街 今昔』、p.16
- ^ 『市営五十年史』、p517
- ^ a b 『市営五十年史』、p655
参考文献
- 住宅地図協会(編)『名古屋市全商工住宅案内図帳』 中村区、住宅地図協会、1965年。(名古屋市図書館蔵)
- 名古屋市交通局(編)『市営五十年史』名古屋市交通局、1972年。
- 名古屋市電気局 『電気軌道事業買収顛末』(『公営交通事業沿革史』3 戦前篇、クレス出版、1990年 に収録)
- 徳田耕一『名古屋市電が走った街 今昔』JTB、1999年。ISBN 978-4-533-03340-7。
- 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』 7号(東海)、新潮社、2008年。ISBN 978-4-10-790025-8。
- 日本路面電車同好会名古屋支部(編著)『名古屋の市電と街並み』トンボ出版、2010年。ISBN 978-4-88716-201-3。
- 服部重敬『名古屋市電(中)』ネコ・パブリッシング、2013年。ISBN 978-4777053551。
- 名古屋鉄道株式会社社史編纂委員会(編)『名古屋鉄道社史』名古屋鉄道、1961年。