村田真生
村田真生 Mao Murata | |
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生誕 | 1990年8月2日(32歳) |
出身地 |
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学歴 | 岡山城東高等学校(中退) |
職業 |
実業家 マーケター 慈善活動家 演出家 作曲家 編曲家 ピアニスト |
活動期間 | 2006年 - |
事務所 | カーネマン |
村田 真生(むらた まお、Mao Murata、1990年8月2日 - )は、日本の実業家、マーケター、慈善活動家、演出家、作曲家、編曲家、ピアニスト。元ミュージカル俳優。
カーネマン株式会社(旧HOSHINE)の創業者であり、代表取締役。岡山県岡山市出身。
来歴[編集]
ミュージカル俳優時代(16歳〜20歳)[編集]
2006年、岡山県立岡山城東高等学校を中退し上京。
蜷川幸雄演出「タンゴ・冬の終わりに」(堤真一・常盤貴子主演)で東京デビュー。なお、オーディション当時、村田は16歳で出演条件は18歳以上であったが、蜷川の右上である演出助手・井上尊晶の目にとまり出演が決まった。以降、宮本亜門演出・祝祭音楽劇「トゥーランドット」(張惠妹、岸谷五朗主演)、ミュージカル「アプローズ」(前田美波里・貴城けい主演)など舞台・ミュージカルを中心に出演。
2007年、劇団四季に最年少で合格。しかし、既に出演が決まっていたTBSのミュージカルと入所期間が重なり、入所を辞退。翌年には俳優の浜畑賢吉の推薦を受けて再び劇団四季に合格するも、劇団特有のシステムに馴染めず自主退所している。この頃から俳優を続けていくことに疑問と限界を感じていたとインタビューで語っている。
作曲家時代(20歳〜24歳)[編集]
2010年、OVA「るろうに剣心〜追憶編〜」の劇伴(岩崎琢作曲)に影響を受け、俳優活動の無期限休止を発表し作曲家として活動を開始。偶然岩崎がブログで募集していた雑用の手伝いをしたことで一流の作曲現場に触れ、岩崎の助言を受け和声や作曲機材などの基礎も学び始める。その後、阿川泰子・MALTA・小原孝らメジャーアーティストや「和風総本家」などテレビ番組を中心に作曲・編曲提供する。
会社員時代(24歳〜25歳)[編集]
2014年、作曲家としての収入が安定せず、総合人材サービスのAdeccoに就職。模範的社員として一時はAdeccoの公式サイトでも紹介されるほど会社員生活に馴染んでいたものの、管理職にスピード出世したことからビジネスマンとしての成長を目指し、転職を試みる。しかし、高校中退の学歴が仇となり転職活動に失敗する。
起業から現在(25歳以降)[編集]
2015年、転職活動に挫折していたところ、相談先の経営者から「転職は人生への甘え、起業は成功への門出」と起業を勧められ、音楽プロデュースを目的としたHOSHINE株式会社(現社名:カーネマン株式会社)を設立し、同社の代表取締役に就任。
2016年、大丸心斎橋店の本館リニューアル[1]工事に伴う大手広告代理店主導の映像制作に参画し、映像協力のほか「Canon in D」の尺八とオーケストラによるオリジナル編曲・指揮を担当。この作品は「映文連アワード2016」のコーポレート部門に出品され、優秀賞を受賞[2]したが、一般公開先のYouTubeで再生数が伸びず、動画マーケティングの重要性を知る。
2018年、JPモルガン証券等のディレクター数名からエンジェル出資を受け、ビッグデータを活用した動画マーケティング支援事業に乗り出す。ところが、低迷するクラシック音楽業界の復興を支援する目的で立ち上げた別の新規事業(オーケストラ事業)が大きな損失を生み、会社が倒産寸前に陥る。社員の給与やオフィス賃料を捻出するために村田個人が多額の借金を負うなど当人も自己破産寸前まで追い込まれたが、幹部社員らの支えで大幅な経営改革を行い、V字回復に成功した[3]。
2019年、YouTubeを中心とした動画マーケティングの支援実績が大手IT企業・Googleに認定され、会社をGoogle広告の正規代理店に押し上げる。以降、NTT西日本、ソフトバンクをはじめ大手・中小企業の動画マーケティングを支援している[4]。
音楽家としての現在[編集]
ミュージカル俳優時代、難曲で知られるスティーヴン・ソンドハイムや久石譲らのミュージカル劇中歌を歌いこなしていたこともあり、コーラスの安定性には特に定評がある。そのため、現在も会社経営のかたわらコンサートやレコーディングなどにゲスト出演することがある。2016年からは俳優・小波津亜廉のライブに相方として例年出演し、MC・ピアノ・デュエットを担当している。
GINZA SIX 観世能楽堂における吉本興業主催ライブ[5]の音楽・演出サポート、大丸東京店における大丸創業300周年スペシャルコンサート[6]の企画・プロデュースなど、企業イベントの音楽プロデュースや楽曲提供も行っている。
慈善活動[編集]
私財を投じて囲碁普及のためのイベント主催、オーケストラや優秀な音大生への協賛・企画支援など、芸術文化の普及や慈善活動にも取り組んでいる。
2018年、西日本豪雨で被災した故郷・岡山県の支援のためのチャリティーコンサートを主催し、日本赤十字社を介して収益の全額と寄付金を贈っている。
2020年、新型コロナウイルスの影響による外出自粛で精神不安・体調不良を抱える日本と東南アジアの人々を支援する目的として、ダンサーのパパイヤ鈴木を起用した公共広告をプロデュース[7]。1ヶ月弱で100万回視聴を突破し、日本経済新聞でも紹介された。
囲碁[編集]
中学生時代に3年間で囲碁アマチュア六段(現在は七段)となり、岡山ジュニア囲碁十傑戦優勝[8]など、岡山県の学生三強の1人として活躍した。王銘琬、小林千寿、大橋拓文ほか日本棋院の棋士とも親交がある。
囲碁普及のための囲碁と音楽のコラボレーションの仕掛け人としても知られ、NHK・毎日新聞などで取り上げられている。
脚注[編集]
- ^ “J.フロント リテイリング | 大丸心斎橋店本館建替え”. www.j-front-retailing.com. 2018年10月21日閲覧。
- ^ “受賞作品の決定|映文連アワード2016”. www.eibunren.or.jp. 2018年10月21日閲覧。
- ^ “HOSHINE株式会社代表取締役 村田真生氏-評判、口コミ、採用、起業当時の話まとめサイト”. donzoko-ceo.com (2022年4月4日). 2022年5月18日閲覧。
- ^ “企業情報|カーネマン株式会社”. カーネマン株式会社. 2022年5月21日閲覧。
- ^ “『狂宴御芸~狂言お笑い共演~』|BSフジ”. www.bsfuji.tv. 2022年5月20日閲覧。
- ^ “大丸東京店:エスカレーター止め「おもてなしコンサート」”. 毎日新聞. 2022年5月20日閲覧。
- ^ “【1分ですっきりエクササイズ】Like Open Dance - PAPAYA SUZUKI (パパイヤ鈴木) - YouTube”. www.youtube.com. 2022年5月15日閲覧。
- ^ “岡山ジュニア囲碁十傑戦及び棋力認定大会 案内” (日本語). ひがしおかやま囲碁サロン 日本棋院岡山支部. (2017年3月2日) 2018年10月21日閲覧。
- ^ “囲碁クエスト”. App Store. 2018年10月21日閲覧。