松平光悌

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松平光悌
時代 江戸時代中期
生誕 宝暦4年10月17日1754年11月30日
死没 天明6年6月21日1786年7月16日
改名 藤十郎(幼名)→光悌
戒名 本覚院則道了規
墓所 岐阜県本巣市郡府の智勝院
官位 従五位下、丹波守、若狭
幕府 江戸幕府
信濃松本藩
氏族 戸田松平家
父母 父:松平光雄 母:谷口氏
養父:松平光和
兄弟 光徳光和一柳直住光悌
正室:岩姫阿部正敏の娘)
光年、錠姫(松平光行正室)、
娘(京極高有継室)
養子:光行

松平 光悌(まつだいら みつよし)は、信濃松本藩の第5代藩主。戸田松平家10代。

生涯[編集]

宝暦4年(1754年)、第2代藩主・松平光雄の八男として江戸呉服橋の藩邸で生まれる(宝暦2年(1752年)生まれとも)。安永3年12月9日(1775年)、兄で4代藩主の光和隠居により、その養子として家督を相続する。12月16日、将軍徳川家治御目見する。12月28日、従五位下・丹波守に叙任する。安永6年(1777年)2月8日、松本城の火災にともない、再建のために幕府から6000両を貸し与えられる。

天明6年(1786年)、江戸呉服橋邸で死去した。跡を婿養子の光行が継いだ。