熊送り

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熊送りまたは熊祭りとは、ユーラシアタイガ北アメリカ北部の内陸狩猟民族の典型的な文化要素の一つ。

概説[編集]

アイヌの熊送り(熊祭り)とは、「アイヌモシリ」(人の世界)」に熊(特にヒグマ)の姿で遊びに来たカムイ(神)の魂(霊)を、天上の「カムイモシリ」(神々の世界)に送り返す祭式儀礼のこと。熊送り(熊祭り)には、狩りで捕殺した熊を祭る「狩り熊型熊送り儀礼」(猟熊送り)と、子熊を一定期間(北海道アイヌの場合、通常1・2年、サハリンアイヌなら3年前後)飼育した後に絞め殺して祭る「飼い熊型熊送り儀礼」(飼熊送り)の二つが存在する。

「狩り熊型熊送り儀礼」がユーラシアや北アメリカ北部に暮らす先住民達に普遍的に認められる一方、「飼い熊型熊送り儀礼」は極東に暮らす諸集団(北海道アイヌ、サハリンアイヌ、ニブヒ(ギリヤーク)、ナナイ(ゴルド)、ナーヌィ(オロチ)、ウィルタ(オロッコ)、ネギダル、ウリチ、など)に偏在する。

後者の分布は北海道樺太サハリン)から黒竜江アムール川)流域のハバロフスクあたりまでのナラ林帯で、アイヌのイオマンテもこれに含まれる。

アイヌは、最高神である「キムンカムイ」(山の神)に対する霊送りとして、「猟熊送り」と「飼熊送り」とを、何ら変わらぬ丁重さをもって執り行ってきた。

アイヌの「飼熊送り」は、原則、1~2月頃の厳冬期に行われた。

アイヌの「熊送り」は、擦文文化(7~8世紀頃、本州農耕社会の強い影響下にもあった、道央・道南の地で、先行する続縄文文化の伝統を受け継ぐ形で成立)よりも、樺太(サハリン)北部や黒竜江(アムール川)下流域に起源を持つ、オホーツク文化の担い手である「オホーツク集団」(6~9世紀頃、道北・道東部に展開)の、さらには、擦文文化を受容したオホーツク集団の末裔に当たる「トビニタイ文化集団」(9~13世紀頃)の、ヒグマ儀礼の伝統を受け継いだものと、考えられている。

アイヌの「熊送り」が、「オホーツク集団」のヒグマ儀礼と近縁関係にあることは疑う余地はない。しかし、その一方で、「熊送り」の淵源の一端を北海道および本州起源の文化伝統の中にも探る必要性がある。

アイヌの「熊送り」の開始時期は、「飼い熊型熊送り儀礼」は文献史料からは17世紀中頃まで遡ることができるが、それより過去は、考古学の発掘成果からは擦文文化終末期に当たる12~13世紀頃に先立つ可能性を指摘し得る。ただし、これは「狩り熊型熊送り儀礼」の確立の証左とは言えるが、「飼い熊型熊送り儀礼」の基本形態までもが、この時期に確立されていたとまでは(可能性は極めて高いとはいえ)結論できていない。

「飼い熊型熊送り儀礼」は、「狩り熊型熊送り儀礼」に後発するものであったことは、想像に難くない。「飼い熊型熊送り儀礼」は、ツングース系のトナカイを飼養する牧畜文化との接触によって派生したとみられ、ところによっては西方の騎馬遊牧民文化の影響もみられる。

なお、北米先住民の中には、イヌワシの雛を数年間飼育した後に殺して魂(霊)を天に送る儀礼を持つ部族があり、北海道ではシマフクロウのイオマンテが行われる地域がある。

参考文献[編集]

関連項目[編集]