栗田直八郎

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栗田 直八郎(くりた なおはちろう、1861年1月26日万延元年12月16日[1]) - 1926年大正15年)8月31日[1])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

履歴[編集]

三重県出身[1][2]1886年(明治19年)6月25日、歩兵少尉に任官し[3][4]、同月28日、陸軍士官学校(旧8期)を首席で卒業し[5][6]歩兵第6連隊小隊長に就任[7]1892年(明治25年)12月、陸軍大学校(8期)を卒業[2]ドイツ駐在を経験した[2]

1904年(明治37年)2月、第1軍参謀に就任し日露戦争に出征[1][2]奉天会戦後の1905年(明治38年)8月、第6師団参謀長に転じた[1][2]1906年(明治39年)7月、参謀本部高級副官となり、同年12月、歩兵大佐に昇進[2]1910年(明治43年)3月、皇族附武官(邦彦王付)に発令された[2]。同年5月14日、歩兵第42連隊長に転じ[8]、同年11月、陸軍少将に進級し歩兵第35旅団長に就任[1][2]

1912年(大正元年)11月、近衛歩兵第2旅団長に就任[1][2]1914年(大正3年)11月、教育総監部本部長に転じ、1915年(大正4年)2月、陸軍中将に進んだ[1][2]1916年(大正5年)1月、第14師団長に親補され[2]1919年(大正8年)4月、シベリア出兵に出動した[1]。同年11月、東京衛戍総督に着任[1][2]1920年(大正9年)8月、待命となり、1921年(大正10年)2月、予備役編入となった[1][2]。墓所は青山霊園

栄典[編集]

位階
勲章等
外国勲章佩用允許

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k 『日本陸軍将官辞典』283頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』74頁。
  3. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』73-74頁。
  4. ^ 『官報』第897号、明治19年6月29日。
  5. ^ 『日本陸海軍総合事典』第2版、625頁。
  6. ^ 『官報』第899号、明治19年7月1日。
  7. ^ 『官報』第898号、明治19年6月30日。
  8. ^ 『官報』第8067号、明治43年5月16日。
  9. ^ 『官報』第1034号「叙任」1886年12月9日。
  10. ^ 『官報』第5005号「叙任及辞令」1900年3月12日。
  11. ^ 『官報』第6247号「叙任及辞令」904年4月30日。
  12. ^ 『官報』第7084号「叙任及辞令」1907年2月13日。
  13. ^ 『官報』第8290号「叙任及辞令」1911年2月13日。
  14. ^ 『官報』第780号「敍任及辞令」1915年3月11日。
  15. ^ 『官報』第1397号「叙任及辞令」1917年3月31日。
  16. ^ 『官報』第2305号「叙任及辞令」1920年4月12日。
  17. ^ 『官報』第2571号「叙任及辞令」1921年3月1日。
  18. ^ 『官報』第5525号「叙任及辞令」1901年12月2日。
  19. ^ 『官報』第6573号「叙任及辞令」1905年5月31日。
  20. ^ 『官報』第924号「叙任及辞令」1915年8月30日。
  21. ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。
  22. ^ 『官報』第2169号「叙任及辞令」1919年10月27日。
  23. ^ 『官報』第2612号「叙任及辞令」1921年4月19日。
  24. ^ a b c d e f g h i j k l m 『官報』第7988号「叙任及辞令」1910年2月10日。

参考文献[編集]

  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。