歩兵第18連隊

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歩兵第18連隊
IJA 18th Infantry Regiment 1940.jpg
宜昌作戦で漢水右岸を進撃中の歩兵第18連隊
創設 1884年明治17年)
廃止 1944年昭和19年)玉砕
所属政体 日本の旗 日本
所属組織 大日本帝国陸軍の旗 大日本帝国陸軍
部隊編制単位 連隊
兵科 歩兵
人員 約4,000人
所在地 名古屋 - 豊橋
通称号/略称 雷3219
補充担任 豊橋連隊区
上級単位 名古屋鎮台 - 第3師団 - 第15師団 - 第29師団
最終上級単位 第29師団
最終位置 マリアナ諸島 グアム島
主な戦歴 日清 - 日露 - 済南事件 - 日中 - 第二次世界大戦
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1937年、上海戦での歩兵第18連隊
豊橋公園内にある歩兵第十八聯隊之址碑
歩兵第18連隊営門跡(現豊橋公園正門)。門の向かって左手に哨舎も現存する。
歩兵第18連隊西門。1959年の国道1号線工事のため、現在の豊橋市役所立体駐車場脇に移転復元された。以前は木製の門扉も存在したが、現在はなくなっている。

歩兵第18連隊(ほへいだい18れんたい、歩兵第十八聯隊)は、大日本帝国陸軍連隊のひとつ。

沿革[編集]

  • 1884年(明治17年) - 名古屋にて第1から第3大隊が設置され、1886年(明治19年)までに豊橋に移駐
8月15日 - 軍旗拝受
3月 - テニアン島進駐を命じられる。移動中、沖大東島南方200kmの海上でアメリカ海軍潜水艦トラウト魚雷攻撃により輸送船崎戸丸が沈没、門間連隊長以下1,657名死亡[1]、570名重傷の大損害を被る[2]が、約1800名がサイパン島に上陸し、再編成を行う
5月 - グアム島へ移駐
7月21日 - アメリカ軍上陸開始(グアムの戦い)、連隊主力はマンガン山にあったが、各中隊は上陸地点の要所に配置され激戦を繰り広げる
7月25日 - 師団長の許可を得て軍旗奉焼、その後の夜間戦闘で連隊長以下の大部分が戦死

歴代連隊長[編集]

歴代の連隊長
(特記ない限り陸軍大佐
氏名 在任期間 備考
1 福原豊功 1884.6.2 - 1888.9.13 中佐、1887.11.大佐
2 小林師現 1888.9.14 - 1889.7.25 中佐
3 小島政利 1889.8.12 - 1891.10.29 中佐
4 佐藤正 1891.10.29 - 中佐、1892.11.大佐、1895.3.4戦傷
5 渡辺章 1895.3.7 - 1897.10.11 中佐
6 摺沢静夫 1897.10.11 - 1900.4.25 中佐
7 石原応恒 1900.4.25 - 1905.2.6 中佐、1901.11.大佐
8 渡敬行 1905.2.7 - 1906.6.28 中佐、大佐昇進
9 谷岡瑞 1906.6.28 -
10 井野口春清 1907.2.13 - 1912.3.5 中佐、1907.11.大佐
11 権藤伝次 1912.3.5 - 1916.8.24
12 奥田為熊 1916.8.24 -
13 佐久間五郎 1918.11.20 - 1922.8.15[3]
14 高島弥之助 1922.8.15 -
15 蟹江冬蔵 1927.3.5 -
16 佐々木到一 1930.8.1 - 1932.2.23
17 篠原三郎 1932.2.29 -
18 田村元一 1933.3.18 -
19 中沢三夫 1936.3.7 -
20 塩沢清宣 1937.8.2 -
21 石井嘉穂 1937.8.14 -
22 高野直満 1939.3.9 -
23 石井信 1940.12.2 -
24 門間健太郎 1943.6.10 - 1944.2.29 戦死
大橋彦四郎 1944.3.28 - 7.25 戦死

脚注[編集]

  1. ^ 防衛庁防衛研修所戦史室(1967年)、p.602、但し資料に寄って人数は異なり、全国グアム戦友会によれば2,475名が戦死もしくは行方不明
  2. ^ 防衛庁防衛研修所戦史室(1967年)、p.305
  3. ^ 『官報』第3013号、大正11年8月16日。

参考文献[編集]

  • 『日本陸軍連隊総覧 歩兵編(別冊歴史読本)』新人物往来社、1990年。
  • 原 剛『明治期国土防衛史』錦正社、2002年。
  • 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 官報
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『中部太平洋陸軍作戦(1)マリアナ玉砕まで』 朝雲新聞社戦史叢書〉、1967年

関連項目[編集]