松平光年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
 
松平光年
時代 江戸時代後期
生誕 天明元年4月25日1781年5月18日
死没 天保8年2月4日1837年3月10日
改名 栄松・栄次郎(幼名)→光壮(初名)→光年
戒名 神龍院大光啓雲
墓所 長野県松本市県の戸田家廟園
官位 従四位下、河内守丹波
幕府 江戸幕府
信濃松本藩
氏族 戸田松平家
父母 父:松平光悌、母:梶原氏(側室)
養父:松平光行
正室:戸田氏教の娘)
継室:寿美蜂須賀重喜の娘)
光領、松姫(正親町三条実義室)
養子:光庸

松平 光年(まつだいら みつつら)は、信濃松本藩の第7代藩主。戸田松平家12代。正親町三条実愛は外孫にあたる。

生涯[編集]

天明元年(1781年)、信濃松本藩5代藩主・松平光悌の長男として生まれる。父が死去した時は幼少だったため、分家の5000石旗本戸田家から光行が養子となり家督を相続した。寛政6年(1794年)2月24日、光行の養子となる。同年4月1日、徳川家斉に初御目見する。同年12月16日、従五位下・河内守に叙任する。寛政12年(1800年)2月23日、光行の隠居により家督を相続した。

文化14年(1817年)9月10日、奏者番に就任する。文政11年12月12日(1829年)、寺社奉行加役を命じられ従四位下となる。天保5年(1834年)、将軍徳川家斉より松を下賜され、松本城内に植える。天保8年(1837年)、松本で没し、戸田家廟に埋葬された。跡を先代・光行の三男で養子の光庸が継いだ。

文化10年(1813年)と文政2年(1820年)に相次いで、伊那郡幕府領計8000石を預地として加増された。

参考文献[編集]